アレグロ・アンダンテ・チェックメイト
私はいつも、自分とは正反対の男に恋をする。
規則正しく敷き詰められた白と黒の道を、軽やかに彼の指が駆け抜けていく。紡がれていく音に包まれながら、私はそのひとを横に立って見ていた。
この部屋には、白と黒が満ちている。
なにものにも冒されることのないような白い壁。圧倒的な存在感を放つ黒塗りのグランドピアノ。
その前で一心にショパンを奏でる彼の黒髪は、この世界に生まれ落ちたその時からきっとその色を変えていないのだろう。よく映える白い肌に、黒縁の眼鏡が控えめに影を落としている。
白いワイシャツの襟元をきちんと締めるのは、どうしようもない寒がりだからだと彼は言う。実際には、生来の几帳面さがなせる業なのだろう。先月贈った黒のカーディガンもきっと幸せな一生を過ごせると思うと、私はカーディガンが羨ましくなる。
「君は何事も性急すぎるよ」
先週逢った時、彼は静かにそう言った。
これまでに私が好きになった男達にも、似たようなことを言われたことがある。
曰く、短気、せっかち、忙しない。自分ではそう思わないのだが、一緒に過ごしていると疲れてしまうのだと。
加えて、白黒はっきりさせたいこの性分も彼らを追い詰めてしまうのかも知れない。結果、チェックメイトを突き付けられるのは、いつも私の方だ。
また振られてしまうのか――諦めにも似た感情が、私の表情を曇らせた。
「だって――花の命は短いって言うじゃない」
思わず零れた私の言葉に、彼は何かを言おうと口を開いたが、そこから言葉が生まれることはなかった。
一通り弾き終えて、彼は鍵盤蓋をそっと閉めた。大切なものを慈しむようなその仕種に、私にも優しく触れてくれたらいいのにと思う。
すると、彼は前を向いたまま言った。
「速度標語って知ってる?」
唐突な問いに何も返せずにいると、彼はそのまま言葉を続ける。
「『速めに』という意味の『アレグロ』、『ゆっくり歩くような速さで』という意味の『アンダンテ』。曲にはそれぞれ決まった速度標語があって、僕達ピアニストはそれに従ってピアノを弾く」
そして、ひとつ息を大きく吸って――こちらに視線を向けた彼の瞳は、決意の色を秘めていた。
「君はアレグロ、僕はアンダンテ。テンポが合わないこともあるけれど――それでも、君との時間をゆっくり愉しみたいと、僕は思っている。これまでも、そしてこれからもずっと」
熱の籠った言葉と眼差しは、私に想定外のチェックメイトを突き付けた。
(了)
お忙しい中、お読み頂きありがとうございました。
お題の『チェックメイト』、チェスにも詳しくないので難しそうだなぁ……というところから、白と黒という色に絡めて、ピアニストとの恋を描いてみました。子どもの頃に習っていましたが今はピアノ全然弾けないので、ピアノを弾ける方に憧れますね。特に幼馴染みの男の子は小さい頃すごくピアノが上手だったので、すごいなぁと尊敬しておりました。
楽器ができるひと、格好良いです!