32 ダンジョンくらい行く、冒険者だものでござる
広い部屋。
ブラインドに遮られて僅かな、けれど強烈な光が差し込んでくる中に、ひとりの青年が座っている。
カイト=イストワール。『ホワイトランタン』のリーダー。『イストワール商会』の跡取り。
彼は椅子に座って、真っ白な天井を見つめながら、水槽の魚を眺めるような瞳で、ぼんやりと。
溜息に似た、こんな言葉を吐き出す。
「悪魔、かあ……」
ひらり、とそよ風を受けて、机の上の書類が捲れる。
たとえばそこには、こんなことが書いてある。
『
重要参考人氏名:アーガン
供述内容:「ブラックパレード」による拉致被害。及びDr.スィープモーターによる身体改造被害。
状況:当人の供述内容を元に周辺一帯の臨界済未発見ダンジョンの捜索中。「ブラックパレード」への聞き込み及び先日捕獲されたクド=クルガゼリオへの尋問を行ったが、結果は振るわず。該当のダンジョン跡地が見つかり次第、クド=クルガゼリオの生体解剖等を含め、さらなる対処を検討する。
』
「早く言えよな。馬鹿野郎……」
きぃ、と椅子が軋みの音を立てた。
@
「ザンマ的にはさ、久しぶりな感じ?」
「む?」
振り返らずにアーガンが訊いてきたのに、ザンマは少し視線を巡らして、
「まあ……そうでござるな。王都を拠点にしていた頃は、これほど長い期間だんじょんに潜らなかったことはなかったでござるから」
「俺もここ来んの、二年振りくらいだわ」
二度と来たくなかったんだけどさ、と付け加えて。
ライトタウン周辺、臨界済未発見ダンジョン。
彼らは今、そこに足を踏み入れていた。
臨界済み、というのは即ち『ダンジョンコア』の蓄える魔力が限界点を超えて破裂。魔重力が消え、すでに『ダンジョンデーモン』の姿がなくなった状態を指す。実際のところ、辺り一面の暗闇の中で、一匹たりとも悪魔の姿は見えない。すでにこのダンジョンからコアが失われているのは明らかだった。
ただし、とアーガンは言う。
ここのダンジョンがコアを失ったのは、そういう普通のやり方じゃない、と。
「スィープモーターのやつの実験だったんだろうな。オレも、自分の身体にされたことくらいしかわかんないけどさ。『ダンジョンデーモン』のボスを倒して、その体内にあるコアを取り出してオレに埋めたんだよ。ひでえ話だと思わねえ? オレ、別にそんなに悪いことして生きてきたわけじゃないんだけどな……。親はいなかったけど、孤児院でそれなりに勉強したり、仕事したりしてさ。……本当は将来、花屋とかパン屋とか、そういう仕事に就きたかったんだ……」
鍾乳洞のような形状を未だに保つ地下ダンジョンは、明かりがなくては進めない。アーガンがザンマより前に立っているのは、魔法で明かりを灯すため。それと、「オレに背中なんか向けちゃダメだろ」とアーガンが言ったから。
ザンマの手の中にある明かりの灯ったランタンも、アーガンが持てというから持っている。突然暗闇にされたらお前も結構困るだろ、と言って。
「でもさ、コアを埋められた頃のオレって、もっとぐっちゃぐちゃだったんだよ。生き物ですらない感じ。水面だって、見るの嫌だったもん。そんな状態じゃどこにも帰れないだろ? 誰に言えんだよ。化け物だけど仲良くしてください、なんて……」
「アーガン殿、」
「喋らせてくれ」
ダンジョンの道は険しい。ダンジョンコアが巨大で、魔重力が強ければ強いほどその規模は大きく、構造は複雑になると言われている。二人が進むダンジョンは、ザンマがこれまで制覇してきたものと比べても破格と言っていいほどの踏破難度を誇っていた。
それでも、彼の言葉は止まらない。
「自分のこと考えてるとさ……頭、おかしくなりそうになるんだ。喋ってないと、本当に狂っちまいそうで……」
「……そうか」
アーガンが話したのは、こんなこと。
自分は元はただの人間だった。それを『ブラックパレード』と思しき集団に攫われ、何らかの人体実験の対象にされた。
心臓に、『ダンジョンコア』を埋め込まれている。
悪魔を生み出す、強力な負の魔力。
それを取り込んだ身体は悪魔と変わらない、ということ。
「この身体もさ、別に元の形ってわけじゃないんだよ。悪魔になってる方が本当の姿で、こっちは無理やり変形させて人型にしてる。……シェロのやつの逆かもな。この顔はたまたま上手くいったのを固定してるだけで、全然昔の人間だったころとは違う」
「……好きでござるよ。拙者は、その顔」
「サンキュ。ま、元よりもちょっとカッコイイくらいかもな。……っと、分かれ道か」
「覚えてはござらんのか?」
「いや、オレそもそも道覚えんの苦手……。あー、でもこっちだった気がすんな。うん、こっち。段差あるから足元気を付けてな」
真っ暗闇を、ふたりが歩く。
暗い暗い穴の中を、深く深く、入っていく。
不意に、視界が開けた。
「……やっぱり暗いな。ザンマ、見えてるか?」
「何がでござるか」
「だよな。ちょっと待ってくれ。火を強くする……」
ぶわっ、と急に。
アーガンが使っていた、灯火の魔法が勢い付いて膨れ上がった。
ザンマも驚いたが、それより慌てたのはアーガンの方で、次にはその灯火はほんと爪の先程度の大きさになっている。
「っぶね……。悪いな。今でも上手く調節が効かないんだ」
「魔力過多でござるか」
「うん。これ、ピンセットで蟻つまむよりムズいんだよ。オレが沸かした風呂とかたまにめちゃくちゃ熱いだろ? あれ実は、調整ミスったときにザンマに先に入ってもらってるんだよ。なんかすげー普通に入ってくれるから……。――よし、これならどうだ」
さっきよりは控えめな、けれど彼らのいる広間を照らし出せるくらいの光量で、灯火が強くなる。
そして、ザンマは見た。
「――――龍?」
いかなる動物にも似ていないこと。
それが、龍と呼ばれる種の条件。
金属のような光沢を放っている。胴から伸びる手足は哺乳類のようにも、昆虫のようにも見える。羽は鳥にも蝙蝠にも似ている。鯨よりなお大きく、獣よりなお鋭い。黒銀を基調とした身体には、紅い血脈が走る。
その、龍の死体が、ここにあった。
「特A級悪魔……。まさか、未発見で……」
「……やっぱり、ザンマが見てもそう思うか」
Bランクに昇格するときに、ザンマも説明を聞いた。
ダンジョンの中にも格というものがある。小さなダンジョン。大きなダンジョン。王都の冒険者たちは、特に現地の冒険者たちでは手に負えないような強度のダンジョンを攻略するための遠征チームになる場合が多いが、特に国によって『絶対に攻略に参加しなければならないダンジョン』が定められることもある。そのときはBランク以上の冒険者たちは、王命という形で発出されるその緊急任務に従事する義務を課される。
特A級悪魔。それを擁するダンジョンの攻略は、あらゆる事情を押しのけてでも果たされなければならないとされている。
もしもダンジョンがそのまま臨界を迎えてしまえば、国家存亡の危機に至るから。
Bランク冒険者ですら、そのダンジョンを進むのが精一杯と言われている。
そして『ダンジョンコア』を内蔵するボス級悪魔――特A級悪魔は、Aランクパーティですら手に余る、あまりにも強大な存在として知られている。
龍。
悪魔の中でも希少な種であるそれは、まず間違いなく特A級として認定される存在だった。
「しかし、」
ザンマは問う。
「未発見のまま、どのようにしてこの悪魔を……。これほどの龍、ケチな悪党ごときが斃せる存在ではあるまい」
「そのへんはオレも知らないな……。この間の通り魔でも無理なのか?」
「不可能でござろうな。クド=クルガゼリオをヒナトと同格として、ふたりで組んだとしてもまだ無理でござる」
これでも、とザンマは言う。
「ヒナトらの力は頭抜けでござるよ。幾人も冒険者を見てきたが、ヒナトに及ぶ者は精々フェダーロイ……『翠嵐』というAらんくのぱーてぃの長くらいのもの」
「となると、人海戦術ってわけか? 人数でゴリ押したとか」
「……否。そういうわけでもなかろう」
見るといい、と周囲を手で指し示した。
「戦闘痕が少なすぎる。少人数で討伐を行った、と見るのが妥当。……相当の手練れでござるな。龍を少人数で討伐など、それこそ『夜明けの誓い』……ヒナトと拙者らのぱーてぃくらいしかないものと思っていたでござるが……」
「……ちなみにさ、」
アーガンが、ふっと、
「ザンマだったら?」
「む?」
「ザンマだったら、この龍ひとりで斃せるか?」
問われて、ザンマは押し黙ると、龍の全身に目を向けた。
数秒。じっと考え込んで、
「――――勝てる」
そっか、とアーガンは安心したように呟いた。
「……やっぱり、お前と来て正解だったよ」
「それは……」
「わかんだろ? オレだって同じコアを飲みこんでんだ。元の姿に戻りゃ、そのくらいの強さにはなる」
あのさ、とアーガンは。
「わけわかんなくなってるころ……オレ、この場所に迷い込んできたやつを何人も殺した。言い訳だけど、身体の自由が利かなくてさ。コアの意志とか言えばいいのかな。そういうやつがさ、人間は皆殺しにしろって叫ぶんだよ。それ抑えて、耐えられるようになって、で、何もかも手遅れ。……ほんとはさ、今でも聞こえる。『殺せ』って声が。……なあ、ザンマ」
夏の終わりの花のように、悲しげに笑って。
「これが終わったらさ――オレのこと、殺してくれないか」




