第11話「渦巻く羨望。/ENVY」
カラオケを3時間歌い終えた綾女は、来たときとはまるで別人のようにスッキリとした顔を浮かべて、電車に乗って帰っていった。
時刻は既に夜の8時を回っており、綾女の暮らす施設の門限は大きく過ぎている。
しかし施設長である華蓮とLINEを交換していた琴音は、遅くなる事を事前に説明し、彼女が帰る際にも連絡を入れていた。
「これなら多分、帰っても怒られること無いっしょ」
「キミはまるで先導の保護者だな」
門限の無い二人は、それからすぐ上の階にあるファミレスに足を運び、綾女の歌の感想を改めて確認していた。
「センパイ。一応確認ですけど、あやちのおっぱいでバンド入るって言ったのは、」
「半分ウソで半分ホントだ」
「半分は本当なんだ……」
そこは7割ウソであって欲しいと不満げに眉を細める琴音は、ため息をついて話を本題に戻した。
「……ウチのバンドに入ってくれる気になったちゃんとした理由。聞いてもいいですか?」
「ああ。先導綾女、彼女はイカれている。あんな歌い方が出来る高校生は、世界中どこを探しても彼女しかいないだろう」
注文していたコーヒーを口にしながら、真はカラオケでの綾女の歌い方や発声方法、体感や呼吸法など、様々な視点から見た彼女の評価を語った。
「歌う際において、腹式呼吸が重要なのはわかるか?」
「あ〜、お腹から大きく声を出そう! 的な?」
「それもあるが、腹式呼吸は声を安定させる為に必要な呼吸法なんだ」
歌を歌う際には、声を安定させる為に一定量の息をコントロールして吐く必要がある。
腹式呼吸をする事で、横隔膜──お腹と胸を仕切っているドーム状の筋肉のこと──を動かし、大きな息を吸い込んで吐き出す。
これにより、声がぶれにくく安定した声を出す事が可能になる。
そしてそれは、歌を安定して歌う為以外にも重要な役割があった。
「しっかりとした声量を保つ事の他に、喉を痛めずに済む、という理由もある。その他にも必要な分の息圧を制御しやすくなるし、高い声や強い声、それらの強弱をつけやすくなる。彼女の場合、そのどれもが非常に安定していた。あれで歌のレッスンを受けずに独学で身につけたと言うんだ。正直言って天才だよ彼女は」
カップの縁を指でなぞりながら、真は羨ましそうに語る。微弱な感情の変化に気付きながらも、琴音はあえて触れずに、別の話題を振った。
「……センパイ、あやちの胸ばっか見てると思ってたけど、ちゃんと歌い方とかも見てたんですね!」
「当たり前だ。入ろうとしているバンドのボーカルの基礎や技術、それを確認しないで入る馬鹿はいないよ」
「でも、それだとウチのギターとかも聴いてないし、確認してないから入れなくないですか?」
「キミは私にバンドに入って欲しいのか欲しくないのかどっちなんだ?」
正面から顔を近づけて聞いてくる琴音の手を、真はそっと掴み取って、指先や手のひらを握ったり摩ったり、とにかく何かを確認するように触り始めた。
「……カラオケでキミが席を外している間に先導から聞いたよ。キミの鳴らすギターの音は、楽しいとか嬉しいとか、そういう明るい、ポジティブな感情を抱かせてくれる最高の音だってね」
「あやちがそんなことを?」
「ああ。それに、手を触ってみれば確かにそういう感じがするよ。感覚でしかわからないけど、初めて1、2年でこの指タコの数は、本気で音楽を演りたいって子にしか出来ないものだ」
「センパイ……」
「でも結局入るきっかけになったのはあやちのおっぱいなんですよね?」
「それは否定しないな。高校一年であの恵体は堪らんものがある。フフ、是非ともあの胸に飛び込んでみたいな……」
「センパイって本当に『セイコーの貴公子』なんですか?」
コーヒーを口にしながらクソ気持ち悪い事を抜かし始める真に、琴音は心の底から軽蔑の視線を向ける。
身長は170cmと女子の中でも高めで、中性的なルックスに声、そしてベースやその他の楽器も弾けるという事もあって、真の女子人気は同じ高校のイケメン男子生徒ですら及ばないレベルだった。
学校では、女子生徒と戯れるためにわざと「王子様感」のあるロールプレイを実行しており、その結果「セイコーの貴公子」「ジェンヌ」等という呼び名がつく程であった。
「それがまさかこんな変態ベーシストだったなんて……! まさか、ウチに対しても劣情を──」
「それは無い。だってキミには胸が無い」
「下手な韻踏みながらディスられた!? ぶん殴りますよ!!」
声を挙げると、周りの客からじろりと睨まれ、琴音は申し訳なさそうに周りに頭を下げた。
「そろそろ出ようか」
フォローするようにそう言うと、真は琴音の分の代金も一緒に払った。
「かわいい後輩に奢るのは、先輩の役目だからね」
「やった〜♪ センパイだいすき♡ でも次胸弄りしたらギターで顔面ぶん殴りますからねっ♡」
「……キモに命じておこう」
ニッコリと可愛らしい笑顔を浮かべているのに、目がギラギラとキマっているのを見て、真はこれ以上琴音の胸を弄るのはやめる事にした。
「──それにしても『先導』か。アメリカでお世話になった方と同じ名前をしているとは、良い意味で数奇な運命を感じるな」
「え? センパイってアメリカにいたんですか!?」
「中学生の頃に数年だけ。父がその……まぁバンドマンで、知り合いが経営しているライブハウスに見に行った事があって、その時に出会ったんだよ」
「へ〜! だから英語の発音とかに厳しかったんですね〜……」
……もしかして、あやちの本当の親だったりする?
そんな事を思い浮かべるが、琴音は頭を振って、その考えを霧散させた。
(苗字が一致してるってだけで、飛躍し過ぎだよね。ごめんあやち。変な妄想しちゃって)
綾女の本当の親が〜なんていうのは、外野がとやかく言う事じゃない。綾女は今施設に住んでいて、そこで楽しく幸せに暮らしている。
そして今、自分たちと一緒にバンドを組んでいる。
最初は否定的だった綾女も、今ではやる気を出してくれて、バンド活動に積極的になってくれている。
だったらそれでいい。
綾女の家庭環境や、これまでどんな人生を送ってきたのかなんて、詮索する方が間違ってるのだから。
「──センパイのお父さんってバンドマンなんですよね? どんなバンド組んでたんですか!? もしかして結構有名なバンドとか!?」
琴音は、これ以上余計なことを考えないようにと、無理やり話の流れを捻じ曲げた。
過去の話は、したい時にすればいい。
綾女がもし話をしてくれるというのなら、してくれるその時まで待とう。
:
「……麻里奈。ほら見て、あの金髪の女」
「ファミレスに真先輩がいたから近くの席で話聞いてたんだけど。真先輩、あの金髪の子とバンド組むんだって! あり得なくない!? 私たちの方からずっと誘ってたのに!」
麻里奈と呼ばれる、茶髪のセミロングをした目つきの鋭い少女は、棘のある声音で「黙って」と強い口調で言い放った。
「それで? 誰なのあの女。あたし達と同じ2年じゃないでしょ? っていうか軽音部にあんなヤツいた?」
「いや、いないと思うけど……」
「アレじゃない? 最近よくギター持ち歩いてる一年の子がいるって、同じ部の男子が騒いでたじゃん」
「あ〜、なんか言ってた気がする。確か7弦のギター使ってるんだよね」
「え? そうなの?」
「ギター何使ってるのか聞いたらしくて。その時に言ってたらしいよ?」
名前も知らない金髪のギター少女──琴音の情報をベラベラと話す二人に、麻里奈はギロリとした視線を向けた。
「……ソイツの名前は?」
「え? いや……」
「ごめん、名前までは……」
「そう。なら調べて。あたし達のファンでも、同じ部のヤツ使ってでも何でもいいから」
「調べてって……」
二人は顔を見合わせて首を傾げる。
「調べて、どうするつもりなの?」
「は? そんなの決まってるでしょ。その女から真先輩に手を引くように言ってやるのよ。っていうか、軽音部でも無い奴がギターなんか持ってきてんじゃないわよ。ムカつくわね」
イライラした様相で舌打ちをする彼女に、二人のバンドメンバー(ギターとドラム)は怯えた様子で身を寄せ合った。
麻里奈が真に陶酔している事は、軽音部に所属している部員であればほぼ全員が知っている事だ。
セイコーに入学し、まだ軽音部に所属していた真のライブを見たその日から、麻里奈は真とバンドを組む事を目標に練習を重ねてきた。
それなりにギターも弾けて歌も歌えた麻里奈は、軽音部ですぐに頭角を現した。
その時は2年生だった真に、何度も何度もアタックし続けた。
そのせいで、同じ部の女子からは執拗な嫌がらせやいじめを受けもしたが、彼女はそれを己の実力で黙らせた。
他のバンドとは明らかに違う熱量に、荒削りながらも感情を揺さぶる声と演奏力。
学園祭では、一年生でありながらトリ前のライブを飾り、その時のライブはトリであった筈の先輩バンドを完全に喰っていた。
初めてみた真の演奏を見て、聴いて。
それから彼女は、真の虜になっていた。
だからいつか、いつか必ず彼女を自分のバンドに引き込もうと思っていた……それなのに。
「……何処の誰だか知らないけど。真先輩は、あたしのものなんだから」
駅の方へと遠ざかってゆく二人の背中を……否。
金髪の、身の程知らずの一年少女に強い恨みと憎しみを抱く麻里奈は、明確な殺意と怒りを胸にその場を後にした。
サブタイトル
coldrain 「ENVY」
※作中に名前が上がらない場合も多々あるので、後書きにて記載する事にしました。
聴いた事のない方は是非聴いてみてください。
次回更新は22日です。よろしくお願いします。