第07話 あなたと
「な、なに……?」
彼女の方から声をかけられた。たったそれだけで、私の心は弾んでしまう。思えば彼女から声をかけられたのはさっきの「なんでここに」みたいなのを除けばほとんど記憶に無い。それくらい、私達の仲は険悪そのものだったのだから。
入学当時は、少しはまともに喋ったような気がする。でも彼女を見ていると胸がざわついて、まともでいられなくなり、それを苛立ちと判断した私は彼女に意地悪をするという手段を取ってしまった。
素直になれていれば、自分の気持ちに気付いていれば、彼女からもっともっと言葉をかけてもらえたのに。友達にもなれていたかもしれないのに。ひょっとしたら恋人だって――
「って――うわっ!? な、何で泣いてるの!?」
「――えっ?」
気が付けば私の目から涙が溢れていた。
「あっ……こ、これはその……」
いけない。変に思われただろうか。
「えっと、なんていうか不安で、その……」
「ま、まぁそうよね、私だってそうだし……」
なんとか誤魔化せたみたいだ。私はぐっと涙をぬぐう。
でも、好きな子との会話がこんなにも嬉しいなんて、たとえこんな状況で不安から、仕方なく彼女が私に話しかけているにしても、それでも私は嬉しかった。
「――ねぇ、聞いていい?」
「な、何を?」
彼女の瞳が私を見据えてくる。彼女に見つめられていると、胸の高鳴りが抑えられない。ドキドキしてドキドキして、まるで全身が心臓になったかのように感じてしまう。たとえそれが親愛の感情なんて一切ない表情だとしても。
「なんで……」
そこで彼女は言葉を区切る。
私は彼女からの言葉をじっと待つ。
「なんで……その……私に意地悪しなくなったの?」
「それは……」
彼女はここ最近、それをずっと不思議がり、不審がっていた。でもそれも当然で、私は彼女におおよそ丸々2年間にわたって意地悪をしてきたんだ。それがある日突然パタッと止んだら不審に思っても当たり前だ。
それどころか意地悪をしてきた相手が、普通に話しかけてくるんだから怪しむのも無理はない。
「えっと、その……」
「それに毎日毎日話しかけてきて……一体何を考えているの?」
あなたと仲良くなりたい。あなたと友達になりたい。あなたとやり直したい。そう言いたいけれど、私にそんなことを言う資格は無い。
「私があなたのこと嫌ってるの、知ってるわよね?」
知っていた。痛いほど、知っていた。でもそれは私のせいなんだ。
「理由はよくわかってるわよね?」
「……うん」
「それじゃあ何で? 何で意地悪やめたの? 何で私に話しかけてくるの? ねえどうして?」
彼女の口調が問い詰めるようなものになる。
「……家の絡みとか? 家族に私と仲良くする様にでも言われたの?」
「そ、そんなこと……!!」
「まぁでも無いわよね。私の家とあなたの家じゃ格が違うし、私なんかと仲良くしてもあなたの家に何の得も無いもんね」
得とか、そんな話じゃない……!! ただ、私はあなたと……!!
「違うの……そんなのじゃなくて……」
また、涙がこぼれそうになる。こんな、友達になりたいって、そんなことさえ言えないなんて。
「……じゃあなんでなのよ? あなた、わたしにずっとずっと意地悪してきたでしょ」
彼女も、目に涙を浮かべている。これまでのことで感情が高ぶっているようだ。
「私、あなたに何かした? 何で私のことが気に食わないのよ? なんであんなに意地悪したの? 私、ずっとずっと辛かったんだから……!」
握ったこぶしを震わせ、声も震わせ、私を問い詰めるプリシラ。
あなたは何もしていない。気に食わないと思っていたのも、意地悪をしていたのもあなたが好きだったから。そして私はそのことに手遅れになってからじゃないと気が付かない大バカ者なんだ。
「それなのになんで? どう考えても分からないのよ。あなたが私に意地悪を突然止めて、取り巻きにも止めさせて、それどころか私に話しかけてくる、その理由は何なの? 何を考えているの? あなたに何の得があるのよ」
彼女の問い詰める言葉は続く。私は、沈黙するしかない、それしかできない。
「……答えてよ」
「……でもっ」
「いいから答えて」
彼女の問いに対する答え、それは――
「――なっ!?」
私はただ黙って頭を下げた。
「あなた、自分の立場が分かってるの……!? あなたが私に頭を下げるなんて……」
「……」
私だって自分の立場くらいわかっている。公の場で、彼女に謝罪することなんて謝りたいと思っててもできない。でも、今なら2人っきりだ。
「……答えてよっ」
彼女は、再度同じ問いを私に投げかける。
「あなたが、そこまでする理由って何? 私に頭を下げてまで、私に話しかけてくる理由って何なの?」
「それは……」
「いいから、教えてよ……なんでなの?」
「……言っていいの?」
「……いいわよ。聞かせてよ」
彼女からの許しを貰った私は、大きく深呼吸をする。数十年、ずっとずっと言いたかった言葉を、ようやっと言う事ができる。
今の私にそんなことを彼女に言う資格は無い。そんなことはわかっている。それでも、私は――
「――あなたと、友達になりたいの」
堪えていた熱い涙が、頬を伝った。