30 夏空、願い。でござる
「政府要人の誘拐……及び脅迫。重ねて各地での破壊活動……。……殺人。私のいた『魔天』の村は……それだけの罪を……重ねていた」
ほとんど辺りが真っ白に見えるほど、強く日が照りつけていた。しゃんしゃんしゃんしゃん、とセミの鳴き声が、修練場を包み込むように響きまわっている。シェロの肌に浮かんだ汗が乾く様子はまるでなく、ザンマの首からも汗が一筋、つうと胸元に滑り落ちていった。
「『特任騎士』案件と呼ばれている……テロの鎮圧活動。村が燃えた日は……『特任騎士』たちが作戦行動に移った日で……私が姓を譲り受けた人は、その内通者だった……」
「……その方は、今は?」
ゆるく、シェロが首を振る。
「自害した……と聞いている」
そうか、と。
ザンマは、短く頷いた。
「ままならんものでござるな」
「……ザンマくんは……」
シェロは、少しだけ躊躇う素振りを見せてから、結局口にする。
「死にたいと……思ったことはあるか……?」
夏風が、遠くの匂いと、景色を連れてくる。
この街ではいま、誰かが笑っている。葉の擦れる音。水の流れる音。敷石を踏んで、どこかに歩いていく音。
立ち止まるふたりは、こんな場所で。
「ある」
ザンマが答えると、シェロも、自分で答えた。
「私もあれから……死ぬことばかりを……考えてきた……」
もしあのとき、とシェロは言う。
「もっと早くに私が気付くことができたら……。あんな風に人の尊厳を……踏み躙ったりせずに済んだのかもしれない。あるいは、私があの人質たちを……解放しなければ。檻の鍵を……開かなければ。仲間たちは死なずに……済んだのかもしれない」
今度は、ザンマは頷かなかった。
代わりに、自分のことを話した。
「……情けないのでござるよな。幸福だった時間が嘘ではないからこそ、それを壊した自分と、享受していた自分とが、どちらも」
「……すごいな。何でも……お見通しみたいだ」
否、とザンマは、自嘲するように笑う。
「拙者、そこまで観察眼に優れているわけではござらん。己の考えを述べているだけのこと。……もしこれが何かを言い当てているのなら、それはただ、拙者とシェロ殿が似ているだけのことにござろう」
「……似ている……?」
うむ、とザンマは頷いて、
「不思議なものでござる。己の身が起こしたことについては、あれほど己を責めたのに……友の身に降りかかったこととなると、己を責めずにいてほしいと思う」
「君が……国を出たのは……」
「お見通し、でござるな。左様。もはやこの身の置き場をなくしたからにござる。……養母は国主で、義兄はその跡取り。拙者はその二人を――斬って捨てた」
シェロが、ザンマを見た。
暗闇の中で思いがけず、誰かと手が触れたように。
「理由が……あるんだろう」
「ある。拙者にも。そして、シェロ殿にも」
シェロの瞳が、大きく広がる。
ふ、とザンマの口元が、綻んだ。
「こんなこと、以前の拙者ならば決して言えぬことでござった。いかなる理由があろうと、人殺しは人殺し。罪人は罪人。返り血は洗い流せても、決してその傷跡は消えはせぬ。どこを歩いても、どこで暮らしても、拙者、常にこう思ってござった。――――己は、生きていていい人間か、と」
「…………ずっと、か」
「ずっと、でござる」
私は、と。
乾いた唇で、シェロが言う。
「やり直したい……」
ぎゅっ、と両手を、固く組んで。俯いて。
「初めから、やり直したい……! 今度は、間違えない……! すべて上手くやってみせる……! 誰も傷つけない、誰も悲しませない、誰も……不幸に、しない……! 一度だけでいい……。もう一度……チャンスが、欲しい……!」
でも、と呟く言葉は。
もう、嗚咽とほとんど区別がつかなくて。
「わかってるんだ……。そんなことは……できないって……」
「……うむ」
「過ちは……消せない。失ったものは……もう戻らない。ザンマくん……私は、ずっと悩んでいる……」
本当に、と。
溢す言葉は、涙とともに、拳に落ちて。
「私たちは……生きていていい人間なのか……?」
夏空の、青すぎる青。
海を鏡にするみたいに、隣り合うふたりはよく似ていた。
「……もしもそれが、」
ザンマが、口を開く。
「『己』だけであれば……拙者は首を、縦にも横にも触れずにいたでござる。けれどそれが、『私たち』のことであるというのなら――拙者は、頷こう」
ザンマは、目を閉じたりはしなかった。
その瞳で、この夏の街を捉えたまま、そう言ってのけた。
「本当のところ何ひとつわからなかったとしても、ただの誤魔化しだったとしても、拙者は頷こう。……友が居なくなるのは、寂しい」
「……私たちは、身勝手だな」
「ああ」
「こんなことをしていても……まだ生きてしまう」
「……うむ」
「……昔。二年少しくらい……前の話」
強張ったシェロの手が、解けた。顔が上がる。涙の跡。隠しもしないで、シェロは背もたれに身体を預けて、空を見上げるようにして、言う。
「街角で、歌って、踊っている人たちを……見た」
「…………」
「誰も気に留めたり……していなかった。赤い髪の男がひとり……やたらに熱心に見ていただけで……。ほとんど街の背景みたいに……なっていた」
ザンマも、同じように空を見た。
その日の景色を、思い浮かべるように。
「ひとりの女の子が……それに目を留めた。ともに歩いていた両親に何度も呼ばれているのに……ずっと立ち止まって、それを見ていた。歌っていた二人の中から、一人の女の子がそれに気付いて……こう言った。――『一緒にやってみる?』」
どうしてだろうな、とシェロは呟く。
「私も……それを見ていた。歌も踊りも、てんで素人で……。見る価値なんかまるでなくて……。なのにどうしてか……すごく楽しそうで」
そうして、シェロは。
大切な、大切な思いを。
ずっとなくしていた鍵を使って、取り出したように。
あっさりと。
切実な声で。
口にした。
「私は……世界中の人に……幸せになってほしい」
ああ、とザンマは頷いた。
うん、とシェロも頷き返した。
それからしばらく、ふたりはその場所にずっと座って、ただ何もせず、過ごしていた。
いま、何より重要なことは、そのことだったから。
それでもやがて、ザンマが腰を上げる。そろそろ時間だ、と言って。
「シェロ殿も、来るでござるか?」
「……何に?」
「もうスケジュールもチェックしておらんのでござるな」
ほら、と言ってザンマが懐から、二枚の紙を取り出す。
ライブチケット。
「寂しがっているでござるよ。ゼンタ殿が」
「……嘘」
「さあ。嘘と思うなら、本人に訊いてみるといいでござる」
シェロは、少しの間そのチケットをじっと眺める。
「……嘘だったら?」
「晩飯を奢ろう」
「……ゴージャスステーキ定食」
「いいでござるが……」
期待しても無駄でござるよ、とザンマが笑う。
わかってる、とシェロも笑う。
チケットを、シェロが手に取って、立ち上がる。
夏の昼。
入道雲。
どこまでも、空は高く見えた。




