リサ
ミルフィー達のキャラバンを見送った三日後、俺たちはエカテリノダールに行き着いた。宮殿も、あらゆる設備ももぬけの殻だった。
ここは、彼らの捨て去った地。西のエカテリノダールとその帝国旧領地には、至る所に主のいない建物、そしてミルフィーのようにバンパイアから人間の遺伝子を濃く顕在化しで生まれた亜人類が多く残されていた。
オーブル族の食堂も主 はいなかった。しかし、イメルリ達バイソンは何かを感じ取っている。この場所は、数百年もの間、バイソン達がおどろおどろしい儀式とともに、身体も精神も総てバンパイアや狼男達にしゃぶり尽くされていた場所だった。
「何かが閉じ込められている。」
イメルリ達の思念が伝わってきた。
「俺が探ってくる。」
その建物には多くの亜人達の気配があった。
「誰か助けて。」
「出してくれ!。」
「水!。食い物!。」
体力の無くなる直前の消えかかった思念や声だった。オーブル族は亜人達を閉じ込めたまま逃げ出したに違いなかった。苦労して呪術で封じられたドアをけ破ると、あるものは硬い寝台の上で意識を失い、あるものは床の上に、あるものは拷問用の椅子で疲れ果てて眠っている。
「なんだ。これは?。」
俺が口もきけないほど衝撃を受けていると、その横にサヤが来ていた。
「まだ奥にも部屋があるわ。」
俺は、その比較的元気そうな男に武器と解除具を渡し、全員を解放することを依頼した。
奥に続く通路には先ほどと同じような部屋がいくつも続いている。サヤによると、奥へ行くほど酷い状態だという。俺たちは、次々と部屋を解放していった。それとともにノドの地を支配していたオーブル族と狼達が手を汚した呪いとおぞましさとを、嫌というほど目にし、耳で聞き、臭いを知り、戦慄した。
サヤは怒る代わりに悲しい顔をしている。
「オーブル族と狼達。彼らのいう復活は、あまりに罪深いわ。」
「そう、だな。」
俺の心の中にはためらいが生じていた。このままエゼキエルの谷で飼い主リサの復活を得ても、リサが真の復活に至るのか。俺のためらいを悟ったのか、サヤは確信を与えるように強調した
「リサは復活するわ。先立つ証人たる二人の預言祈士(prophetic prayers)、私とリサはそう約束されているわ。私が銀龍メデューサの犠牲と祈りの上に復活を与えられた。貴方もいくつもの犠牲を払い、祈り続けている。今は、天に総てを任せる時よ。」
解放された亜人達は戸惑いながら、サヤやバイソン達とともに生活をし始めた。彼らはいままでただ飼われ、搾取され、吸い尽くされていただけの家畜だった。これからは、生きることの意味を知らしめ、彼らの時代。彼らの共和国を築かせるときだ。直立こそしているが彼らよりも劣っている俺も、祈り続けているならば、未来を考えてもいいかなと思えた。それなら、リサもサヤと同様に真の復活に至れるだろう。
囚われていた亜人たちの長老の話では、搾取され続けていた亜人達もまた復活させられたという。それも、サヤの復活よりも少し早く、千年帝国の千年紀の終わる六十年前だった。しかし、帝国による復活は、あまりにも異質なものだった。
本来の復活は、豊かな愛の光に満たされたものである。それ故にサヤは神出鬼没で、姿が見えなくなることがある。多分、復活後のリサもそんな姿なのだろう。それは多分天からの愛を十分に注がれ、その愛をまわりに注ぎ続けるほど透明な純粋さがあるからだ。いいかたをかえれば、愛を注がれた者が愛を注いでくれる方を直接意識すると、その方の光は見えても、その方の姿を見ることができないのだ。
ところが亜人達は、復活と言われてもそんな愛を注がれてもいないし、注ぎもしない。だから、姿が消えることもない。俺は飼い主リサから天の愛を教えられていたけれども、知識に過ぎない。愛に死ぬとしても、本当の愛ではなく独りよがりの愛。愛に死ぬとしても救いのない愛に違いない。たとえそれでも俺は満足だが……。ここの彼らは、オーブル族の呪術により強制的によみがえらされた。本当の愛をしらぬ存在と言える。オーブル族の呪いによる復活は亜人達の家畜化であり、未来に約束された復活した人間の家畜化を狙いとしたものだ。それは彼らにとって不幸だった。
その後の彼らの共和国建設は、困難を極めた。愛される故に与えられた自由とその意味、愛される故に互いを愛し合うこと。知識として与えても理解はされていない。なにせ、教える俺でさえ天から注がれる愛を感じ取ることがないからだった。彼らは、そして俺たちは、「我々は枯れた」、「我々の望みは失せた」、「我々は滅びる」とただ繰り返すだけだった。
俺たちは、もろもろの答えを求めてエゼキエルの谷へと向かった。
……………………
エゼキエルの谷を見下ろすヘルモンは、蒼い稜線の雪に朝日を白く輝かせていた。蒼い稜線から谷へ続く緑の地。天からの息吹が、荒地だったエゼキエルの谷を命の水の谷へと変貌させていた。ここには、その緑の地の小さな岩陰に、横たわっている人影があった。その周りを白い服の見慣れぬ子供たちが守っている。聞こえてきたのは、伝説の言葉だった。
「枯れた骨よ、主の言葉を聞け。これらの骨に向かって天主はこう言われる。見よ、わたしはお前たちに向かって霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。わたしはお前たちの上に筋を置き、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。そして、お前たちはわたしが天主であることを知るようになる。」
俺の目の前で、驚くことが起きていた。まず、砂が集まり強い光で焼結して大きな塊となった。その塊は一部は長く、一部は厚く、背筋の伸びた骨格。そこに肉が付き褐色の皮膚で覆われ、つぶっていた目が開かれた。
「リサ!。」
身じろぎをする褐色の腕と脚。彼女は無意識に腕を体に巻き付けている。サヤが近づいて何かをささやく。すると、リサは身を起こして俺の顔を見つめた。
「スプーキーなの?。」
駆け寄った俺は、彼女の胸へと飛び込んだ。懐かしいにおい、声、感触に浸った。今、リサが復活した。
しかし猶予はなかった。リサの言葉は深刻だった。
「この地に、戦いの時が来るでしょう。サヤと私は、ノドの東へ言葉を伝え、勧告し顧みる時を与えなければなりません。聖なる地、聖なる都が再び悪の地にされてしまうその前に。そのうちに欺瞞の民、欺瞞の帝国が聖なる地を狙うでしょう。いづれは聖都の地下奥にルシファー宮殿が築かれるでしょう。その後に私達は命の書に基づき、聖なる都聖なる地で聖徒たちの心を試す為に、殺されなければなりません。」
リサの言葉に俺は衝撃を受けた。
「どうして殺されなければならないのか。俺が身代わりになる。ここから出かけた先でも俺が守る。命に代えてでも。だから、何が起ころうとしているのか教えてくれ…。」
サヤが俺の肩を抑え、言い聞かせるように答えた。
「ノドの東には、新たな帝国が現れています。以前、ここで栄えていた帝国が再び勃興したのです。以前よりもおぞましい姿になって。彼等は堕天龍など多くの眷族を駆使してこの聖なる領域を襲うでしょう。地上から、そして地下から。そう予言されているのです。そうなる前に、私たちは天の業を完成させねばなりません。預言祈士として、証となる生き様を皆に示し、天の栄光を示す為に。」
最後にリサが、上目遣いで遠慮がちに、そして不満そうに付け加えた。
「私の体から離れてくれませんか。直立の貴方が抱き込んでいる私は、まだ何も身に着けていないのです。」
「なにか問題があるのか…?。」
俺はそう質問すべきではなかった。
「まだわかっていなかったの?。」
リサは、左手を体に巻き付けたまま、右手で俺の頭にいきなり張り手を喰らわした。リサの弁当から鮭を盗んで以来の体罰だった。でも、なぜなのかは今になってもわからない。