Scarborough Fair
「あんた、スカボローフェアに行くのか?
なら、彼女によろしく伝えといてくれ」
かつて、俺の愛したあの人に。
「parsley sage rosemary and thyme」
このメロディーが今でも脳に刻まれている。
もう何十年も前になるが、かつては彼女と共によく歌っていたものだった。
彼女の美しい歌声に、俺は惹かれていた。
けれど、今ではもう、彼女の声も顔も思い出せない。時の流れとは残酷なものだ。
どんなに立派な物でも、時が経てば風化して跡形も無くなってしまう。まるで、最初から何も無かったかのように。
彼女は今、何処で何をしているのだろうか、
元気に過ごしているだろうか、、
幸せに、しているだろうか。
俺に、そんなことを願う資格などないが、つい、そう願ってしまう。
都から離れ、何人かの仲間と共にこの土地に来てからもう何十年も経つ。かつては、枯れ果てていたこの大地も、緑豊かな場所へと変わった。無謀だと思っていることも、やってみれば大概、なんとかなるものだ。あの頃は本当に楽しかった。
けれど、今ではもう、俺しか残っていない。
この土地に来た理由は……
そうだ、彼女にこう言われたんだ、、
「縫い目も残さず、針も使わずにカンブリックのシャツを縫うようにと」
「海辺と浜辺の狭間に、1エーカーの土地を見つけるようにと」
「雨も降らず、水も湧かない枯れ果てた井戸で、そのシャツを洗うようにと」
「羊の角でその土地を耕し、一面に一粒の胡椒の実を撒くようにと」
「革の鎌でそれらを刈り、野草のロープでそれらを束ねるようにと」
「それができたら、私の真に愛する人になれると」
彼女にそう言われてから、俺は、これらを実現するために尽力した。けれど、どれ一つとして、未だ実現することはできていない。
いつからか、俺は諦めた、諦めてしまった。
こんなこと、できるわけがないと。
最初の数年はどうにかしてこれらを叶えようとした。
しかし、どれも叶いそうになかった。
俺の恋は、そんなにも無謀なものだったのだろうか。
「叶わぬ恋」だったのだろうか。
つい、そう考えてしまう。
だが、今更後悔したところで、無意味だなのだ。
時の流れは残酷なのだから。
過去に戻ることもできなければ、未来を知る事もできない。
けれど、過去の俺が、こんな結末になると知っていたのなら、こんな無謀な事を成し遂げようとしていたのだろうか。そんなことが時々脳裏に浮かぶ。
久しぶりに、彼女に会いに行ってみようか。
もうすぐ、あの時期だ。会いに行くのなら、これとない機会だろう。
ふと、気づくと懐かしい歌が聴こえてきた。
かつて、彼女と共に歌ったあの歌。
その歌声の持ち主がこちらへと向かって歩いてくる。
長身で、小柄な男性だ。手には地図と、カバンを抱えていた。
「なぁ、おっさん、スカボローへの道って、こっちで合ってるか?」
そこ男が俺にそう問いかける。近くで見るまで気づかなかったが、身につけている服は少し汚れていて、いかにも旅途中といった感じだった。そして、この時期にスカボローへ行くということは、
「あんた、スカボローフェアへ行くのか?」
「あぁ、恋人がそこで待っているんだ」
あぁ、懐かしいな、
俺も、一年に一度、スカボローフェアに彼女へ会いに行ったものだった。
「あぁ、確かにこの道を真っ直ぐ進めばつくが、今日はもう日が落ちる、夜道は危険だ。近くに俺の家がある、今日はそこに泊まるといい」
太陽が沈みかけ、宵の明星が姿を現し始める。
一日に数分しか見ることのできないこの景色、幻想的で、儚くもある。人は儚いものほど美しいと言うが、俺は、それを認めるわけにはいかない。
「おっさん、やけに親切だな」
「君の姿が、昔の俺と重なったんだ。それと、無償の親切が怖いなら、あんたの身の上話でも聞かせてくれないか?」
「まぁ、それならありがたく泊まらせてもらうよ」
「なら、少し待っていなさい。畑仕事がまだ終わってないんだ」
「……手伝うよ」
「それはありがたいな」
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「なぁ青年、君は恋人へ会いにスカボローフェアへ行くと言ったが、どうしてスカボローフェアでなんだ? 」
「あー、、、 彼女は、貴族でな。庶民の俺とは普段、面会の機会すらないんだ。だけど、スカボローフェアでなら、俺でも彼女と会う機会ができるんだ」
「そうか……」
やはり、この青年と俺は似ている。
この時期に、彼と出会ったのは偶然だったのだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。
「そろそろ行くのか? 」
「そうだな、もう日も随分高く上っているしな」
「じゃあ、少し待っていていくれ、渡したいものがあるんだ」
「なんかくれるのか?」
「まぁ、待っていなさい」
家の向かい側にある花畑へと向かい、幾つかの花を摘み、それらを束ねる。旅立つ者への贈り物なら、あれらの花が適しているだろう。あとは、あのシャツも探さないとな。
「待たせたね」
「その花は、おっさんそれって……」
「あぁ、パセリ、セージ、ローズマリー、それとタイム、 君も知っているだろう?
私も好きだったよ、あの歌が 」
「これらは君の旅が無事であるようにという、お守りのようなものだよ、それと、一つ頼まれてくれないか?」
「頼み?」
「いや、そんな大したことじゃない。 ただ、伝言を頼まれて欲しいんだ。彼女に、よろしく伝えてといてくれ、俺は元気に過ごしているよと」
「それはいいけど、誰に伝えればいいんだ?」
「このカンブリックのシャツを持っていきなさい。そうしたらきっと、彼女の方から声をかけてくれるだろうから」
「随分と古びれてるな」
「もう何十年も前の物だからね」
かつて、彼女が編んでくれたこのカンブリックのシャツ、 色んなものを捨ててしまったが、これだけはいつまでも捨てられなかった。
「じゃあ、おっさん、色々とありがとうな、そろそろ行くよ」
「あぁ、旅の安全を祈っている」
「それと……青年、俺のようにはなるなよ」
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