第17話 この日を忘れないように
「はふぅ……」
特大のフルーツタルトもそのお腹に収めてしまったプリシラが、紅茶を飲みながらほっと一息をついた。
いやほんと、このほっそい体のどこにあれだけ入るんだって量のご飯とデザートが瞬く間に消えていくのは、ほとんど手品を見ているみたいだった。
でも、好きな子が幸せそうな顔でご飯を食べてる姿っていいよねぇ……こっちまで幸せな気分になる。たとえその相手が私のことを未だに嫌っていたとしても。
「ご馳走様っ、美味しかったわ」
「それは良かった」
育ちがいいプリシラは、こんな私相手にでもしっかりとご馳走様を言ってくれる。
「まさかあなたからご馳走になるなんて、つい先日まで全く考えてもいなかったわ」
「それはそうだろうね……」
ご馳走することはおろか、一緒にご飯を食べることさえ頭の片隅にも無かっただろう。とにかくそれくらい2人の仲は険悪だったのだから。
今だって彼女が私を嫌っていることに変わりはない。あくまでも私がモノで釣って彼女をどうにか誘えたに過ぎないんだし。
「さて……まだ開演時間まで結構あるわよね」
「あ、それなんだけど、私演劇とかあんまり詳しくなくて……ネタバレにならない範囲で今回の劇について教えて欲しいなって」
もちろんこのお願いもソラリスのアドバイスによるものだ。なぜならこう言えば――
「しょうがないわねぇ~。教えてあげるわっ」
と、こうなるはずだと予測されていたからだ。
現にプリシラは私相手だと言うのに妙にニコニコ顔で、話したくて仕方ないって感じだ。マニアの心理って言うのはこういうものなんだろうなぁ。
「えっとね、今回の『オペラ座に咲く百合の花、2輪』って言うのは、簡単に言うと2人の女性の淡い恋のお話よ」
「女性同士の……?」
その言葉にドキリとする。でもプリシラはそんな私の動揺なんてお構いなしに話を続ける。
「それで、今回のマリーベル演じる主人公は、劇団に所属する若手の女優なの」
「へ、へぇ~、それで?」
「それでその主人公のライバル役が、これまた名女優と名高いロゼッタなの! それだけでもう演劇ファンなら感涙ものよ!」
「マリーベルと、ロゼッタね」
「そうよ、そしてその2人は今言った通り劇団のライバル関係で、お互い主役の座を巡って鎬を削っているのよ」
ライバル関係……私とプリシラは……ちょっと違うか。私が一方的に意地悪してただけだし。
「それでね、2人はいがみ合いながらもそれでも結構仲良くやっていたのよ。ある事件が起こるまでは」
「事件……」
「まぁそれは劇を見てのお楽しみなんだけど、それを機に2人は仲たがいすることになるの……それこそずっとね」
ずっと、仲たがい、その言葉は私に凄く響く言葉だ。だって私は自分の過ちのせいでプリシラとずっと仲たがいして、結局前の人生では卒業したっきり一度も会えなかったんだから。
「2人共役者は続けるものの、それぞれ別の人生を歩んでいくことになるわ。そして2人は年を取って再会するのよ」
再会、出来たんだ。そこが愚かな私と違うところね。
……私はダメだったから。こうして奇跡によって人生をやり直して、ようやっとまた会えたんだから。
「そして――ってところね。ここからが劇のクライマックスなんだけど、そここそ見てのお楽しみよっ」
一気に喋ったプリシラだけどその様子はとても楽しそうで、このプリシラが見れただけでも聞いたかいはあったと思った。
「楽しみね」
「私も待ちきれないわっ! この演目自体は何度も見ているけど、あのマリーベルとロゼッタが共演するなんて……!! ああっ……それをしかもSS席で見れるとか……!! 生きててよかったわっ!!」
興奮気味なプリシラ。可愛い。可愛すぎる。
そしてそれから私達はしばらくお茶をした後、店を出て街をブラブラした。一見するとデートの様だけど、プリシラからしたら開演時間までの時間つぶしに過ぎないんだろう。
だって私なんかと街を歩いても楽しくなんかないだろうし、事実あんまり楽しそうではなかった。
それでも、私は嬉しかった。だってプリシラと形だけでもデートが出来たんだから。夢にまで見た、プリシラとのデート。私にとって、今までの人生で間違いなく一番幸せな時間だった。
そして楽しい時間はあっという間に過ぎて――開演時間が迫ってきた私達は劇場に移動した。
「これはこれは……!! ようこそいらっしゃいました……!!」
私達が劇場に入ると、待ち構えていたらしいちょび髭が似合う白髪の男性がすっ飛んできた。どうも劇場の支配人の様だ。
「わたくしめが席までご案内いたしますので……あ、恐縮ですがチケットを拝見」
「はいこれ」
私とプリシラがチケットを渡すと『確かに』とそれを受け取って、半券を返してきた。プリシラはそれを大事そうにバッグに仕舞う。多分大切に保管するんだろうなぁ。
「じゃあお願いするわね」
「では、こちらへどうぞ……」
そして当たり前のように支配人に案内されている私に――プリシラがひそひそ声で話しかけてきた……!!
「ねぇ」
プリシラの!! 息が!! 耳に当たってるぅぅ!!!!
「な、なに……?」
私は胸の高鳴りを悟られないように、なんとか平静を装って返事をしたつもりだけど自信は無い。だって心臓の音がプリシラに聞かれるんじゃないかってくらい、ドックンドックンいってたもの。
「公爵令嬢ってやっぱり凄いのね……支配人直々に席に案内するなんて聞いたことないわよ」
「まぁ、お父様がこの劇場と、劇団にも出資しているから……」
そのコネもあって短期間でこのプレミアチケットの入手ができたわけで、コネ万歳ってやつである。
「ああっ……席まで待ちきれないわっ」
あの、それ以上耳元で話しかけられると私の心臓が天国行きを待ちきれなくなっちゃうんですけど。勘弁してもらえませんかねぇ。
「まだかしらっ……」
席に案内してもらってからも、プリシラの興奮は収まらないようだった。
「SS席……!! なんて素晴らしいのっ……!!」
流石に周りに配慮して小声だったけど、それでもその興奮っぷりは隣に座っている私にも物凄く伝わってくる。幕が開くのを今か今かと子供みたいな目をしながら待っているその横顔に、私は見とれていた。
――見とれていて、私は危うく次の言葉を聞き逃すところだった。
「…………ありがとねっ」
「え?」
……えっ、何? 今のって……お礼……? プリシラが、私に……?
「何よその顔」
「いや、プリシラが私にお礼を言ってくれるなんて思ってもいなかったから……」
「ひどっ!? 私、山小屋に助けに来てもらった件でもお礼言ったでしょ!? 私だってちゃんとお礼くらい言うわよ!!」
「いや、それはそうなんだけど……」
プリシラからの、2度目のお礼の言葉……。これは日記にしっかりと書いておこう。この喜びを何回でも振り返ることができるように。この日を忘れないように。
そして、開演を告げるブザーが鳴り、照明が落され、舞台の幕は上がった――




