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紅き箱庭のフィロソフィア  作者: 高柳神羅
23/42

彼と彼女の懸念

「護身術?」

 ブーツを磨いていた手を止めて、アルティマは怪訝そうにニコルの方を向いた。

「そんなものを覚えてどうするの?」

「アノンさんに言われたんです……最低でも自分の身は自分で守れるようになれと」

「ふうん」

 元通りブーツを履いて、アルティマは立ち上がる。

 磨き布を椅子の上に置いて、ニコルの様子をじっと見つめた後、言った。

「無理ね」

「え?」

「無理、って言ったの。教えたところでものにならないの、分かりきってるから」

 無造作に1歩を踏み出すアルティマ。

 次の瞬間、彼女はニコルの背後に立っていた。

 右腕でニコルの首をホールドし、左手でいつの間に何処から取り出したのか小振りのナイフを持って、彼の首筋に当てている。

 一瞬の出来事だったため、ニコルは反応できずに棒立ちのまま喉を鳴らすしかできなかった。

「そもそも、何を相手に戦うことを想定してるわけ?」

「……それは」

「普通の人間なんていないの。今の御時勢。これくらいの芸当は普通にやってのけるし、そもそもただのナイフや拳銃が通用する相手がいると思ってるの?」

 おめでたいわね、と肩を竦めて、アルティマはニコルから両手を離した。

「本気で身を守りたかったら対戦車ライフルを腕1本で扱うくらいのことをしなけりゃ意味ないわ」

「……そう、ですか」

「ま、そう悲観することないわよ」

 ナイフを何処へともなくしまい込み、彼女はニコルの肩をぽんと叩いた。

「あんた、科学者なんでしょ? 科学者には科学者なりの戦い方があるってあたしは思うんだけど」

「僕なりの……?」

 ニコルは自分の両の掌を見下ろした。

 研究のためにペンや薬品ばかりを扱っていた白い掌は、皮も薄く力仕事をするにはまるで向いていない代物だ。

 そんな掌でもできる戦い方が、本当にあるのだろうか。

「まあ、自分なりに考えてみたら? それで手伝ってほしいことがあるって言うなら、その時は手伝ってあげるから」

 考えるのは科学者の得意とするところだ。

 悲観する前に、考えてみよう。自分にもできる何かがあるかどうかを。

 ニコルは静かに頷いた。

「……そういえば、手伝ってで思い出したんだけど」

 アルティマは後頭部の髪を掻き上げて、ニコルに問いかける。

「エルピス見なかった? ネイティオが探してたんだけど」

「え……いなくなったんですか?」

「ちょっと目を離した隙に何処かに行っちゃったみたいなのよね」

「……うーん」

 朝、薔薇の花を摘みに畑に行ったことは知っている。

 それから?

「……僕、探してみます」

「そう? あたしも一応その辺探してみるけど、見つけたら宜しくね」


 1人その場に残されたニコルは、顎に手を当てて眉間に皺を寄せた。

 考えろ。自分がエルピスの立場なら、何処へ行く?

 あの広場に戻っていないとすると──

「……まさか」

 彼は弾かれたように、窓の外を見た。

 夕暮れ時の世界は、炎に包まれたかのように赤く染まっている。

 じきに日が完全に暮れて、茜は藍へと姿を変えるだろう。

 浮かんだひとつの懸念が、彼を外へと走らせる。

 エルピスが見たがっていたもの──

 それがある場所に、彼女がいるのではないかと思ったのだ。

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