5 虚精霊
私は回復魔法が使えない。
しかし、再生魔法なら使える。
再生魔法とはもともと生物が持っている再生力を高めて傷を治す魔法で、回復魔法と違い副作用がある。
回復魔法には副作用はなく、患部を一度消滅させ、無傷にして作り直す。
回復魔法を使える人間は、この世界でも珍しい。
私の実家は国内最大級の貴族だったので、そんな珍しい魔法の使い手も見つけ出し雇っていた。
例によってサーヤを通して、その魔導士から回復魔法を習ってみたものの、回復魔法そのものは使えるようにならなかった。
しかし、他の魔法を組み合わせて回復魔法らしきことができるのでないかと思っていた。スキルの力が加わったことでそれが可能になった。
今から使うのはそれだ。
消毒した歯を手にし、ダルシー嬢の傷の具合を見る。衝撃はすべてこの歯が受け止めたのか、顔と口内にはわずかな裂傷しかない。その部分には再生魔法で対処する。
この程度の怪我なら、いつもより若干腹持ちが悪い、程度の副作用で済むだろう。
それにしてもあの転倒で、こんな状態になることがあるのだろうか。これも運を操作した結果なのか。
「口を開けて」
促すが、ダルシー嬢は怯えた表所でわずかに首を横に振るだけで、口を開けない。
「だいじょうぶ、治りますからね、ね」
そっとほほに手を触れ、子供に言い聞かせるように話しかける。
「あ、・・・・・・ふあい」
徐々に開いてゆく彼女の口。口内の折れた歯の周辺に、麻酔魔法をかける。こちらも水で洗い流し、消毒する。
「ぐぇふ、へふ」
水が喉に入ったのか変な声でせき込むダルシー嬢。風の精霊に命じて、水を吸い出させる。
ダルシー嬢が落ち着いた頃を見計らい、折れた歯を差し込んで二つの魔法を使う。
一つは「分解魔法」。
高位の魔法で、私の力量では十分に使えるものではない。だが、ほんのわずかだけなら効果を発揮できる。
ほんの爪の先ほどだけの分解。
もう一つが「創生魔法」。
これは分解魔法よりもさらに高位の魔法で、その場に自在に物質を作り出す魔法である。
本来であれば、これも私が使えるような魔法ではない。だが、私は生成魔法系列に適正があるようで、得意魔法の一つだ。それを加味した上で、分解魔法と同じようにわずかだけなら効果を発揮できた。
ほんの爪の先ほどだけの創生。
その二つで治療を行う。
分解魔法を使って折れた歯と残った歯の断面部分を、極小幅だけ分解。
そして、分解した極小部分を、破損していない形状に極小だけ創生。
私の技量だとこんな高位の魔法で繊細な作業など、本来はできない。
だが、スキル「融通無碍の宣下」の効果があれば、どんな繊細な作業でも可能になる。
一万回やって一回でも成功する確率のある作業なら、100%成功させることができるのだ。
可能とはいえ、分不相応な魔法を使い繊細な作業を行うのはかなり骨が折れる。だが、私のやったことの結果だ、私が何とかすべき。
誰もが押し黙った静かな時間が過ぎて、施術は完了した。
「どうかしら? 違和感はある?」
「は、はい・・・・・・、いや、えっと、そのないです」
違和感と言われても、確認する術が思いつかない様子で、ベロで折れた歯の辺りをなぞっている。返事も生返事だ。
やはり、貴族のような恰好をしているが貴族ではないのだろうか。貴族のふるまいとは思えない。
私にしたところで回復魔法の専門家ではないので、どうなっていれば完治したと言えるのか分からない。違和感があると言われても、適切な処理ができなかっただろう
。
しかし、回復魔法を使える人は、私がやったような処置を、無意識かつ一瞬でこなしてみせるのだ。そそりゃ使い手が珍しくもなるというものだ。
「・・・・・・あ~」
そして、治療が終わった今になって気がついた。
ここは国家随一の魔法研究機関である。回復魔法を使える人間の一人や二人普通にいるはずだ。
私も冷静ではなかったようだ。治そうとする前にスキル「完全な肉体」を使っていれば、魔法の行使による消耗もなく、それ以前に冷静な思考で、私がやるより回復魔法を使える人間に見せた方がいいということに気づけたはずだ。
「本職の人に治してもらった方がよかったかしらね。余計なお世話だったかも。今からでも診せに行きましょうか?」
「・・・・・・え、あ!い、・・・・・・。よ、よくってです」
彼女は変な言葉遣いで恐縮し、他の三人と一緒にお礼を言いながら去っていった。
う~ん。私がケガさせて、私が治したマッチポンプだから、お礼を言われるのも複雑な気分だ。
かといって、組織のとの約束でスキルのことを話すわけにはいかない。
ちょっと浮かれすぎていたみたいだ。反省しなければ。
自省して、自室に帰って、その日の夕方、来客があった。
「よお、元気してた? 今日の天気どう?」
特に話題がない時の振りをしつつ現れたのは、ケイ先輩だった。
部外者の立ち入れないよう警護や、防犯用の魔法装置もあるのにどうやってここまで・・・・・・。
いや、「認識の笠」を使ったのか。
あれ、魔法装置にも有効だったのか、そこまでは知らなかった。
「何をしにいらっしゃったのでしょうか?」
「そりゃもちろん、組織の仕事をしてもらいにきたのさ」
そうして、後ろに隠れるように連れていた少女を前に出す。
「この子も転生者でな、俺が君にしたように、いろいろと教えてやってくれや。あと準備が整うまで面倒みてやってくれ」
そう言って紹介されたのは、先ほどの少女、ダルシー嬢だった。
ケイ先輩は言うだけ言って、さっさと帰ってしまった。
残されたダルシー嬢を部屋に入れて、とりあえずどうしようか。
彼女は落ち着きなく小刻みに首を振っている。何かの合図だろうか。
とりあえず、スキルとか覚醒方法とかの説明は落ち着いてからにして、今日のマッチポンプを明かして謝罪しておくことにしよう。
「転生する前のことはあんまり話たくはないです・・・・・・」
それもいいだろう。
「こっちで生まれてからは身よりもなくて、村の村長さんのところで育てられました。他にも何人か身寄りのない村の子たちと一緒で」
なるほど。
「ある日、あの人が来て・・・・・・」
「組織の息のかかった貴族に名目だけの養子にされた、というところでしょうね」
能力覚醒条件は確か、「貴族令嬢になって」だった。
生まれた時に貴族である必要は別にないということだ。
しかしだとすると、女の転生者を見つけ次第手当たり次第覚醒させて組織に加入させているみたね、この様子だと。
この分だとどれだけの数の能力者を囲い込んでいるのか見当もつかない。想定の二回りぐらいやばい組織だったようね。
「そ、そうです。それで、住むとこに連れってくれるって、ここに連れてこられて、あの人とはぐれて、それで、あの子たちが一緒に探してくれるって」
昨日の三人のことね。
「みんな、いい人たちで・・・・・・、優しくしてくれて・・・・・・、わ、私もなにかいいとこ見せなきゃダメだって」
ん? う~ん、まあそう思うこともあるのかしら。
「よ、よその国の偉い貴族がやってきて、権力をかさに着て好き放題やってるって、噂が」
うん? まあ、そうも言えないこともないかもしれないわね。
「なんでも王子の婚約者なのをいいことに、暴虐と淫蕩の限りを尽くして」
え~と。
「王子の子供じゃない子供を妊娠したので、ついに国を追い出されて、この国に赤ん坊と一緒にやってきて、それでも暴虐の限りを尽くしているって」
もしかして赤ん坊ってシャシーのこと? 教育係を募集したことが歪んで伝わっている?
「ぐ、偶然、それらしき人に会ったから、こ、これはやるしかないって・・・・・・。こ、こんな偉くてやばい人をやっちまったら、みみ、みんなも尊敬の眼差しで、もっと優しくして、家で一生面倒見よう、って言い出してくれるか、なって」
そうはならないと思うのだけど。
この子の生まれた土地では、そんな風習でもあるのだろうか。新世界はまだまだ知らないことばかりだ。
「こ、ここで、暮らすんですか」
ダルシー嬢はおずおずと私の住居を見渡し、質問してくる。
「さっきの借りもあるし。部屋にも余裕があるし、研究の邪魔にならないなら、構わないわよ」
ケイ先輩は準備が整うまで面倒を見ろと言っていた。「準備」とはどのくらい時間がかかるのだろう? サーヤは何か言うかな?
「じゃあ、表向きは、私の使用人と言うことにしておくわ。それでいいかしら」
「は、はい、それで、・・・・・・、こ、これは寄生するチャンスなのでは」
何か小声で独り言を言っている。組織から経費とか出たりしないかしら。
自慢ではないが、資産には余裕がある。
実家からかさばらない形に変えて持ってきた分と、留学費用としては過剰なほどに支給された分。さらに、「特別客員」の給料も支払われているのだ。
これが権力の力だ。
そのため彼女一人ぐらい食い扶持が増えたぐらいどうということはない。
だが、研究のためにはいろいろ資金が必要になってくる。あまり、余分な出費は控えた方がいいだろう。
キッチンからサーヤが三人分の夕食を持ってきた。
作り始めたのはダルシー嬢たちが来る前だったはずだが・・・・・・まあ、いいか。
シャシーは、そろそろ外出してお泊りしてもいい精神年齢になってきた、ということで、レミラ導師が自分の家に連れ帰って、彼女の家族と触れ合わせてみている。
「人を増やすかどうかは、マヤ様がお決めになることです。私が口を挟むことではございません」
二人分の夕食をテーブルに置き、もう一人分はその手にもったまま、感情のない微笑みをダルシー嬢に向けるサーヤ。
「・・・・・・ただ、必要のない人員であることは間違いないですね。必要のない方に、食事を差し上げる必要があるのでしょうか」
サーヤは基本的にSである。
「そうですね、使用人は必要ないですが、ペットなら居てもいいですよ。ペットであることを証明してもらえれば、餌を差し上げましょう」
「ワン!ワン!ワン!ハァハァハァ、クーンクーン」
迷いなく怒涛の勢いで犬の真似を始めるダルシー嬢。
サーヤはよくできましたと言わんばかり皿を地面に置く。即座にひったくって地面で食べ始めるダルシー。
「ふひひ、犬の真似をするだけで食事がもらえるとか、コスパ最強すぎ。これで寄生できる」
二人が上手くやっていけそうでなによりだわ。
私はダルシーを使用人扱いで住まわせることにした。彼女には借りがあるからその分はしょうがない。
借りを返済したと判断したら、私の研究に協力させよう。その頃ならスキルにも覚醒しているから十分な働きをしてくれるだろう。
とりあえず、使用人用の服を渡して、似合っていない貴族風の服から着替えさせた。
「天至の塔」正式採用の使用人スタイルだ。クラシカルなメイドスタイルで、職員の個人的使用人用でワンポイントの違いがある代物だ。見た目でその人物の立場が分かるようにしているのだ。サーヤもこれを着ている。
ちなみに私は普段、「客員」専用ローブを身に着けている。
「つまり、お仕事しなくていいんですか、・・・・・・やったぜ」
「そうねえ、仕事というほどでもないけど、ちょっと外に出て、『私を雇ってくれるなんて、なんて慈愛に満ちて聡明で、優しくて清楚な素敵なお嬢様なんだ。しかも身寄りのない赤子を引き取って養育しているらしい、こんなお嬢様を悪く言う奴は侮辱罪になってざまぁされるだろう』って、噂振りまいてきてくれる?」
「え、・・・・・・外に出るのはちょっと」
「まあまあまあまあ、新しい使用人の子? 何も仕事がないなら、シャシーちゃんの話し相手にちょうどいいわ。さあ、こっちに着なさいな」
ドーンという音と主にレミラ導師がシャシーを連れて帰ってきた。
「なんです、なんです。僕をどうするんですか」
レミラ導師につかまるダルシー。
「新入りカ、戦うゾ」
ファイティングポーズを取るシャシー。なんだか構えが堂に入ってきているような・・・・・・。何を学習してきたのかしら。
「戦う? 一体何を? っていうかこの人何? 体半分しかないんですけど!」
「戦わなくてもいいけど、暇だったらシャシーの相手をしてあげてね」
「暇じゃ・・・・・・、えーと・・・・・・やること、なにかやること・・・・・・」
「まあまあまあまあ、二人ならできることが増えるわ。今日は大盛ですよ」
「3本勝負、金的と目つきは禁止、ダ」
あっという間に連れ去られていくダルシー。
労働は尊い。きっと彼女の魂の位階を引き上げてくれるだろう。
心にもないことを考えながらダルシーを見送った私は、今日も今日とて研究三昧の日々を送るために研究室へ向かう。
そして、私は尊くもない労働をさせられている。
魂が腐りそうだ。
クラゲを入れた水槽がある。
水槽の水には水の精霊が宿っているのが感じられる。その水の精霊と接触。精霊の力で水槽に水流を作る。水槽の中を漂うクラゲ。
さらに水の精霊の宿った水をクラゲの体内に侵入させる。
そのまま朝から夕方まで、精霊を制御してクラゲの体内に留める。
するとどうでしょう、なんと精霊とクラゲが融合して、新しい生物が生まれ・・・・・・る気配はない。
「・・・・・・予想通りの結果になりましたね」
こうやって精霊と生き物を組み合わせれば融合する、という論文を書いた師に私は皮肉な目を向ける。
「うんうん、私も前にやってみたが、すぐにこれは駄目だと直感したため止めたのだよ。だが、長時間やってみれば、違う結果になるかもしれないと思ったのでね。かといって自分で試してみるにはあまりに低い可能性だと思っていたのでね。いやあ、君が来てくれて助かっているよ」
そんな低い可能性しかない作業を、朝から晩までやらされていたのか。まあ、「二重心」にやらせたのだが、それでも疲れが残る。
「これで一つの仮説がつぶされたわけだ。こうやって一つ一つ、仮説を潰していくことで、真実に近づくのだよ」
「公表してありましたよね、仮説にすぎない説が。研究発表会などで、ボコボコに言われませんでしたか」
「些細な事さ。いずれ真実へと至る道の過程には茨の道が築かれているのだよ」
「自己弁護でないなら立派だと思います」
「そうか、ではつまり私は立派だということだな。持ち上げても課題は優しくしならないぞ、マイアベル君」
この人に皮肉は無駄だな。
そういえば、今日はナム研究員がおとなしい。
いつもならこんなアホみたないやり取りでも、「イチャイチャしやがって」みたいな恨みを込めた目で見てくるのだが。
今日は、こちらを見ていない。なんだか思いつめたような顔で考えに耽っている。
「そもそも、融合させようとした時に抵抗、と言いますか、弾かれるような感覚が精霊を通して伝わってきたのですが」
「ああ、私も感じた。それをもとに新たな仮説組み立ててある」
もう、新しい説があるのか。どうやら私は万一うまくいく可能性があるかも、ぐらいの、ホントにかなり意義の薄い実験をやらされていたようだ。
「融合に抵抗があるのは、すでに融合しているからではないか、というのが新たな説だ」
ちょっと意味が分からない。
導師は自分の理解していることを、他人も理解していて当然という話し方をすることがある。
「何と何が融合しているからなのですか?」
「ん? ああ、水の精霊がクラゲと融合しなかったのは、水の精霊が、既に水と融合しているからではないかということだ」
水と融合? どういう話だ? 水と融合している水の精霊? ・・・・・・まてよ、それはつまり・・・・・・。
「精霊となる前の、さらに虚ろで純粋な精霊力。すなわち『純粋な虚精霊』とでも名付けようか。それが存在しているとする」
うつむいていたナム研究員が驚きの表情でこっちを見る。
あの顔は「え、その話もしちゃうの」という顔だ。
彼はすでに聞いている話のようだ。
「『純粋な虚精霊』。それが水と融合すれば水の精霊となり、火と融合すれば火の精霊になる。生き物と融合すれば精霊の力を持った生物となる」
精霊そのものを生み出す精霊。本当にそんなものが存在しているのだろうか。
水の精霊を融合させようとした時に感じた拒絶感。それは、「融合自体できないよ」と、「もう融合できないよ」。どっちを意味する拒絶だったか。
もし、「純粋な虚精霊」というものが本当に存在するとするなら、その「純粋な虚精霊」はどこから発生しているのか。
言わば、それはすべての精霊を生み出す源。精霊の根源。それは「無限の力」と関係するか。
少し先走りすぎか。まだ「虚精霊」が本当に存在しているのかすら不確定な話だ。
そんなことを考えていると、ナム研究員が実験室から出ていく姿が見えた。
これまで以上に、さらに思いつめた表情をしていた。
私が純粋な虚精霊の話を私が聞いたことが、そんなにショックだったのだろうか。
気になる。
面倒ごとで研究が滞っても困る。
エンシャル師にこの手のことを相談しても無駄だろうし、後を追い様子を見ておこう。
ナム研究員を追って、実験室から出た私の前にはサーヤがいた。
「お迎えに上がりました。食事の用意ができております」
そういえば食事をとる暇もなく、朝から実験をしていたのだった。
「完全な肉体」を使っていれば空腹感もなくなるのだが、いろいろと試してみた結果、必要な時以外は使わないことにしようと決めた。
「完全な肉体」を使っている時と、使っていない時では感覚が大きく違ってくる。疲労も空腹も感じない状態から、疲労も空腹も感じる状態に急に切り替わるのは、肉体や精神にズレを生じさせる。多少ならば平気だろうが、あまり積み重なると肉体と精神のバランスが崩れる恐れがある。
それで今日も「完全な肉体」は使っていないので、正直空腹である。
「もうそんな時間か、ダルシーは?」
部屋に残っている少女について、サーヤに訊ねる。
「『待て』、と言いおいております」
シャシーにはやっぱり食事は必要なかった。レミラ導師も帰り、今は寝ているのだそうだ。
ダルシーには悪いが、まだしばらく待っていてもらおう。
私は手短に事情を説明すると、ナム研究員を見なかったか聞いた。
「その方ならばあちらに・・・・・・」
そう言ってサーヤが示したのは、一つの研究室。
許可なく入っていいものかと少し悩んだ末、「認識の笠」を発動させ部屋に入ることにした。中で何かあったら大変だが、何事もないのなら私が誰にも気づかれなければ済むことだ。
サーヤは外で待たせておいて、一人部屋に入る。
しばし通路が続き、歩いた先には開けた空間があった。
そこには巨大なフラスコのようなものが立ち並んでいた。
フラスコの中には何も入っていないようだが・・・・・・いや、感知した。この中には精霊がいる。今まで感知したことのない精霊だ。
すると、この巨大なフラスコのようなものは、精霊を中に閉じ込める魔法装置といったところか。
そして、中にいる精霊。これは・・・・・・。
今はそれよりナム研究員の方だ。探してみるとすぐに見つかった。魔法装置らしきものの前で、なにやら作業を行っている。
どうする? 止めるか? でも、まだよろしくないことをしているのか判明していない上、こちらは許可なく部屋に侵入した身だ。
悩んだ時はリスクを天秤に掛けて決める。
無断侵入のリスクは、何らかのペナルティが課されるかもしれないこと。最悪研究室を追い出されるかもしれない。
見過ごすことのリスクは、手遅れになるかもしれないこと。正直、こちらに敵意しか向けてこない相手が手遅れになっても、何とも思わないが・・・・・・。
「何をされているので?」
認識の笠を解いた私の声に、ナムは弾けるようにこちらを向いた。
「何だ・・・・・・、君か」
思ったより穏やかな返事が返ってきた。勝手に侵入したことへの咎めもない。
「何をしている・・・・・・か。君ならここにあるのが何か、薄々感づいているんじゃないか?」
私は思ったことをそのまま口に出す。
「おそらく、先ほどの話に出てきた『虚精霊』ではないでしょうか。すでにそれを確保することに成功していた」
ナム研究員は諦観の溜息を吐く。
「さすがだよ。師が君を重用するのも分かる」
精霊を呼び出し、その属性を少しずつ精霊から剥がしていく。火の精霊なら火を取り除くといった風に。おびただしい試行錯誤の末に出来上がったのが、ここにいる『虚精霊』たちだそうだ。
昨日まで敵意丸出しだったのに、この急な変わりようは却って危ない気がする。私は警戒を高める。
「あなたは私を疎んじていたものとばかり思っておりましたが」
「ああ、そうだね。君は大した精霊魔法を使えない僕とは違う。僕は師から必要とされなくなるんじゃないか。そんな不安だけでなく、私の師だけの空間が侵される。そんな気持ちさえ抱いたよ。気持ち悪いやつと思うかね」
「あなたと師の二人の間にどのような関係性や感情があろうと、お二人の話に過ぎません。私が干渉する類のことではありませんし、する気もありません」
これは同情の言葉でなく、拒絶の言葉である。
「そうか、まあそれはもうどうでもいいんだ」
どうでもいいんかい。
「どちらにせよ、師の関心は精霊にしかないんだ。師の役に立つ役に立たないは重要じゃない」
「それは・・・・・・、まあ・・・・・・、そうですね」
「だったら・・・・・・師の関心を買うにはどうするのか。なるしかないだろう、『精霊』にね」
そういうことか。それで・・・・・・、しかし、それは・・・・・・。
「・・・・・・それも、まあ、そうなのかもしれませんが、精霊になると言われましても」
「そうだね。古の精霊使いが『精霊融合』を使い、精霊と一体化したという話はあるけど、あくまでそれは伝説に過ぎない。もし、そんな魔法があったとしても僕に使えるようなレベルの魔法じゃないだろう」
『精霊融合』で精霊と融合した精霊使いは人を超え不死の存在となった。確かに、そういう伝説がある。
『無限の力』と関係があるといいなと思い、一応チェックしていたことの一つだ。
「でもね、さっき君に師が『虚精霊』の話をしていた時に思いついたんだ」
どうも私の心配は勘違いだったようだ。
「虚精霊は他の概念や生物と融合して精霊となる性質を持っている。つまり虚精霊となら誰とでも、僕でも融合できるじゃないか!」
「そうでしょうか。そうだとすれば理屈の通らない点が・・・・・・」
ナムは私の言葉を待たず、閉じ込めていた魔法装置から虚精霊を解き放った。
「さあ、虚精霊。僕と融合しろ」
自身の体を虚精霊に重ね、融合を図る。
そして・・・・・・、何も起きなかった。