39 窮奇でござる
「シェロくん、差し入れ」
「――――っ!」
差し出された食事に、ものすごい勢いでシェロは飛びのいて、壁に張り付くまでした。
そこまでした理由はただひとつ。別にその食事から明らかに嫌いな食べ物の匂いが漂ってきているとか、そういうことではなくて。
「別に今くらい近付いてくれてもいいじゃない」
「そういうわけには……いかない」
その差し入れをくれたのが、自分の推しのアイドルだったから。
『光のはじまり』所属アイドル兼冒険者ギルド事務員アルバイト、ゼンタ。
当然、握手会でもない限り、シェロは全くもって目を合わせることもできない。
「聞いたわ。シェロくん、すごく強いって。ここの防衛の要なんでしょ?」
「いや……」
「今まで隠してたのね」
「そういうわけでは……」
これでもかというくらいに顔を逸らしながら受け答えをするシェロに、ゼンタは仕方ないな、という風に微笑んで、
「じゃあ、ここに置いていくわ。私がいなくなったらゆっくり食べて。あ、あとこれ。急速回復ポーション。カイトさんが『一番持っておいた方がいい人のところに』って」
「……感謝する」
「本当はみんなから私が行った方が喜ぶって言われたから来たんだけど……ごめんね。かえって気を遣わせちゃったみたいで」
「そ……そんなことはない!」
わかりやすく悲し気に目を伏せられたのに、悲しいくらいシェロは素直に反応した。
まっすぐ目を見つめて、嬉しいですというオーラを全身で表現して、一秒も持たないうちに頬が赤く染まったのをマフラーで覆い隠して、またそっぽを向いた。
くすくす、とゼンタが笑う声が。
破壊音で、かき消された。
「な、」
「――ゼンタちゃんは中に戻って……!」
音の聞こえたのは、建物の外から。
報告を頼む、とゼンタに言い残して、シェロは夜に駆け出す。
予感が、あった。
「――――あ? んだよ、お前か」
クド=クルガゼリオ。
因縁の相手が、いる予感が。
呻きを上げる警備の冒険者たちを庇うような位置取りで、シェロは旋棍を構えながら、訊いた。
「……どういうことだ。お前の両手は……」
「生えたんだよ。見てわかんねーか?」
双刀を手の内で回しながら、クドはおどけて言う。あの夜。ザンマによって切断されたはずの腕。それがいま、どういうわけか目の前にあった。
「まさか、『ダンジョンコア』を……」
「そのとーり。ま、素の俺に負けるようなお前じゃ、もう万に一つも勝ち目はないってわけだ。……んで? ザンマ=ジンはどこだ?」
「素直に……、」
獣の跳躍。
間合いの外から、食いちぎるような両剣の一閃。
それを、シェロは受け止めている。
「教えると、思うか……?」
「はぁン。多少練り直したってわけか。……雑魚の相手もつまんねーんだけどな。ちぃっとばっかし、」
シェロの視界からクドの姿が消える。
「――遊んでやるか」
下。ほとんど這いまわるような低姿勢。足首を狙う剣の軌道。瞬きすら許さない超速に対応、シェロの左足が僅かに浮かび刃を地に踏みつける。次の瞬間にはクドの脚が左側頭に迫っている。地に手を突いたほとんど逆立ちの蹴り技。膝を抜いてかいくぐって双掌を腹に向けて、
「発ッ――」
踏み込もうとして、
なお止まらない。
クドが肘を抜いた。脚が宙空で信じられないような急制動を起こす。ガクリ、と膝が折れて肩に足をかける。クドの両手が地面を跳ねて双掌は空を切る。
足と腕の四肢で頭を抱え込まれた体勢。
マズい。
「がッ――」
「一丁上がり――」
踏み込みの勢いのままに前方に身体を倒されたところに、
「はあッ!」
「あらよっと」
援軍。
大槍と大槌の一撃が。
もちろんそんなものを食らうような男ではない。瞬時にクドはシェロへの追撃を諦め、肩を蹴り飛ばすと宙で一回転して間合いを取った。
「――くッ」
「んだよ、お前ら。順番待ちもできね……いや、待てよ」
そっちのヤツとクドは右刀で指し示した。
シェロの救援に駆けつけたのは二人いた。
一人は王国騎士団長ノージェス。
もう一人は。
「お前――見覚えのある顔だ」
「おっと、オジサンにか? まあそりゃあどこにでもいるような顔をしてるからねえ」
冗談みたいに重厚な手甲。背丈よりもなお高い、熊の頭を叩けばそのまま地面の染みにしてしまいそうな巨大な大槌。
Aランクパーティ『翠嵐』リーダー兼筆頭特任騎士、フェダーロイ。
クドは、その顔を知っている。
シェロも。
「――――『変身者』の村を焼いたのは、お前か?」
軽薄な笑みを浮かべていたフェダーロイは、その言葉にふっと表情を消して、
「だったらどうする?」
「殺す」
瞬撃。
〈変身〉。
黒獣と化したクドが突っ込む。フェダーロイの大槌は間に合わない。隣に立つロージェスは反応ができない。シェロは反応できたが、食い止めるには距離がありすぎる。
鋭利な爪の一撃を、その腹に突き刺されて。
フェダーロイは。
「つっかまーえたっ」
その瞬間、クドの腕を左手で掴んで。
「一撃必殺、ってね。――〈隕鉄〉」
右の拳を、ただ振り抜いた。
『極重戦士』。フェダーロイの持つ戦士系最上級ジョブ。その力により何万倍にも重量が膨れ上がり、信じられないような破壊力と化した拳が、クドの身体に突き刺さる。
ように、思えた。
「――あ?」
「あの日、見てたぜ」
クドは、静かに言う。
「もう一人のクルガゼリオが首を落とされた瞬間をよ――。重量操作、んなこったろーと思ったぜ。おかげで俺の考えた対策が大的中だ」
つまりよ、と笑って。
「当たる前に殺せばいい。……簡単だなあ、オイ?」
フェダーロイの腕は、肩から。
振り抜くよりも先に、クドのもう片方の爪によって、切断されていた。
「がっ、あぁあああああああああッッ!!」
「あー、スッキリした」
苦痛に叫ぶフェダーロイを、クドは何気なく蹴り飛ばして、
「こんなところで遭うとは思わなかったぜ。クラヴィスの野郎、何が素の俺らと同格だよ。コアなしでも復讐くらいできるっつーの」
「誰か……! この男を運べ……!」
シェロがフェダーロイを庇うように前に出る。ノージェスも同様に大槍を構えながら防御の姿勢。ぼそり、とシェロに語り掛ける。
「勝てるのか」
つう、とシェロのこめかみに、汗が一筋流れる。
「カイト=イストワールを呼ぶか? 彼なら、」
「やめろ……。カイトくんを失ったら……戦闘に勝てても集団の維持ができない」
私たちで何とかするしかない、とシェロは言う。
フェダーロイの実力は騎士団長ノージェス、そして『勇者』ヒナトと同格。
自分の実力が、彼らより劣っていること。
シェロはそのことを、何より自分でわかっていた。
「どーだ? 裏切り野郎」
クドが言う。
「目の前でちょっとした仇を討ってもらってよ、少しはスッとしたか?」
「お前は……なぜこんなことをしている」
「おいおい、」
かか、とクドは笑って、
「今さらか? なあ、今さら訊くのかよ、そんなこと」
「復讐というなら……さっきの男を殺すだけでもよかったはず。どうしてあの男は見逃して……」
「馬鹿かお前? 見逃したわけねーだろ。後から皆殺しだよ」
ひいっ、と遠巻きに見ていた冒険者たちが悲鳴を上げる。『翠嵐』のリーダーであるフェダーロイの知名度は、このライトタウンでも非常に高い。それがなすすべもなくやられたとなっては、もうこの場にいるだけでも勇気の証明とすら言っていいような状況なのだ。
それを脅し付けるように、へらへらとクドは言う。
「目的なんて決まってんだろ……蹂躙だ! 強い奴が勝つ。弱い奴は死ぬ。あの日村を燃やされて俺はよーくわかったぜ。強い奴には弱い奴を踏みにじる権利がある! 何もかも蹂躙して叩き潰して灰も残さずこの世から消し去る権利が!!」
「ふざけるな……そんな権利、誰にもありはしない!」
「なら立ち向かってみろよ。――お前が俺より強いってんだったら、俺を殺せる。俺を止められる」
なあ、とクドは舌を見せて、
「裏切り者のシェロ=テトラ……。いざとなりゃ仲間も殺せる冷血漢! 俺を止めたきゃ俺を殺して――――俺の言葉を証明してみせろ!!」
「青年っ! 合わせるぞ!!」
「待て、これは――ッ!!」
クドの心臓から、途方もない量の魔力が溢れ出す。
燃えるような、纏わりつくような、邪悪な魔力が、無尽蔵に吐き出されている。
その心臓を掴み取るように、クドは強く胸に己が指を押し付けて――
叫んだ。
「――――〈魔人転化〉!!」
誰も、反応できなかった。
『窮奇』。有翼の虎に似た姿をしたその特A級悪魔の姿を、すでにシェロは知っていた。クドの姿はまさにそのもので、〈変身〉時よりもさらに禍々しい、翼ある獣として顕現した。
その姿に、何かを考えるよりも先に。
風が一陣。
シェロと、ノージェスの間を吹き抜けていった。
「――本気を出す前に、もう少し遊んでやりゃよかったな」
声は、二人の背後から聞こえて。
「こんなに簡単に終わっちまうなら――楽しむ暇が、全然ねえや」
くだらねえ、とその獣が一歩を前に踏み出せば。
血煙が霧のように広がって、彼らは崩れ落ちる。
全身、数百箇所の裂傷。
この僅かな時間に、ライトタウン最大の防衛拠点は、単体戦力の上から三人を失った。




