第2話 希望の剥奪
平日の始まりである今日、俺は首輪をつけた状態で妹と登校していた。
空は俺の心を写したかのようにどんよりとしており、今にも一雨降りそうな雰囲気だ。
折り畳み傘を鞄に忍ばせてはいるが、問題はそこでは無かった。
「お兄ちゃん、学校の時は校舎内までは自由に動けるけど、外には出ないでね。危険だから」
お淑やかに話す妹は俺に注意を促す。
そんな事を言われなくても、俺は行動が制限されている為に抵抗できない。
天候の所為なのか、それとも妹いるからか、今の俺には全てが灰色に見えていた。
少し不貞腐れながら悪態を吐く。
「どうせ俺は百合の操り人形さ、百合の好きにすれば良い」
「そうだね、どんなに知恵を絞ったってその鎖からは逃れられない……違うね。運命の赤い糸の方がしっくりくるかな」
不敵な笑みを浮かべて妹は言う。
運命の赤い糸ね、そんなロマンチックな表現ではこの首輪は語れないだろう。
決して切れることは無いって所だけは唯一の共通点かもしれないな。
昨日一度この首輪の破壊を試みたが、俺ではビクともしなかった。
赤い糸は繋がっている二人は結ばれるというものであるが、この首輪は一方的に繋がれて制御されているので根本的に別物だ。
それに赤い糸は見えないが、この首輪は確かにここにあり、質量がある。
少し考えればこれが『運命の赤い糸』などというものでは無い事くらい分かるはずだが、俺の妹は頭のネジが飛んでいるようだ。
「それじゃあお兄ちゃん、次会うのは下校の時だね」
その言葉で俺は一時の自由を手にした。少しずつ視界に色が戻ってゆく。
妹が自分の下駄箱に向かう姿を見て、俺も靴を履き替える。
階段を一つずつ上がり、二階にある二年一組の扉を開いて自分の席に腰掛けた。
季節は既に春を終えて、梅雨前線が日本をゆっくりと北上している。
雨が多いこの季節を迎えたが、俺の周りには友人と呼べる人間はそこまでおらず、片手の指で数えられる程だった。
「おはよう睡蓮」
「おはよう一華」
ひらひらと俺に手を振る人物は『白花一華』。
アルビノという特殊な体質で、雪のように白い姿と血のように赤い眼が特徴の女子だ。
高校入学後に周りとうまく馴染めなかった俺は、孤独な一年を過ごすと思っていた。
そんな俺に一華から話しかけてきてくれた。
今では名前で呼び合う仲になり、俺のスクールライフには欠かせない存在となっている。
一華の名前に入っている『花一華』という文字だが、これはアネモネの和名である。
アネモネ全般の花言葉は『はかない恋』『恋の苦しみ』『見捨てられた』と哀しい恋を意味するものが多いが、白いアネモネは『期待』『希望』といった花言葉もある。
一華は言葉通り俺にとっての希望だ。
「あれ、その首のどうしたの? 確か先週まではつけてなかった気がしたけど」
「ああ、これか……まあ妹のプレゼントだ。似合ってないだろ?」
「うん、思った」
白い眉を八の字にして苦笑する一華。本音を言ってくれるだけありがたい、ここで似合っているなどと言われたらどう反応したものか。
それにしても首輪というものは中々に不快だな、よく女子たちはこんなものを付けていられる。
うちの高校は装飾品は禁止されておらず、ピアスやネックレスといったアクセサリーは皆身に付けている。
なので校則違反では無いが、俺のチョーカー姿など全く需要がないだろう。
付けたくて付けているわけでもないけど。
「そろそろ始まるね、それじゃあ」
「ああ」
担任が教室に入ったのを見て一華は席に戻っていく。
一華とのやり取りで、俺の心は安定した。
唯一の癒しであり、友人である一華とはこれからも長い付き合いを続けられたらと願う。
しかしそれは、昼に届いた一件のメールによって叶わなくなった。
『お兄ちゃん、お昼一緒にしよう?』
文面通りに受け取れば、それはただの昼飯の誘いだろう。
しかしこの一文と妹からという理由で俺はこの文章の本質を理解した。
つまり、これは俺に一華から離れろといったメッセージであり、一種の脅迫メールだ。
これはあくまで俺の推測だが、妹は俺の行動を全て把握している。
俺の行動なら休日は当然、校内での出来事すら余す事なく知られていた。
それは夕食の時に妹が俺の話題を振ってくるので確定情報だ。
その場にいるわけでもないのに、ここまで正確に知り得る術を持っているのがとても不気味だ。
しかしその情報源が何かまでは不明の為、推測の域を出ないでいた。
俺は席を立ち上がり、妹の元へ向かう。
「あれ、睡蓮どうしたの。今日は別の人とお昼?」
横から一華が弁当を持って来ていた。普段は昼は一華と共にしているので、その時間に俺が席から立ち上がるのが不思議だったのだろう。
俺は本当の事を伝えるか悩んだが、一華には迷惑はかけられない。
そう思い立ち上がった理由を話した。
「それがさっき妹から昼飯を一緒に食わないかってメールが来てさ。あいつ、独りだから……」
「そっか、わかった。妹さんの事よく見てるんだね」
「……まあな」
妹はクラスではいつも独りだ。別に会話は出来るし、用事を頼まれればきちんと対応する。
しかし基本人との接触を避けている様で、妹からは絶対に声をかけない。
それを感じ取ったにクラスメイトは、必要なければ妹に近づかないようにした。
特に無視している訳でも、虐めている訳でもない――ただ不気味で、底気味悪い。
だから距離を置く。
ただそれだけだった。
「よう、待たせたな」
「あ、お兄ちゃん。いらっしゃい」
一華と別れた後、妹の教室へ到着した。窓際で静かに待っていた妹は俺に気づいて微笑む。
その光景にクラスの者たちは目を見開いていた。
誰と話してもあそこまで笑顔な所は、見たことないといった顔をしている。
それはそうだ、何故なら妹は――周りの人間全てを見下しているから。