帝国再び
「近づかないで。最低!。不潔!。こんなバカ猫だとは知らなかったわ。」
せっかく復活したはずなのに、リサだけは俺から数メートル離れたまま先を進んでいる。メデューサは知らんふり。ソニックはブブブと不愉快な笑いのような音を出して、飛んで行ってしまった。こんな調子で東の帝国への旅がうまくいくのだろうか。
「リサは確かに乙女なのだけれど、ここまで潔癖というか、拗らせていたというべきか。」
サヤが呆れたようにいう。俺は途方にくれたままリサの後を追う。
「何がどうなってこの仕打ちを受けているんだろう?。」
俺のこの質問にサヤは答えになっていない言葉で返してくる。
「彼女も男女の付き合い方を分かってないのだけど、貴方も何もわかっていないでしょ?。人間の男ならわかるのだと思うけれど。」
「俺は猫だった。しかも、知っている人間はリサだけ。」
「そうだわねえ。」
サヤは困ったような顔をした。
二ヶ月の行程で、俺たちは共和国の辺境に達した。カスピ海を超えた共和国の領域の外は、前身である帝国でも領域外であったため、亜人たちの町は無くなり、バイソンたちの哨戒活動もまれになっている。ここからは、イメルリ達バイソンは別動の高速機動部隊として、山のない北部を抜けていくことになる。
俺たちは、カスピ海からはアムダリヤ川沿いをさかのぼって進んだ。困難な道を四ヶ月ほどかけて、乾燥した荒れ野から屈曲する川筋を山間に至ると、そこにはもう黄土と黒褐色の岩山が迫り、先にはもう道というべきものはなかった。山間部でも川の幅は七十メートルほどはあろうか。たまに、川の作り上げた谷あいの平坦な土地にでると、そのような土地には必ず廃墟の中に木々が生い茂り、ところどころに泉がある。
泉は俺たちにとって貴重な休憩場所だ。ここでも、それぞれ一人ずつ沐浴をして休養をとることになった。
鷹のソニックは水に浸るわけではなく、バサバサと羽に水をまぶし、くちばしで手入れをする。それで終わり。
銀蛇は水に身体を浸して清めた後は、変温動物らしく太陽光で体を温める。
サヤは早々に沐浴を終え、木陰に休んでいる。
問題はリサ、そして水嫌いの俺である。リサは盛んにサヤに何かを訴えていて、なかなか沐浴しようとしない。それを良いことに水嫌いの俺は沐浴をしないと決め込み、眠ることにした。
リサの訴える声が聞こえてくる。
「あの馬鹿猫は、寝たふりをしているんだわ。あれを見張っててよ。」
「はいはい。」
リサはようやく沐浴を始めた。何が問題だったのかに興味が湧き、リサの沐浴の方をのぞき込むと、リサが俺をにらんでいる。なぜ睨むのだろうか。リサが何かの合図だろうか、枯れ枝を持ち上げている。何だろうとさらに覗き込むと、その枯れ枝が飛んできた。耳を伏せたが、しっかりと俺の頭に当てやがった。はうはうの体で逃げ出し、沐浴はこりごりというように、木陰に隠れ引っ込んだ。食事の魚を盗んだわけでもないのに、ひどい仕打ちだった。ただ、これで水にさらされることもないだろうと、俺は安心して寝込んでしまった。
俺は、いきなり足を引っ張り上げられ、泉に放り込まれた。サヤに指示された銀蛇メデューサの仕業だった。左足を引っ張り上げられ、水に浸された俺は、悲鳴をあげた。
「ヤーオ。ヤーオ。」
「お風呂に入れてあげるのは、久しぶりね。毛玉ばかり。泥がついたままだしね。全身を綺麗にしてあげる。おかえしよ。」
リサの声だった。何のお返しなのだろうか。お返しをくれるなら、銀ダラの脂がいい。
「やっぱり雄猫のままね。いやらしいのはそのせいね。」
リサは片足をつりあげたままの俺を、手創りのトネリコの細枝のブラシでで洗い始めた。
「シャー、シャー。」
俺は生まれた時に覚えた猫独特の威嚇をリサにぶつけた。
「この馬鹿猫は飼い主に逆らうの?。それならこうしてあげる。」
リサは容赦ないブラッシングを始めた。背筋が冷たくなるような恐怖は、バイカル湖での仕打ち以来だ。周りに撒き散らされる黒毛の毛玉と汚れ。俺はすっかり毛が薄くなってしまった。
「たのむからやめてくれ。」
俺はたまらずその場で暴れ始めた。メデューサが気を緩めていたせいだろうか、俺は水に落ち、その拍子にリサを水の中に引きずり込んでしまった。換毛期のせいか、掴まれた毛がさらにゴッソリ抜けている。
「もう、着替えたばかりなのに。」
水に浸かったままリサが文句を言う。
「また脱いで乾かせばいいじゃないか。」
俺は親切心でリサの服を取り去ろうとすると、またいきなり頭を叩かれた。耳を伏せてリサの怒った顔に戸惑っている俺を見て、サヤは首を振るだけだった。何がどうなっているのだろうか。
「メデューサ、お前のせいだぞ。謝れ。わびのしるしに、その長い透明なひげを俺によこせよな。」
出発から十ヶ月目、ソニックが高高度から俯瞰したことに基づいて、支流のヴァフシュ川への道をはいった。
川に沿って進むと、乾燥しきった大地にでる。ここからは不毛のステップをひたすら進むことになる。こうして俺たちは目標のイシククル湖という湖の北側に達した。
かつて、クビルは南の地からこの地まで進出していたことがあった。そのころは、まだ道など整備するということを考えたことがなかった。しかし、今は湖の北側にバンパイアたちの町が建設され、道が充実しつつあった。さらに、ここからカスピ海方面へと通じる軍用道路が建設途上であった。帝国は、西進する意図を持っている。それが俺たち共和国を狙ったものなのか、それとも人類の復活を見越してケイナンの地一帯を占領する目的なのか。いずれにしてもこの街はここから西へ向かって軍用道を建設するための基地だった。
その町を望む北の山に、要塞のカルデラが巨大で異様な姿を見せている。すでにこの規模の要塞が築かれていることから見て、彼等は想像以上に早く俺たちの国へせめのぼってくるだろう。まずは、この要塞を破壊して、少しでもの彼等の足を遅くしたかった。




