15 温故or知新、それとヒメヒメパニック3でござる
「ん?」
夜。
日付が変わるころ。
キッチンに水を飲みに来ていたよっちゃんは、かたん、と郵便受けに何かが落ちる音を聞いた。
「……こんな時間に?」
首を傾げながらそれを取ろうとすると、背後でばたん、と大きく戸の開いた音がする。
「すまない……それは私の」
シェロだった。
よっちゃんが郵便受けに伸ばそうとしていた手を遮って、そこに入っていたものを手に取る。
「…………」
そして、何事かを考えこんでいた。
よっちゃんは、それ以上は何も言わなかった。
この家に住むオタクたちには、それぞれの過去と、踏み込まないでもらいたい距離感がある。そのことを、よくわかっていたから。
「ボク、先にお風呂入っちゃっていいですか」
「…………」
「勝手に入りますよー」
「あ……すまない。先でいい……。いつもお風呂の用意をしてくれて……ありがとう」
「いえいえ」
魔法があれば、魔法具を使わなくても風呂くらいは沸かせる。
特に最近はアーガンとよっちゃんが当番制で風呂を担当するようになって、かなり生活の文化度が上がってきていた。
そのままキッチンを後にしようとして、けれど、
「……よっちゃん」
シェロが、呼び止めた。
「なんです?」
「もしも……。古い友人と……新しい友人。天秤にかけなくちゃいけない場面が来たら……よっちゃんならどうする?」
よっちゃんはドアノブを握ったまま、ぴたり、と止まった。
小さく呟く。珍しいですね、そんなこと訊くなんて。
それから静かに、こう言った。
「わかりません。ボク、古い友人なんて一人もいませんから。でも、そうですね。もしそんな場面が来たとしたら……」
シェロの顔は見ないまま。
「助けたいと思う方を助けます。……答えになってないかもしれませんけど」
それじゃ、とよっちゃんは今度こそキッチンを立ち去る。
残されたのは、シェロひとり。
手には紙切れ。
ぐしゃり、とシェロはそれを握りつぶして、
「そうだな……。その、とおりだ……」
紙には『三番通り、午前一時』と書いてある。
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「……いい度胸してるじゃねえか、デイルヴェスタ公爵家」
「取りつく島もありませんでしたねえ」
王都。
ある昼。
大きな大きな屋敷の門前で、ヒナトとノージェスは立ち尽くしていた。
「こういうの、不敬罪とかでしょっぴけねえの? 騎士団長」
「ははは、無理です。デイルヴェスタ家は王家から枝分かれした公爵家系ですからね。いちいちそんなのまで取り締まってたら、この国の全員を牢に閉じ込めなくちゃいけなくなる」
「血の繋がりがあろうがなんだろうが、やっぱり人と人の間には敬意ってもんが必要だと思うんだよな、あたしは」
「なんと。姫様も随分と成長なされた。では手始めに、ここ数年王の胃壁に多大なダメージを与えているじゃじゃ馬娘からしょっぴこうと思うんですが――」
「よしわかった。今のなし」
都合のいいことを言うだけ言って話を切り上げたヒナトを、ノージェスはジト目で見る。
そもそも不敬罪なんて言い出したら、王族が冒険者なんてできるわけないでしょうに。
「にしたって、ちょっと変じゃねえか? 公爵家だったらなおさら、もうちょっとちゃんとした対応をするだろ」
門前払いだった。
ザンマがいつの間にか解雇されていたことを知って突撃した冒険者ギルドで、ザンマどころか他のメンバーすら消えていたことを知ったヒナトは、真相解明のためにまた別のところに突撃することに決めた。
そして最初の標的が、このデイルヴェスタ家。
パーティ後衛、魔法士系最上級職『大魔道』のクラヴィス=デイルヴェスタの実家。
この王国における、公爵家。
王家を除けば、最も偉い貴族の家。
クラヴィスはそこの三男。この国の貴族家は、各世代から必ず一人は市井で武芸修練をするという伝統がある。ヒナトと同じく、クラヴィスもその役目を背負って冒険者をやっていた。
だから、冒険者をやめて戻ってくる場所があるとしたらここだろうと思っていたのに。
「王族を門にも通さず追い返すって、んなことするか? フツー」
「普通の王族だったら、事前連絡もなしに公爵家に乗りこんだりしないと思いますけどね」
「事前連絡したらクラヴィスが逃げるかもしれないだろ。抜き打ち検査はガサ入れの基本だぜ」
抜き打ちのガサ入れを十八番とするところの騎士団長ノージェスは、何も言い返せなかった。
そしてこんなことを思っている。
だいたい、自分はどうしてこんなところまでついてきているんだ。
だって、騎士団長なのだ。
騎士団の伝統はこうだ。実務は優秀な副団長がやる。団長の仕事は、基本的には回ってくる書類にハンコを押すだけで、ついでに副団長がどうにもできないような事態に陥ったときにどかどか現場に出張って、悪いやつをぶん殴って、時には責任を取って辞めるだけ。
第一分隊長なんていう実働司令塔の激務ポジションから離れられたときは、儲けたものだと思ったのに。
いつの間にやら、こんな爆弾みたいな王族の世話をさせられているし。
そのおかげで、不得手な社交界にまで頻繁に引っ張り出されるようになってしまったし。
はあ、と大きく溜息を吐いて、ノージェスはヒナトを見る。
「……なんだよ? あ、また頭いてえのか? デスクワークなんかやってるからだって」
肩揉んでやろうか、とヒナトが腕まくりするのに、さらに溜息。
もうちょっと可愛げがなければ、もっと簡単に見捨てられただろうに。
「……早く『夜明けの誓い』が再結成できるといいですね、姫様」
「ん? おう! ありがとな!」
「私の胃壁のためにも……」
あ?と首を傾げるヒナトに、ノージェスは、いえなんでも、とだけ返して、
「それで、次はどうします? ザンマ=ジンくんの居場所はまだ掴めてないでしょう。教会本堂にでも行ってみますか?」
「あんま意味なさそうだけどなー。身内で無理なら外はもっと無理だろ」
「でしょうね」
「なんかキナ臭いんだよな。門ブチ破ってここ家捜ししてみるか。身内だし許されるだろ」
「やめてください」
急速に胃壁を削られたノージェスがヒナトの前に念のため立ち塞がる。ヒナトはそれをじっと見つめるばかりで、「冗談だよ」なんて言葉を一言も口にしないものだから、どんどん緊張感が募っていく。
「あ、あのう」
そのとき、物陰から声がした。
「ん?」
「私、デイルヴェスタ家の侍女をしております、ニアと申します。ヒナト王女様でいらっしゃいますか?」
「そうだけど……」
お下げ髪の少女だった。
年はちょうどヒナトと同じ、十代の後半くらいで、メイド服を着た。
訝し気にしたのも束の間、ちょうどよかった、とヒナトの顔は輝いて、
「ちょっと訊いていいか? クラヴィスって中にいる?」
「おりません」
あまりにも容易く答えが返ってきたことに、ヒナトたちは驚く。
ついさっきまで対応していた執事長とやらは、クラヴィスのクの字も出さないまま「お約束のない方は取り次ぎいたしかねます」の一点張りだったというのに。
「どこ行ったかってわかるかな。あたし、今ちょっとあいつのこと探してるんだけど……」
「私も正確な場所まではわかりませんが……」
言いながら、メイドの少女ニアは持っていた白い手紙を、ヒナトに手渡してくる。
「ヒナト様かザンマ様がいらっしゃったときには、これを渡すようにと、仰せつかっております」
「よしっっ!!!!」
ヒナトはめちゃくちゃでかい声を出した。
ガッツポーズを取って全身で喜びの表現を始めるのを、抑えて抑えて、とノージェスが諫める。
「びっくりしてますから、彼女……」
「おう、悪い悪い!」
「い、いえ……。ヒナト様は活力に溢れた方だと、クラヴィス様からも伺っておりましたから……」
にこ、とそれでもニアは優しく笑顔を作る。
この子もちょっと王宮に欲しいな、とノージェスは思っている。王と次期王のお付きはともかく、他は万年人手不足なのだ。
「どーれ。何が書いてあるかな~」
うきうきでヒナトは手紙を開くと、しかしすぐに落胆した様子になった。
「何が書いてあったんです?」
ノージェスが訊くと、ヒナトはその手紙を、ふたりにも見えるように広げる。
そこには、そっけない一文が記されているだけだった。
「まあ手がかりと言えば手がかりなんだけど……。なんか進展したっていう感じがしねえな」
ヒナトはニアを見て、ニアはびくり、として、
「なんか他に言伝とかない? あたしに。別にザンマ宛とかでもいいけど」
「いえ、特には……」
一度は首を振ったニアだが、しかし子どものようにがっかりするヒナトを可哀想に思ったのか、そういえば、と思い出すようにして、
「クラヴィス様がいらっしゃらなくなってから、少しお屋敷の様子が妙で……」
「騒がしくなったとか? ひょっとしてあいつ、マジで失踪してんのか……?」
「いえ、」
逆です、とニアは首を横に振った。
「むしろ、以前より落ち着いたというか……。優しくなった、と言いますか……」
ふうん?とヒナトはそれを聞いて腕組みをして考えたが、
「なんもわからん。そういうの、それこそクラヴィスとかイリアが考える役だしなあ」
「あの、一国の姫なのですから、もう少し……」
「あたしが兄上とかより賢かったら、それはそれでお前ら困るだろ」
困りますけど、とノージェスは微妙な気持ちになって。
よし、とヒナトは開き直って、
「とりあえず行ってみるか! 行って、それから考えよう!」
言うやいなや、ありがとな、とだけニアに言い残して、すぐさま走り去ろうとする。
もうちょっと落ち着いてくださいよ、とノージェスがそれを追いかけようとするところを、あの、とまたニアが一言呼び止めた。
「どうしました?」
「その……、いえ。なんでも」
「? そうですか。ではどうも、ご協力ありがとうございました!」
すでに小さくなりつつあるヒナトの背中を、ノージェスは全速力で追いかける。
残されたのは、メイドの少女一人。
小さく、胸のあたりを押さえながら。




