7 養殖令嬢
エンシャル導師は報告義務違反で謹慎となった。
「正式な処分は虚精霊と管理体制の危険性を精査してから下されるそうだ。それまで研究室は閉鎖される」
「そうなのですか。それで、その恰好は」
師は全裸ではなくなっていた。
「謹慎中だからね、査問会でも言及された処分だ。仕方なく服を着ている」
「いえ、それは服ではありません」
師は全裸ではなくなっていたが、決して服を着ているわけではなかった。
服ではなく精霊をまとっていた。
精霊の宿った水と風と土を体にまとわり付かせている。水も風も屈折率を捜査して透明度が低くされ、大事な部分は無事隠されている。
「火の精霊もまとってみたのだが、火傷をしてしまってね。上手く制御すればいけると思ったのだが。マイアベル君、確か君は傷を治す魔法を使えるとか聞いた気がするんだが、ちょっと治療してもらえるかね」
こんなあほな理由でついた傷にあまり魔力を消費したくないなあ。
そう思いつつ、仮皮生成魔法を使っておいた。
生成した仮皮の下で傷が治ると落ちて消える、仮の皮膚を傷の上に張り付ける魔法だ。
要するに傷口を塞いで、自然治癒を待つだけの代物でしかない。
ナム研究員は謹慎した師のお世話役として走り回っている。
「謹慎してるから自室から出れないわ~。腹が減ったな。パン買って来たまえ」
こんな具合に良いように使われている。共謀していたのだから助手にも謹慎が言い渡されていてもおかしくないと思うのだけど、出回って大丈夫なのだろうか。
二人とも満足そうだし、あまり突っ込まないでおこう。
私の方は、あの日初めて虚精霊を知ったので、処分はなしとなった。
客員に処分を下すのは何かと面倒という事情もあり、調査されることもなかった。
実際に何も関わっていないのだから、調査されても問題はなかったのだけど。
あの虚精霊は表向きには、魔法装置を開けっぱなしだったので存在を留めておけず、精霊力に還ったということになった。
私の体の方には融合の後遺症が残った。
体の一部が、薄れ分解されるかのように大気に溶け込みそうになる。肉体の精霊化現象が起こっているのだ。
時には二の腕が、時には足先が、またある時には腰回りが、規則性なく精霊化しては戻り、また精霊化しては戻る。その繰り返しだ。
すぐに元に戻りはする。それに痛みなどはない。
けれど、歩いている時に体重支える足の一部が精霊化すればバランスを崩すし、心臓部が精霊化すれば一瞬とはいえ心臓が停まるに等しい。頭部が精霊化して影響が出ないかも心配だ。
それに必ず元に戻るという確証もない。あまりにも危険な状態にあると言えよう。
危険なので「完全な肉体」を発動してみた。あらゆるものに耐性があるとの触れ込みだったが、精霊化耐性と言うべきものまであるのか、途端に精霊化は収まった。
だが、スキルを外せばすぐにまた元通りだ。
でも「完全な肉体」をずっと付けたままでいるのは不都合がある。
そこで、私はスキル「完全な肉体」とスキル「融通無碍の宣下」を融合させ、新たなスキル「融通無碍の肉体」を生み出した。
肉体を自由に操れる「融通無碍の宣下」の効果と「完全な肉体」の効果が合わさり、「完全な肉体」の効果を自由自在に任意かつピンポイントでオンオフできるようなった。
「完全な肉体」効果の内、精霊化耐性だけを有効にする。これで精霊化に悩まされることもなく、他の「完全な肉体」の効果による影響を受けずに済む。
虚精霊と融合した時、あの「無限の心臓」と名付けたものに触れたことにより、私の身に精霊化以外にも変化があった。
スキルを合体させ別のスキルを生み出すスキル、「スキル融合」が使えるようになっていたのだ。
まだ、最初に身に付いたスキルの把握すら完璧ではないのに、さらにスキルが大量に増えたも同然のこの状況。完全なるキャパオーバーだ。
だが、それ自体は予測してしかるべきことでしかない。
「無限の力」などという制御できそうにない物を追い求め、接触しようというのだ。自分の手に負えない事態になることも、当然予想してしかるべきだ。
何もしなければ害はない今の状況は。むしろ幸運と言える。
それにしても、精霊の根源にあった「無限の心臓」に接触したことで、「異世界から転生して、貴族令嬢となり、聖女と呼ばれ、王子に婚約破棄を言い渡され、王子の冒険者パーティーから追放された」時に身に付くスキルに影響が出るのはどういうわけだろう。
あの「無限の心臓」の影響で、もともと持っている能力が強化されたということなのか。
それとも、この二つは同一の存在から来ているのか。
スキル習得の時に、何かに触れられたような感覚があった。あの時触れてきたのが、あの「無限の心臓」なのだろうか。
現時点ではこれ以上の考察はできない。これ以上は、さらなる情報が必要だ。
そのためにはどうする?
再び虚精霊と融合して。もう一度「無限の心臓」に接触するか?
いや、それは危険すぎる。
あの場では衝動のままに付き動かされてしまったが、今度も助かる保証はない。
第一、「無限の心臓」などと呼んでいるが、あれが本当に「無限の力」だという根拠はないのだ。
私のなんとなくそう思っただけ、というあやふやな根拠しかない。
それに無限の研究のアプローチの仕方は他にもいろいろある。
今のところは保留としておくべきだろう。
精霊魔法の腕を磨き、精霊にあの「無限の心臓」がどういうものか情報を探ってこいと命じることができるようになったなら調べてみるのもいいだろう。
今は、研究室の休室中に、スキルの融合でさらに利便性の向上したスキルを作れないかを試してみよう。
分かってはいる。分かってはいても、衝動は私の意思を超えて、私を突き動かす。
どれほの危険性か理解していても、躊躇なく思考より先に体が動く。
あまりにも危険だ。
この衝動を解消するためにも、無限の研究を続けなくてはならない。
「お嬢様、お客様です」
休養する私に来客を告げるサーヤ。普段はマヤ様だが、客人がいる時などはお嬢様呼びになる。私に会いに来る者など限られているが、誰だろう。
「いい知らせと、悪い知らせ、どっちから聞きたい」
ケイ先輩だ。前置きもなくいきなりの質問。この人の持ってくるであろう「いい知らせ」。それならば・・・・・・、
「いい知らせの方からお願いしましょうか」
サーヤには退出してもらい、二人きりで話を聞く。
「実は、いい知らせの方から聞かないと話が通じない。一度言ってみたかったから言ってみただけなんだ、悪いな」
冗談で紛らわそうとして、失敗している。いったい、何を紛らわそうとしているのか。苛立ちか? そんな雰囲気だ。
「いい知らせは、ダルシーちゃんの覚醒の準備が整ったこと」
やはりそうか。それなら、悪い知らせの方は・・・・・・。
「悪い知らせは、ダルシーちゃんの覚醒するスキルが危険すぎると判明しました。よって、君に抹殺してもらいます」
やはりそれか。
「危険なスキルと言われましたが、どんなスキルなのですか」
「ああ、『家族』か『血族』を殺すスキルになるらしい」
共有スキルに、そんな効果のものはなかった。
「知らないスキルですね。固有スキルですか。固有スキルは共通スキルより習得優先度が下がるから、条件を外してスキル習得数を減らせば、そのスキルは習得しなくなるのでは。それに、彼女に家族? 血族? どちらにせよ、身寄りはないと聞いていますが、それは相手のいない能力なのでは? そもそも習得もしていない固有スキルの効果がどうやって判明したのです?」
一斉に浴びせかけた質問に、ケイ先輩は苛立ったように頭を掻いた。
質問には答えずに、部屋に飾ってある花びんを指さすケイ先輩。
「見てな、これが俺の固有スキル、『影の従僕』だ」
指差された花びんの影が動き始めた。
影は小人の形に姿を変え、踊り始める。本来あるべき場所にあるはずの花びんの形の影はなくなっている。
「ほれ」
続いて椅子の影を指さすケイ先輩。
椅子の影はシルエットを変化させ、猫の形になった。やはり、元の影はなくなっている。
猫の影は飛び掛かって、小人の影を襲う。小人の影は猫の影の入れない狭い隙間に逃げ込んで逃れようとする。
すると猫の影が再び姿を変え、蛇のシルエットになる。隙間に侵入した蛇の影は、小人の影を丸のみにしてしまう。
「こんな感じだ」
胴体を膨らませたシルエットの蛇の影は二つに分かれ、それぞれ花びんと椅子のところに戻っていった。
何事もなかったように、影は元通りになった。
固有スキルか。私の使えないスキル「ブレス」のことを思い出す。
スキルと融合すれば使えるようなるかもと思って試してみたが、どのスキルとも融合はできなかった。やはり、あれはただのスキル習得失敗した残骸なのだろうか。
しかし、何故急に自分の固有スキルを見せてきたのか。
「ダルシーの習得スキルは、共通スキルはゼロ。その固有スキルが一つだけ。どう条件を変えてもそうなるらしい。なんでとか聞くなよ。なるもんはなるんだから、しょうがねえだろ」
確かに、よく分からないけど利用できるから利用している。スキルに関してはそれが現状だ。今までの理屈や法則と会わないことが出てきても、そのまま受け入れるしかない。
「で、そのダルシーのスキルが誰に効くのか、だったな。相手いないんじゃないかって話」
話は別の質問に変わった。
「『血族』か『家族』に効くってことだが、その辺ははっきりしてない。『予知』みたいな固有スキルを持ってる奴が組織にいて、その能力で判明したらしいが、細かい部分までははっきりしないらしい」
どうも、胡散臭い話だ。未来予知したと言い張り、組織の都合を押し通す大義名分にしていることも考えられる。
「もっと早く、彼女に接触する前に、そのスキルのことが分からなかったのですか」
「分からなかったから、今頃になってこんなことになってんだろ。もっとも、もっと早く分かってたら、俺が接触するより前に暗殺されててもおかしくないな」
これで残った質問は対象が誰もいないという点か。そもそも「危険すぎるスキルだから抹殺する」と言っていた。予知など使えないが嫌な予感はする。
「『血族』か『家族』か、どっちでもいいんだが、どこまでが『血族』なのか。両親や兄弟までか、それともおじーちゃん、おばーちゃんまでか。十代前の先祖は血族じゃないのか。どこまで遡るのか。確か前世の時に、人類の先祖は一人から始まったって話を聞いたことがあったな。そこまでいくのか」
「それは誤解ですね。男性はミトコンドリアDNAを次代に残さないので、女性の子孫がずっと続いた場合にはという・・・・・・、いえ、横やりを入れてすみません。今は関係ない話でしたね」
「あ、そうなんだ、・・・・・・、えっと・・・・・・」
横やりのせいで歯切れが悪くなったのだろうか。いや、最初からいつもとは勝手が違うようだった。彼女も組織からの命令に納得がいってないのだろうか。それは願望に過ぎないか。
「つまり人類は皆、何らかの形で血がつながっている。え~と、それは確かだよな多分。つまり、人類すべてが『血族』とも言えるわけだ。そんで、つまりダルシーの『血族を殺すスキル』は人類すべてを殺せるスキル
・・・・・・かもしれない。その危険性がある。だから念のため始末する。
それが安心で確実。・・・・・・そういうことだ」
「随分と乱暴な言い分ですね」
「全人類と一人の命、比べるもんでもないってやつだ。下手をすると、実際には血が繋がっていなくても、ダルシーの認識次第で「家族』、『血族』だと認識した相手なら問答無用で即死させるスキルかもしれないわけだ。・・・・・・或いは、「完全な肉体」を使ってれば、俺たちには効かないかもしれないが、試してみる気はしねえな」
先ほど話の流れを不自然に変え、自分の固有スキル「影の従僕」を見せてきた意味が分かった。
その意味は警告。
影のできる場所ならいつでも暗殺者を送り込めると示唆している。
お前がやらないなら自分が始末する。組織から指令を果たさないなら、お前の身も保証できない。それを示唆しているのだ。
「自分たちで能力を目覚めさせるようにしておいて、不都合だから始末すると」
「身勝手な話だとは思ってるよ」
「まだ、能力に目覚めていないでしょう。覚醒させなければいいだけの話では」
「能力の存在も、覚醒条件もすでに知られている。本人が破滅願望に目覚めたりするかもしれない。破滅願望を持ってるやつに利用される危険性もある。脳力覚醒は本人は何もしなくてもできるんだからな」
なるほど、確かに。
覚醒条件は「異世界から転生して、貴族令嬢となり、聖女と呼ばれ、王子に婚約破棄を言い渡され、王子の冒険者パーティーから追放される」こと、だ。転生はさておき後の項目は、本人の意思に関係なく、周りの手で条件を満たせることばかりだ。
「それに、教えなくても素で条件を満たした奴もいる。俺の目の前とかにな。そういう奴は放っておいても能力に目覚める。そんな奴らもいる以上、誰かが管理するのも必要なことだろ」
「他に何か方法は」
「さあな」
強い語気で、私の言葉を遮る。
「確かなことは、俺は自分の命が一番大事だってことさ。いくら気に入らないからって、万が一にもダルシーのスキルが予想されたとおりの危険さ、でそれで命を落とすのも、組織に逆らって粛清されるのもどっちもごめんだ」
一理ある。
だが、こちらとしても話していて一つ解決策を思いついた。どうにかしてそれを試してみる方向に話を進められないだろうか。
「だいたい、お前よお、他人事みたいに言ってるが、自分も死ぬかもしれないって理解してんのか。『家族』だか『血族』だか知らねえけど、一番最初に死ぬのは今ダルシーと一緒に暮らしてるお前かもしれないんだぞ。むしろ、それが一番可能性高い」
お、それは・・・・・・
「ちょうどいい」
「は?」
「ちょうどいいですね。ダルシーのスキルは私がどうにかしましょう。だから、私が最初に死ぬのなら、私が死ぬまで何もするな。それでいいでしょう?」
ケイ先輩は怒りとも諦観ともつかない表情に顔をゆがませると、吐き捨てるかのように、
「どいつもこいつも、お前も、『グランマ』も」
と、呟く。
グランマ? それが今回の命令を下した先輩の上司か?
「いいか、組織からの指令をそのまま伝えてやる。
『ダルシーを始末せよ、とマイアベルに伝えよ。彼女がスキル融合でダルシーのスキルを無力化すると言うなら、やらせてみろ』
以上だ」
「―――それは、なんとも・・・・・・」
私がスキル融合が使えるようになったのはつい昨日のことだ。もちろん誰にも話していない。近くに監視している人間がいるとか、そんな次元の話ではない。
スキル融合でダルシーのスキルを無力化できないか、その可能性に思い至ったのにいたっては、たった今。ケイ先輩から話を聞いている最中にだ。
組織には予知じみた能力者がいるとのことだったが、そんな所まで予知されていたのか?
まてよ。
「ダルシーの覚醒の準備が整うまで」、そう言われて彼女を預かった。
この「準備」とはもしや、私が「スキル融合」を使えるようになるまで待つ、ということだったのでは?
あまりにもダルシーが来てからの流れが順調に進みすぎている。すべて計画されていた通りだったのか?
組織の底知れなさに恐怖を覚える。
いけない。見えない影におびえるな。
こんな時は、ポジティブな面を考えるべきだ。
予知ができる組織がこの方法を取らせるのを許可している。
それはこの方法で上手くいく。それが予知で分かっているからではないのか。つまり、スキル融合ダルシーのスキルを無力化するのは上手くいき、ダルシーの処刑もなくなる。希望通りの展開になるってことだ。
それに、今の所ではあるが、このやばい組織と敵対しなくて済む結果になった。素直にありがたい。
スキル融合でスキルの無力化。これができると、能力者を多数抱える組織にとっては危険人物とみなされてもおかしくない。
或いは、この力は組織にとってメリットにもなるから、そちらを取ったとも見れる。
無力化ではなく、スキル融合を使ってスキルを増やすことができる。それならば、能力者を多数抱える組織にとっては多大なメリットがあるはずだ。
どちらにせよ、考察は後回しにして、今やるべきことをやるべきだろう。
まず、先輩に伝えるべきことを伝えておこう。正直、組織と言っても、彼女しか出てこないのでケイ先輩の自作自演で組織などない、という可能性も考えていた。そうではなかったのだ。なら、
「中間管理職って大変ですわね」
先輩はきれた。
すっかり本人不在で話が進んでしまったが、ダルシーに事情を説明しなくてはならない。
はたして素直に聞き入れてくれるだろうか。部屋に立てこもったりしないだろうか。
「ちょ、ちょうどいいところに来ましたね。僕の獅子奮迅の召使ぶりを見ていくがいい・・・・・・、見てい、いってくれますよね」
彼女の部屋に入るなり、食い気味に言ってきたが、何のことだろう。
「どうです、このベッドメイク」
・・・・・・、うん、まあ、きれい? かな? 自分のベッドだけどね。
「へ、部屋の掃除もしたんですよ、極悪姑でもケチはつけられませんよ」
サーヤが掃除してくれないから、自分でしただけだよね。言うほど綺麗にできてないし。
「こ、この活躍ぶり。もう、生涯養ってあげたくなっちゃいませんか」
冷静に返答を保留して、状況を説明する。
「・・・・・・、と言うわけなの。恐らく上手くいくと思うから、不安でしょうけど、私に任せてもらえれば・・・・・・」
「わ、分かりました。いいですよ」
ずいぶんとあっさり了承する。
「ねえ、ダルシー。本当に大丈夫? それとも油断させておいて、部屋から出た途端ダッシュで逃げる作戦?」
ダルシーはいつも通りのこわばった笑顔で、いつも通りはっきりしない口調で述べた。
「な、なに言ってるんですかあ。僕はお嬢様に寄生して生きていく、ですよ。生殺与奪の全権はとっくに渡してる、ですよ。寄生の覚悟なめんな、で・・・・・・、ひっ、でかい口叩いてすいません」