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吉原遊郭一の花魁は恋をした  作者: 佐武ろく
最終章:全てを脱ぎ捨てて
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「よし。行くとしよう」


 夕顔の声が消え二人が互いの目を見つめ合いながら無言のやり取りをしていると、瓢箪と小さな風呂敷を手に源三郎が戻ってきた。


「それは?」


 源三郎の手にある小さな風呂敷を指差す八助。


「旅に必要な物だ。余裕が出来たら見てみるといい」


 そう大雑把な説明をしながら源三郎は小さな風呂敷を八助に手渡した。


「よし。行くとしよう」

「え? 行くって」

「あぁ。儂も大門までは行く。それに大門の連中はここの常連だからな」


 断る事まではしなかったがそれでも八助は不安気な表情を源三郎へ向けていた。


「大丈夫だ。それより早くしないと見つかるかもしれんぞ」

「――うん。分かった。行こう夕顔さん」


 渋々ではあったがここで議論するのには時間がどれだけ残っているか分からないと八助は夕顔と共に店を出た。

 舞台を整えるように月光が照らす仲ノ町。活気のある時間帯は多くの人が交差するが今はそれが嘘のように人はおらず静まり返っていた。

 そんな仲ノ町に三人は足音を響かせる。仲ノ町の静けさに紛れる程の小さな足音だったが八助にも夕顔にもその音は実際より大きく聞こえていた。

 そしてただ煽るだけの不安を他所に何事もなく大門へ三人は到着。彼らは大門のくぐり戸を挟み立つ四郎兵衛の少し手前で一度立ち止まった。八助と夕顔その二人と向かい合う源三郎。


「それじゃあ八助また後でな。お客さんもお気をつけて」


 四郎兵衛に見せつけるように源三郎は二人へそう声を掛けた。


「うん。源さん、また明日」


 そして緊張一色に内心を染めた八助と夕顔は感情を共有しているかのように足並みを揃え不安だと泣き叫ぶ心臓の律動を感じていた。一歩前を歩く夕顔とその後ろの八助、二人を見る四郎兵衛の視線。不気味な程に静まり返った静寂の中、あまりの緊張に逃げ出してしまいそうな心臓を抱え夕顔はくぐり戸へ手を伸ばした。

 だがその時、一人の四郎兵衛が手を彼女へと伸ばし始め同時に何かを言おうと口を開き始めた。八助はそれを視界の端で捉えていたが、出来る事が何かある訳でもなくただ平然を装いながら足を進めるしかなかった。依然と夕顔の後ろを歩きながら心臓の調子だけが彼女を追い越す。


「そういえば九兵衛さん」


 だが四郎兵衛の開いた口から言葉が出る直前。源三郎がその四郎兵衛の九兵衛へ近づき声を掛けた。


「うちのツケちゃんと払ってくださいよ」


 半開きの口をそのまま源三郎へ顔を向けた九兵衛は彼の言葉に笑いを零した。


「――源さん。ちょっと遅れるだけで大丈夫ですって」

「信用してますよ。そうだ。一杯どうですか?」


 源三郎はそう言うと九兵衛に瓢箪を差し出した。


「ツケを増やそうって魂胆ですね?」

「まさか。いつもご利用していただいてるちょっとしたお礼ですよ」

「なら断る訳にはいかないですね」


 満面の笑みを浮かべた九兵衛は源三郎から瓢箪を受け取った。


「おい。仕事中だぞ」


 すると反対側の四郎兵衛がくぐり戸を通ろうとする八助越しに九兵衛を止めた。


「ちょっとぐらいなら変わらねーよ」


 そして瓢箪を口元で大きく傾ける九兵衛ともう一人の四郎兵衛の溜息を背に八助もくぐり戸を通り抜けた。向こう側に出た八助は後ろを振り向き閉まりゆく戸の隙間から最後に源さんと目を合わせた。ほんの数秒だったが二人は視線で別れを交わす。

 一方、夕顔は俯かせていた顔を上げ辺りを頻りに見回していた。八助を含め他の人にとっては遊郭内とは打って変わり道と田んぼしかない景色だったが、彼女にとっては何年も夢に見た外への第一歩。遊郭とは違う景色というだけで彼女には値の付けられない価値があった。解放感とまだはっきりと実感は出来ないが外に出たんだと頭では理解できているという不思議な感覚のまま夕顔は大きく息を吸った。その瞬間だけはさっきまでの心境から一変、彼女の心には青天のような清々しさが広がっていた。


「夕顔さん急ぎましょう」


 だがその感覚をじっくり味わう時間はない。


「そうやな」


 八助は夕顔の腰から大刀を外すと手を取り真っすぐ伸びた道を走り出した。吉原遊郭から少し伸びた一本の道は先で左右に分かれており両脇には夜に紛れるように寝静まった水茶屋が並んでいる。そしてその分かれ道まで来た八助は夕顔と共に道を左へ。

 だが道を曲がってすぐ遊郭の方から幾つかの声が風に乗って聞こえ二人は一度足を止めると水茶屋の陰から大門を見遣る。そこには手提げ提灯の幾つもの灯りと何人もの人影。しっかりと見えた訳ではないがそれが誰で何をしているのかは想像するまでも無かった。


「吉原屋の男衆やな」


 もう先程までの感覚はどこかへ消えてしまい夕顔の中に暗雲が垂れ込める。


「こんなに早く。――急ぎましょう」


 源三郎の事が気になる気持ちを端に寄せた八助は夕顔と共にその愛を現すように手を硬く握ったまま先を急いだ。その途中、八助はもう必要のない大刀を夕顔は外した三度笠を投げ捨てた。

 そして二人はそのまま近くの町へ。明日に備え閑静とした町。その静けさはまるで猛獣が獲物に飛び掛かる前の静寂のようで二人の恐怖心を煽った。町に着くと八助は後ろを確認するがあの手提げ提灯の灯りも見えなければ男たちの声も聞こえない。


「少し……休みましょうか」


 言葉を途切れさせながらも八助は夕顔と民家間にある物陰へ行くと地べたに腰を下ろした。酷く荒れた息ともはや原因の区別がつかない程に脈打つ心臓。依然と二人の心は休まらなかったがそれでも体は休息を懇願する程には疲労していた。暫しの間、呼吸を整うまでひたすらに吸っては吐いてを繰り返す二人。


「もう大丈夫なんちゃう?」


 多少、落ち着きを取り戻しながらも依然と荒い呼吸が続く中、夕顔は八助へそう言った。だが彼女自身そうじゃない事は分かっていた。まだ吉原遊郭から一番近い町に来ただけで、追手はまだ見えないがすぐにこの町へやってくる事を。しかしながら吉原屋を抜け出してからずっと心に潜む憂懼が彼女にそんな事を言わせていた。早くこの気持ちから解放され楽になりたいあまりに。

 それが表情にも表れていた夕顔を見ながら八助は微笑みを浮かべ何度か頷いて見せた。そしてずっと握り続けている彼女の手をもう片方の手とで包み込む。


「大丈夫ですよ。吉原屋を抜けてからずっと。そしてこれからも」


 だがそんな二人を否定するように聞こえてきた声は明らかに血眼になって自分ちを探す男たちの声。その声に反応した八助と夕顔は抱き合うように姿勢を低くし息を殺した。どうか見つかりませんように。二人は一瞬にして怖気立ちながらもただそれだけを心の中で呪文のように唱え続けていた。

 一秒、二秒、三秒……。進む秒針と共に暗闇に紛れる二人の傍を通り過ぎていく複数の足音と声。それは生きた心地のしない時間だったが、それも音が遠のいていくにつれ段々と温かさが広がるように戻っていった。そして追手の音が聞こえなくなると二人は顔を上げまず通りに誰もいない事を確認し、それから互いの顔へ同時に視線を向けた。


「行きましょう」

「そうやね」


 立ち上がり追手が去って行った方を警戒しながら通りに出る。

 だがその時、


「おい! いたぞ!」


 追手が来たはずの方向から怒声交じりの声が上がった。その声に同時に振り向いた二人の先には遅れて来たのか手提げ提灯を手にした男が一人。二人を指差す男の声に通り過ぎた男衆が戻ってくるのも時間の問題。八助は(さっきまで隠れていた)民家との路地へ夕顔の手を引き走り出した。どうやって振り切るか。このまま逃げ切れるのか。そんな思考さえ入り込まぬほど二人はただただ一心不乱に走った。

 八助はその際、無意識に真っすぐ逃げるのではなく不規則に角を曲がり出るだけ姿を追手の視界から消しながら逃げていた。何かを考える事すらも止め今は走る事に全てを注ぎながら。それは夕顔も同じだった。しっかりと握られた手を引かれ前を走る八助をひたすら追いかけるという行動に全てを注いでいた。

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