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紅き箱庭のフィロソフィア  作者: 高柳神羅
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エルピスの秘密

「……ピュクシス……?」

 予想外の単語の出現に、ニコルの目は大きく見開かれた。

「不老不死の……」

「そうだ」

 アノンは相槌を打ちながら、ゆっくりとエルピスが眠る揺り籠に近付いた。

「ピュクシスの女は実在する。それを世間から隠蔽し、護っているのがこの巨大な庭だ」

 エルピスの頭を覆うように咲いている薔薇の花を優しく撫で、ぽつりと、言う。

「──エルピスが、ピュクシスの女なんだ」


 エルピスという名は『希望』という意味を持つ。

 一方で、『災厄と転じる可能性を持つ偽りの希望』とも言われる、そんな存在とされる。

 ピュクシスの箱庭とは、エルピスの秘密を封じた言わば巨大なパンドラの箱なのだ。

 箱が開かれ、中身が外へと漏れ出てしまったら、文字通り世界は最終戦争という巨大な災禍に飲み込まれる。

 故に、頑なに存在を閉ざし、箱庭への扉を閉ざし、秘密と称して護り続けてきたのである。


「此処にエルピスがいる限り、ピュクシスの秘密は外に漏れることはない。だから──エルピスを、外の世界と接触させるわけにはいかないのさ」

 あの時アノンが「余計なこと」と言っていたのは、エルピスに外の世界の現実を見せてはいないかという意味だったのだ。

「これが、アルティマやネイティオにすら話していないピュクシスの女の真実だ」

 ぎっ、と車椅子を軋ませて振り返り、アノンは真面目な面持ちでニコルに問いかけた。

「あんたは守れるか? この箱庭を──エルピスを」

「…………」

 ニコルはそっと揺り籠の中に視線を向けた。

 2人の遣り取りのことなど全く知る由もなくあどけない顔をして眠っているエルピスの顔を見つめ、思考を巡らせる。

 知ってしまったからには、選択の余地など既にないのだと。

 守らなければ、今ある日常は失われてしまうのだと。

 すぅ、と深く息を吸い、吐いて、彼は頷いた。

「守らなければ、僕がいられる場所は世界中の何処にもなくなる──でしょう?」

「……ああ」

 アノンは頷いた。

「よく肝に銘じておくんだな。あんたの挙動ひとつで──世界が終わるんだということを」

「……ふみゅう」

 揺り籠がきしりと動いた。

 エルピスは目を擦りながら、上体を起こした。

「アノン……と、お兄ちゃん? 何をお話してるの?」

「……夕飯だから呼びに来たんだそうだ。エル」

 それまでの重たく張り詰めた雰囲気は何処へやら、しれっとした様子でアノンはエルピスに言った。

「上でアルティマとネイティオが待ってる。行きなさい」

「うん。分かった」

 エルピスは揺り籠から下りると、ニコルの右手を取って早く行こうと促した。

 ニコルがアノンに目線を向けると、アノンは無言のまま顎で帰路を指し示した。早く行けと言っているらしい。

 ひょっとしてアノンが口数少なく他者とあまり関わりを持とうとしないのは、秘密を暴露してしまうのを恐れているため?

 そのようなことを考えつつ、ニコルはエルピスに手を引かれるままにその場を後にした。

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