アルクッズ宮の攻防
アルクッズ宮の庭。オリーブ山を含む広大な丘の織り成す風景は農場そのもの。人類が広大な居住地を整備した後だけに、緩やかで緑にあふれている。その一角に、イメルリ達が群れを作っている。メデューサは時折空へ駆けあがっては哨戒を続けている。
ソニックが戻ってきた。
「もうすぐ、サヤたちが戻ってくる。しかし、おぞましいほど大きなカルデラが死海の北端だった谷底に空いている。」
メデューサは驚いて聞き直した。
「そんなところに?。以前は、ソドムの一角にあったはずではなかったか。」
「いや、それとは異なる場所だ。サヤの言うには、太古の人間たちの戦争の時、アルクッズを攻める際、西と東とからアルクッズを包囲したそうだ。」
「そいつらは、知恵のあるやつらということか。僕には知恵がない。サヤとリサがいないと・・・・。僕は、戻ってくる彼女たちを迎えに行くよ。」
「ここの守りはどうするんだ?。」
「イメルリ達の巨体の軍勢は、そう簡単に攻め立てられないと思うよ。」
メデューサは、ゆっくりと西の山のほうへ飛翔していった。
アルクッズ宮の東、死海はすっかり干上がっていた。湖底に穿たれた巨大なカルデラがすべての湖水を飲み込んでいた。その無数の横穴には、死んだはずの堕天龍とその眷属たち、大猪の軍団、そして形の定まらぬ化身たちが謀議をしていた。
「また、この一戦で眷属たちの活躍を見せてもらおうぞ。」
「以前の眷属だった人間たちは、手ぬるかった。互いの憎しみを高めようとせず、中途半端な争いに終始しおってからに、天の裏をかいて星降りを誘ったのじゃ。」
「それによって、この大陸の弱い人間どもはすべて死滅させたのじゃろう。」
「だが、島々の向こうのあの大陸には、まだ人間どもが残っている。」
「まあ、急くな。この場所さえ破壊してしまえば、復活するという人類には天を頼る心のよりどころがなくなる。そうすれば、その人類は帝国のものになるさ。」
「さて、その場所だが、軍の配置は進んでいるのか。」
「いえ、まだベヒーモスがここへ到着していません。あいつがいなければ、大猪は単なる烏合の衆です。」
「大猪たちをここへ集められたではないか。」
「それは、腹という貪欲が彼らにはあるからです。彼らは、われらが与える動植物ばかりでなく、天が言う「聖なるものたち」とかいうものまですべて食い尽くしてしまいます。」
「まあ、ベヒーモスはあまりに巨体で動くのも風邪任せのところがある。待つしかあるまい。」
彼らが待つという風は、実は天の隠れた武器であった。今までの勝利を俺たちにもたらしたのは、隠れた風という助けがあったからである。もちろん、この時は俺たちさえこのことを教えられていなかった。この貴重な時間により、俺たちは包囲前のアルクッズ宮に至ることができた。
・・・・・・・・
俺は初めてアルクッズ宮を見た。しかし、その神殿の中へそれも至聖所に入れるのは、サヤとリサの人間と神聖な銀龍であるメデューサだけだった。共和国側の亜人でここまで来ているのは俺だけだったが、亜人は誰一人として中に入ることは許されていない。俺は、ソニック相手に暇をつぶしていた。
「至聖所って、なんだ?。」
「俺に聞くなよ。ただ、至聖所と祈る場所とを遮る天幕は、作った矢先から祭壇からの息吹ですぐに裂けるということは聞いている。」
「つまり、至聖所は隠すことができていないってことか。」
「そう、ここからも見えるだろ。」
「見ることができるから、ここで待つことも我慢できるのさ。」
そんな会話をしているときに、俺は不意に依然ルシファー宮殿の地下で感じたことのある聖なる風を、背中に感じた。
「リサのたっての願い故、お前にさらに知恵を与えに来た。」
「俺はもう十分です。」
「私たちもそう考えているが、リサはお前に知恵を求めているようだ。」
「俺に知恵を…。というか、知恵とは何ですか。」
「すでに知恵を与えたというに。まだ悟っていないのか。」
天の息吹は明らかにため息になっている。一息おいてまた噛んで含めるような解説が付け加えられた。
「これからお前は、リサとサヤとを支える存在だ。本来ならすでに多くの人類が復活しているはずなのじゃが、地の底から上がってくるルシファーやその眷属たちの進撃が早すぎるゆえ、亜人にすぎぬお前を活用するしかないのだ。」
「おれがですか。この傲殻一重の下には何もない俺にですか。」
「眷属龍の一人に傲殻を教えられたのは、お前たちには不幸なことじゃった。復活した人間たちはすでに傲殻を脱いだ状態じゃ。しかし、お前たち共和国側の亜人は傲殻が一重故、ルシファーたちにとっては搾取しやすく滅ぼしやすい存在じゃ。だが、それでも十分に知恵を与えれば、傲殻の悪影響を克服できるのじゃ。」かつての人間たちもそうだったのだが・・・・。」
天の息吹は、悲しそうにそういいながら消えていった。
「待ってください。俺にはまだわからねえことがたくさん・・・・。」
気が付くと、ソニックが俺の顔を覗き込んでいる。
「我慢、てなんなのさ。」
「え?。我慢ね、忍耐、練達、希望のことさ。」
「何?。急に難しい言葉を言ったね。」
「そうだな。」
俺は自分の言葉に驚いた。たぶんこれが知恵なのだろう。
・・・・
死海の上空に、巨大な足の生えた黒雲が進んできた。その下には滅ぼしたはずの大猪の大群がこちらに突撃してくる。
「滅ぼしたはずの大猪が押し寄せてくるぞ。」
ソニックが一報を入れてきた。それを聞いたサヤが慌てている。リサがサヤをなだめながら俺の顔を覗き込んだ。
「グー、あなたがイメルリ達の指揮を執って。」
「リサたちはどうするのさ。」
「もちろん一緒に戦うわよ。」
「全軍の配置は、戦術はどうするのさ。」
「あなたは知恵をもらったはずよ。あなたの戦術を示してちょうだい。」
「待ってくれ、俺は愚か者で・・・。」
「黙って言うことを聞いて。今はそんな話をしている暇はないの。」
「わ、わかった。まず、前方の大猪の大群は、イメルリ達の紡錘陣形で突破を図る。他方、銀龍メデューサは・・・・。」
「彼は神聖龍になったわ。彼には、大きな剣となってあなたを助けられるわ。」
「それなら…。大猪の軍を穿つ際、ベヒーモスを圧倒する力になるから、紡錘陣形の上空を守ってもらう。」
「アルクッズ宮はどうするの?。」
「紡錘陣形のまま上空のベヒーモスを粉砕して大猪たちを蹴散らせれば、アルクッズ宮はもう大丈夫だと思う。」
「私たちは、アルクッズ宮にいて大丈夫ね。」
「ソニックが傍にいてくれるだろう。なにかあれば俺が戻ってくる。」
そういうと、俺はイメルリ達の下へ走った。
・・・・・
突撃してくる大猪たち。数は減ったとはいえ約三千頭だった。対するこちらのバイソンは数を一千頭維持しているとはいえ、数的には不利だった。
「イメルリ、手短にいう。紡錘陣形のまま突撃し、敵陣の中央を突破する。分断した敵側の左翼もしくは右翼をそのまま粉砕する。いいね。」
イメルリは大きくかぶりを振ると、他のバイソンたちもそれに合わせて大きくかぶりを振った。
「では、全員密集紡錘陣形。みんな前だけを見てひたすら突き進んでくれ。」
バイソンたちは新しい突撃型重武装を身に着けて、出撃を開始した。
「リサ!。すべては天のために!。」
俺はアルクッズ宮を見上げながら声を上げた。すると、言葉を発した口は、長剣と盾とを出現させた。それに合わせて、イメルリ達の吠える声がこだました。
「突撃。」
上空をベヒーモスめがけて神聖龍となったメデューサが突き進む。その陰に守られながら、紡錘陣形のバイソンたちが大猪たちの群れに激突した。重武装で重くなったバイソンは、大猪たちを吹き飛ばしつけ居る暇を与えない。ぐいぐいと食い込んでいくように突進を繰り返すと、作戦通り大猪たちの中央を突破した。上空では、すでにベヒーモスが引き裂かれつつある。これであとは大猪たちを粉砕すれば…。
ところが、突破した先に眷属龍たちの軍団が待ち構えていた。ベヒーモスによって隠されていたため、俺たちはこの存在に気づいていなかった。眷属龍たちの火炎には、バイソンは対抗できない。共和国の亜人や魑魅魍魎たちは傲殻を一重しか有していないため、簡単にやられてしまう。そう考えて俺たちは右へ急旋回をし、大猪たちを粉砕しながら退却を図った。頼みの綱は、上空のメデューサだった。
メデューサも気づいたようで、俺たちの左側面をその巨体の防護壁で守り切った。しかし、眷属龍たちはそのまま俺たちを追撃してきた。逃げるままではアルクッズ宮を守ることができない。
「イメルリ、大部分のバイソンたちをこのまま共和国へ急いで駆けかえらせてくれ。共和国一帯の防衛線を築く必要がある。お前は俺をアルクッズ宮へ連れて行ってくれ。」
俺は、イメルリとともにアルクッズ宮へ急いだ。後方では、メデューサが大量の鱗刃を振り回し、眷属龍たちを粉砕している。しかし、たぶん虚龍はその戦線を突破してやってくるに違いない。
アルクッズ宮は静まっていた。その奥からリサとサヤが出てきた。俺は息せき切りながら、報告した。
「戦いが不利になっている。ここを出なければ危ない。」
「それなら、神殿の中の石板を二つ持っていかなければ。リサ、手伝って。」
すでに、アルクッズ宮の庭園の境界近くまで、戦闘の音が迫っていた。もうあと数秒でここまで達するに違いない。
「急いで、二人はイメルリに乗って。」
「グー、あなたは。」
「僕はここにしんがりとなって後を追うよ。」
「一人で?。無茶だわ。私たちと一緒にイメルリに乗ってちょうだい。」
「それでは逃げ切れない。さあ行って。」
俺は、イメルリをたたき、イメルリは勢いよく山へと逃げていった。
「グー。なぜなのー。」
リサの悲鳴が聞こえた。
「そう、俺はしょせん一重傲殻の魑魅魍魎だ。やられてもしょせん無だから。リサ、さよなら。」
俺はアルクッズ宮を背中に、長剣を二つ持ちながら戦いへと飛び込んでいった。
戦いは激烈を極めた。長剣で少なくとも7頭の眷属龍を粉砕し、俺が最後に相手にしたのは虚龍だった。上空では、銀龍メデューサと死んだはずの堕天龍との戦いが始まっていた。
龍との戦いは、いまさらながらだが、猫又にとって厄介だった。多数の黒鱗の刃を、長剣でたたき伏せつつ、虚龍の懐に飛び込まなければ、相手を打撃できない。他方、黒鱗の刃は、過ごしずつ俺の体を弱らせていく。時間をかけるのは不利だった。虚龍の一瞬のスキを突き、彼の頭を粉砕した。しかし、次の瞬間俺の右肩を袈裟懸けに黒鱗が切り裂いた。俺はそのまま仰向けになって倒れた。
上空ではメデューサが堕天龍の首元を引き裂く姿が見えた。
「ああ、これで勝ったのか。」
メデューサが急いで俺の下に駆け寄ってきた。
「グー。」
「ああ、もういいんだ。リサたちを守ることができたから。」
「傷は浅いから、目を閉じないで。」
「もうわかっているから。俺はリサの役に立ったから。」
勝ったはずだった。
アルクッズ宮からありえない声が聞こえた。
「ここに、余が立った。世こそ、この世を救うもの、律するもの。」
俺は銀龍メデューサに助けられて状態を起こすと、アルクッズ宮の神殿の上に、ルシファーの化身が立ち上がっていた。
「『世を救うもの』だと。笑わせるな、「世を巣くう悪魔」め。」
相手を言い負かそうとするつもりはなかった。しかし、そうつぶやかないわけにもいかなかった。相手はこの神聖な場所に立ってはならない者だった。しかし、このつぶやきが聞こえたのか、ルシファーの化身は、こんな小さな俺めがけて雷撃を加えてきた。メデューサに守られていたはずなのだが、俺たちは吹きとばされ、俺はそのまま意識が遠のいていった。
・・・
吹きとばされたメデューサはそのまま共和国へと飛んで行ったという。脱力した俺を抱えたまま、鱗を赤い血で汚しながらも、俺を抱えて共和国のエカテリノダールへと戻ってくれた。しかし、俺は長い間目を覚ますことはなかった。




