蛇の道
俺達が再び気がついたのは、牢獄の中だった。ここまで引きずられたのだろうか、皆傷だらけのまま縛られていた。緩めようとして身動きをするのだが、その度ごとに縄の素材が緩みを許さなかった。
「龍の髭か?。」
俺は身じろぎさえも止め、まわりをみわたした。カラス仙もソニックも翼を後ろに廻されて効果的に縛り上げられている。レスターはここに居ない。
「レスターは何処か?。」
「彼は逃げられたのか?。」
しかし、俺以外の鳥達は皆がんじがらめであった。
その時、俺の髭が小さな振動を拾った。この辺りもうろこの残骸が散らばっているせいで、高く小さな音を伝えてくれる。
「レスターが近くに居る!。」
俺は髭を高い周波数で振動させ、詠歌とともに彼らへの思いを伝えた。
カサカサカサ。
やがて、レスターが顔を出した。
「グーの綱は、生きて動いている。これを噛み切ると、龍たちに気づかれるよ。」
レスターは鳥たちの縄を嚙みちぎり、俺を締め付けている龍の髭に取り掛かった。
「ソニック、お前が先に皆を解放し、逃げる態勢を作ってくれないか……。」
「あんたはどうするんだ?。」
「俺に考えがある。この剣でお前たちを逃がす。」
俺は、自分以外の仲間達を一気に逃がすつもりだった。切断の音。解け踊る龍の髭。途端に響く龍の咆哮。
「これは怒龍!。」
猶予はなかった。俺は仲間達を別の場所へ空間ごと飛ばすと、その直後に怒龍の頭が突っ込まれてきた。
「この魍魎ふぜいが!。」
俺はおびえる猫のように隅で丸くなった。できれば怒龍の口を避けて逃げたかった。三方から頭を突っ込む怒龍。追い込まれた先の牢獄の奥。迫る龍の口、触れる龍の髭、それによって怒龍は見えない位置にいる俺に迫る。壁が背中に。もう髭は届かないが、後がなかった……。
ストン。俺が落ち込んだのは、底穴。先ほどまで見慣れていた連中とは明らかに異なる銀色の蛇が、目の前にいた。怒龍には俺が突然消えたように感じられただろう。
「こちらへ。」
目の前の銀に輝く蛇。懐かしさと安心感。そう感じた。これはリサの記憶と感情だ。リサが何故か目の前の蛇を知っている?。俺は彼の後をついていくことにした。その蛇道は迷路だった。
「この道は掃除奴隷の僕にしか知られていない道です。他の蛇たちも知らない…。ましてや、龍たちが知るわけがないです。」
掃除奴隷の銀蛇はメデューサ。この洞窟の蛇達の中では新参者らしい。彼は先導しながら自己紹介をする。引っ込み思案で働くことが嫌になり、人類が繁栄を始める前の時代に天界をさまよい出できた不出来な御使いだったらしい。
「僕は龍のはずだった。本当なら、正しい試練を乗り越えて龍になっているはずなのに、ずっと幼生のままなんだ。」
彼はそう言いながら、俺を案内していった。話を聞きながら進む。彼は正しい戦いの時にのみ、成体になるらしい。
銀の蛇が先導する蛇の道は、細く暗く長かった。銀蛇の後を俺は猫特有の髭で道の広さを確かめ確かめ四つん這いで進んでいく。
「まだか?。」
これは罠ではないのか。幼いレスターや鳥達は逃げおおせたのか。このまま進むと、彼らと会えなくなるのではないか。まだ出口は先なのか。
俺は逡巡しながらも、銀蛇の尻尾を追いながら進んでいった。
………………………
外に出たところは、洞穴の出口近くの川べりだった。反対岸の山の上には、仲間達が見えた。
「さあ、逃げよう。君も一緒に行こう。」
その言葉と同時に皆は走り出している。逃走経路が露見するのは時間の問題だった。隠れ場所は?。メデューサと名乗るこの銀蛇への警戒は?。俺は混乱したまま先を急いだ。
………………………
カラク。走り続けて行き着いたところは死海を見下ろす丘。俺はその丘の呼び名を思い出した。人間が滅びても、蛇達を含めて戦い続けている者達にとっては、カラクは守りを固めるに優れた地形だった。
「ここまでくれば、一先ず安心できる。」
銀蛇メデューサは振り返ってそう告げた。俺たちは周りを用心深く見渡しながら、メデューサを見つめて言った。
「さて、メデューサ。何故俺たちを助けた?。罠じゃないかどうか、確かめる必要がある。」
「そうだ。何の理由もなしにこんなことはしねえはずだ。」
メデューサは目をあげなかった。
「僕は助かるつもりはない。ただ君たちが逃げ果せれば充分。」
「そんな話は信じられん。罠じゃないのか?。」
ソニックの疑問はとうぜんのことなのだろう。だが、俺の心の中に目の前の銀蛇への想いが、伝わって来る。それはこの蛇を見知っているが故の当惑。
「まあ待てよ。騙すつもりだったら、もうやられているよ。まずは彼の言い分を聞こう。」
こういえば、目に見えないリサも満足してくれるだろうか。
「あんたがそう言うなら……。」
皆、メデューサの生い立ちとその後を聞くことにした。
………………………
「僕は天を抜け出した身。この世に生を受けてからのち、引っ込み思案で働くことが嫌だった。若い人類が繁栄を始める前の時代に、天界を抜けてさまよい出でてしまった……。
僕は龍のはずだった。本当なら、正しい試練を乗り越えて龍になっているはずなのに、ずっと幼生のまま。嚙み殺す餌食を探して彷徨っていた。砂漠で人間達に会うなんてことはそうそうあり得なかった。しかし、居たんだ、モーゼスとその民たち。罪に塗れた人間たち。その多くの民たちは、罪塗れで鈍くなっているのに気づかない。こいつらは、格好の獲物だ。そう思った。
僕は毒蛇に成り下がっていた。口を開くごとに近づき、人間の踵を噛む。気配のない接近、炎のような痛み。倒れる男たち、のたうちまわる女子供。阿鼻叫喚の巷。僕にはまだわかってなかった。罪に鈍くなった人間たちに僕が死の毒をもたらしていることを。それは彼等の叫びとなった。その時、一人の子供と目が合った。まるで異才の少年。敏捷さと勇気。この子は僕と民達とに救いのきっかけを与えてくれる。彼の目を見て、そんなことをぼんやり考えた。
次の瞬間、彼に捕まった。もう僕はおしまいか。いや、彼は訴えるような目を僕に向けた。そして、天を仰いでいた。
『炎の蛇?!。』
彼は僕を長老達のところへ持っていった。
『何だね。ヨシュア?。』
長老達が尋ねた。
『我が御主人様、この蛇を捕まえました。』
モーゼスと言われた長老が僕を見つめて雷に打たれたように立ち上がった。僕はその時悟った。僕の毒、それを消す力。毒をもたらすも制するも、彼とここの人間達次第だと。それが医術だと知るのは、ずっと後のこと。
彼の祈りとともに僕は青銅色に変わっていた。僕は求められるまま、モーゼスや長老達が僕を提げた。僕は彼らの間を巡り回った。僕の体から散らされる毒が彼らにふりかかり……。彼等は不思議に僕を見上げて癒しを得ていた。彼等は僕を必要としてくれた。」
………………………
「僕は時代が変わっても生き続けた。でも、龍にはなれなかった。僕の毒は少なければ薬だった。僕がどんな病気も治す。そう悟った。そう理解したつもりだった。
サルファ剤、抗生剤、抗がん剤、様々な薬……。僕は、アラビアからヨーロッパそしてアメリカへ、人間達の中を巡りながら、彼等に閃きと試料を与え続けた。
あるレッドクレセの病院の窓に、ヨシュアとよく似た目をした女の子を見出した。無菌室。その横に立つ白衣の男たち。彼等の目は沈んでいた。ヨシュアと似ている。それだけで僕は彼女を救ってやる、救ってやれる、そう思った。
『蛇さん、またいらしたの?。』
無邪気な会話をする女の子だった。
その病院の南側にはレバノン杉の森があった。早春の太陽。活気を取り戻した森。けたたましいスズメや渡り鳥達。あの時以来僕はその森に隠れて住んでいた。
すでに数千年生きてきた僕は、化け物みたいなもの。誰もみようとはしない。みたくないのかもしれない。銀の身体は、長く生き隠れ住むようになってから得たもの。みようによっては、光の悪戯で身体は見えない。昼でのも夜でもに周りの光環境で同化してしまう。僕の姿を見出すものは長い間いなかった。
『ねえ、あなた!。』
かすれた声。必死な思い。そのときになって初めてその子が僕へ声を発していることに気づいた。振り返ると、銀の体が見えていたらしかった。
その方向に目をやると、無菌室の中からこちらを凝視している目があった。いつか見たヨシュアの目。澄んだ黒い目は僕を逃さなかった。
付き添う家族も見当たらない。一人の医師だけが無菌室の外にいる。
『サヤ、誰に話しかけているの?。』
『あの銀色の蛇さん。』
『何処?。』
僕の姿は医師に見えていない。サヤだけが相変わらず凝視してくる。
『サヤさん、幻覚が見えるているんだね。もう、炎症がひどくなっているんだ。貴女の体にいる普通の細菌でさえ貴女の命を奪いつつある。せめて今は、なるべくこの無菌室で静かに過ごしたほうがいいよ。』
主治医が噛んで含めるように言っている。サヤは振り返ることもしなかった。」
………………………
「僕はサヤを助けようとした。無菌室に入り込むことは叶わなかった。ただ、病院の医師達の会話や記録から、慣れないデータベース(メドライン)も調べ回った。新規の抗生剤や新規の混合発酵の微生物を探しては、病院の人工知能に教え込んだ。
治療法はもう尽きていた。最後はただサヤの苦痛を取り除きたかった。体力を奪うコデインは試すまでもなく、神経ブロックを試みるしかなかった。
『銀蛇さん…。』
彼女の声は小さかった。直接神経に触れていたからこそ読み取れた言葉だった。
『私はもうダメね。』
『しっかり意識を……。』
僕の言葉を遮るように、サヤの言葉は続いた。
『私はこれからどうなるの?。』
『何をいっているの?。元気になるのでしょ?。』
『そうね。』
彼女も僕も彼女が再び外へ出ることがないことをよく知っていた。
『私みたいな無駄な、迷惑な人間は死ぬとどうなるの?。』
彼女の言葉はそのまま無念と絶望に満ちていた。
『君はそう感じていたのか……。僕には君が必要だ。多分、君が僕を見つけてくれたから、僕はこの世界にいる意味がある。』
僕はそれしか返事ができなかった。
『死んでも…天の財産を無駄遣いして、また追い出されるのかな?。それとも地獄へ行くのかな?。』
『違う!。どこにいたって僕が君を見つけ見守る。必ず!、必ず。』
『ダメよ。私は醜い女よ。』
彼女はそういって黙った。」