草原の灰色狼ポー
人間が滅び去った後も、後を継いだ者たちが相争ったままだった。得体の知れない妖怪、魑魅魍魎達が犠牲となって、死を重ねている。まるで人間たちの後を継いでいるように。
いや、ルシファーの手先たちが、かつて人間たちを相争わせ、もしくは犠牲とし結局は滅ぼし尽くしたように、獣や亜人たち、魑魅魍魎たちまでをも相争わせ、もしくは犠牲とし、しゃぶり尽くしている。
そのなかに、天の息吹に見出された者たちがいた。愛の根源を探し求めるように、殺された彼らの飼い主を探し始めた。黒海と呼ばれたこの海沿いにも、そのような者がいた。灰色狼のポーだった。砂嵐を呼んでは争いと犠牲の地をを砂で覆い、思い出しては咆哮を捧げる。そうしながら彼は飼い主の骨を捜し求めていた。
………………………
「逃げて!。貴方は野生に戻るのよ。ここにいたら、白狼のあなたも奴らに殺されるわ。」
種に相応しくない白い狼として生まれ、飼い主とともに迫害される人生を生きてきたポー。あの時の飼い主ミルフィーの言葉。その言葉に伴う悲しい思念は、今でもポーの心の深いところに突き刺さったまま。
バンパイアの中で呪われた亜人として暮らしていた彼女とその小さな家族は、迫害を逃れてある町の廃墟の中に逃げ込んでいた。追い立て追い詰め来る青黒いオーブル族の憲兵たち。背後に蠢く黒雲の巨獣ベヒーモス。彼は反撃の手の届かない遠くから、彼女達の篭る廃墟、町の門、城壁、建物を全て押しつぶして行く。憲兵らの攻撃の手は、穴に逃げ込んでいた彼女に迫っていた。
「あなただけは逃げられるわ。だから、貴方は逃げるの!。逃げるのよ。これは命令よ。」
ポーは初めて言葉を告げた。
「御主人様。俺はあなたを守ってこその存在。あなたがいないこの地上に残っても、意味がない。」
「あなた、言葉が話せるのね。」
一瞬、ミルフィーの顔に微笑みが浮かんだ。
「それなら、私のいうことがわかるわね。逃げて。これは命令です。私たちが殺されても、あなたが私たちを忘れないわ。私はそれだけでいい。」
ポーは彼女の灰色の腕によって外に押し出された。その直後、飼い主達はベヒーモスの足によって吹き飛ばされた。転がされたポーはしばらく気を失ったままだった。
「御主人様?、何処に?。」
ポーは何が起きたかを思い出していた。
「粉々になっていても、塵に還っていても彼女を探そう。必ず。そしてバンパイア達に彼女たちを殺させた者、帝国とベヒーモス、あいつらだ。いつか必ず八つ裂きにする。」
そう言って、ポーは彷徨い続けてきた。ミルフィーを失った意味を理解し記憶したことが、ポーを直立歩行へと駆り立てるようになった。
昼は木陰で休む灰色狼。夜になれば弔いの遠吠えをする。満月の月明かりを浴びたときのみ人間のように直立に歩行し、今まで弔ってきた命のために祈る。それが彼の鎮魂の旅路を始めだった。
………………………
俺達は海岸線沿いを北へ進んできた。そこは左手に海、黒海。遠くから雷鳴。乾季が終わるにしては、まだ少し早いのだが…。雨期直前のようなマイナスイオンと鉄錆の匂い。進む行く手の右手前方に、雲のような影が地表を覆っている。雷が地表から空へと跳ね上がる。全ての稲妻が黒雲に吸い上げられていく。しばらくして放電がおさまると、急に黒雲が動き始めた。様子がおかしい。単なる雷の放電ではなかった。
大地から黒雲への放電はしばらく続く。雷鳴に伴う悲鳴のような響き。次々にあがり、重なる悲鳴。悲鳴が消えると、乾いた雑巾を絞り切るように、放電を絞っていく。放電が乏しくなると黒雲は動き始める。そして新たな放電が地上から黒雲へ。同時に悲鳴のような思念が四方に発せられている。それを繰り返しながら、黒雲が進んでいく。
雷のあった場所へ行くと、動かなくなった異種異形の亜人達、魑魅魍魎達、魚や海獣、陸の動物達が、夥しく地表に転がっている。あるものはプラスに帯電し、あるものは放射性物質を纏っている。黒雲が貪欲に全ての物質から強制的に生命やイオンをむしり取った傷跡だった。
行く手の雲がまた動く。俺たちは身動きできずに目の前を通り過ぎるベビーモスの姿を目にした。
巨大な黒雲の足。六本とも八本とも見える足がタランチュラのように交互に動いていく。
近づく轟音。足の動きに合わせて空に大きく響き渡る。それはベヒーモスの足の音ではなく、ひしめく眷属の群れだった。上空には黒雲がほぼ天球を覆い尽くそうとしている。それは、俺にとって見覚えのある巨大な胴体。ルシファー宮殿に居た放し飼いの貪欲巨獣だった。
「あれは、巨獣ベヒーモス。此処まで来ていたか。」
「此処から先に行かない方が良い。あの獣の覆っている地表を見てごらん。」
上空から見える黒雲の前方には、蠢いているもの達が居た。様子を見てきたソニック達は震えながら語った。
「貪欲や怒りに駆り立てられた無数の大猪達が、亜人達、魑魅魍魎達や海の生物、陸の獣達を踏み潰し、引き裂き、かみ散らしています。身体を引き裂かれた生体から放電があり、大量のイオンが放電のように吸い上げられています。」
俺の記憶では、ルシファー宮殿で見たベヒーモスは眷属を従えていた。いま、この地上では大猪がベヒーモスの眷属になっている。
「あの大猪の群は恐らくベヒーモスの眷属だ。太古の時代には人間たちがベヒーモスの眷属だった。眷属となった人間達は他民族を襲っていた。今では人間は亡び去り、代わりに貪欲大猪がベヒーモスの眷属となったのだ。」
やがて、行く手を大猪の大軍が疾走していく。俺たちには気づいていない。そのまま黒海の南岸へと去って行った。少し遅れて黒雲が全天を覆った。轟音と雷鳴。今の俺たちは、ただ彼らをやり過ごすのみだった。




