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第06話 嬉しくて涙がこぼれた

「プリシラ……」


 私の言葉にびくりと反応した彼女は、ドアを開けてやってきたのが誰かと確認し――


「あなた……クリス……なんでここに……」


 私に言葉をかけてきた。ごく普通の反応である、その言葉を。


 私は、そのごく普通の反応に震えた。

 だって私の記憶にある彼女は、ここで私にこう言ったんだから。


『来ないでっ!!!!』


 ――開口一番、野山をかけてプリシラを訳も分からず必死になって雨に打たれながら、ようやっと彼女を見つけ出したと思った矢先にぶつけられたのが、その言葉だった。


 そんな『来ないで』と比べたら今のこの反応の、なんと嬉しいことか。一か月の間、どんなに冷たくあしらわれてもめげずに話しかけていたかいがあったんだろうか。もちろん今も彼女の私に対する心証は最悪だろうけど、それでもこんな状態でいきなり拒絶をされない程度には、ほんのわずかだけは回復しているのかもしれないと思えた……いや、思いたかった。

 思わず嬉しくて涙がこぼれたけど、幸い雨でぬれていて気付かれる事は無いだろう。


「あなたが遭難したって聞いて、それで……探しに……」

「私を……噓言わないで。あなたが私を探しに来るわけないじゃない」

「ほ、ホントだって……!!」

「ふん……どうせあなたも迷ったとかでしょ」


 違うのに、本当にあなたを探しにここまで来たのに。でもこんな反応も自業自得だからしょうがない。


「くしゅんっ!!」

「ああっ、そんなに濡れて……」


 散々雨に打たれて山をさまよったであろう彼女の有様は改めて見ても酷いもので、直ぐに乾かさないと風邪をひいてしまうだろうことは明白だった。


「今、火を起こすから、待ってて」


 この山小屋は、山小屋とは言っても掘っ立て小屋みたいなもので、暖炉のような上等なものは無い。

 部屋の中央に薪を燃やすための石組みのようなものがあるので、そこに部屋の隅で転がっていた薪を並べていく。幸い湿気てはいないようで、着火用の火打石も見つけることができた。


「あなた……火なんて起こせるの……」

「え、いやそれはまぁ……」


 そうか、そう言えばそうだった。彼女もれっきとした貴族の娘で、自分で火なんて起こしたことがないんだろう。かく言う私も前回は火の起こし方なんて全く知らず、火で暖を取る事さえできなかったんだっけ。

 家督を放棄してからの長い人生で、使用人もソラリスだけになってからは自分で火をつけることもソラリスから習ったので、これくらいはできるのだ。


 それでも慣れているわけでは無いし、かじかむ手ではなかなかうまく火打石を使うのも難しくてかなり手こずってしまった。

 その間小屋の中に響くのは石をする音と、寒さで歯の根が合わない私達の震える音。

 それでも、私は彼女とこうして2人っきりになれて幸せだった。全く色気もへったくれもない小屋の中で、寒さに震えているという状況だけど、それでも私は幸せだったのだ。


「あっ……付いた」


 どうにかこうにか種火を起こして、そして火が大きくなるまでにはだいぶかかってしまった。

 その間プリシラがずっと寒そうに震えていたのが申し訳なかった。こんなことならもっと練習しておけばよかったと思う。でもまさかここでこうして火を起こすなんて思ってもいなかったから仕方ないとも思うんだけど。


「ほら、火の側に来て? あったかいよ」

「……うん」


 弱っているからか、なんかとても素直だ。まずい、とても可愛い。


「……あ、でも」

「何よ」

「服……脱がないと」

「……はぁ!?」


 あ、そんな大きな声出す元気あったんだ。


「いや、だって濡れたままの服を着てると体冷えちゃうでしょ」

「それでもイヤよ!! あなたの前で裸になるなんて!!」

「裸になれとは言ってないよ!?」


 私は薪と同じく部屋の隅に転がっていた、あまり衛生的とはいえないまでも無いよりは断然マシな毛布を2つ持ってきてそのうち片方を彼女に手渡した。


「ほら、これにくるまって」

「…………」

「いや、気が進まないのはわかるし、私もそうだけど、肺炎とかになったら命にかかわるよ?」

「……わかったわよ」

「じゃあ、ほら脱いで――」

「……あっち向いてよ」

「え!? あ、ご、ごめんっ」


 私は慌てて後ろを向いた。その私の背後で、彼女が服を脱いでいくのがわかる。こんな状況だと言うのにドキドキしてしまう私が本当に度し難い……けど、でもっ……!! 好きな子の裸がすぐ後ろにあるんだし、ドキドキするのも当然ってものだよ!!


「……いいわよ」


 私が振り返るとプリシラは毛布にくるまれ、そこから美しい彼女の足がはみ出していて、それが何とも艶めかしく思わず唾をのんでしまった――気付かれなかっただろうか。


「あなたも着替えなさいよ。今度は私が後ろ向いてるから」

「え、あ、うん」


 私は彼女になら見られても全然いいんだけど……でもそんなことを言うなんて慎みが無いと思われてしまうから口には出さない。

 そして私も彼女と同様、裸に毛布1枚というお揃いの格好になる。……お揃い……いいなぁ。


「大丈夫? 寒くない?」

「寒いけど……さっきより全然いいわ」


 そりゃああんなびしょ濡れの格好よりは全然いいだろう。


 私達は、焚火を挟んで向かい合っている。本当は隣に座りたいけれど今の彼女が私にそれを許してくれるとは思えないし、こうして向かい合って座れているだけでも私は幸せだからそれでいいんだ。

 それから私達はしばしの間、冷えた体を温めながらお互い黙りこくっていた。聞こえるのは薪のはぜる音と、外の雨音だけ。世界からこの小屋だけが切り取られていると錯覚するような、そんな空気の中――


「ねぇ」


 ――プリシラが、その重い口を開いた。


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