第03話 人生をかけてしたいと思っていたこと
落ち着け、落ち着くんだ私……と自分に言い聞かせてはみるものの、何十年も、それこそ人生をかけて再び会いたいと願った想い人が目の前にいるという事実に、私の心臓は早鐘のように脈打ち一向に静まる気配がない。
思わずそのままの勢いで抱き着いてしまいたくなるけど、それは流石に踏みとどまる。何せ現時点での私と彼女の仲は最悪に近い……というか最悪そのものなのだ。
だって彼女が入学して以来ずっと意地悪をしてきたのだから、それは当然で、自業自得で、私が悪いのだから仕方ない。でもまだ一縷の望みはある……と思う……いや、思いたい。
だって私と彼女の仲が完全に一線を踏み越えて悪化するのは、私が起こしたあの過ちのせいで、それさえ回避すればまだ何とかなる、はずだ。
そのためにも、今から少しでも彼女の心証を回復していかないと。
私は大きく深呼吸をして勇気を奮い立たせ、けだるげに椅子に座っている彼女にゆっくりと近づき、声をかけた。
「ご、ごきげんよう……プリシラ」
実に60年以上ぶりの会話だ。とは言っても昔に彼女としてきたのは会話とも言えない酷いものだったけど。
そんな私に対する彼女の反応は――
「……はぁ?」
――残酷なものだった。
いや、残酷なのは彼女ではない。これは当然の反応なのだから。
残酷なのは、彼女が私を嫌っていると言う厳然たる事実を改めて思い知らされたこと。
会いたいと想い続けたプリシラは、私に対して敵意に満ちた視線を向けてくる。「今日はどんな意地悪をする気なのだ」言葉に出さなくてもそう伝わってくる、拒絶しかない眼差しだ。
嫌われているのはわかっていたが、それでも好きな人にこんな目を向けられるなんて改めて自分の愚かさを実感させられる。
彼女にこんな目をさせている原因は全て私にあるのだから。
「え、えっと……」
さっきまでの希望と幸福感は冷徹すぎる現実に押しつぶされて言葉を継げなくなってしまう。
あんなに会いたいと願っていたのに、それでも言葉が出てこない。
「その……」
「何よ? 「ごきげんよう」とか馬鹿にしているの?」
彼女の愛くるしい顔が憎しみに歪み、はっきりとした敵意を込めて私を見据えてくる。そう、彼女にとって私は敵なんだ。
「け、今朝の気分はどうかなって思って……」
なんとか言葉を絞り出す。だけど返ってくるのは私が求めていたものとは真逆のもの。
「朝からあなたに話しかけられて、気分がいいわけないでしょ?」
「え、あ……」
それだけ言うと、彼女は私に関わりたくないとばかりに顔を逸らしてしまい、 私は呆然となりながら自分の席にとぼとぼと帰っていくしかなかった。
「お嬢様、一体どうしたんです? 今日のお嬢様少し……いや、かなり変ですよ?」
自分の席に戻ると隣に座ったソラリスが何か話しかけてきたけれど、何を言ってるか理解できなかった。それくらい私はショックを受けていたのだ。
「いつもだったら挨拶なんてせずに、ねちねちイヤミでも言うところじゃありませんか? それが「ごきげんよう」だなんて」
覚悟はしていたつもりだった。3年のこの時期で既に私と彼女の仲は相当に悪いものだと。それでもやっぱりつらい。つらすぎる。
「お嬢様? お~い? どうしたんですか~?」
ここからたった1年で……いや、彼女が未来の結婚相手と仲良くなるまでに私と彼女の仲をそれ以上のものにするなんて、想像以上に絶望的なんじゃないだろうか――
「もしも~し? ……あ~……ダメですね。とりあえず後で保健室に連れて行きましょう」
――――でも!!
私は今朝の決意を思い出す。
たった1回侮蔑の視線を向けられたからなんだと言うんだ。こんなのはわかり切っていた事じゃないか。私は彼女に嫌われている。そんなの知っているんだ。
それでも、私は自分の愚かさをやり直せるかもしれないと言う奇跡を貰ったのだ。たとえそれがさっきみたいに好感度最低の冷たいまなざしを向けられるとしても、彼女に会えなかった数十年の痛みに比べたらなんてことはない。
私が彼女にどうにか振り向いてもらえるよう、全身全霊で仲を修復すること。それが愚かだった私にできる唯一のことじゃないか。
「ソラリス」
「うわっ!? な、何ですかお嬢様」
気が付けば私の目の前で手をひらひらさせていたソラリスが、私から言葉をかけられてぎょっとする。何してたんだこの子は。
「私はやるわよ」
「はぁ……何をです?」
「私がずっとずっと、人生をかけてしたいと思っていたことよ」
「……?????」
ソラリスは「何のことやら」って感じで可愛い顔を傾けている。
「私、頑張るから」
「はぁ……よくわかりませんけど、頑張ってください」
ソラリスの励ましに、私は大きく「うんっ」と答えた。
それから私は、今まで私と一緒にプリシラに意地悪をしていた取り巻きの子達に「もう絶対にプリシラに意地悪しないで」とお願いをし、自分ももちろん意地悪を止めた。
突然の方針転換に取り巻きの子達は戸惑っていたようだけど、それでも押し通した。そもそも彼女達にしたってソラリス同様本気でプリシラのことを嫌っていたわけじゃないだろうからね。
執拗に意地悪をしたかったのは、その本心に自分でも気づけなかった私だけだったのだから。つくづく愚かすぎる。
そして私はプリシラから冷たい視線を向けられながらも毎日毎日彼女に話しかけた。プリシラは私の意地悪がパタリと止んだどころか、私が話しかけてくるということに一層不信感を抱いているようで状況は全く改善しない。
それでも私は諦めずに、何とかしようと懸命に話しかけ続けて、それでも全く成果は得られず……
ついに運命の日――私が前回の人生で決定的な過ちを犯してしまった日の朝を迎えてしまうのだった。