彼女はやり直した
「悠ちゃんは、人生やり直したいなーって思うことない?」
ある月末の帰り道。いきなり、幼なじみの莉生が尋ねてきた。唐突なのはいつものことだ。
彼女とは幼稚園から高校までずっと一緒。莉生の苗字が「相沢」で私は「青木」だから、同じクラスになったときはたいてい莉生の出席番号が一番で、私が二番。
席が近かったり絡みが多いせいか、気づいたら仲良くなっていた。中学では一緒に吹奏楽部に入って、結局高校も二人で吹奏楽が強いところを選んだ。
莉生と演奏していると楽しいから、厳しい練習だって全然苦にならない。励まし合って、二人で一緒にうまくなったのを実感できたときが一番嬉しい。
付き合いは長いけど、莉生にはいまだによくわからないところがある。ふわふわした言動が多くて、妄想によく付き合わされる。
でも、トラブルが起きたときは「大丈夫、大丈夫」とどっしり構えていて、頼もしいところもあった。
「人生やり直す……?」
物心ついてからの記憶を振り返ってみるけど、特にやり直したい場面はなかった。
「あはは、悠ちゃんは後悔とかしないもんね」
「だって自分が決めたことじゃん」
学校から駅まで徒歩十分。部活があるときもないときも、いつもこうやって特に中身のない話をしながら二人で帰っていた。
夕日で長くなった私たちの影がふらふらと揺れる。小学生のころ、放課後はいつも公園で遊んで、こうして影を並べて帰っていたのを思い出す。
いつもは日が沈むまで部活があるから、今日みたいに早く帰れる日はなんだか特別に思えた。
「私ね、悠ちゃんのそういうところ羨ましいよ」
「そう? 莉生だって、いざっていうときは悩まないじゃん」
「私はね……たまに、先のことわかっちゃうことがあるから」
そういえば、莉生は妙に勘が鋭いときがある。電車の遅延とかハプニングとか、いきなり起きたことほど昔から強い。
「それって、予知能力?」
「んー、ちょっと違うかな。なんでもわかるわけじゃないし、知りたくて知ってるとかじゃないから」
莉生はもったいぶった言い方で笑いながら、視線を逸らす。
「じゃあ、今度の大会でうちの部が金賞取れるか教えてよ」
「そういうのはだめだめ。悠ちゃん、絶対油断するから」
「えー、ケチ」
ちょうど信号が赤に変わって、私たちは立ち止まった。
「私の特技はね、大事なときだけ使うって決めてるんだ」
莉生は、どこか自慢げな顔をする。その向こうに、唸るようにスピードを出して走る車が見えた。
それはどんどんこっちに近づいてきてーー。
「莉生、危ない!」
私はとっさに莉生を突き飛ばそうとした。その瞬間、あの子の姿がすっと消えてしまった。
「……あれ?」
ぽかんとしている私のすぐ目の前を、黒い車が突風のように駆け抜けていった。
ふらふらとしながら遠ざかっていくその姿を見ながら、私はへなへなとその場にしゃがみこんだ。
もうちょっと横にいたら、絶対轢かれていた。
「青木さん、大丈夫?」
近くにいたのか、同じクラスの子たちが近寄ってきて、慌てて起こしてくれた。
「危なかったね」
「ぶつからなくてよかった」
信号が青に変わる。私たちはそのまま歩きだした。
「そういえば、一緒に帰るのって初めてじゃない?」
「あ、言われてみれば」
今まで一人で帰っていた覚えはない。でも、いつも誰と一緒にいたか、自分のことなのによく思い出せない。
変だなと思いながらもだらだら歩いていたら、明日の授業の話になった。
月の変わり目はいつも憂鬱だ。
「明日は一日だから、私絶対当たるんだろうなー」
「青木さん、出席番号一番だもんね」
「そうそう。『あ』から始まる苗字だと、いつも……」
言いかけたところで、ふと思い出す。
「でも、小学校のときは相沢って子がいたから、たまに二番になることあったよ」
「あー、相沢は強い」
「確かに勝てないわ」
相沢莉生。小学校までは仲良かったけど、向こうが中学受験してからは全然連絡取ってないな。今、何してるんだろう。
そういえば、莉生がいきなり中学受験するって言い出して、大喧嘩したまま卒業しちゃったんだよね。
中学に上がったら一緒に吹奏楽部に入ろうって約束したばかりだったのに、って怒りすぎちゃった。結局、卒業してから一回も連絡すら取っていない。
バカだなあ、私。素直に応援すればよかった。
結局、私は地元の中学で吹奏楽部に入ったけど、先生と先輩が厳しかった思い出しかない。
高校こそはと思ったけど、うちの吹奏楽部はレベルが高すぎて、あっという間についていけなくなった。どうせ今度の大会も選抜メンバーには選ばれないし、受験もそろそろ考えなくちゃいけないし、最近は辞めたくなってきた。
吹奏楽、小学校のころはあんなに憧れてたのにな。
そう思いながら歩いていると、いきなり耳を塞ぎたくなるような大きな音がした。
「え、何?」
みんなできょろきょろとしていると、一人が遠くを指す。
「ねえ、あれってさっきの車じゃない?」
その先を見れば、見覚えのある黒色が目に入った。けれどもそれは、道路沿いのお店に突っ込んでいて、半分くらい原型を留めていない。
「うっわー。青木さん、さっきヤバかったんじゃない?」
「あそこで轢かれたら死んじゃってたかも」
行こう、と誰かが言い出して、私は慌てて背を向ける。その瞬間、何か引っかかるものがあった。
「……莉生?」
一度だけ振り返る。あの子が通ってるお嬢さま学校の制服を着た子がいた気がした。
なんでだろう。もう何年も会ってないし、一瞬見えただけなのに、莉生だって思った。こんなところにいるはずないのに。
「青木さん、あんま見ないほうがいいよ」
顔をしかめるクラスメイトに引っ張られて、私はその場を後にした。
彼女たちは全員、私とは反対方向に住んでいるらしい。駅の改札口で分かれて、私だけ別のホームに向かう。
一人で電車を待っていると、手持ち無沙汰でそわそわした。帰り道ってこんなに退屈だったっけ。
ホームから線路へと長く伸びた自分の影が、どこか寂しげに見える。
今日はなんか変な気分になる。事故を見ちゃったからなのか、その車に自分が撥ねられそうになったからなのか……。
莉生が一緒の学校だったらなあ。
沿線が全然違うし、向こうのほうが遠いから、通学で会うこともない。
一緒にいるのが当たり前じゃなくなって、かなり時間が経っている。それなのに今日はやけに寂しく思ってしまう。
喪失感、というのだろうか。ぽっかりと心に穴が空いている気がした。昨日まではなかったはずの、大きな穴が。
連絡取ってみようかな。あのときはごめんねって、今さらすぎるかな。
もうあっちは私のこと忘れて、新しい友達と楽しくやってるかもしれない。そう思うと、スマホをいじる手が止まる。
ーー大丈夫、大丈夫。うまくいかなかったら、やり直せばいいんだから。
小学生のころ、莉生が時々そう言ってたのを思い出す。そういうときに限って、あの子はいつもうまくいって、やり直しているところは見たことがなかった。
私は、まだやり直せるのかな?
なんだか無性に、莉生の「大丈夫」が聞きたくなった。