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赤い雌牛

 暗い闇にほのかな砂塵。空に薄暗い濁った朝日。引き裂かれた木々。掘り返された土。累々と広がる犠牲となったバイソン達。俺たちが登っていた大木から見た光景は、津波か、土石流の爪痕のように見えた。

 再び、バイソン達の蹄の音が遠くに響いている。多くの犠牲を残しても、彼らは逃げるのをやめない。狼狽る心を糾す者がいないのか、そんな声を聞こうとしないのか、彼らはかつてのノドの地の人類と同様に、滅びの道へ突き進んでいくように見える。

 滅びの音に抵抗するように、数頭の子牛の呻き声が聞こえた。怪我をしているはずのポーが、ゆっくり歩み寄っていく。暗闇の中に彼らの会話が聞こえる。


「イメルリ、そして若者達よ。」

「あっ、ポー!。僕はまた、生き残っているのか?。」

「死んでいたほうが良かったかもしらぬ。」

「まるで、もう一度殺されろというのですか。」

 他の子牛が騒ぐ。

「臆病者は何回も死ぬさ。」

「追い回されて、踏みつけられて、殺されるなんて、もう嫌だ。」

「お前達バイソンは、それほど臆病になったのか。すぐ狼狽して逃げ出そうとする。」

「嫌だ嫌だ。」

「いずれは死ぬのだ。なぜ覚悟ができないのか。」

「そんなことはごめんだ。」

 子牛達はまだ騒いでいる。イメルリは無言の抗議。それを無視するように、ポーは俺たちの方へ戻ってきた。

「わたしの知っているバイソンには勇敢な指導者がいた。今、烏合の衆に成り下がっては、すぐに狼狽して死神に捕まつてしまう。」

 ポーは吐き捨てるように言う。まだ子牛たちは泣き言を言っている。

「あれは生まれて日が浅い子牛達だ。覚悟を持てと言うのは、少し酷ではないか?。」

 俺はポーに思わず声をかけた。ポーは俺を一瞥しただけで何も言わなかった。俺は続けた。

「彼らは何に追われているのか?。」

「彼らを追うものは色々いる。彼らの妄想、嵐、乾燥した東風、砂漠バッタ、山火事だな。」

「なぜ逃げるのか?。立派な体力、ツノがあるじゃないか。」

「彼らは、臆病なだけの駄牛になってしまった……。」

 ポーが語ったのは、バイソンと絶えず争ってきた狼達だからこそ知っているバイソンの歴史だった。

「彼奴が殺される前迄は勇敢だった。滅びの道へ転がった時に彼らの勇気は失われた……。」


 ………………………


「彼奴?。」

 次の日も、再び微かに蹄のこだまが聞こえた。ポーは首を傾げた。

「また逃げている。こんなに逃げ回り続けるのは、流石におかしい。自然現象から逃げているわけではないな。まだバイソンの暴走がここにくるかもしれないね。子牛の彼らもこの木の根元の虚淵に連れてこよう。」

 子牛達はポーにも恐ろしさを感じている。俺は彼らに顔を近づけて落ち着かせた。

「怖いか?。」

 彼らは暗闇の中で震えている。

「この洞に入ってしばらく隠れていなよ。」

 俺は彼等にそう言い聞かせてポーのもとへ戻った。

「あの子らも俺たちも助かるか?。」

「この大木も、どのくらい立っていられるだろうか。」


 また蹄の音が近づく。そして、悲鳴のような唸り声。しかし、その声には明らかに疲れが見える。これほどまで追い回されていては、休む間がないのであろう。


 バイソン達が俺たちの木の下を走りすぎていく。しかし、バイソン達を追うものは誰もいなかった。古い伝説に言われる人間達の滅びの姿が重なって映る。

『お前たちは、立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」と。しかし、お前たちはそれを望まなかった。 お前たちは言った。

「そうしてはいられない、馬に乗って逃げよう」と。それゆえ、お前たちは逃げなければならない。また「速い馬に乗ろう」と言ったゆえにお前達を追う者は速いであろう……。 』


 バイソン達は草原を駆け抜けていく。草原の向こうの杉林。突っ込んで行くバイソン達。突然、杉林の上空から火が吹き出た。杉を先から根本へと焼いて行く。そしてバイソン達をも……。肉と脂の焦げる匂い。四分の一ほどはなんとか林の向こう側へと脱出できたが、多くのバイソンは全てや焼き尽くされていた。

 俺はギョッとして杉林のあったところを見つめた。空中に座り込むように浮かぶ大男。狼や鳥達は暗闇に立つ大きな姿が見えず、気づかないらしい。俺の視線に大男は気づいたのだろう。ゆっくりと近づいてきた。

 大男の全身が見えてきた。ようやくポー達も近づく大男に気づいた。

「火の精霊ペレ!」

 ポーの大声にペレが返事をした。

「お前達、助かったな。俺があのバイソンどもを焼き尽くさなければ助からなかっただろう。」

「俺たちを助けたのか。なぜ?。」

 ポーはいぶかしげにそう聞いた。

「さあな。皇帝陛下のご采配によるものだ。俺は言われたままに動いたまでのこと。」

ペレは踵を返し、再び杉林の方へ戻っていった。その方角には、バイソンの悲鳴と蹄の音が響く。また群れがこちらへ向かって来る。


 群れは再び俺たちの近くを通り過ぎて行った。俺たちは過越した。群れを見つめたポーは首を傾げた。

「雌と子牛しかいない……。」

 ようやく明るくなった陽に照らされたバイソン達は、皆赤い雌牛達と子牛達だった。大人は雌牛のみであるためか、バイソン達は狼狽しながら逃げ、幾匹かが犠牲になる。何かがおかしかった。

 木の洞に行くと俺には、子牛達がまるで氷雨の中にうち捨てられた子猫のように見えた。覚悟が必ずしも求められるわけではない。彼等には、本来このような目に合う道理もない。何かがおかしかった。


「バイソンの雄達はどうしたのだろう。」

 ふと独り言のように俺は自分に言い聞かせた。それが聞こえたのだろう。ポーが独り言のように語った。

「あの赤いバイソンは雌だけだ。この地を清めるために赤い雌牛達を焼き尽くし、灰にするのだよ。人間がふたたび復活するこの大地を清めるのさ。」

 確かにそういう伝説を思いだした。

『傷がなく、まだくびきの置かれたことのない、完全な赤い雌牛をあなたのところに引いて来させよ。外に引き出し、祭司の前でほふれ。その雌牛は彼の目の前で焼け。その皮、肉、血をその汚物とともに焼かなければならない。杉の木と、ヒソプと、緋色の糸を雌牛の焼けている中に投げ入れよ。身のきよい者がその雌牛の灰を集め、汚れをきよめる水とする。これは罪のきよめ。これは、人間の為の永遠のおきて。』


 ペレはバイソン達を人間のための清めに用いようとしているのだろうか。ペレが人間のために働くはずはなかった。背後で帝国が、いや皇帝が何かを画策しているのだろうか。確かに牛達は昔から人間の清めに用いられていた。彼等は人間の臆病さ、恐れ、怒り、堕落を全て受け継いでいた。それは、有志以来、人間の代わりに生贄として清めの道具として捧げられていたところにも現れている。人間が滅ぶ時に、バイソンは呪いを引きかぶってしまった。そして今は、人間の生きかえる場所の清めに用いられている。


「雄達は既に全て命を奪われたのだろう。清めには不要な奴らだから。」

 ポーは唸った。俺は罪のない牛を襲ったこの災厄を思った。そこに首に緋色の手綱を撒いた子牛がきた。

「僕のお父さんをやったのはあいつだ。」

 ペレへの糾弾だった。ポーは何も言わない。

「お前はなんという名前か?。」

「イメルリ、といいます。」

「お前の御尊父は、あいつにやられたのか?。」

「お父さんは、バイソンのボスだった。ボスはいつでも群れを守る勇猛王だった。」

「お前達は、いつも逃げ続けているのだろ?。」

「もう、逃げることしかできない……。」

「以前は如何していたのだ?。」

 イメルリはポーを見つめている。

「勇猛王、その家族がしんがり、盾となっておいたてる者を退けてきた。」

「お前の父も戦ったんだな?。」

 イメルリはうなづいて答えた。

「大人の男たちは戦った。男たち皆が火だるまに……。残った群が逃げ出したとき、お父さんが一人で突っ込んでいった。僕も一緒に行ったら、お父さんに蹴飛ばされた……。立ち上がったら、空からの火がお父さんをなぶり殺した。空に彼奴が居たんだ。『大義に逆らう者よ、去ね。従順にならぬ者よ、消えよ。』と大声で……。」

 子牛は震え出した。その言葉を俺も聞いたことがある。今の皇帝が俺に投げかけた言葉だ。俺が帝国を追われるようになった日のことだ。

「もうよい。分かった。」


 俺はポーを見つめて言った。

「生贄より憐れみ。この意味を知っているか。」

 これはポーを試す為だった。俺は続けた。

「伝説といったな。それは本来人間達のための掟だ。人間はそれほどまでに堕落していた。彼らはそれほど厳しさと憐みを失っていた。」

「……。」

「バイソン達は堕落などしていない。それなのに、なぜお前や俺たちが生贄などと騒ぐのか。」

 しばらくの沈黙ののちにポーはボツボツと語り始めた。

「俺はあまりに多くの犠牲者達をみてきた。多くのものが殺されていく。本来この災厄は人間のもたらしたもの。彼ら被造物は人間のために滅びを運命づけられている。それゆえ、私にとっても帝国にとっても、これは人間の復活のための必要な手順なのだ。」

「憐みを忘れてもか?。」

「そんなもの、不要だ。」

「憐みは生贄に優先する。憐みは正義に優先する。」

「誰がそんなことを決めた?。」

 俺は、ポーの目を見つめた。こいつは伝説の本当の意味を知らない。

「確かに生贄は必要だ。しかし、俺に愛を教えた女性は、いや、彼女に愛を注いだ方は、伝説をお書きになった方。その伝説では「私が求めるものは、憐みであって生贄ではない。」と言っている。」

 ポーは黙ってしまった。俺は続けた。

「バイソン達は殺されてはならない。」

 そう言って俺は子牛を見つめた。

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