表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/14

三.一石何鳥

今日は良く晴れている。雲も全く無く、日差しが痛く思えるくらいだ。風は微かに感じる程度。季節の変わり目、暑さを明確に感じ取れる、そんな日。ふと我に返ると、辻村は以前こちらを見つめたままだ。こちらのリアクション待ち、という感じ。そうは言っても、助手になれ、助手になれだあ〜〜?

「なんっの、助手、なんっだよ!」

結局分からないんだよお前。一日待たせてこれかよ。要点まとめないと社会でやっていけない、知らんか?

「それはそれは、私の家業の、だよ。これはまだ言ったことが無い、私の『秘密』なんだ。」

家業?仕事してるんか、お前。お見それした。

「その助手、というかバイトかな、とにかく仕事を手伝って欲しいんだよ。」

手を合わせて媚びるように俺を覗き見る。家業、そのバイトか。確かに経験したことがないけれど、それで本当に人生が変わるものなのか、疑わしい。

ふと、あることに気づいて眉を潜める。あれ、そう言えば、

「なあ、辻村って、その、両親が家にいないんじゃなかったか。」

「そうだよ。だから私が一人でやってるんだ。放課後や休日にね。今まではそれで済む程度だったんだけど、ここのところちょっと忙しくてね。暇な人がいたらなぁ、と思ってはいたんだ。」

一人で?マジか、それは予想外だった。辻村の背丈が大きく感じる。

「そしたらどうだい、ちょうど良く人財が名乗り出てきたじゃないか…頭も良さそうだし。」

あの悩みに対してちょうど良いって何だ、ひどいだろ。あと自分の発言の気の悪さに気づいて、頭良さそうって付け足すのも小賢しいし。それと人材のことを人財って表現するの大っ嫌いなんだが。まぁとにかく、バイトか。首を捻る。やろうか考えたことはあった。校則上バイトは禁止されているが、実態はそれほど厳しく取り締まっているわけではない。教室でも時々バイトの話が聞こえるほどだ。俺も仕事に従事するようになれば、余計なことを考える暇が無くなって良いのか?どうなんだろう。辻村を見る。ハテナが浮かびそうなほど首を傾げて俺を見くる。やめろって。やりますって即答しないのが不思議か?でもそうか、一人でやってきたのか。何歳からやってるからは知らんが、案外苦労人だったということだ。先生方が配慮するのも頷ける。つらい。ちゃんとしてるじゃねえか。ただの変態じゃなかったんだな。

まあまあそれは一旦置いて、考えてみよう。放課後や休日の隙間時間にできるということは、飲食等の定時営業タイプではなく、むしろ注文を受けて作品を作るような職人っぽいものと思われる。そんなものの手伝いを、ずぶの素人ができるのか?

「ああ、ちゃんと給料は出すから心配しなくていいよ、勿論。」

そこじゃねえんだけどな。

「結局、家業?って何してんだよ。それ次第だ。」

重要なところが謎のままなんだよ。

「そうだよね、知りたいよね。」

そう言うと辻村はポケットをごそごそして、ある物をつまんで掲げてみせた。

「これだよ。」

小さなプラスチック袋、透明なそれの中に、直径二センチにも満たないほどの、黄色の小さな欠片が入っている。近づいてよーく見てみる。金属じゃないな、プラスチック?にしては光り方が複雑だ、質感もある。それに形も綺麗に整っている。いやこれは、まさか、

「何かの宝石、みたいに見えるが。」

「おおっ、ご名答。見る目があるね、やはり。これ、宝石の原石なんだよ。」

はぁ?

声にならない驚きが出た。宝石商だったの?こいつが?やっば。JKができるものなのか?

「宝石商だったなんてな、驚いた。」

すると辻村は眉間に皺を寄せ、うーんと首を捻った。え、違うの?宝石なんだろ?

「似たようなものなんだけど、ちょっと違うんだな、これが。説明が難しいな…」

口元に手を当ててしばらく考え込んでいたが、

「この場じゃ説明が難しいよ。家に来てくれないかい?その方が手っ取り早い。手伝って欲しいことの内容も、詳しくはそこで話そう。」

家行くって?誰の?あ、お前の?俺は男なんだが?

てかここで教えてくれねえの、何で?

「仕事場を見せてくれるのか、確かにその方が話が早いかも、しれんがなぁ…」

「そうだろう、じゃあどうしようかな。うん、放課後にもう一回集まろうか。荷物を持って正門前で待っていてくれたまえ。すぐに行くから。」

俺を遮って勝手に決める。宝石をポッケにしまい、すごすごと帰ろうとする。

「おいちょっと、まだバイトするとは言ってないが。」

ピタッと歩みが止まる。くるっと振り返って俺と目が合う。丸くて大きい。吸い込まれそうだ。

「しないの?」

ぐぅ

純粋な瞳でこっちを真っ直ぐ捉える。そんな顔でそう言われたら、もう何も言えん。言えるわけないだろうが。

「…やります、多分。」

にこー

分かりやすく顔が緩み、そうだろう、じゃあね、と声をかけて消えていった。

ぽつん、また俺一人、屋上に取り残された。最近俺置いてけぼりじゃないか?てかバイトて。バイトで俺の人生が変わると、本気で思ってるのか?あの自信は何だったんだ。確かに新鮮な経験かもしれないが、所詮バイト。俺の思考なんて変えられるはずがない。結局俺は救われない。

頭を抱える。しっかりしろ、俺。宝石を扱う何かしらの手伝い、か。気休めにはなるかもしれん。このまま何もしないよりは、少しは長く人生に満足できるだろう。

ふぅ

息を吐き切る。頭がぼんやり痛い。変人と付き合うとこうなるか。仕方ない、乗ってやるか。覚悟を決めて教室に戻る。


六限が終わり、放課後。誰も彼も友達と合流して部活に向かう中、いそいそと帰り支度をして玄関に向かう。もう同級生にとっても見慣れた光景。誰も俺を気に留める者はいない。何てったって俺は、ガラが悪いからな!スムーズな足取りで玄関を抜け、正門に向かう。もういた、辻村。正門のコンクリート壁に寄りかかって腕を組み足を組み、強者のような佇まいで待ち受けている。恥ずかしくないのか、人の目とか。声をかける。

「おい。」

「やあやあやあ。それじゃあ行こうか、我が家へ。電車で二駅だよ。そこからは歩いてすぐさ。」

最初俺は辻村の後をピッタリとついて行った。が、少し歩いたところで辻村が振り返る。

「橘君。」

ん?辻村は怪訝そうな顔をしている。

「横を歩いてくれないかな。後ろにいては話しにくい。」

そう言って右隣をちょいちょいと指差す。バッカお前。通学路で男女が横並びで帰宅するとどう見られるか分かってんのか?どすどすと大股で辻村の隣まで並ぶ。もういいか、もう。誰に見られようが知ったこっちゃねえ。

「よろしい、さあ、何でも聞きたまえ。」

聞きたいこと、か。脳内データベースを新規開拓し、質問リストを構築する…尽きないが、まずはこれだろう。

「結局、宝石をどうするのが仕事なんだ。」

「何て言うかな、あれを加工するんだ。依頼人のニーズに合うように。」

「加工だぁ?ジュエリーデザイナーってことか、要するに。」

「ううむ、そういう華やかな仕事というわけでもないんだ。むしろもっと、悍ましいというか、特殊な加工をするんだ。これはやはり、見せた方が早いかもね。」

?全くイメージが湧かない。加工はするが、よく見るジュエリーみたいな形にするんじゃなくて、もっと悍ましく?何だそら、ぜぇんぜん分かんねえ。それからもどこか要領を得ない質疑応答に終始し、頭が混乱したまま駅に着いた。改札を抜けて、ホームで電車を待つ。ダメだ、仕事内容の話はどうも嚙み合わない。他の、待遇の話をしよう。

「給料はいくら出るんだ。」

辻村が一人でやっているというのだから、その辺も自分で決めるんだろう。はてさて、お前に経営者の資質はあるんだろうか。

「いくら欲しいんだい、時給。言い値にしてあげようか。」

おいおいおい。肩から鞄がずり落ちそうなほど、呆れた。言い値は予想外、常識外れ過ぎる。何で一人で経営できてるのか、怪しくなってきたぞ。

「仮にも経営者なんだったらしっかりしろよ。俺が適当に決めて良い訳あるか。じゃあ3,000円とか言ったらどうすんだよ。」

ついつい説教臭くなってしまった。が、正論だ。辻村は目を伏せ、唸っている。

「いやいや、分からないんだ。勢いで橘君を雇うことにしたのは良いものの、そういう相場は全く分からなくて…アキラさんに聞いておけば良かったかな。」

まあ、仕方無いのか?でもいくら何でもなぁ…

いや待てまてマテ。誰だそいつ。誰だアキラって。

「…他にも従業員が?」

そうなってくると想像と違ってくる。想像って?いやもう、そりゃ色んな想像よ。二人きりのアバンチュールとか。

「ああ、アキラさんは従業員などとは違うよ。この仕事をやる上での大事な仲介人だ。世界のどこかにいて、メールか、たまに電話で連絡を取り合ってる。それで彼から仕事が降りてくるんだ。ほとんど彼の下で仕事していると言って良い。私が家業を継ぐ前からの古い知り合いなんだ。」

急にスケールの大きい人が登場してきたな。まぁそうなのか、良かった。

違うぞ?俺は人見知りだから、知らない人と一緒に働くのが嫌だったというだけで、決して恋敵だとか、嫉妬だとか、目の上のたんこぶだとか思ったわけではない。断じて、あり得ない。誤解しないように。

電車が来た。乗り込む。そこそこ混んでいたので、座れなかった。気づいた。方面が俺と一緒だ。これはありがたい、帰るのに都合が良い。吊り革に捕まって揺れながら話を続ける。

「二駅だから近いよ。他に聞きたいことは?」

そうだな、ううん。あ、そうだ結局、

「時給どうすんだって。」

「ああ、どうなんだろうね。橘君が本当に欲しいなら、良いよ3,000円でも。」

だからいい加減にしろ。どんな仕事にしろ、そんな貰えるか。

「仕事内容見てからだが、1,000円かそこらじゃないのか。」

「そんなものか、橘君が良いならそれで良いんだけど。」

軽いな、さっきから。言葉に責任感が無い。まともな仕事なんだろうな?不安になってきた。やばい仕事じゃないよな。一応、本当に一応、念の為聞いておく。

「まさか、危ない仕事じゃないだろうな。」

沈黙。辻村は口に手を当てて唸っている。え、何それ。意外な反応。すぐ否定してよ困るよぉ。危ない可能性あんの、嘘?冗談みたいなノリで聞いただけなのに。嫌なんだけど、嫌嫌嫌嫌嫌嫌、イヤァ!家業って何やってんだよぉ!

「ううん、まあ、大丈夫だと思う…けど万が一ってこともあるし…私は今まで大丈夫だったけど、いや…」

どっちぃぃぃいいい?!ねえ!バイトすんの俺!今日から(まだ確定じゃないけど)!安全すら担保されてないのは聞いてないって!人生が変わるって、そういう?!やだぁ、人生の終わりくらい自分で決めるぅ!

「うん、基本的に安全、そのはずだ。大丈夫、もし何かあっても、私が責任を取るから。」

ずーんずーんずーん

肩が重くなってきた。そんなセリフ、漫画やアニメでしか聞いたことない。

「さぁ着いたよ、降りよう。」

不明が心配に置き換わっただけで、もやもやしたまま電車を降りる。ここで降りたことはなかったが、結構田舎だな。駅前にはコンビニ以外に、バスのロータリーくらいしかない。飲食店はゼロ。道は舗装が剥げ、雑草が雑に伸びている。人気も全く無い。気が楽だから俺にとっては好都合かもだが。

「ここから歩いて十分くらいだ。」

「あぁ。」

歩きながら考える。ずっと反芻してる。宝石を加工して、危ない可能性があって、変な男が仲介する仕事?八九三?分かんねえ、分かんねえよ、こいつ。辻村を見やる。言葉遣いや趣味嗜好を除けば、よくいる女子高生にしか見えない。だが何だ、この先の見えなさは。秘密って、本当に秘密だったんだな。これは、どうも恐ろしい。俺の秘密とは、違う。救いの道だったものが、鬱蒼とした密林に覆われる茨の道に変わった、そんな気分。

「ねえ、ちょっと。」

顔を覗き込んできた。何だ何だ?

「何か良からぬことを心配してそうな顔だね。やっぱり不安かい?」

「そりゃ、全貌も見えてないし、危ない可能性もあるんなら、そうなるだろ。」

辻村はまた唸って、

「脅かしてしまったかな、本当の本当に危険なことは無い、今まで無かった。ただ万が一、将来的に何か私も把握していない事態が起こる可能性は捨てきれない、という程度なんだ。」

「本当かよ。」

「それか、反社的な方々に与する仕事じゃないか、という無用な心配をしてるんじゃなかろうね。」

「そうだわ、心配してるわ。」

あっ、はははははは

と声を出して笑われた。何がおかしいんだって。普通だろ。

「いやはや、全くだね。全くそんなことは無いから、そこは安心してもらって、どうか。」

はー、はー

息を切らしてまだ笑ってる。しつけえ。そうだ、怖いんだよ。ただ普通の、カスみたいな仕事すら自分に務まるか心配なのに、さらに特殊な事情が挟まった仕事なんてできるかよ。いくら面白そうだからって、全く役立たずだったら最悪だ。面白さより自己評価の下がり幅が上回ってしまったらどうする。そうなったら本当に俺は終わりかもな。

「見えてきたよ、ほら、あそこだ。」

辻村がぴっと前を指す。視線を送る。普通の家だ。ちょっとでかいくらいか。ちょっと前のモデルハウスで見るような、築年数が思ったより新しめの家。四人家族にはちょうど良さそうだ。残念なことに一人暮らしらしいが。だがしかし気になるのは、家にくっつくように、プレハブらしい小屋がちょこんと立っている。何だろう。辻村はそのまま玄関に、ではなく、真っ直ぐ小屋の方に向かった。

「橘君に見せたいのは、こっちだよ。」

「あ、これ仕事場か。」

「そういうこと。」

ガチン

辻村が鍵を開けてドアが開き、いそいそと中に入って行く。俺は、もう入って良いのか?よく分からずドアの前で立ちんぼになる。

「ん、どうしたんだい、入っていいよ。」

いいのか。それじゃあ、

「お邪魔します。」

礼儀正しくドアを開け、入室。

夕暮れの街並みなんて置き去りにして、全く未知の世界に踏み入った。天も地もない、六方面が隔たれた空間。不思議な感じがする。温度も湿度も明暗も、今まで歩いてきた道のりとは全く異なる。辺りを見渡す。蛍光灯がぼんやり浮かんでいて、空間を適当に照らす。紙束。まず目に入るのが、紙の山だった。古そうな長机が乱雑に置いてあり、どの机にも紙が山積みになっている。一部床に崩れ落ちて、足の踏み場をなくしている。仕事環境が悪い。もう不安になってきた。小屋の広さ自体は十何畳かあるくらいか。次に、左を向くと、壁かと思ったら巨大な棚?があった。天井まで届くような高さで、壁一面を覆っていた。あまりの大きさに言葉を失う。木製の年代物っぽい。いくらしたんだろう、てか耐震対策大丈夫か、これ。倒れてきたら即死しないか?

「気に入ってもらえたようで何よりだよ。」

ハッとした。夢中で見入ってたらしい。いや見入ってたというより、汚らしさや危なっかしいところが目につくだけだが。

「自由に見て回っていいよ。手を触れるのはちょっとやめた方がいいかもだけど。」

そう言って辻村は奥の席に座り込んだ。

「分かった。」

なら遠慮無く見させてもらおう。ふんす、と意気込む。まずはそこら中にある紙束、というか書類の山だ。せっかく長机がいくつもあるのに、殆どが書類置きになってしまっている。さすがに整理しろよ。横を通り過ぎつつ、ちらりと内容を盗み見る。が、全く分からない。驚いた、日本語じゃない。英語でも中国語でも韓国語でもない、何これ?嘘だろ、外国語で仕事を?まじ?こいつ、エリート?まずい、自己評価が下がっていく。すぐ目を逸らす。他の書類もなるべく見ないようにして現実からも目を逸らす。次行こう。机の合間を縫って、デカ棚に近づく。で、でかい、でか過ぎる。こんな大きくする必要があったのかと思う。がっしりとした木製で、艶出しが見事だ。でもやっぱり倒れてくるの怖いよ、これ。引き出しが無数についており、いくつかにはメモ書きがされている。半開きになっている引き出しを覗くと、書類、くすんだ石ころ、金属製の棒みたいなのが詰め込まれている。ちゃんと区別できてんのかなぁ。あと、よく見ると、棚の足元と上の方は金具で床と壁に固定されてた。一応耐震できてるのか、安心。他に気になるのは、書類に埋もれた机の上に一台ノートパソコンが置いてある。ちょっと古いタイプかな。仕事で使うんだろうか。それなら書類をデジタル化しろよ。

すんすん

鼻がくすぐったい。埃っぽくね、ここ。それにカビ臭くね?ちゃんと換気してんのか。俺の最初の仕事は掃除になりそうだ。好奇心と猜疑心を合わせつつ、ざっと見て回った。さて、残るは一つ、ずっと気になっていたものがある。さっきから目の端で追っていたが、辻村が座った机に置いてある、顕微鏡のような機械。これがこの空間の中で最も異質。上にスコープが付いていて、中程に台座がある。左右にアームが付いていて、外科手術で使う器具の方がイメージが近いかもしれない。アームには長い金属の棒?針?が装着されている。歯医者で歯石を取るやつみたい。宝石を台座に置いて、覗き込みながら針で削ったりするのだろうか。さすがに興味が出ざるをえない。たまらず指差す。

「それがメインだろう、どう使うんだ。」

「お、早速だねぇ。ご明察、これが私の仕事そのものだよ。」

辻村がぽんぽんと機械を叩いてみせる。

「使い方は、そうだね、単純ではあるけれど、ちょっと技術が要るんだ。」

そうだろうな。見て分かる、明らかに職人用だ。

「俺が使うことも、あるのか?」

関心を持って尋ねる。が、辻村、苦笑。おい。こちとら真剣やぞ。

「いやまぁ、使いこなせるようになってくれればそれは有り難いのだけど、とっても時間がかかりそう、だからね?それよりも、これを使う私のサポートをしてほしいな。」

しゅん

俺が萎びちゃった。そりゃそうだよ?分かってはいたよ?でも、もしかしたら、そういう機会もあったかもしれないじゃないか、なぁ。

「良いねぇ、その積極性。声をかけた甲斐があったというものだよ。」

けたけた笑われる。笑いたければ笑え、ちくしょう。

「でも、そうだね、実際家業の中心がどんな仕事なのか、これをどう使うか、見てみたいよねぇ?そうだよねぇ?」

目も口も、なんなら身体ごと、くにゃんと曲げて問うてくる。猫又かよ。だが、悔しいが、さすがに見たい。

「…見たい。」

「ん、何?聞こえないなぁ?」

わんざとらしく耳に手を当ててパードゥンを促す。うっっっざぁ。こいつこんなんだっけ。ホームだからって調子乗ってんだろ。この野郎が。でも、

「見たいです。」

唇を噛みしめる思いで、できるだけ悔しさを悟られないようにしながら、よりはっきりした声を絞り出す。

にまー

満開の笑顔。目も口も緩んでいる。くそったれ。

「全くしようがないんだから。さあさあここに座って見学したまえ。」

どこからかガラガラとパイプ椅子を引っ張って来て、自分の隣に置く。もう諦めよう、素直になろう。言われるがまま腰掛ける。

「少しばかり、実演してみせようじゃあないか。」

辻村が準備を始める。袖をまくり、ゴムで髪を結びポニーテールにする。アリだな。クリップで前髪を上げて留める。綺麗なデコが露出する。ううん、これはどうだろう、好みじゃないかも。傍にあった透明なケースを開け、石を一つ取り出す。一センチくらいの小さな石。それを機械の台座に据え、きりきりとつまみを回す。すると同心円状に狭まっていき、石をがっちりと固定する。次に、アームの針を交換する。より先端が細く尖っているものになった。先端を布で丁寧に拭く。机上のライトの明かりを強くして、引き寄せる。スコープを覗き込んで、別のつまみを調節する。ピント合わせだろう、これは顕微鏡と同じだな。スコープから目を離す。準備完了、みたいだな。

は、ふぅー

辻村は目を閉じて、長い息を吐いた。集中してるんだな。始まるのか。いよいよ。俺を焦らせ続けた秘密とやらが。目を開ける。今までと違う。目つきが鋭い。

「見ててね。」

おう。ゆっくりと、辻村の両の目が、再びスコープに接する。辻村の両の手が、左右のアームの上から針をつまむ。箸を持っているようだ。そして、機械が蠢き出す。辻村は、よく見ないと分からないくらいに、微かに手を動かす。それに合わせて、針先が石を撫でるように動く。本当に撫でているようにしか見えないくらい、繊細だ。これにどんな意味があるかは分からない。だが、美しい。それだけは感じる。辻村の横顔、慎重な息遣い、スコープ、台座、石、細微に動く手、緻密な針先。それら一つ一つが、俺の網膜を貫いて脳を揺るがし、心臓になだれ込む。息が上がる。この世界において、少なくともこの空間において、意義を持って動いているのはこの機械しかない。これがこの空間を成している。これだけが、意味を創造して世界に対抗している。そして俺は、ただその瞬間を眺めている、それのみだ。

なんだ、俺、感動できるじゃんか。自分以外のものを、素直にすごいって、認められるじゃんか、良かった。目頭が熱くなる。鼻水が滲む。おっと、啜っておかないと。とにかく今は、これらを目に焼き付けておかなければ。救いの一手になるかもしれないのだ。辻村の手は動く。黙って、微かに。

どのくらいの時間が経っただろうか。辻村がスコープからパッと顔を離した。じんわり汗をかいていて、呼吸も浅くなっている。それほど大変だったんだな。

「お疲れ。」

本心からの労いだ。

「ああ、どうも。こんな感じだよ。」

髪を戻しつつも、目の鋭さは保ったまま答える。なるほど、俺にはできそうにないな。

「凄く細かい作業だったけど、何だ、模様でも入れてるのか。」

「線を入れてることが分かったのかい、すごいね。」

さっき目を凝らしてダイヤを見たときに、撫でた後に薄っすら白い線があるのが見えた。

「でも惜しい、模様じゃないんだ。」

ゑ、じゃあ何なんだ。絵でも描いてるか。

「実際に見てみると良いか。」

辻村が椅子から立ち上がり、どうぞ、とスコープを覗くよう促す。良いのか、じゃ、じゃあ、遠慮無く。尻を持ち上げ、椅子を移る。ちょっと温かい。それはさておき、早速。スコープに両目を乗せる。何も見えない。目を細めたりして、何とか俺自身のピントを合わせる。顕微鏡ってちゃんと見えるまでに時間がかかるとこ、あるよな。何か見えてきた。黄色の石が視界いっぱいに広がる。そして、その石に、何重かの円状に連なってか細い線がたくさん引いてある。一見すると傷付いてるだけのようにも思えるが、それらの線が成しているのは、確かに模様というよりも、記号?の羅列のように見える。意味は分からない。こんな記号は全くもって見たことが無い。

スコープから離れる。眩しっ。目がしぱしぱする。たまらず手で顔を覆う。そうなっちゃうよね、と辻村。

「どうだい、分かった?」

分かるわけはないが、あえて言うなら、

「分からないけど、記号か何かを羅列してるように見えた。どんな意味があるんだ。」

ほうほう、と頷く。ん?どうなんだよ。

「やはり察しは良いけど、か。当たらずとも遠からず、だよ。」

やれやれ、といった感じを醸し出してくる。こら。

「もう答えを言ってしまうと、魔法の言語で彫った文章なんだよ、これ。」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ