預言祈士 のサヤ
「もう逃げられないわよ。」
音もなく空から襲いきた女戦士。俺は銀色の鱗に覆われたロープに捕らえられ、空中へ逆さまに吊り上げられた。
山の麓のバイカル湖の方へ運ばれ、そのまま太い枝か何かに、両手両足を伸ばして縛り付けられようとしている。
「おい、やめろ。この野郎。何しやがる。」
女は容赦がなかった。誰かに指示を出している。
「このまま、あの湖に角を突っ込んで、この不潔な毛むくじゃらを洗ってちょうだい。」
「い、やめろー。水に浸けるのはやめてくれ。」
「こいつのいうことは無視して、そのまま突っ込んで。」
夏とはいえ、バイカル湖の水は冷たい。俺は手足を上下に伸ばした形で縛られたまま、何回もその中に放り込まれた。
「まあまあきれいになったかしら。」
「もう、やめてくれ。勘弁してくれ。」
久しく感じたことのない恐怖だった。泣いて頼んだのだが、女はその後も容赦なく俺を調べ尽くした。ヒゲ、耳、目糞、鼻くそ、腹…足の先まで……。昔、飼い主リサにしか許さなかった身体中の掃除と観察……。
「うー、全部見られた……。」
きっと、また何かされる。以前、リサの羞恥とかいう概念で俺はリサに嫌われたことがある。この恐怖が羞恥とかいう概念なのだろう。そう思った時、また恐怖の声が聞こえた。
「オスなのね。病気もないみたい。もういいわ、おろしてあげて、イメルリ。」
たしかに「イメルリ」と、その女は呼びかけている。俺は、イメルリの大きなツノの先に縛り付けられて振り回され、水の中で洗濯され、調べ回されていたのか。なぜこんなことに?。それなら初めから話をしてくれるべきだった。
………………………
俺は、前の日に巨大な怪物たちからやっと逃げ出したはずだった。何処から襲ってきても見下ろせるように、バイカル湖湖畔の山の上に休んだはずだった。安心して寝転んだところを、考えもしない空から襲われた。
全てが落ち着いた時、銀色の寝台に寝かされた俺は一切口をきかなかった。
「だって、あなた、よだれだらけ、泥だらけ、ゴミだらけ、毛玉だらけなんだもの。」
「モジャモジャの物の怪が走り回るから、病気を移されると思ったのよ。」
「シャーシャーいう、ヒーヒー唸るし、何かを喚いているし、まるで怪物だったのよ。」
「獣か、物の怪の類なら、飼うのにオスかメスかはっきりしないと、飼うのに事前の準備ができないし……。」
「直立歩行の亜人間には見えなかったのよ。」
「初めにイメルリがあなたに呼びかけたのよ。それを無視して逃げ出すんだもの……。まさか、あなたがメデューサや私を呼び出したなんて、メデューサやイメルリの恩人だなんて思ってもみなかったわ。」
彼女はその後も、何か言い訳めいたことを、一方的に言いたてた。それでも俺は、彼女とは反対側の壁を見続けて口をきかなかった。彼女も、最後は不貞腐れたのか、呆れたのか、何処かへ消え去ってしまった。
壁を見続けたものの、女戦士の気配がなくなったので、俺はようやく背後へ寝返りを打った。その目の前には、ソニックと巨大な牛。それはイメルリ。そして驚いたことに、彼らの背後に銀龍メデューサがいた。彼らは俺に、一様に明らかに呆れたような視線を向けていた。
ソニックが一言口を開いた。
「彼女は預言祈士(prophetic prayer warriors)だ。彼女が一番頭がいいし、話も上手だ。俺ではうまく話せない。」
「イメルリは?。」
「ボー、くー、わー………………………、ハーナースー、トーオーソークー、てー。」
「どうなっているの?。」
俺はソニックに聞いた。
「イメルリは、巨大化と共に声が大きくなっていて聞き取りにくい。なかなか伝わらないんだよ。ただ、彼の思考をサヤだけは読み取ることができるんだ。だから、彼女の言うことを聞いて欲しいんだが。」
「サヤ?。誰だよ。あの女か?。いやだね。あんなじゃじゃ馬。見掛けは可愛い顔しているが、近づくのはおっかないよ。俺を飼うつもりだったんだぜ。初めから、会話するつもりなんてないのさ。メデューサが俺に話してくれよ。」
「僕は彼女のしもべなので、彼女に従わないといけないんだ。さっき、君を釣り上げたのも、本当は嫌だったけど。彼女が命令するから、仕方なく……。」
「なんだよ、『尊敬するから』、『話が上手だから』、『飼い主だから』、かよ。俺の飼い主と比べたら、月とスッポン。あんなの女じゃねえ。」
「それが、彼女は人間の女なのだよ。メデューサの言うには、まず証人である二人の預言祈士(prophetic prayer warriors)の復活があるらしい。まずはサヤ。次にリサ。そのために、エゼキエルの谷に息吹が吹き込まれ始めたと言うんだ。先にサヤだけが先にメデューサと共に、あの谷を出てきたらしい。リサはエゼキエルの谷であんたの来るのを、復活の時を待っているということだ。」
「そ、そうなのか。じゃあ、俺のご主人様、リサも?。」
「そう。だからさ、サヤと話をしてくれないかな。オーブル族の帝国は、ここまで勢力を拡大している。理由をイメルリが知っているらしいが、込み入っていて俺たちには理解できない……。とにかくこのままでは、帝国に、なんらかの方法でエゼキエルの谷の復活を邪魔されてしまうらしい。あんたなら頭がいいらしいから、イメルリの知っている事情をサヤに説明してもらって、なんらかの策を講じられるんじゃないかと思っているんだ。」
「あれがリサと同じ人間の女かよ。やな感じ。」
急にサヤが現れた。
「ああそうですか。リサとは違うって?。リサがここにいないのは、貴方をエゼキエルの谷で待っている為かと思っていたけど、違うわね。貴方が素直でないからここへ来ないのよ。」
………………………
サヤの説明は、中々纏まったものにならなかった。それは、やりとりに非常な困難を伴ったからだった。
「それが説明する者の態度か?。」
「それが聞く態度なの?。」
説明の大部分はこのやりとりばかりだった。おまけにサヤは怒る代わりにただ呆れて目の前から消えてしまうことがある。復活した人間は神出鬼没だ。
再び姿を現したサヤは冷静になって話を続ける。
「ここへ火の精霊ペレが向かっているらしいです。」
「ぺ、ペレだと?。ま、あんたよりマシな奴だよ。少なくとも俺をゲテモノ扱いしなかった。」
「ペレはきっと、雑巾には気づかなかったのよ。」
「雑巾とは、どういうことだよ。」
「雑巾を知らないの?。よだれだらけ、泥だらけ、ゴミだらけ、毛玉だらけのモジャモジャで、臭うのよ。」
「俺は臭くない!。」
「そうかしら。ペレは堕落したわ。オーブル族の手先に成り下がるなんて。ペレは気高さを失った汚れた化け物になったのね。ちょうど、オーブル族の帝国が拡大するのに合わせてここまでくるでしょう。だから、ここに来れば臭い雑巾にも気づくわ。」
「俺は彼が気づく前に、先にやってやるよ。」
「そうなの?。気高いイメルリならば、堕落したペレを打ち払うこともできるでしょうけど。ミルフィーとポーはイメルリ達バイソンの敵、ペレを引き入れたことで、イメルリを騙していたことがはっきりしたわ。」
「たしかに、ペレは赤い紐を使って偽の復活のフリをしてみせる儀式を行った。バイソンを犠牲にしたよな。どこかのじゃじゃ馬も、友を探すフリをして、俺を犠牲にしたぜ。」
「しつこいわね。悪かったから、反省しているのに。」
「どこが反省した言葉なんだよ。言い訳と罵倒しか聞こえてこないね。」
サヤは俺を睨むと姿を消してしまった。
ソニックがたまらずに口を挟んだ。
「もうそろそろ戯れ合うのはやめてくれないか。婚姻の相手ならともかく、誰彼とも見境なくじゃれ合うのはのは、祝福を得ないのではないか?。ミルフィーも、そうやってポーや他の狼男達と戯れあってばかり。あの帝国は堕落しきっているんだ。」
サヤは姿を現しながら反論した。
「私は戯れていないわ。」
「俺は気高さを理解しないどこかのじゃじゃ馬に、抗議しているんだ。」
ソニックは、俺とサヤを無視して話を続ける。
「ミルフィーはポーや不特定の相手を狼男に転化した上で見境なくイチャつきあっているんだ。」
「ちょっと待て。ソニック、少しちがう。戯れ合うのは悪いことではない。ソニックが言いたいのは、ステデイの男女がいちゃつくのは祝福を受けるが、見境ない男女関係は大きな罪を犯すことになる、ということではないのか。」
「そ、そうか。あんたら二人の言い合いは、戯れ合いであり、イチャ付きではないのだな。」
サヤは顔を真っ赤にし、俺は口をパクパクして、反論した。
「互いの言い合いは、戯れ合いじゃない。ましてや、こんなのを相手に『愛し合う男女のいちゃ付き』などと、二度と言わないでくれ。」
「へえ、じゃあ、戯れ合いってえのはなんなんだろ?。私には区別がつかないや。」
ソニックは呆れたように羽の手入れを始めてしまった。
「でも気になるな。ミルフィーが新たな魔石の力でポーや不特定を狼男のままにして、彼らを貪っている。ミルフィーはもはや、人間性のかけらも良心も失っている。その上、彼等は新たな魔石を探しているといったな。」
「聞くところによれば、復活した人類に与えられる息吹を消し去り、盲目な生活をするように仕組むつもりらしい。」
「あの儀式の時のミルフィーの赤い紐……。あの赤い紐は本来ミルフィーから外してはならなかったものか?。外した故に、彼女は人間としての想いを消してしまったのか。」
「ミルフィーたちだけではない。帝国のオーブル族は最近になって魔石と精霊とを積極的に利用している。狼達は魔石からの怪しい光によって人間の姿に変幻している。今まで月明かりが必要だったものが。今ではバンパイアと人狼によって、人間の冒してきた様々な罪を犯している。まるで罪にかき立てられていく人間の滅びの姿をなぞるように。この状態を彼等は人類の復活などと称している。彼等の狙いは、復活した人類の王国などではない。人類復活の阻止だ。彼等は、今新たな魔石ガーネットを探している。ここからは憶測なのだが、大地の呪いとは火山活動の暴発によりもたらされるものらしい。火山灰によるやせた土地、火山による寒冷化や温暖化などだ。そして、特にカムチャツカの火山で見出される禁断の魔石、破戒の魔石の採取。これを復活した人類の中に持ち込もうとしているんだ。」
冷静に纏めると、その内容はいまいましい堕落に満ちた内容だった。
「ところであの時ペレが用いたミルフィーの赤い紐は?」
俺は思い出したように質問した。
「あれはもう燃えてしまった。」
「赤い紐をミルフィーの身近から失ってから、ミルフィーは人間を忘れている。彼等を元に戻す策はないか?。」
「残念ながら。しかし、ペレを倒せばあるいは。」
「簡単にいうな。ベヒーモスを凌駕する魔物だぜ。」
「とりあえず、帝国へ観察に行こう。何かわかるかもしれない。」




