第02話 目の前に広がる奇跡
「それで、今日はどうします?」
握りこぶしを作り、この奇跡を逃すまいと決意を固める私にソラリスが何か聞いてきた。どうするっていったい何のことだろうか。
「何が?」
「何が? じゃありませんよ」
ソラリスは呆れたような、不思議そうな顔をする。そんな顔をされても、私にとってこの時間は数十年前の時間なんだし、「今日はどうする」と言われても何が何やらさっぱりだ。
困惑する私に、ソラリスはゆっくりと口を開いて――
「ですから、プリシラに今日はどんな意地悪をするのかってことですよ」
「――は?」
とんでもないことを聞いてきた。プリシラというのは、私が数十年想い続けた彼女の名前だ。その彼女、プリシラに、今日はどんな意地悪を……?
「な、なんでそんな――」
「はい? いつもの日課ですよね? いつも私と相談してたじゃないですか。『今日はどんな意地悪をしてあげましょうかしら~』って、嬉しそうに」
――そうだった。昔に戻った衝撃で忘れていたけど、そんなことを私は日課にしていたんだった。それもこれも本当は彼女の気を引きたいため、構ってもらいたいため……バカなの!?
「え、あ、その……」
「今日は思いつきませんか? じゃあいつもの定番の――」
「ま、待ってっ!!」
もうそんなことをしてはいけない。すでにかなり手遅れな地点ではあるけれど、それでもさらに悪化させるわけにはいけない。なにせあとたった1年しか無いのだから。
いや、彼女が私の意地悪によって子爵の跡取りと仲が良くなることを考えたら、さらに時間は短いだろう。とにかく、もうこれ以上彼女に悪感情を持たれるのは絶対に回避しなくては。
「どうしました?」
ソラリスが怪訝な顔をしてそのつぶらな瞳で私を覗き込んでくる。
「きょ、今日は……無しよ」
「はい? 無しですか? お嬢様、プリシラに意地悪するのあんなに楽しみにしていたのに?」
楽しみ……!? 昔の私、つくづく度し難いわ。仲良くなりたいなら素直に仲良くなれば良かったのに、どうしてそんな手段を取るかなぁ!?
「そ、その……今日は何か何も思いつかなくて……」
「いえですから、それなら定番の奴にしましょうかと……」
「そ、それも無しよ!! なんかこう、マンネリだからね!!」
「はぁ……そうですか? まぁ別にいいですけど」
私の説明に納得してないような感じのソラリスだけど、ここは押し通すしかない。それに今思うと、ソラリスって意地悪するの全然楽しんでる感じじゃなくて、むしろ私に付き合っていただけって思うのよね。数十年たったからこそ分かったんだけど。
「とにかく!! 今日は何もしない!! いいわね!?」
「はぁい、わかりました」
ソラリスはそれでも素直に頷いてくれた。この子だって本心では意地悪なんてしたくなかったんだろう。それを考えるとソラリスにも悪いことをしてしまった。
「ではお仕度の続きをしてもよろしいですか?」
「え、あ、うん」
それから私は鼻歌混じりのソラリスにされるがまま、懐かしさを感じながら彼女の手で学園の制服に着替えさせてもらった。
「――うん、今日も可愛いですよ、お嬢様」
「あなたも可愛いわよ」
「ふにゃ……!?」
私の前髪をちょんちょんと整えながら言うソラリスに、私も自然とそう返すと、なにやら不意打ちを食らったかのようにソラリスが目を見開いた。
「な、な、何を急におっしゃいますですか!?」
「いや、可愛いなって思ったから可愛いって言ったんだけど」
ソラリスは実年齢よりだいぶ年下に見える、いわゆる童顔でとても可愛いお顔をしている。濃い灰色をたたえるつぶらな瞳はパチクリと瞬きをし、淡い栗色の髪の毛は左右に分けて結ばれていた。体もその顔に合わせたように小柄だけど、それとは対照的なのがそのお胸だ。
その立派なものはお淑やかなデザインをしているメイド服の胸部分を大きく盛り上げて自己主張をしていて、ペタンコな私とは大違いだった。少し分けてくれないもんかなぁ。
そして今ソラリスはその可愛いお顔を真っ赤にしてプルプル震えていた。
「んんんんもぅ!!! そんな可愛いなんて言うときはちゃんと前振りをしてからにしてください!! こっちにも心の準備が必要なんですよっ!! 飛び出し注意です!!」
私は馬車か。
「わ、私も着替えてきますからっ!! これにて失礼いたしまふっ!!」
噛んだ。こういうところが可愛い子なのよね。そしてソラリスはメイド服の裾をあわただしく翻しながら、逃げるように部屋から出ていった。
彼女は私のお付きでもあり、クラスメイトでもあるわけだからそのために彼女も制服に着替えに部屋に戻ったんだろう。
「しっかし……」
鏡に映る自分の姿を見て、スカートをちょいと摘まみ上げる。けっこう短い。つい昨夜まで貞淑な老婆だったのだから、こいつはなかなかきついものがあるなぁ。
「ううう……恥ずかしい……でもみんなこんな短さなんだし、1人だけ長いのも変よね……」
80を過ぎて恋愛経験の1つも無かった私には、なかなか刺激的すぎる格好だ。
「うん……でもやっぱり可愛いなぁ、若いころの私」
自画自賛そのものだけど、可愛いものは可愛いのだから仕方がない。
「よしっ……。頑張れ私!! 絶対プリシラと仲直りするんだ……!! 私が悪いんだから、まずはひたすらに謝って……」
どれくらい時間がたったのか、たぶん10分もたっていないだろうけどその間鏡に向かってイメージトレーニングをしていると、横からわき腹をつつかれて我に返った。
「お嬢様? そろそろお食事に行きませんと」
「え? あ、そ、そうね……今の聞いてた?」
「は? いや、なんかブツブツ言ってるなぁ、としか」
「そ、そう、ならいいけど」
そして私達は寮の食堂で夢見心地のまま朝食を取り、恐る恐る、一歩一歩を踏みしめるように階段をのぼり、高鳴る胸を押さえながら廊下を抜けて教室へとたどり着くと、そこには――
「――――――いたっ……」
――彼女がいた。彼女がいた……!!
私が数十年、ひたすらに会いたいと思って会えなかった彼女が、自分の席に頬杖をついて座っていた!!
いまだに夢なんじゃないかという思いと、夢ならば覚めないで欲しいと言う思いで私は教室の入り口で固まる。そんな私にこれが現実だと教えてくれたのが、再びわき腹をつつくソラリスの指の感触だった。
「お嬢様? どうしたんですか?」
「――ううん、何でもないの……何でも…………ありがとうっ」
「??? 変なお嬢様ですねぇ」
怪訝な顔を浮かべるソラリスと横目に、私は万感の想いを込めて、目の前に広がる奇跡に感謝した。