命題の答
黒い霞が霧のように辺りに立ち込めている。
光を通さないそれは天を覆い隠し、まだ日没ではないというのに外は真っ暗になっていた。
アノンを背負ったニコルが店の玄関口から外に出ると、遠くからこちらに向かって歩いてくる人影が見えた。
憔悴したネイティオを肩に担いだアルティマだ。
「役目は果たしたわよ」
アノンに向けてそう言うや否や、担いでいたネイティオから手を離す。
ネイティオはふらふらとその場に座り込むと、気分悪そうに胃がある辺りを右手で抱え込んだ。
「…… …………」
唇が小さく言葉を紡いでいる。が、小さすぎて何を言っているのかは聞き取れなかった。
「限界か」
アノンはそんなネイティオの様子をじっと見下ろし、言った。
「……後はゆっくり休め」
ニコルに前に進むように言い、彼らは漆黒の世界を静かに進んでいく。
数多の屍が転がる畑を通り過ぎ、やって来たのは『外』の世界との境界線。
未だ蠢く数多の影を前に、アノンは右手首に巻かれていたハンカチを解いた。
「等しく、眠れ」
傷口を爪で掻き毟り、血を流す。
ピュクシスの箱庭で鳥籠を縛った鎖のように虚空を泳いだ彼の血は、天に吸い込まれるように黒の霞へと溶け広がっていった。
ずっと続いていた地鳴りが、大きくなる。
空がかっと光り輝き、何かが落ちてきた。
それは、青白い炎を纏った光の鏃だった。
それも、ひとつではない。あちこちから、雨のように降り注いでは眼下の存在を貫き大地を割り砕いていく。
「人類は行き詰まっていた。何もかも」
それらを静かに見据えながら、アノンは言う。
「一旦眠らせてやるのがいい。そのためにはこうするのが良いんだ」
「……ひょっとして」
ニコルは僅かに振り返り、アノンのゴーグル越しの瞳に焦点を合わせた。
「心中するつもりだったんですか? 貴方も、世界と一緒に」
「いい加減、疲れたからな」
ふう、と本当に疲れたような呼吸をして、アノンは目を閉じた。
「人間が世界を支配する時代はとうに終わったんだ。終わった世界で眠る人形がひとつ増えたところで、何処からも文句は出るまいよ」
「……アルティマさんたちが悲しみますよ」
ぴく──とアノンの身体が反応を示したのを、ニコルは見逃さなかった。
ふふっと笑って、前を向く。
「生きましょう。きっと意味はあります。無駄にはなりませんよ」
「──俺の存在意義なんてものは、とっくの昔になくなったとばかり思っていたが──」
アノンはぽつりと呟く。
「──考えていたよりも、案外単純なものだったのかもしれないな」
──天から降り注ぐものが、世界を壊し人を壊して地へと還っていく。
それを、ニコルはアノンと共にずっと見つめ続けていた。
不老長寿。人類が最後の命題と定めた、課題の答をぼんやりと考えながら。
機械化した人体は究極の不老長寿と言えたのだろうか?
怪物化した人体は究極の不老長寿と言えたのだろうか?
否──
それはもはや人間としての枠を超えた、別次元の存在と言っても過言ではなかっただろう。
それでも。
心が通い合えば、それは紛れもなく『人間』だったのだ。共に笑い合い、時に怒ったり泣いたりしながらも、共に生きていける存在だったのだ。
それが、例え短命の存在であったとしても──
生きていることそのものに、価値を見出せればそれで良かったのではなかろうか。
それこそ、不老長寿などに拘らずとも。




