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紅き箱庭のフィロソフィア  作者: 高柳神羅
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偽りの平穏

 始まりは、些細なことだった。

 医学の進歩のために、と不老長寿の研究を始め、自らを実験台に来る日も来る日も開発した新薬を投与して経過を観察することが、彼の日常の中でのごく当たり前の出来事となっていた。

 研究が実になったのは、彼が研究を始めてから実に70年の歳月が流れてからのこと。

 人類史上初のモデルケースとして自らを論文と共に発表し、そうして不老長寿は人類にとって身近なものとなったことを世に広く知らしめることになったのだった。

 研究は、彼にとっての誇りだった。

 人類に、世界に大きな貢献をしたと疑っていなかった。

 それが、実際はどうだろう。

 人類はふたつに分かれ、戦争を繰り広げるという愚行に身を窶すところにまで転落してしまっていた。

 全ては、究極の不老長寿を追い求めたがために起こされたこと。

 人は自身を機械に改造し、あるいは怪物に変異し、それこそが究極の不老長寿の形であると信じて疑っていない。

 自分は、間違っていたのだろうか。不老長寿の研究など、すべきではなかったのだろうか。

 軍服を身に纏いながらニコルは思う。

 これは、世に研究を出した自分に対する断罪なのかもしれないと。


 身に着け慣れていないナイフ入りの鞘を腰に装着し、簡単には外れないことを確認してから、ニコルは傍らのアノンに告げた。

「着替えました」

「ああ」

 作業場の奥の方で荷を漁っていたアノンが振り返る。

 少し目を離している間に、アノンが座する車椅子は数多の武器を納める鞘のような出で立ちに変わっていた。

 大小様々な刀剣を車椅子の側面に装着した彼は、ニコルの全身を値踏みするように見つめて、まあいいだろうと頷いた。

「着慣れなくてもそのうち馴染むだろう。──ついでにこいつも背負っておけ」

 と、黒い機関銃を無造作に放り投げてくる。

 生まれて初めて自分のために持つ銃身は、ずしりと重たく手に感じられた。

 ニコルが機関銃を背負うと、アノンはゆっくりと車椅子を動かして店の方へと向かっていった。

「いい加減にして」

 店には先客がいた。

 アルティマは腰に手を当てて、カウンターの向こうに居並ぶ顔の群れに呆れ顔を向けていた。

「工房に害なすつもりなら、あたしも黙ってないわよ。強化兵だろうが何だろうが、挽き肉にするのは造作もないことなんだからね」

 何やら不穏な空気だ。

 客──と呼んで良いのかどうかは定かではないが──の1人が両手で印を組んで何かをぶつぶつと呟き始める。

 ニコルが店に足を踏み入れると同時に、すぐ脇でばちっと火花のようなものが弾けて散った。

 びくっとするニコルとは対照的に、落ち着いた物腰でカウンターの外へと車椅子を転がしていくアノン。

 アルティマは溜め息をついた。

「……文句はないわね」

 足下に立て掛けていた大型の機関銃を右手でさっと構え、滑らかな手つきで安全装置を外す。

 光が、炎が、客たちの頭上に球となって燦然と輝く。それに対して、アルティマは銃口を向ける。

 ばらららら、と機関銃が火を噴いた。

 光が霧散する。どさどさ、と立て続けに重たいものが床上に転がる音が響く。

 客は1人残らず、機関銃から放たれた銃弾を受けて倒れ伏していた。

 がしゃ、と機関銃を下してアルティマはふぅと息を吐く。

「……何なのよ、一体」

「まだまだ序の口だ。これから増えるぞ」

 倒れた魔術師たちを見下ろして、アノンは言う。

「エルピスが外に出た。ネイティオに探させているが」

「それと何の関係があるのよ」

「不可侵条約の破棄は時間の問題ということだ」

 ずる、と倒れた魔術師の1人が起き上がろうと腕を伸ばした。

 それの首に容赦なく抜き放った剣の先端を突き落とし、アノンは玄関口の方を見やる。

 静寂に包まれた外は、一見平和なように見えるが──

「構えておけ。すぐに此処も外と同じ戦場になる」

「そう」

 アノンの言葉に、アルティマは特に驚く素振りを見せなかった。

「元々無理があったのよ。偽りの平穏なんて」

「…………」

 ニコルは伏し目になった。

 自分にとっての『当たり前』は本当に『当たり前』ではなかったのだなと痛感させられたのである。

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