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吉原遊郭一の花魁は恋をした  作者: 佐武ろく
第三章:夕日が沈む
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9

 そして蛍との朝食を済ませた私は八助さんに会う為あの場所へ。一人腰掛けに座っていた私は特にする事も無く頭から抜いた簪を弄っていた。そしていつもより少し遅れて八助さんがいつも通り鍵を開けておいた戸を開き中へ。


「遅れちゃってすみません」

「気にしなくてもええで」


 そう返事をしながら私は手に持っていた簪を頭へ戻した。それからいつものように他愛ない話を始めた私たちの会話はいつしか互いの過去の話に変わっていった。


「そやけどその人がそう言うてくれて良かったなぁ」

「はい。源さんが手を差し伸べてくれなかったら今頃僕はどうしてたんだろうって思いますね」

「少なくともこうやってわっちと話しをすることもなかったやろうな」

「そうですね。より一層感謝です」


 私は彼の話を聞きながら自分の――まだ遊郭の外に居た時の事を思い出していた。思い出と呼ぶにはあまりにも良いものではなくて思い出しても溜息が零れるだけの存在のそれを。


「――わっちがここへ連れてこられたんはまだ十も満たへん頃やった」


 私は視線を少し落とし辿るようにその時の事を話し始めた。


「父親はいーひんで、兄弟姉妹もいーひん。わっちの家族は母親だけ。そないなある日、わっちは外で花を摘んどってな。つい夢中になって少しばかり歩き回っとって、家に帰る頃には片手一杯に色んな花を握り締めとったなぁ。それで家に着いたら戸が開いとって、中には男の人二人が並んで立っとった。それが誰なのかわっちは見てすぐに分かった。よう母親の所に来とった借金取りの男や。そいつらは返すお金があらへんと謝る母親を怒鳴りつけたまに手も出しとった。その姿にまた来たのかってわっちは家の前で立ち止まってもうた。かなんかったさかいね。そやさかい彼らが帰るまで外におろか思うとったらその二人が丁度、振り返って。真っすぐわっちの方へ歩いてきた。そいで母親がいーひんさかい一緒に来いって連れてかれてもうた。家にはわっちを預かってるさかいお金を持って来いって置手紙を残してな」

「お母さんはすぐに来たんですよね? お金は無かったとしても自分の娘が代わりに連れてかれた訳なんだし」


 私は彼の期待の籠ったような声に対しつい冷笑を浮かべた。でもそれは彼に対してというよりあの頃の自分に対してのものと言った方がいいのかもしれない。一人部屋の隅に蹲り母親が来ると信じて疑わず、ずっと待っていた私への。

 そしてその笑みを浮かべたまま私は首を横に振った。


「二日。わっちはそこに閉じ込められたのに母親は来へんかった。家ももぬけの殻やったらしくてな。それでそのまんまわっちはここへ売られた」


 唖然としていた所為で八助さんは詰まらせたように少し遅れてから言葉を口にした。


「――も、もしかしてお母さんに何かあったとか? 来たくても来れなかった理由があったんじゃないですか?」

「どうやろうな。そやけど正直わっちは、最初の日の陽沈んだ時に母親は来いひんって心のどこかで諦めとった。母親はわっちをほかしたんやって。それにもうどっちでもええ。どの道、あの人はあまりええ母親やなかったし、今更会いたいとも思わへんさかい」

「そうなんですね。親の借金のカタでここへ売られてしまうっていうのは何度も耳にしたことがあるけど、実際にこうやって話を聞くと何だか……」

「可哀想?」


 それは八助さんにとってあまりしっくりとくるものではなかったのか彼は「んー」と言葉の先を探していた。


「この――吉原遊郭の煌めきが違って見える気がするというか」

「ここの煌めきは花魁と一緒。見た目だけ豪華絢爛で中身は暗う冷たい。偽りと欲望と苦痛と。夜空さえ呑み込むこなたの不自然な煌めきは人々の負を燃料にその輝きを保ってる。快楽と苦痛が体を交えるような場所なんや。それかもしかしたらこの吉原遊郭はその内側に秘めた暗闇を僅かでも隠す為にこなに必死で煌々とした光を身に纏うてるのかもしれへん」

「僕は遊郭内にいるけどいつも外からしか見てないから眩しいぐらい煌々とした場所だなとしか思わなかったけど、やっぱりよく見れば見た目ほど綺麗じゃないんですね」

「どう感じるかはその人次第やけど見た目通りちゃうとは思うで。何事もな。現にどないな時も人前ではあないに豪華絢爛にしてるわっちも実際はこないなんやさかいね」


 私はそう言って両腕を広げると着付け前のいつもより地味な着物を見せた。


「着てる物はそうかもしれないけど、夕顔さんは花魁姿の時と同じぐらい綺麗だし素敵だと思いますよ」

「中々、嬉しい事を言うてくれるんやな」

「本音ですから。――でも……。こんなことを言うのは失礼かもしれないけど」


 八助さんはその言葉通り少し言いずらそうにそう言った。


「さっきの話を聞いて僕。もしあの時、お母さんが夕顔さんの元に来ていたら――言い切る事は出来ないけど僕は一生、夕顔さんの事を知る事が出来なかったと思います。こうやって直接話すことも。だからそう言う意味では、自分勝手なのは分かってるし夕顔さんの気持ちを無視してるのも分かるけど――良かったってちょっとぐらい思っちゃうんですよね」

「正直に言うてその気持ちは分からんでもあらへん。わっちも遊女ちゅー生き方は好かんでずっと逃げ出したかったけど、全てを否定するには遊女としてええ出会いをし過ぎた。朝顔姐はんに蛍、そいでもちろん八助はんもな」

「でも遊女としての生活は辛いんですよね? 今すぐにでも止めたいですか?」

「その質問は意味があらへんな。どれだけ苦痛を感じようと遊女を止めるかどうかはわっちの意思ではどうにもならへん。遊女を止められるんは身請けされるか年季明けを迎えるか、それか死ぬかやな。そやけどわっちは死ぬ気はあらへん。身請けは分からへんけど、年季明けはあと五年。あと五年で全てが終わる」

「終わったらどうするんですか? ここを出られたら何かする事とか決まってます?」


 その言葉に私は今朝にした蛍との会話を思い出した。朝食を食べながら少し考えてみたが答えは決まって分からない。それは今も同じだ。


「さぁ。一体何してええのかも。何がしたいのかも分からへん」

「そうですよね」

「そやけど多分お金はあらへん思うさかいまずは八助はんのとこで働かしてもらおかな」

「えっ? 三好でですか?」

「あかん?」


 彼は「んー」と言いながら眉間に皺を寄せながら小首を傾げた。


「僕に言われても……。そういうのは源さんが決める事だし。でもあの夕顔さんが店に居るならお客も増えそうですけどね」

「ならええって言うてくれそうやな。もしあかんかったら……」


 私は言葉を途切れさせると彼の方を見遣った。遅れて視線を感じたのか続きが聞こえないのを変に思ったのか彼の双眸にも私が映る。


「なんですか? 何かいい方法でも?」


 答えを言う前に私は彼の手に触れた。上から包み込むようにそっと。


「八助はんに嫁ぐ事にしよかな」

「――えーっと。からかってます? それともからかってます?」

「さぁー。どうでありんすかね」


 若干わざとらしく私は小首を傾げた。


「そやけど八助はんと一緒におると楽しいし落ち着くのんはほんまやで」


 言葉と共に私は顔を前へ逸らすと彼に寄り掛かった。


「いけずな人ですね」


 どこか嬉しそうに、そして呟くようにそう言った八助さんは掌を上へ向けると私の手を握り締めた。指を絡めるようにしっかりと握られた手から伝わるちょっと熱い体温。私は何も言わず静かに微笑むとそれからは二人してその状態のまま春先のような沈黙に溶け合った。

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