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吉原遊郭一の花魁は恋をした  作者: 佐武ろく
第三章:夕日が沈む
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6

「歌舞伎ですか?」

「そや歌舞伎」

「いえ。見た事は無いですね」

「わっちいっぺんでええさかい見てみたいんよね。話しは聞いた事あるけど、わっちはここから出られへんから一度この目で見て見とうて」

「いつかきっと見れますよ。色んな演目の歌舞伎が」

「その時は八助はんも隣で一緒に見てくれるとわっち嬉しいな」


 そう言いながら私は彼の手に自分の手を重ね合わせ頭を肩へ寄りかからせた。


「その……。ぼ、僕もそうなったら嬉しいです」


 覚束ない足取りの声に私は零すように笑うと彼から手と頭を離した。


「相変わらず慣れてへんね」

「ごめんなさい。でも慣れてないって言うより夕顔さんだからかもしれないです」


 その言葉に笑うのを止めた私は八助さんの横顔へ視線を向けた。


「えらい遊女みたいな事を言うねや」

「え? それってどういう?」


 私は返事をする前に彼へ触れる程に近づき腕を抱き締めた。その際、微かに彼の体が跳ねたを感じたがそれには触れず手を彼の腕に這わせながら滑らせていき、彼の手を握った。


「わっちも八助さんじゃなかったらこうして会う事もなければ、手紙のやり取りもしてなかったでありんすよ。つまるところ、わっちにとって八助さんは特別ってことでありんす」


 そして握っている方とは別の手を彼の腿の上へ置くと撫でるように動かした。


「八助さんとならお金なんてなくても共に夜を過ごしてもいいぐらい。それに次は話すだけじゃなくてもっと楽しませてあげんす」


 前を向いたまま動かなくなった八助さんを数秒見つめた私は何か合図でもあったかのように彼から離れた。


「こないな事」


 その言葉の後ゆっくりと私の方へ向く八助さんの顔。そして目が合うと彼は首を横に振った。


「全然違います」

「おんなじやん。わっちもよう言うで。主さんが会いに来てくれてまこと に嬉しいでありんす。 わっちも会いたかったでありんす。ってね」

「それって本心ですか?」

「お店で料理食べた時においしなくてもおいしー言うのとおんなじかもしれへんね」

「それって本心じゃないってことですよね?」

「本心だけを口にしとったら遊女は務まらへん」

「じゃあ僕のとは違いますね。僕は本心ですもん」

「そらつまり遊女と遊んだ事があるって事?」

「え? 何でそうなるですか?」

「そうちゃうとわっちやさかい慣れてへんのかどうか分からへんやろ?」

「……まぁ確かに」

「わっちとはそないな事しいひんかったのに。そら妬いてまうな」

「いや! 行ったことないですよ。妓楼なんて」


 私はここぞとばかりに八助さんへ意地悪く訝し気な視線を送った。


「ほんまに?」

「本当です」


 少しの間、交差した私のまだ意地の悪い視線と彼の真っすぐな視線は互いの目へ向けられ続けた。


「ほな信じたるわ」

「ありがとうございます」


 そしてその彼の声が澄んだ空気に溶けていくと、どこか心地好い沈黙が互いを見つめる私たちを包み込んだ。だけどまるでしゃぼん玉が弾けるようにその沈黙はすぐに消え、代わりに私たち二人の笑い声が響き渡った。何が可笑しかったのかは分からないけど気が付いたら笑っていた。沈黙は消えど残り続ける心地好さ。


「あっ、そうだ――」


 そして私たちはそれからもこの場所で会うようになった。でもその時間は私がそれから着付けや化粧をしお客への手紙を書いたり妹分の稽古をつけたり接客などを教えたりしないといけなかった事もありほんの少しだけ。あまり長い時間会うことは出来なかったが私にとってそれは一日の内で一番楽しく待ち遠しい時間になっていた事は間違いない。会う約束をすればその前日から楽しみでお別れをすればもう次が待ち遠しくなる。


「ほんまに?」

「本当ですって。作り話じゃないですよ」


 でも直接会って言葉を交わしてもその内容は特に手紙と変わりない。


「嘘で煌めく吉原も眠りに付けば照る月明り」

「それって誰が詠んだ短歌なんですか?」


 だけどすぐに返事が聞けたり話しをしている時や話しを聞いている時の相手の顔を見れるだけでそれは手紙とは大きく違った。遮られる言葉、重なり合う笑声、返事をする前の小さな間。それはこの場で会話が生まれているという証だった。ただ私がそう感じているだけかもしれないが、それは考え抜かれた手紙と違いその場で思った事がそのまま言葉になっている気がして、相手のより正直な言葉のように聞こえた。


「そういえば夕顔さんって窓からよく空見上げてますよね? 好きなんですか?」

「そうやな。前まではお客眠りに着いた後に一人暗なった吉原を見るんが好きやった。それにまだ昼見世の始まる前の蒼空もね」

「そうなんですね。でも前って事は今は違うんですか?」

「好きなのは変わりんせんけど一番ではあらへんな」

「じゃあ今の一番は何なんですか?」

「今は――」


 それだけで相手がより近く感じる――いや、それは私がただいつもお客の相手をする時と違って偽りない気持ちで接してるからなのかもしれない。

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