37 無限鏡
襲撃の日、部屋に戻ったら来客があった。組織からの転生者たちだ。
おなじみケイ先輩。
もう一人は寡黙で背の高い麗人。
「エリカだ」
短く告げ、握手を求めてきた。
「荒事専門の人。凄腕だぜ」
握手している間に、ケイ先輩が囁く。
そして、もう一人は
「キャハッ、ミランダって言いま~す。オシゴト押しつけにき・ち・ゃ・っ・た」
やたらとハイテンションで、服装も髪型も装飾過多な少女だった。
「ああ~気になってる、気になってる。ワタシのことが、気になってる~」
絡まれた。
ケイとミランダに目で助けを求めようとするが、彼女たちは私以上に困惑していた。
そんな私たちの様子に満足した表情を見せるミランダ。
「これはね~、ドッペルちゃんに仕込んだの。可愛いキュートなワタシにな~れって魔法をかけたの」
つまり、今、会話しているのはミランダ本人でなく「二重心」?
本人はこんな性格ではない。本人の性格とは違う対応をする「二重心」を作り上げた?
「ホントのワタシは、ナイショ、なの」
そんなことができると?
そして、ケイ先輩たちは、本来の人格を知っているから、そのギャップに困惑している?
「それとも~、そんな真似する人なんてサイテー。ドッペルにやらせて、本人が出てこないとか奇怪~、鬼畜~、外道~とか思います~。ねえ、マイアベルさ~ん」
「そんなことはないけど」
何だか思惟を感じる発言だ。煽っている? それも私に対してではない?
エリカの眉間にわずかにしわが寄ったように見えた。彼女に対してかしら。
相手が、どんな態度だろうと、組織のお仕事はしなくてはならない。
転生者だというクァス姫の身柄を引き受け、スキル覚醒の手伝いをする。
塔主との交渉を終え、四人でクァス姫が拘束されている牢まで、身柄を引き受けに行く。転生者のお仕事。
ダルシーには手伝わせないのかと問うと、
「ダルCちゃんが、なにか役に立つと思います~?」
と、切り捨てられた。
まあ、それはそうね。
それはそうと、姫が転生者だったそうだが、スキル覚醒の条件は貴族令嬢だが、相手は姫なのだが。
「条件は、いつも一緒とは、限らない、でしょ」
ミランダが意味ありげな笑みを浮かべる。
私が別に追放じゃなくても良かった辺り、姫でもいけるのだろうか。それに、
「人格が危険とみなされた転生者にはスキルは覚醒させないはずでは」
「そうなの。プチっとプチっと、潰しちゃうの。楽しみ~、ウズウズ」
答えを濁す。クァス姫を覚醒させるのか、それとも始末するのか。
収容所でクァス姫を受け取る手続きをしようとしたところ、ミランダが先走った。
スキルを使い、見張りの手を抜け、一人収容所ないへ潜入する。
急ぎ、ミランダを追わなければいけなくなった。
ミランダを追い、姫の収容されている牢まで行くと、様子がおかしい。
すでにスキル覚醒が始まっている。
この場にはクァス姫とミランダしかいなかった。この状況下で、どうやって覚醒条件を満たした?
転生者はよいとして、貴族令嬢も表記揺れとみるとして、聖女ももしかしたらどこかで呼ばれている可能性は否定できない。だが、婚約破棄とパーティー追放は、どうした。その前段階すら満たしているとは思えないが。
「どういうことだよ」
ケイ先輩も私と同様の驚きを受けている。
「グッ、いえ、何故」
エリカ嬢も驚いているが、私たちとは驚きの種類が違う気配が感じられる。
我々の驚きを他所に覚醒は進む。見えない触手のようなものがクァスに絡みつき……!
見えている?
いや、見えてはいない。
だが、知覚できる。
自分の時は知覚できない?
それとも、スキル覚醒前は知覚できないのか。
いや、ダルシーの時にも知覚はできなかった。
つまり、今回がイレギュラーな事態が起こって知覚できているとみるべきか。
触手は、魔王の残した、転生失敗時のバックアップシステムだ。
触手が転生者の魂を調べ、魔王の転生体がどうかを判定する。調査中にも、本来魔王が受け取るべきスキルが転生者に流し込まれていく。そして、魔王の転生体でなかったことが判明し、バックアップシステムは離れていく。
触手がクァス姫の魂を調べる。調べて……調べ……、これまでは一瞬で終わっていたはずの調査が終わらない?
姫の様子がおかしい。
すでに「改心」の前処理でもされていたのか、虚ろな目で虚空を見つめていただけだったの姫の体が、激しく揺れ始める。
「無限の力を探しているのよね」
いつの間にか、私の目の前にミランダがいた。
「無限の力って、どんなものだと思う?」
彼女はこの状況でいったい何を……、いや、いったい何故、この状況を作り出したのか。
「ほんのわずかでも憎しみがあれば、無限の力で、それは無限の憎しみに膨らむ。そんなものじゃないかな」
クァス姫の視線がこちらを捕らえた。虚ろな瞳に感情が宿り、それが膨らみ……、彼女は何の行動も起こせなかった。
無限の憎しみ。そんなものがあるとしても、人の精神でそれを許容できるのか。
一瞬だけ感情の働きを見せた瞳は、薄曇り、何の光も反射しない。
無限の憎しみなどありえないのか。人ではありえないのだろう。
では、人の精神にこだわらなければ。
空気が変わる。
憎しみか、それとも別の感情か。
感情が空間を越えて派生してくるのを感じる。
ケイ先輩とエリカも、この異常な事態を感じているのが、反応で分かる。
一人、ミランダだけが、軽薄な笑みをうかべたまま。
「アレレ、おかしいな。もっと喜んでくれてもいいのに。ホラホラ、これがあなたの求める無限じゃないの」
否定――
その瞬間、その場の空気に飲まれていた私の意識が正常に戻る。
急ぎ、「完全な肉体」の力で、精神耐性を得る。
ケイ先輩とエリカは、すでにスキルの力で平静を取り戻していたことに、今気づく。
空間を越えて、届くこの膨大すぎる感情は、怒りだ。
クァス姫に絡みつく、触手が怒りに震えている。
触手の先に、何かが出現する。
それは二つに分かれた勾玉が一つにくっついたかのような、見覚えのある――精霊の奥で見た――泥の巨人の動力源だった――魔王が作った魔力の結晶。
もしや、あれがバックアップシステムの本体。
怒りを放つ魔力の結晶。その怒りは触手を通じてクァス姫にも伝わり、変異する。どす黒く変色した触手、それと繋がる姫も異様な姿に変異していく。
「実はね」
ミランダがこちらに告げる。
「クァスちゃんは転生者じゃなかったの。うっかり間違えちゃった。うっかり、うかっり。メンゴ」
変異したクァスの牙が、ミランダを襲う。
頬を食いちぎられたミランダは、微動だにしないで、鏡を出す。
「鏡よ、鏡よ、鏡さん。世界で一番美しいのはだあ~れ」
鏡の中のミランダは、傷一つない綺麗な顔をしていた。
その鏡がぶち破られる。後ろからクァス姫が叩き割ったのだ。そのままミランダに迫るかと思われたクァスが止まり、人とは思えない叫びをあげる。
「世界でいちば~ん美しいのは……ミランダちゃん」
そう宣言する食いちぎられたミランダの顔には傷一つなくなっていた。代わりに、クァスの頬がグロテスクに抉られていた。その傷はクァス自身の歯型にぴったりとあうだろう。
「マッズ」
ミランダが口から肉片を吐き出した。あれは誰の肉片か。
収容所内は「ヴァルキュリアの結界」の中、魔法は封じられている。スキルは封じられない。魔法が使われなくても、「ヴァルキュリアの目」が異常を感知すれば起動する。
魂亡き戦乙女が生成され、クァスに向かう。
再びの人外と化したクァスの雄たけび。同時に、四方八方に鋭くとがった結晶が放たれる。
ミランダはまた鏡を出す。結晶が同じ数の鏡にぶつかり、お互いに粉々になって砕ける。砕かれた鏡が万華鏡おように舞い散る。その後に、ミランダは姿を消していた。
私の元にも結晶が飛んでくる。スキルの効果でこれぐらいは平気のはずだが、一応念のため避けておく。
ケイ先輩は、気にせず、そのまま体で受け止める。
誰にも当たらず飛んで行った結晶が、壁に刺さる。結晶は壁を侵食し、盛り上がってゆく。結晶は壁から分離し、人型のゴーレムとなって襲い掛かってきた。
ヴァルキュリアたちも、結晶に侵食され、クリスタルヴァルキュリアとなっている。クリスタルヴァルキュリアも、標的を変え、こちらに向かって襲い掛かってくる。
「お、お、おお」
見ると、ケイ先輩の体にも結晶が広がりを見せている。
『死は一人のために』、『全ては死のために』
エリカの右手が振るわれる。クリスタルゴーレムたちは、ぐずぐずに溶けて、枯れるように散っていく。先程、結晶に対しても、この右手が振るわれていた。
「馬鹿者が」
エリカの左手がケイ先輩に振るわれる。結晶が広がっていたケイ先輩の体が元に戻った。
「……あっ、すんませ」
最後まで言い切る前に、また何かが飛んでくる。
今度は影だけ。
実体のない鳥の羽の影だけが、飛んで向かってくる。
エリカの右手が振るわれる。それだけで、触れてもいない影が、自壊していくようなシルエットで散っていく。
私はクリスタルヴァルキュリアを盾にする。影がクリスタルヴァルキュリアと交差した瞬間、ヴァルキュリアが捻じれる。腕が縦に捻じれ、首が横に捻じれる。胴体が渦を巻いて捻じれる。全身がでたらめに捻じれていく。
『影の従僕』
影が動く。
クァスの近くに生まれた羽の影の内いくつかが、飛んでいくことなく集い、変形し、立体化し、ひも状となって、クァスを捕らえる触手に絡みつく。
ケイ先輩が固有スキルを発動させたのだ。
影に囚われた、触手が捻じれていく。捻じれて、捻じれて。されどいくら捻じれても、触手は千切れることなくクァスを侵食している。
また、影が生まれた。
六つの腕と刃を持った影は、触手を捕らえる紐の影を切り裂いた。
影の従僕だ。
触手の先にあるのが、バックアップシステムの本体だとすれば、アレの中には共通固有を問わず、全てのスキルが入っている。だとすると、触手と繋がっているクァスはすべてのスキルを使える可能性がある。
六腕の影の従僕がケイ先輩に襲い掛かる。先輩も人型の従僕を作り出し、迎え撃つ。
おそらくだが、全てのスキルは使えない。
全てつかえるのなら、今頃「連鎖獄」で即死させられているはずだ。
何らかの条件がある。クァスの体を通してでないとスキルは使えない。クァスに適性のないスキルは使えない。そんな条件が。
なら、クァスの体を消してしまえば、ことは収まるのか。どうすればいいのか。
バックアップシステムが怒りの波動を放っている。あの触手を斬ればいいのか。エリカはそれを狙っているが、上手くいっていない。
「影の従僕」が絡みついた時も、触手は捩じれはするが、千切れる様子がみえなかった。
なら、怒りの原因を見つけ、解消するしかないのか。
けど、原因といっても、その怒りには共鳴するけど……探さなければ、見つけなければいけない、なのに見つけられない。なのに、騙されてしまった。自らの無能が怠慢が惰弱が許せない、とでも考えているの? それは……、
その通りである。完全同意する。
……今の、何?
触手がこちらに向かって飛んできた。とっさに受け止める。侵食はされない。では、何のためにこっちを狙ってきたのか。
触手に引っ張られる。その方向は私に向かっているのはない。では……その方向を見ると、そこには鏡があった。いや、鏡に見えたのはミランダだった。
私は触手を離し、後ろに飛び退る。動きを取り戻した触手は、そのままミランダを打つ。ミランダの体にひびが入る。ガラスが砕けるように、ミランダの姿が砕けて落ちる。
この場合はガラスでなく、鏡と言うべきか。この場には結晶もあるのでややこしい。
私にはそんなことを考える余裕があった。
なかったのは、ケイとエリカの二人。
薄皮が一枚剥がれるように、砕けたミランダの体の内から、別人の姿形をした人物が現れたからだ。
二人はその事実に動揺している。
どうやら、知っている人物と思っていたが、知らない人物だったようだ。
私にしてみれば、会ったばかりの人物が、知らない人物になっただけで、驚きこそすれ、動揺するようなことはない。
「二重心」うんぬんも、彼女たちの知っている人物が、普段とは違うそぶりをしていることへの理由付けだったのろう。
ミランダの変化に気を取られた二人は、その後の対応対が遅れた。ミランダが自らを打った触手を握った途端、触手から放れていた怒りの波動が増した。肌に怒りが突き刺さる。物理的に震える感触がある。
そして、怒りが伝播した。
ケイとエリカの二人が、クァスと同じように変異していく。「完全な肉体」の耐性が貫かれている。
私はというと、逆に冷めていた。
一時は、球体が放つに怒りに共鳴し、自分の事とも他人事ともつかない怒りが沸き上がっていたが、伝播してきた怒りが伝わった瞬間、それとぶつかって怒りの感情は消えてなくなっていた。
魔法的な精神操作でも、こんなことがあるのか。それとも、魔法的な精神操作だからこんなことがあるのか。
真の姿(?)となったミランダが立ちふさがる。
「あれ~、よく分からないものを、よく分からないまま使うから、こんなことになってるだけじゃない。自GO自TOKでしょ……」
「自業自得で済めばケーサツはいらない」
『ブレス』
言い終わる前にスキルを発動させる。
「ブレス」は強制的にブレス(呼気)をさせるスキル。ブレスができなければ無理やりにでも。ミランダの胸に発動させた「ブレス」は、彼女の胸に穴を開け、肺まで直通させて、そこから直接「ブレス」を吐かせた。
「抑止力もなしに、自業自得の前に出て、逆切れされないとでも?」
胸の穴を起点に、ひびが割れ、破片と共に砕ける。そこにミランダはいなかった。
ミランダは、背後にいた。
背後から私に抱きつき、胸を掴まれる。
「胸に風穴を開けていいのは、おっぱいをもまれる覚悟があるものだけ、DA・YO・NE」
私は胸に置かれたミランダの手を、上から握った。
わざわざスキル持ち相手に、向こうから接触してくれるとは。
「無限竜の咆哮」
スキルは失敗に終わる。エラーが出て、「無限竜の咆哮」は発動しない。
そして、私に触っているミランダが「無限竜の咆哮」の効果を発動させた。
スキル「挟持合一」を使っていれば、触っている相手にもスキルの効果を発動させることができる。
「無限竜の咆哮」はウロボロスの魂がなければ、発動しない。
口はきいてくれないが、ウロボロスもそのぐらいの指示は聞いてくれようになった。仲間を二人も保護したのだから、それぐらいはね。
ミランダに取り付いたウロボロスは、彼女の魔力を吸い上げて、不滅の体を作り上げる。
十分の一ほどドラゴンの肉体は出来上がったところで、ミランダの魔力が尽きた。
私が使った時は、「完全な肉体」の魔力も含めて、百分の一も出来る前に魔力が尽きたのに。
魔力が尽きたミランダが、ミイラとなって崩れ落ちた。
ミイラ?
今は、そのことより、暴れ狂う姫とバックアップシステムだ。
ミランダから放たれていた分の波動がなくなったことにより、ケイたちは変異から元に戻っていた。隙を見せて一時的に劣勢に追い込まれていたが、何とか立て直している。
この状況、どうしたものか。
「固定点座標」
この場に新たな来訪者が現れる。執事服の麗人と、老人じみた服装の少女。少女の顔は、ミランダが変身を解く前とうり二つだ。
「グッ、グランッ」
言いかけて口を噤むエリカ。
少女の背にある認識できないナニカから触手が飛んだ。
触手は、クァスに絡みつく触手を掴む。どす黒く変色していた、いや、している感覚がしていた触手が、元の感じに戻っていく。クァス姫の動きも止まる。
「不滅の終匿竜」
触手が消える。いや、消えていない。そこに存在しているのを感じる。
見えなくなっただけ。いや、元から見えてはいない。
でも、そこには触手はない。存在しているけど、存在しない。
謎の感覚を味わった。
音がする。誰かがが倒れる音。クァス姫が倒れている。
触手から解放され、糸の解けた操り人形のように、力なくその場に横たわっている。
バックアップシステムの本体と思しき球体と対峙する少女。
触手の存在している感覚が消える。球体も存在感が薄れ、感じ取れなくなっていく。やがて、完全に球体の存在感は消えた。
いなくなったのか。それとも感じ取れなくなっただけではないのか。
執事服の麗人がクァス姫の元に行き、介抱する。
エリカが老人風の服装の少女の前に行き、膝まづく。
ケイ先輩はどうしたものかと、挙動を決めかねているようだ。
少女は私の前に出て、一礼した。
「ご迷惑をおかけしたようですね。彼女はこちらで引き取ります。このことはお気になさらず、忘れていただけたほうがよろしいかと」
ケイ先輩が後ろで反応する。
「気にはしていませんわ。忘れもしませんけど」
今度はエリカが反応する。なんだか、面白い。
「そうですか――では」
少女の雰囲気が変わる。それまでは、薄く、存在感が感じられないほどに、希薄な空気を纏っていたが、それが消える。
「わたくしは、ミリィ・ブレラ。組織の一員です」
後ろの全員が反応した。
「アレは『無限の番人』。あなたが無限を追えば、いずれまた出会うことでしょう」
そう、有無を言わさず、言いたいことだけ言って、一同を引き連れてワープしていった。
無限の番人、ね。
ミイラになったミランダは、もういない。
魔力を吸いつくされれば死ぬだろう。だが、水分が奪われたわけでものないのにミイラにはならない。
ミイラが倒れていたそこには、キラキラと光る灰だけが積もっていた。
誰もいないくなった収容所に私一人、残された。
さて、こちらの始末を付けないと。
クァス姫は私に引き取られ、その後その姿を見る者は誰もいなかった。
と、できればいいのだけど。