第1話「始まりと最終目的地。/Final Destination」
私たちを取り巻くこの世界には「普通」という言葉があるけど、その普通の意味を知っている人は果たしてどれくらいいるんだろう。
そんな事をカラオケの一室で、ドリンクバーで入れてきたメロンソーダをじゅるじゅると飲みながら私──先導綾女は考えていた。
「高校入学してから約1ヶ月……。ま、まさかここまで友達が出来ないだなんて……!」
暗い感情を炭酸の爽やかさとメロンの甘さ──実際はメロン味じゃ無いけど──で誤魔化そうと、私は入れてきたメロンソーダをストローで一気に吸い上げた。
そのせいで変な気管に入ってゴホゴホと咳き込み、私は何とも言えない気持ちになって備え付けられているソファーの上に寝転がる。
こういうときはだいたい友達と一緒に笑い合ったりするのだろうが、残念なことに私は一人だ。
「……どうすれば、友達って出来るんですか……?」
誰に聞くでも無く、部屋の電気もつけずに暗がりの中で呟いた。
当然返ってくる言葉は無く、隣かその他の部屋から聞こえてくる他の客の歌声だけが虚しく轟いていた。
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私、先導綾女は孤児である。
なので、普通の女子高生には当然いる筈の「ハハオヤ」と「チチオヤ」なる生物を知らずに生きてきた。
とある多目的トイレの中に設置されたベビーキープの上で慟哭いているところを、たまたま児童養護施設で働いていた施設長が私を保護。
その後色々な手続きを挟んで施設の預かりとなった。
それから約15年。
たぶん私は、みんなの知る「普通」とは違う生活を過ごしてきた。
しかし私にとってはそれが日常なので、普通とかどうとかそういうのはあまり気にした事が無かった。
けれど、周りはどうもそうはいかないらしくて。
小学生の頃はハハオヤとチチオヤがいない事で虐められていたし、中学になってからは体が急成長して身長は軽く170cmを越え、その影響からか変に注目を集めてハブられてしまった。
「おまえ身長高いくせにバスケ下手なのかよ!」
「綾女さんって本当に何も出来ないよね〜!」
「この木偶の嬢!」
「八尺様!」
──全て中学生の時に吐かれた言葉であり、私につけられた蔑称である。
虐められてる時点でわかると思うが、私はあまり感情を表に出せる人間では無い上に非常に暗い性格をしており、見た目も身長以外で生える要素はほとんど無い。
黒縁の眼鏡をかけ、その眼鏡さえも覆い隠す程に伸びた黒髪。
施設長である華ちゃん先生なんかは「ちゃんとすれば可愛いんだからちゃんと顔出しな?」と言ってくれたけど、私にはそんな勇気は無いし、何より自信なんてものは虐められていく中で摩耗し、完全に消滅してしまっていた。
まぁとにかく。
そういった事情も相まって、私はこれまで友達が出来た事が無かった。
そしてこの友達なる存在も「普通」という概念に付随されるものらしく、詰まるところ私は「普通」から乖離された日常を過ごしてきたのだ。
「高校生になってからは、友達ぜったいに作ろう! って考えてたのになぁ……」
体を起こし、深いため息をつく。
皆の知る「普通」から遠のいた生活をしてきた為、友達の作り方なんてものは知らない。
GWに入るまでには「友達作るぞ!」なんて意気込んでいたんだけど、GWを目前に控えている午後17時15分のカラオケボックスの中にいるのは、悲しいことに私一人である。
それすなわち、私の夢は果たされず、こうして一人カラオケで慟哭いているのであった。
誰か私を殺してくれ。
「……もういいや。これ以上悩んだって仕方がないんだし、歌おう……」
私は頭の中を駆け巡る様々な悩みの種たちを頭を振って一蹴する。
まったくもってふざけている。
私は入学してからこれまでの期間、全ての予定を空けていたし、GW中もバイトの日以外は全て空けていたというのに。何故誰も私を誘ってくれないのか。
そんな「自分から行動できずに他人のせいにしている己が愚かさ」から目を背けながら、心の中の鬱憤を纏めて吐き出すように、マイクに向かって歌を乗せる──
のでは無く、吐き捨てた。
「──GET THE FxxK UUUUUUUUUUUUUUUU UUUUUUUUUUUUUUUUUUUUP!!!!!!」
がなり声を更に低くし、まさに体の内側にある不快感のあるものを吐き出すように。
心の中にある怒りや悲しみ、憎しみの全てを地面に叩きつけるようにして、前屈姿勢で思いっきり吐き出した。
静謐さに包まれていた部屋全体に、汚いと言われてもおかしくは無い音域でシャウトした私は、そのままデンモクに好きなバンドの曲を入力する。
「さっきまではV系メタルコアばっか攻めてたけど、やっぱ私はこのバンドが一番好きだから、これで締めよう」
いま私のいるカラオケボックスから施設まで、電車で大体1時間ぐらいはかかる。
施設には門限があるのでその時間に合わせられるように、今日叫ぶ最後の一曲──coldrainの「Final Destination」を入れた。
ギターのフィードバックから始まり、助走をつけるかの如くスネアドラムが走り出す。
激しいギターがリズミカルな音を掻き鳴らし、私は勢いよく飛び出すように「GO!!」とシャウトした。
後戻り出来ない人生を、ひたすらに進み続ける。
そうした意味が込められたこの曲は、私が愛してやまないラウド系ロックバンド「coldrain」の代表的な楽曲の一つだ。
進み続ける事に批判的な事を言ってくる人たちの声。
それらに耳を貸さずに、ひたすらに前に突き進んで行くという強い意志と熱い想いを感じさせるこの曲は、私の背中を押してくれた。
この曲は、私にとっての人生のアンセム。
生きていく上でかかせない、重要なファクターなのだ。
私は確かに普通とは違うかもしれない。
その影響で、私に対して批判的な事を言ってくる人や態度を取ってくる人はたくさんいた。
だけど私は耳を貸さない。
好き勝手言えばいい。
私は前に進み続ける。
そんな想いを胸に秘めながら、腰まで伸びた黒髪をグルングルンと扇風機が如く振り回し、最後の歌詞を噛み締めるようにして腹の底から叫び散らした。
──嗚呼、やっぱり気持ちいい。
この曲を歌うまでの間もずっと歌っていたので、私はすっかり汗びっしょりになっていた。
しかし私は不快感よりも強い達成感と充実感に満た されており、汗だくになりながらシャウトした事を思い出しては、カラオケボックスの中で一人震えていた。
「はぁ〜、スッキリしたぁ……」
誰もいない空間で全力で叫び、歌う──。
友達のいない私は、積もりに積もったストレスを、こうして定期的に叫びと同時に吐き出しにきている。
デスボイスに関しては、カラオケに通いながら色々なラウドロック/メタルコア系バンドの真似をしていると、いつの間にか出せるようになっていた。
我流なので、多分シャウトの基礎的な部分が疎かになっているかもしれないけど、私は別にプロでも何でもないしバンドを組む訳でも無いので、これでいいのだ。
一人で叫んで歌う。ストレスを発散する。
これが私にとっての普通。それが日常。
これでいい。
マイクを握りしめながら、私は自分にそう言い聞かせる。
高鳴り始めた心臓の音が次第にゆるやかになるのを感じながら、私はソファーの上に腰を降ろした。
少しだけ心が痛くなるような、締め付けられるような感覚に陥りながらも、私は門限に間に合わせようと帰り支度を済ませ──
「すご〜いっ! 先導さんってcoldrain歌えるんだ!」
「ホワッ!?!?!?!?!?!?!?!?!?」
──ようとカバンを手にした瞬間、一人だけの空間だったカラオケボックス内に、名も知らぬギャルが顕現していた。
「WHaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!???」
「えっ。すっご……今の完全にDirの京さまじゃんっ! 先導さんってもしかしてDirもいけちゃうカンジ!?」
あまりにも驚き過ぎて咄嗟の叫声がホイッスルになってしまうが、目の前にいるギャルは引くどころかむしろ興奮していた。
目をキラキラと輝かせて私の手を握る彼女の手は、暖かいとか冷たいとか以前にバチバチに盛られたネイルがグサグサと突き刺さって痛い。
離して貰おうと此方もギャルの手を握り返すが、そこで私は彼女の指先が固いことに気がついた。ネイルはわかるけど、指先が固いのはどうしてだろう?
って、そんな事よりも、目の前のギャルをどうにかしなければ……!
「あっ、ああああのっ! あの、あの……あのっ!!」
「? あのちゃん? あのちゃんもシャウトマジでうまいよね〜。可愛いしスタイルもいいしさ〜。ウチもめっちゃ好きだよ、あのちゃん!」
「あっ、私も好きで……ふへへ……ってそうじゃなくてぇ!!」
コロコロと話題と表情が移り変わる謎の金髪ギャルの声を遮り、私は率直に「あなたは誰ですか!?」「あとなんでこの部屋にいるんですか!?」と尋ねた。
すると彼女は少しだけ驚いた表情を浮かべて、不満げに頬を膨らませた。何ですかそれ可愛すぎません?
「え〜? ウチのこと知らない? 同じクラスなのにけっこ〜ショックなんだけど。まじめに自己アピールしてたんだけどな〜」
「え……お、同じクラス……?」
そう言われて、私は記憶の底からクラスメイトの顔と名前が書かれてある出席簿を広げる。
クラスの日直等で確認する事もあるので、ある程度目を通してある。まぁ覚えてるかどうかは別ですけどね!
脳内出席簿を閉じ、誰一人として覚えていない事を改めて把握した私は、目の前のギャルに深々と頭を下げて謝罪する。
するとギャルは「Siriみたいでウケるww」といって笑い出した。
今のどこに笑いどころがあったのかはわからないけど、そのおかげ(?)もあって、改めて自己紹介をしてもらう事になった。
「ウチは春野琴音。先導さんと同じ1–3だよ。よろ〜☆」
ピースサインを逆向きにして此方に向ける。
うん、圧倒的に情報量が少ない。
なので私も「あ、先導綾女です……」と返すと、「知ってるよ?」と言われてしまった。そりゃそうだ。私を知ってるからこそこの部屋に入ってきたんだろうから。
「あのぉ〜……それで、どうしてこの部屋に……?」
「いや〜、GW前ってことで友達たちと一緒にカラオケ来てたんだけどなんか飽きちゃってさ。適当にぶらついてたってカンジ? そしたらあやちが歌ってるのが見えて〜」
あ、会って数分でもう「あやち」呼び……!?
ギャルの距離感の詰め方、なんかもうすごいを通り越して怖いレベルなんですけど……!?
「でっ! 『先導さんだ〜』と思ってドアから覗いてたんだけど、ヘドバンしながらめっちゃ叫んでるじゃん! しかもめっちゃうまいし! それで思わず入ってきちゃった♪」
しかもヘドバンしながらシャウトしまくってるのバリバリ見られてる!? あっだめだ、恥ずかし過ぎてゲロ吐きそうになってきちゃった……。
というか冗談抜きで死にたくなってきたけどどうしよ? 誰か私を殺して6フィート下に埋めてくれぇ……!
せっかくストレスを吐き出す為に叫びまくっていたのに、新たなストレスが来襲してきて私はソファーの上で蹲りながら唸りをあげる。
春野さんはそんな私を見ながら「グロウルまで出せるんだ〜!」と喜んでいた。
喜んで頂けたのは幸いですが、今は一人になりたいんでお帰り願えますでしょうか……?
「そんな暗い顔しないでよあやち。別にあやちが一人でcoldrain歌ってたことを誰かにバラすワケじゃないし」
「いや、あの、でもぉ……!」
「扇風機かってぐらいヘドバンしてたのはつい言っちゃうかもしんないけど」
「それ!! それだけはッ!! それだけは何卒……!!」
あまりに必死過ぎるせいか、春野さんはクスクスと笑っているけど此方としてはそれどころでは無い。
ただでさえ友達がいない+出来ないのに、そんな状態の中で一人カラオケに行き「先導さんって一人でカラオケ行って扇風機みたいに頭ぶん回してたんだよw」「何それウケるw」とか言われようものなら、私はその場で爆裂四散して全てを飲み込みながら死んでしまうかもしれない。
──というのは冗談だとしても、せっかく施設近くの高校から離れた場所に進学できたのに、ここでまた挫折してしまうのは、将来だけで無く応援してくれた華ちゃん先生にも迷惑がかかってしまう。
だから私は全力で頭を下げ、「どうかこの事は言わないで欲しい」という想いを春野さんに伝える。
すると彼女は真剣な声で、「顔あげて」と告げた。
「ごめん。さっきのはじょ〜だん。っていうか勝手に入ってきて何様ってカンジだよね。一人で楽しむために来てたのに」
「あっ、いや、その……はい……」
一人で楽しむためっていうか、一人で来るしか無かったからそうしただけで……友達いないし……。
脳内で暗い感情が蔓延する中、春野さんは「でもねっ!」と私の手を取って顔を近づけてくる。
まるで春先に咲く桜が如く、煌びやかに笑う彼女の笑顔に見惚れてしまうが、彼女の固くなっていた指先が私を現実へと引き戻す。
「あやちの歌声、そしてシャウトがすごいと思ったのはホントなの! 同じJKであんなにカッコよく歌える子いるんだって──ウチ、めっちゃ感動したんだっ!」
真剣な表情で、真正面から訴えかけるように喜びの感情をぶつけてくる彼女に、私は顔を逸らして下賤な笑みを浮かべるばかりだ。
えぇ〜……何なのこのギャル……?
会ってすぐにあだ名(※いい意味で)つけてくるし手握ってくるしすごく褒めてくれるし……。
もしかして春野さん、私のことが好きなのでは?
話の飛躍どころか超次元にまで飛んでいくレベルの思い違いをしていると、彼女はギュッと手を握り締めながら、部屋全体に響き渡るような晴れやかな声で言った。
「……だからさ。ウチと一緒にバンド組まない? サイキョ〜にラウドでちょ〜ぜつクールなJKラウドロックバンドを!!」
「………………へっ?」
──誰もいない、私だけしかいない筈のカラオケボックスの中に入り込んできた謎のギャル、春野琴音。
初対面だというのにガンガン距離を詰めてきて、どんどん話を進めてゆく彼女は、最終的に私をバンドに誘ってきた。
私には「普通」の意味がわからない。
ただ他人からは「普通では無い」という理由で虐げられ、蔑まれてきた訳だけど……そんな私にも一つ、わかる事がある。
多分、今のこの状況は普通では無い。
それを知らせるように、心の中で疼いた謎の感情と、終了10分前を知らせるコールが鳴ったのはほぼ同じタイミングだった。
サブタイトル
coldrain 「Final Destination」