03 ほうら(みんなの顔が)明るくなったでござる
「いやー……。まさか二曲目、しっとりめで来るとは思わなかったな。号泣しちまった……」
タオルで顔を拭く青年の言葉も耳に入らない。
ザンマ=ジンは茫然としている。何を見せられたのか、と立ち尽くしている。
「……どうやら、あんたも楽しんでくれたみたいだな。うれしいぜ」
赤髪の青年は嬉しそうに言う。ああ、とかろうじて答えるのが、ザンマには精一杯だった。
「あんた、これから時間あるか?」
「あるが……、済まぬ。どうも、何もできる気がせん」
「なあに、そんなあんただからこそ聞いたのさ。時間があるならきっと行きたくなるはずだぜ」
何処へ、と顔を向けたザンマに、青年は笑顔で答える。
「握手会さ」
「握手会?」
「そう。この後会場の周りで、各グループごとに分かれて握手会があるんだ」
「握手会、というからには握手をするのでござるな?」
「もちろん。あんただってあれだけ感動してたんだ。ひとりくらい、手を握りたいアイドルができたんじゃないか?」
言われて思い浮かんだのは、シアと呼ばれたあの青いアイドルのことだった。
「うむ。拙者……貴殿の『推し』というシア殿。あの少女が気になった……否、『推し』でござる」
青年はそれを聞くと、ぽっかり口を開いて、たっぷり三秒は溜めてから、
「ま……マジか!? だよな、だよな!!! いちばんよか、いやどの子も頑張ってるんだけど、いちばんよかったよな! くー!! やっぱり大型フェスに参加できたら全然違うな! 俺、今まで同担に会ったことなかったんだぜ、信じられるか!? あんないいアイドルなのによ!!」
ものすごい勢いでザンマに詰め寄ってきた。
半身を引きそうになるザンマに構わず、青年はものすごい早口のまま続けて、
「オレ、アーガンっていうんだ! あんたの名前は?」
「ザンマ……、ザンマ=ジンでござる」
「オーケー、同担大歓迎!! 行こうぜ、握手会に! オレが案内してやるよ!!」
アーガンに手を取られ、ザンマは歩き出す。
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「おいおい。見てくれよ、ザンマ。激混みだぜ」
迷路のような会場内部をすいすいと抜けたアーガンは、すでに出来上がっていた人だかりを見ながら、にやにやして言った。
すごい混雑だった。右を見てもオタク。左を見てもオタク。オタクが押し合いへし合い、肉をたゆませ、骨を軋らせている。オタクの熱気で雲ができそうな有様に、瘴気立ち込めるダンジョンを攻略したことのあるザンマも、さすがに息苦しさを感じた。
「信じらんねえ……こんな日が来るなんてさ」
そんなザンマに向かって、アーガンは一方的に喋りたおす。
「シアのいるグループって、言ったらなんだけど貧乏なんだよ。すっごいちまちました活動しかできなくてさ。衣装とか自分たちで縫って作ってるし、グッズ出す金もないからオレのこのTシャツだって自作なんだぜ?」
ほら、とアーガンは『シア♡ グッズ出して♡』Tシャツを見せ付けた。
ほう、とザンマは頷く。自分で服まで作って応援するとは、なんと見上げた男だろうと感心している。
「それが、こんな……。メンバーがバイトして貯めた金で大型フェスに出るってなったときは一体どうなっちまうんだと思ったけど……。やっぱ、いいものってちゃんと評価されるもんなんだなあ。みんな、ちゃんと見てくれてるんだなあ……」
感極まってアーガンはまた泣き出した。
ほう、とザンマは頷く。人の成功をここまで喜べるとは、なんと見上げた男だろうと感心している。
オウッ、オウッ、とアシカのような泣き声を上げるアーガンの背中を撫でながら、しかしザンマはふと気付く。
まるで混雑が動かない。
こんなものか、と初めの頃は悠長に構えていたが、五分経っても十分経っても自分たちの位置が微動だにしないとなれば、さすがに怪しい気がしてくる。そのうち泣き止んだアーガンも顔を上げて、「なんか、全然動かねえな。前どうなってんだ」と言うので、これが普通のことではないと確信が持てる。
そのとき、こんな怒号が聞こえてきた。
「だーかーらぁ! 握手券とは別で入場料が必要だって言ってんだろ!!」
アーガンとザンマは顔を見合わせて、ザンマが訊く。
「要るのでござるか。というか握手券とやらを拙者、持っていないのでござるが」
「握手券はオレが積んでる分があるし、ここで会ったのも何かの縁だろ。ちょっと分けるよ。……ていうかたぶん、悲しい話だけど前売りだけで時間分を捌けるほど売れてるグループじゃないから、入口の手前で当日券の販売あると思うし」
「入場料とやらは……」
「いやあ、今までなかったんだけどな。今日のフェス限定の制度なのかな。オレも知らなか、」
「もっかい言ってやるよ!! 耳揃えて十金貨! 貧乏人は帰んな!!」
アーガンとザンマは顔を見合わせて、ザンマが訊く。
「適正価格でござるか?」
「オレがそんな金持ってるように見えるか?」
ザンマは自分の生まれの東国の価値に直して計算する。鉄貨一枚が一円。銅貨一枚が十円。銀貨一枚が千円。金貨一枚が十万円。ちなみに一応、途轍もなく希少な金属が使われていてもう貨幣なんだか宝石なんだかよくわからなくなってると噂の白金貨一枚が一千万円。
つまり、十金貨で百万円。
「いったいどういうこった? ここにいるやつら、みんなそれで溜まってたってことか?」
アーガンが首を傾げる横で、ザンマは「ふむ」と言って上衣の懐に手を差し込む。ちゃりちゃり、と貨幣の擦れる音を聞きながら、
「アーガン殿、ここにいるのは、大体千人くらいと見るが、どうか」
「え? ああ、そうだな。そんくらいだな」
うむ、とザンマは頷く。それから、自分たちと同じように困惑していた前方のオタクたちに向かって呼び掛ける。
「ちょっと、通してほしいでござる」
アーガンが慌てて、
「おいおい、横入りはマナー違反だぜ、ザンマ」
「わかってござる。用が済めば、ちゃんと最後尾に並び直すでござるよ。すまぬ、諸先輩方、少しだけ道を開けてほしいでござる」
元Aランク冒険者の前衛だけあって、ザンマの立ち姿には威圧感がある。特に髪を一本結びにすることで露わになっている首筋から肩にかけてのラインには目を見張るものがあり、前方にいたオタクたちは「筋肉だ……」「wow beautiful muscle……」と慄いて横に退いてくれた。アーガンはしばらく迷っていたが、結局ザンマの後を追うようにして、前へと進んでいった。
「そ、そんなあ! ボクら、ちゃんと事前に握手券を買って……」
「何回言わせんだ、しつけえオタクだなあ! お前らの好きなアイドルは、金持ってねえお前らには興味ねえってよ!」
「ローちゃんはそんなこと言わない!」
「言った!」
「言ってない!」
そこには半泣きになった眼鏡のオタクが、禿頭の黒服男と言い争いをする姿があった。
「よっちゃん!」
アーガンが声をかけると、よっちゃんと呼ばれたそのオタクが助けを求めるように駆け寄ってくる。
「アーくん! 聞いてください、握手会に行こうとしたら、このなんかあからさまにその筋みたいな人が邪魔してきて……!」
「誰があからさまにその筋だゴラァ、この無職が!!」
「無職は関係ないでしょうが!! 無職は!!!!」
黒服の男が叫べば、よっちゃんも叫び返す。よっちゃんはアーガンに隠れるように後ろに回りながら、
「十金貨も出せって言ってくるんです。入場料でですよ!? 今までそんなのなかったのに……。しかもこの人、ボクたちがそんなお金払えないって言ったらひどいことを言って攻撃してくるんです! 無職だとか、風呂入れだとか……。さっきまでシェロっちとか他のオタクの人たちもいたんですけど、精神的ショックでトイレに駆け込んじゃって、もう生き残ってるのはボクだけに……」
「なんてやつだ! オレも風呂くらいは入った方がいいと思うけど……。しかも握手会の前くらいはなおさら……」
「は、入ってますよ、今日は! ローちゃんがお風呂入ってる人の方が清潔感あって好きって言うから……」
ザンマはふと、そういえば昔山に籠っていたころは精々が水浴びでろくに風呂に入らなかった時期もあるが、あの頃は全身から洗ってない犬の臭いが立ち込めていたでござるなあ、と思い出を思い出している。
アーガンとよっちゃんは肩を寄せ合い、ザンマはその横に突っ立ち、黒服の男は握手会場に続くのだろう扉を守るようにして、ザンマたちに向き合って仁王立ちしている。
「……もしかして、『ルナ☆サバ』の差し金か?」
「む?」
アーガンが言ったのにザンマが反応すると、よっちゃんが大声で、
「ええーーー!!!!???? あ、あの人気トップグループの『ルナ☆サバ』ですか???? アイドル個人の能力が高いのはもちろん、常にド汚い方法でライバルを蹴落とすことでその人気を不動のものにしているって黒い噂の絶えないあの『ルナ☆サバ』が!!!??!??? も、もしかして今日の圧倒的なライブパフォーマンスを見て潰さなきゃって思って、こんないかにも裏社会で生きてる強面を刺客として送り込んできたっていうんですか!!!???? この、人気急上昇間違いなしの圧倒的実力を誇るボクたちの推しアイドルを恐れて!!!! ローちゃん、シアちゃん、ゼンタちゃんの三人で構成されるボクたちの推しアイドルグループ『光のはじまり』を恐」
「うるせえええええええええええええーーーーーーーーーー!!!!!! 黙れーーーーーー!!!!!! オタクが早口になるんじゃえねえーーーーーー!!!!!!!」
黒服の男のものすごい大声で、よっちゃんの大声がかき消される。
とんでもない声を出した代償に男ははあはあ息を切らしながら、それでも不敵に笑って言う。
「『ルナ☆サバ』とかいうこの世でいちばん可愛いアイドルグループは関係ねえぜ。俺様はBランク冒険者グループ『漆黒☆セキュリティーガーヅ』の一員。ここの警備を任されてんのさ」
ザンマは王都の生活が長かったので、ここライトタウンに存在している冒険者グループのことなど知る由もなかったが、よっちゃんが「うわ、漆黒の警備員って……本物じゃん……」と男の出したギルド身分証を至近距離でガン見しながら呟くのを見て、なるほど本物らしい、と納得した。
それはともかくとして、
「貴殿、先ほど拙者の隣で『モリア♡ 生きててくれてありがとう♡』というてぃーしゃつを着ていた御仁ではござらんか?」
「あ、ほんとだ。ザンマの隣にいたあのオッサンじゃねえか」
「ええーーーーーー!!!?!?!?!??! モリアって、あの『ルナ☆サバ』のセンターを張ってるあのーーーー!??!?!?!?!?」
「うるせえええええええええええええーーーーーーーーーー!!!!!! 黙れーーーーーー!!!!!!」
ものすごい雄たけびを上げながら男は身分証をしまいこむ。ちなみに本名はドン=ベルスらしい。身分証に書いてあった。
さすがにこれだけ騒いでいれば、周囲にも状況は伝わってくる。
「『ルナ☆サバ』の嫌がらせだってよ」
「あいつ『ルナ☆サバ』の刺客ってマジ?」
「ていうか漆黒ってやっぱ『ルナ☆サバ』のバックについてたんだ」
「まあ☆被ってるしな」
「普通☆は被らねえよ」
「ああ、☆は被らねえ」
しかしドン=ベルスはどれだけ確固たる覚悟を持ってここに立っているのか、開き直って、
「なんにせよ、会場警備員として言うのさ。この握手会場に入場するためには一人十金貨だ。絶対にまかんねえぜ。げへへ、げーっへっへっへっへ!」
「ほれ」
「あん?」
ゲス笑いをする彼に向かって、ザンマがすたすたと歩いて、懐から取り出した巾着袋を手渡した。
ドン=ベルスは訝し気にしたが、その巾着袋の中で硬貨がちゃりちゃり、と擦れる音がするので、さっと顔色が変わる。
「て、てめえ……まさかマジで十金貨出す気か!?」
「入場料はそれで足りるのでござろう?」
「ま、マジか、ザンマ!!」
「ざ、ザッくん。かっこよすぎる……」
ドンは苦々し気な顔で、アーガンは驚きの顔で、よっちゃんは早くも馴れ馴れしいあだ名をつけて、ザンマを見る。
「へっ。だが、本当に十金貨もあるか怪しいもんだぜ」
ドン=ベルスが言った。
「この手触り……、金貨だけで十金貨ってわけじゃねえだろう。枚数が多すぎるからな。銀貨混じりだろ? 言っとくがたった一鉄貨でも足りなかったら、てめえの入場は認められないぜ!!」
じろ、とザンマを睨む。しかし睨まれた当人はどこ吹く風で、
「開けてみればよかろう」
とだけ言う。
ちっ、と舌を打って、ドン=ベルスはその巾着袋の口を開けて、
「――は、はあぁ!? てめえ、何考えてやがんだ!?」
大声で叫んだ。
何事だ、とアーガンとよっちゃんだけでなく、周囲のオタクたち全員がドン=ベルスの手元に注目した。
「何って――」
そして、そこにあったのは、
「ただ、この国に来てから貯め込んだ全財産を投げうっただけでござるが」
白金貨、ちょうど百枚分。
この場のオタク全員が入場できるだけの、東国の価値に換算して十億円の金が、そこにあった。