〈エンプリス〉
「――よし、いったん話を整理しよう」
やっと周りが物理的に落ち着き、卒倒から未だに目覚めない「遊月のママ」を代わりにベッドに寝かせ、降ろされた元患者の俺は丸いパイプ椅子に場所を移した。
ありったけの他人の経歴を一度に頭に入れようとした俺は、苦虫を噛み潰した渋い顔になりながら、痛くなった頭を宥めるように白い織指で額を押さえた。
なんともややこしい状況だ。
躯は自分のじゃない、まったくの他人だから、その躯の持ち主が本来築き上げてきた人間関係や情報なんて知る由もなく記憶喪失扱い。
といっても、不本意ながら躯を乗っ取っている俺の方も、自分の名前どころか自分に関する情報を一切覚えていないのだから、事実上は記憶喪失になったことは代わりないのだが。
結局俺は、「遊月の友達」の二人から、俺のではない躯の持ち主――蓮丈院遊月についていろいろ教えてもらった。
「俺の名前は蓮丈院遊月。名門アイドル養成学園【ユーバメンシュ】の中学部二年に所属する本物のアイドル候補生だと」
「はい! それも、ただの候補生じゃなくて、学園トップなんですよ! 遊月さんの腕前にかかれば右にでる物はいないんですから!」
真っ正面で、亜麻色髪のポニテ娘が、鼻息荒く蓮丈院遊月の経歴をさも嬉しそうに語りまくっていた。
「遊月、遊月って名前ばっかり呼ばれてたからピンとこなかったけど、蓮丈院遊月ってフルネームになると、なんかどっかで聞き覚えがあるんだよなぁ」
「それは、ご自分のお名前ですから当然でしょう」
「いや、そうなんだけど……」
改めて全身像を見ると、俺自身も彼女たちの着せている制服と同じものを来ていることに気づいた。
目に付く青い生地に所々金色の糸やら編み込みされた糸束がモップみたいに飾り込まれている。
もはや制服を越えた豪華な礼服だ。
流石に全部の青春の記憶がなくても、俺の周りにいた女子生徒はもっさりしたブレザーだったことは覚えている。
「制服を見る限り、随分と格式が高くて厳粛なお嬢様学校らしいな。ええっと――」
「セイラです。百恵セイラ。こっちは、同じチームメイトのマーサさん。森井マーサさんです」
言葉が詰まった俺の意志をうまく汲み取ったのか、亜麻色のポニテ娘――セイラが、真後ろで背中合わせのままそっぽを向いているもう一人の金髪娘の名前まで一緒に名乗った。
セイラはともかく、マーサの方はかなり西洋によった名前だな。
とはいえ、いくら記憶が抜けているからといって礼を掻くわけにもいかない。
「とりあえず、二人のことはどう呼べばいい? 名字? ファーストネーム?」
「お、幼馴染なんだから気さくに名前でよべばいいだろ!」
ちょうどセイラの陰に隠れるように俺と顔を背けていたマーサが、苛立ったように怒鳴った。
というよりも、アレは半分泣いている声だ。
たぶん、顔を合わせられないのは、俺というか遊月に泣き顔を見せたくないのだろう。
「まぁ、ただのチームメイトじゃないってことはわかった。入れ替わりもせず、ずいぶんと長く組んでいるらしいな」
「わ、わたしは今年から一緒のチームになったんですけどね」
気恥ずかしそうに、セイラがわざわざ注釈を入れてくれた。
照れくさそうに頬を掻くセイラの顔は、やはり絵に描いた少女のように可愛らしいのだが、その顔をずっと見続けているうちに、妙に頭の奥に何かが引っかかっていた。
俺は再び頭を抱える。
「さっきは動転して思い返せなかったが、冷静に二人の顔を見ていると、やっぱりどっかで見た気がするんだよなよな」
「そりゃあ、既視感ありますよ! 遊月さんが学園トップになるまでずっと一緒のチームだったんですから!」
「いや、そうなんだけど……」
もう二度目となるやりとりの最中、がばっと真隣のベッドからビックリ箱のように掛け布団が跳ね上がった。
ようやく遊月のママが気絶から目覚めたようだ。
遊月の母親は起き上がるなり必死に首を振ったかと思うと、遊月である俺を見つけるなりものすごい勢いで詰め寄ってきた。
「ゆ、遊月! 私があなたのママよ! ちゃんと覚えてる!?」
「あ、どうも」
残念ながら、母親の方は既視感がない。
もはや冷静を通り越してどん引きしている俺の返事を見るなり、遊月の母親はがっくりと肩を落とした。
今度は流石に気を失わなかったのか、改めてベッドを椅子代わりに腰掛けて、向かい合う俺たちの間に入ってきた。
「二人ともごめんね。私が気を失ってる間にいろいろ迷惑をかけて。遊月は、少しでも自分のことを思い出せた?」
詫びながら優しく問いかける遊月の母に、セイラやマーサも目を伏せながら黙ってしまった。
「そう……」
何度も見せる落胆の表情。
何度も落とす華奢な肩。
そんな顔をされては、訳もわからない間にいきなり躯を乗っ取ってしまった俺が別の意味で非常に申し訳ない気持ちになる。
どうフォローを入れればいいかもわからず、微妙な顔をしたまま蓮丈院遊月の身内達から目を背けていると、遊月の母親がそっと俺の頭に手を回して優しく自分の胸に抱き寄せた。
「ごめんね、遊月。これはママに降り注いだ天罰なのよね。ただ、自分の好きなことをやりたかったのに、私が強引に一番を目指させようと無理ばっかり強いて……」
そんなことしてたの? 茶化すつもりはないが、俺は母親の腕の中で顔を顰めた。
「あなたが辛い目にあっても、あなたが苦しんでいても、それは甘えだとか逃げだと言い聞かせて、あなたの心を悉く閉じこめてばかり。あなたはそれでも、頑張って一番って結果をママやパパに見せてくれた。でも、あなたの背中に痛々しくつけられた傷は消えてなかった。それが勲章なんだって思ってた……。
でもそれは、愛ではなく傲慢だった。勝つこと以外に価値はない。失敗は罪、出来ないことはなお大罪。そんな価値観を植え付けてしまった。まったく業が深い話よね。結局、あなたへ注いだ愛は勘違いだったの。だから、神様が怒って、私たちがあなたに一生懸命与えて、育んでいた本物の愛の記憶まで、すべてリセットされちゃったのよね」
なるほど、懺悔か。
その立派な後悔を、俺じゃなくて遊月本人に伝えるべきだな。
一方で見たときから感受性の高いと思っていたセイラも思わず涙しているが、こっちはまるで重たい荷物を代理で受け取らされた気分だ。
邪魔な責任感というか処理に困る伝言を貰って、うんざりした俺は思わずため息をついた。
「勝ち続けること以外に価値はない」
長々と聞いていた母親の懺悔の中から、俺はその一言だけが頭に引っかかった。
思わず口にした途端、母親は何かをおそれて俺から離れた。
「遊月、どうしたの? 大丈夫?」
「いえ、どうも今の言葉がどうにも引っかかって。そういえば、蓮丈院遊月って人物には、そんな言葉が纏わりついていたような……」
どうも気のせいの気がしない。
母親には申し訳ないが、その呪いの一声が、遊月にとって関連が高い覚えがある。
有名漫才コンビと結びつける鉄板ネタのように、連想させるキーワドとして絡みついていた。
ぜんぜん頭痛は走らないが、俺はド忘れした何かを思い出すように顔を曇らせて腕を組んだ。
冷静になって周りを見れば見るほど、既視感だらけだ。
でも、それが何なのかは答えがでない。
傍にいる人物達が情報を教えてくれる度に、絡みつく違和感の足が増えてゆく。
「な、何か思い出せそうか?」
「出そうだな。もう喉のど真ん中まで来ているんだけどなぁ……」
あともう一押しあれば思い出せるかも。
俺は喉に手を当てて、ここまで出掛かっていることをジェスチャーする。
そんな時、セイラが何かを決意したかのように急に椅子から立ち上がった。
そして俺の肩に両手を置いたかと思えば、あんなにウルウルと潤っていたはずの目を血走らせて、俺の唇に向かって顔を急接近させる。
「今から吸い出します!」
「おい待てコラァ!」
物理的に解決しようと意気込んだセイラの暴走に、マーサが羽交い締めにして阻止する。
「おい、セイラ。気持ちはありがたいが、今の俺がお前と唇を会わせたら、例え合意の上でも俺の方に罪が科されて――待てよ」
ふと俺は自分の名前と肉体と、それに関連する情報を即座に照らし合わせた。
「マーサはともかく、セイラも俺と同い年なんだよな?」
「そうだよ。あたいとあんたは同じ小学校の出身。セイラは養成所から知り合った同級生だ」
つまり、これで導き出された答えは一つだ。
「じゃあ、思いっきり吸い出してくれ」
自分も未成年の女の子なら、同い年の女の子に何をやっても思春期特有のアレだっていえばどの界隈も合法であると認められる。
瞬時に理解した俺は、すぐにセイラの顎を持ち上げて荒療治を続行させようとした。
「ま、待ちなさい、遊月!」
そんな俺を今度は母親が羽交い締めにする。
「お友達との絆は大事だけど、そんな過度なスキンシップはダメよ! あなたは覚えてないかもしれないけど、ちゃんとした婚約者がいるのよ!」
「婚約者?」
何時の時代の慣習だ。
現代社会の実生活ではまず口にすることがない強烈な単語が普通に吐き出され、俺は反応に困った。
「それって男? 女?」
「どうして大前提がそこからなんだよ」
薄々は感づいていたが、呆れるマーサの言葉から察するに、どうも遊月と異なる性別が相手のようだ。
「その婚約者って、B級映画で主役張れるくらい顔も筋肉もアクションも素敵なナイスガイみたいなの? それだったら割とマジで抱かれていいんだけど」
「ブロードウェイで主役に選ばれそうな優男だよ」
それを聞いて俺は露骨に嫌な顔をした。
「そうだわ! 彼の顔を見れば何か思い出すんじゃないかしら?」
余計な閃きを得た遊月の母親が、娘から躯を話して自分のバッグを漁り始めた。
「お母さん。もう異性同士で結婚しあうなんて古くさい風習はやめましょうや。今や世間は自由に愛を育む権利が尊重されている時代ですぜ」
「遊月……お前、記憶以外の何かも喪失してないか?」
マーサの言葉はごもっともだが、魂はしっかり男の俺には、まず男性と正式におつきあいをしたいという趣味はない。
そうか、このまま俺の躯が戻らなかったら、一生そいつと添い遂げないといけないのか。
どうにも決定づけられてしまった未来に、俺はもう憂鬱になった。
「お母様、ご自身のスマホを見るよりも遊月さんのスマホを直接見せた方が早いですよ!」
記憶を取り戻すヒントと聞くなり、セイラが俺の対して膨らんでない胸に飛びかかっては、制服の内ポケットに手を突っ込み、勝手に中身を漁り始める。
「お、おい、セイラ。いくら何でも……」
「そうだぞ。俺はこう見えて敏感肌なんだ。もっと優しくまさぐれ」
そんな要望を聞き分けることなく、セイラは「ありました!」ずいぶんと慣れた手つきで、素材に気合いの入ったカバーで守られた遊月のスマホを取り出す。
そのとき内ポケットからセイラの手が抜けられた拍子に、何枚もの小さな堅い紙が、バラバラと俺の制服からこぼれ落ちた。
「なんだこれ?」
セイラとマーサ、そして母親までもがすっかり他人のスマホに夢中になっている間に、俺は白いベッドの上で表裏バラバラにばらまかれた紙――カードのようなそれを一枚手に取った。
いや、カードのようではない、本当にカードだ。
模様しかない単調な絵柄の面は裏側だろう。
反対の表側には、カードの半分を占めるほどやけに派手な装飾を施された衣装のイラストが描かれている。
残りの半分には、ありがたいことにちゃんとした日本語で表記された説明書きっぽい文章と、数字が記されている。
〈エヴォルスワンワンピ〉
それがこのカードの名前のようだ。
「これってゲーム用のカードか?」
この他にもいろいろ落ちているカードを一枚ずつ持ち上げながら言葉をかけると、それまで自分の手のひらよりも小さい画面に三人分の顔を寄せていたセイラ達が俺に向き直った。
「それにしても、こいつもずいぶんと見覚えがあるんだけど……なんだ?」
「〈エンプリス〉です」
「〈エンプリス〉?」
やっぱり気のせいじゃない。
この単語には、自分の名前すら覚えていない俺の不具合な頭の中でも確かに聞き覚えがある。
「まさか、服の他にも音楽とか罠のカードとかあるんじゃないだろうな?」
当てずっぽうながら微かに覚えている情報を確かめるように口にすると、三人は目を丸くして互いに向き合った。
「遊月、もしかして〈エンプリス〉のことは覚えているのか?」
「名前だけな。テレビでやってたのは確かに記憶にある。だが、詳しいルールは知らん。蓮丈院遊月――俺はこのカードゲームが趣味なのか?」
遊月の身内にとって、確実に覚えている一縷の希望だったようだが、肝心なところまで記憶にないと返されて目を伏せてしまった。
「遊月さんと……いいえ、私たちアイドルにとって、それはただの趣味なんかじゃないんです」
「どういうことだ?」
「〈エンプリス〉は、今やゲームの枠を越えたアイドル達の名声を左右する、決闘の武器として世間に認知されているツール」
「カードによるライブ対決の勝敗が、オーディションの合否、新曲の獲得、ステージの確保、イベント開催の主催、テレビへの出演、CDデビューといった、アイドルになりたい人ならあこがれる出来事の数々を勝ち取れる。
それまで志望者を厳選していた事務所の関係者などが汗水垂らして得ていたお仕事を、アイドル自身が自らの手で獲得できるようになりました。もはや〈エンプリス〉の強弱が、アイドル個人の名声そのものなのです」
セイラとマーサが神妙な面もちで語る中、ふと二人の愛用していたカードの束が入っているだろう腰に備え付けられた箱型のホルダーが、目立つように俺の目に留まった。
はじめは冗談かと思った。
まさか、この耳でカードゲームの勝敗が全てを決めているなんて設定を聞かされるとは。
俺自身、そういうアニメは笑いと涙を含んで見ていた奴だった。
しかし、あれはどっちかというと男児向け。
しかもカードゲームを通して単純な説得や説教ならともかく、実際に人が死んだり、洗脳を説いたり、はたまた世界の命運をかけたりするなどスケールが飛び抜けているものばかり。
もちろん、こっちの世界感にも、つっこみどころが無いわけではない。
だが、こっちの方が幾分リアルなように聞こえる。
ただ、女の子の憧れたるアイドルが、自ら仕事を取り合うなんて、メルヘンな手法とは裏腹に、ずいぶんとシビアだ。
「ふぅん……」と他人事のようにひらりと手の中のカードを見る。
本当に下手をすれば中古書店の隅で一枚30円にもなりかねない玩具の紙が、アイドル活動の根幹になるのかと思うと、疑いの嘲笑が沸いた。
「遊月さん、本当に覚えてないんですか?」
「遊月は、そのカード達を使って、【ユーバメンシュ】のトップに上り詰めたんだぜ!」
悲壮がこもった面もちで訴えかけるセイラとマーサの切実に呼びかける。
その真剣な一声は、他人である俺には一切響かないが、代わりにとびきりの驚愕を与えた。
「蓮丈院遊月は……そこまでやり手だったのか?」
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。
「面白かった!」
「続きが気になる!」
「いいから早く決闘しろよ」
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