破壊工作
俺が目覚めたのは、刃のような冷たい空気を感じたからだった。荷馬車なのだが、中にまで冷たい風が入り込んでいる。
「俺はどこにいるんだろう?。」
注意深く周りを観察した。俺は荷車の中の寝台に横たえられている。下は藁のベッドで十分に柔らかい。ただ、身じろぎができない。たぶん、寝床から落ちないための処置なのだろう、足や腕までもが寝台に固定されている。
寝台に誰かが近づいてきた。桶に入ったお湯が跳ねる音が聞こえる。たぶん看護師なのだろう。
「あの・・・。」
声を出すと、俺を覆った羽根布団を外してから驚いた顔をしている。次の瞬間、彼女は俺を放りだし、そのまま飛び出してしまった。裸の体に冷たい風がそのまま吹き付ける。俺は何かの治療のために、何も身に着けていない状態だった。
「グーが目覚めたんですって。」
「どれどれ」
数人のがやがやとした声が聞こえる。縛り付けられた俺は、ある一定方向しか見ることができず、身動きができないままにさらし者のように裸のまま待つしかなかった。
「あら、そんな恰好で。」
「毛が全部むしられているのね。」
そう、直立歩行の形態のまま、全身の毛がすべて剃り上げられて、すべてがあらわだった。
「いやらしい。」
その声はサヤだろう。途端に怒りを思いだした。そしてやっと声を出すことができた。
「なぜこんな格好のままさらし者にしてくれてんだよ。見世物じゃねえぞ。」
「あら、そんなみすぼらしいものが見世物になるの?。」
この言葉はやはりサヤに違いない。
「頼むから、寒いので布団をかけなおしてくれないか。」
「あら、ごめんなさいね。厚顔無恥だから、寒くないと思ったのよ。」
この状態で彼女たちと言い争いをすると、ろくなことにならない。経験がそう語っていた。ここは我慢するしかなかった。
「艱難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を・・・。」
俺はそうつぶやきながら罵詈雑言の中を黙っていた。
こうしてしばらくたつと、俺の周りの連中は治療方針だか何かを相談している。そこへ遠くから声がしてきた。
「目覚めたのね。生きてくれててよかった。」
聞き覚えのある声、そしてにおい。リサだった。部屋に入るなり息急き切って質問をしてきた。
「なぜ、私たちを逃がしてあなたは戦ったの。なぜ逃げようとしなかったの。なぜ・・・・・・。」
俺はいびきの真似をして聞こえないふり、寝たふりを続けた。
「もう、この馬鹿猫は、肝心な時に人の言うことを聞かないし、肝心なことは言わないし。」
リサはそう悪態をついて離れていった。
荷車は、長大なキャラバンの一台だった。すでにシベリアの東の果てに行きつき、そのうち氷に閉ざされたベーリング海を目指す旅をしている途中だという。あの時、アルクッズ宮がルシファーとその眷属に占領されてから、すでに二年がたっていた。俺たちはアルクッズ宮での敗北からすぐに荒廃し始めたエゼキエルの谷を捨て、エカテリノダールさえ放棄して、シベリアを東へ向かっている。
イメルリ達バイソンたちによれば、ベーリング海峡の向こうにはノドの大陸とは別の大陸があるという。そこにはさらに大型のバイソンや灰色狼がいるという。また、リサが与えられた知識によれば、インドネシアからインド亜大陸への星降りによる津波のあとも、少数の人類がロッキー山脈に守られてフレーザー川沿いに生き残っているという。俺たちは、その人間たちに知恵を求めて旅をしているのだった。
・・・・・
北極からの冷たい風が凪いでいた。南の太陽は静かに低く冷たく輝いている。シベリアの大地はこの光景の繰り返しだ。極地ティクシでの工作を思い出す。
ソニックがリサのところへ降りてきた。
「リサ、サヤ。よくない知らせだ。メデューサがはるか前方に大軍団を見つけた。彼らは大猪の軍団と帝国軍だ。このままでは待ち伏せされる。」
「どこでかしら?」
「ベーリング海峡の海岸線でということになるわね。」
「そこで一戦交えるしかないかしら。」
「それは不利だ。彼我の戦力差は十対一。こちらが圧倒的に不利だ。」
このやりとりに俺が顔を出すと、リサとサヤは行ってしまった。彼女らを横目で見ながらソニックが声をかけてきた。
「お目ざめかい。二年間も気絶していたらしいね。」
「ああ、俺はもうだめだと思っていたよ。」
「あんたについては、エカテリノダールを出る時、リサが誰かと口論していたらしいよ。」
リサは彼にこのやりとりを見られていたから、彼と俺との対話を避けたんだな、と合点できた。
「誰と?。」
「天の使いだと思うが、天の聖なる息吹であるとすると恐れ多い・・・。」
「なんの争いだったのかね。いや、俺の何について反論したんだろうか。」
「あんたの実存のことだよ。」
「天の息吹は、あんたについては「無」だといったらしい。そうしたら、彼女はあんたについて「私のすべてだ」といったらしいよ。」
「どういう意味だろうか。」
「さあてね。」
俺は、リサを追った。
「リサ。」
振り返ったリサは顔を赤くしている。ソニックの話が聞こえていたのだろう。
「何かしら。ソニックの話していたことなんか知らないわよ。」
「何のことだい?。大猪の軍団や帝国軍のことで、少し話があるんだ。」
サヤが話に加わって来た。
「敵の待ち伏せでしょ?。メデューサに哨戒させるわ。でも、なぜ先回りができたのかしら。」
「彼等にはこの大陸のどこにでも自由にアクセスできる、地下のルシファー宮殿がある。その宮殿はどこにでも空間をゆがめてカルデラを形成するんだ。」
「それなら、どこへでも現れるのね。」
「そう、どこへでも行けるのね。」
「そう、どこへでも派遣できる。眷属たちを。そして、大猪たちを。俺たちは大きく後れを取ることになる。今まで考えもしなかった・・・・。」
俺は、反省した。やはり俺は愚か者だった。彼女たちを責めることはできない。ルシファー宮殿の構造を知っているのは俺だけだった。その俺が知恵がないばかりに、この事態を予測できなかった。これは俺の責任だ。
「一度、ルシファー宮殿に潜入したことがある。リサとサヤも潜入したことがあるだろ。そう、一緒に出てきたあのときの出口だ。」
「あのアクセス技術を破壊しなければ、いつまでもどこへ行っても襲撃されるということよ。」
「知識と、知恵が必要ね。細かい知識は残念ながらグーしかもっていない。知恵は私とリサね。三人で潜入するしかないわね。」
「サヤは、残って。私とグーの二人で行くの。もしものことがあったら、あなたがこのキャラバンを指導していくのよ。」
この後も議論を重ねたが、俺とリサとで行くことが最も妥当だった。
・・・・・
メデューサは新しいカルデラを見つけてくれた。カムチャッカの火山群の一角だった。
「カムチャッカでヤグガーネット構造の魔石をいくつか得ていこう。」
「ガーネット?。」
「メデューサの銀鱗二枚を鏡面仕上げにして、そのガーネットを挟んで共振構造を作るんだ。ポンプ光の回路には導波路となる透明な龍の髭、ちょうど、溜め込んでいた銀龍メデューサの長いひげをもらえればいいな。それを銀輪の一枚に差し込むんだ。」
「それでどうするの?。」
「朝日の光を破壊対象まで持ってくるのさ。そうすれば、ガーネットからのコヒーレント光で材質のアブレーションが始まる。それで破壊できる。」
「確か、中は真っ暗なのよね。あなたが前を行く際に、メデューサの短い髭を持つといいわ。かすかに私の体からエバネッセント光が得られるわ。あなたの目だったら、その程度の光で道が見えるでしょ?。」
「それで見えるんか。リサの体に限りなく近くに近づけないと光らないよね。経験上、そうすると俺がまた怒られるよな。」
「それじゃどうするのよ。」
「メデューサから聞いたが、リサが光を放つと聞いているぜ。」
「私は服を着ているから光っていても周りを照らさないわよ。」
「じゃあ、メデューサとここへ来たときはどうしたんだ。」
「何を言っているの。あなたの前でそんな恰好をするわけないでしょ。」
「どうしてなんだ?。たかが猫の前で?。何が問題なんだ?。」
「いいわ。私がメデューサの短い髭を持って照らしていくわよ。」
「ウーム。リサがリードするのか・・・・。とにかくそれなら、柱を破壊できる。ただし、たぶんカルデラを破壊するだけでは十分ではない。ルシファー宮殿の全体をつぶさないと。」
「そうね。少なくともルシファー宮殿全体を破壊しないといけないわね。」
俺たち二人は徒歩でそのカルデラに近づいて行った。縦穴のようなカルデラは、やはり以前と同じ構造だった。
カルデラの周りに警戒態勢が敷かれていた。武器はリサとともにいる俺に与えられるもののみ。しかし、隠密行動にはそれで十分だった。巡回するのは、大猪たちではなかった。亜人でもなかった。眷属龍たちが分散して警戒に当たっている。カルデラの大きさから言って、二時間に一回の割合で通過している。二時間でここに戻ってこなければならない。猫又の姿はやはりこの場所では的確だった。
俺はリサを背中に乗せ、階段を使わずに底までに一気に駆け下りた。どの横穴を通ればよいかはよく知っていた。そのまま駆け抜けていく。横穴の中は蒸し暑い。俺はしばらくは耐えられるが、リサは薄着にならざるを得なかった。やっとのことで、ひときわ大きな伽藍の支柱の一つに行きついた。
「例のごとく三本の支柱を破壊すればOKだな。」
「いいえ、この五本の柱は五本の極を構成しているわ。つまり五次元の歪みを作り出す仕組みね。三本を破壊して伽藍を崩しても、二本が残る。そうすると二次元の歪みはまだ作り出せるのよ。完全に破壊するには、五本の柱すべてを破壊しなければならないわ。」
「そうか、それならそれだけ急ごう。」
俺は、静かに動き回って五本の柱を破壊する工作をすべてを終えた。あとは静かに脱出するだけだった。
そう思えた時だった。
「声が聞こえ、足音が聞こえた。人間だな。この匂いは確かに人間だ。誰だ。」
虚龍の声だった。俺はリサを背中に乗せ、音もなく去ろうとしたときだった。
「待て、その怪しい者よ。においでわかるぞ。人間のほかにいるのはグーだな。」
その声とともに襲ってきた複数の眷属龍たちによって、俺とリサは後ろ手にそして向かい合わせに縛られてしまった。
・・・・・
伽藍の真ん中の牢獄に、俺たちは転がされた。向かい合わせの俺とリサは、体を密着させたまま動けなかった。
「動かないで。」
「何かしないと、緩めることができないぞ。少しずつ試したいんだ。」
「あなたが動くとそれだけ私の弱いところが締まるのよ。」
俺が身じろぎをして緩めようとすると、リサは嫌がった。緩めた分だけだけ短くなる。そのうちに彼女は悲鳴を上げるようになった。この縄は龍の髭だった。これでぐるぐる巻きにされては、通常の縄とは違って緩めることはできなかった。
緩めようとする作業を繰り返しているうちに、リサの顔は上気しはじめた。何かがリサを上気させるほど刺激になったのだろうか。
「こんな刺激の繰り返しは耐えられない。目の前にあなたがいるし…気が変になりそう。私がこのまま目をつぶったら、私たちどうなるの。」
リサは、上気し乱れた呼吸のまま意味の分からないことを言い始めた。
「何とかして逃げるんだよ。」
俺は言い聞かせるように、そう言った。
「その声は、グーか。」
「そうよ、グーだわ。」
奥のほうから、声がした。聞き覚えのある二人の声。二人が駆け寄ってきた。それは、帝国の先代皇帝ミルフィーと白狼のポーだった。投獄されるはずのない二人がルシファー宮殿に幽閉されていた。何か事情があったのだろうか。




