ピュクシスの箱庭
日が暮れて。いつものように店仕舞いの作業を終えたニコルは、食卓が置かれている部屋へと足を運んだ。
その途中で、普段は固く閉ざされているはずの横手のドアが薄く開いていることに気が付き、足を止めた。
此処は──確か、エルピスの部屋と説明されていた場所だ。
じきに夕飯だし、せっかくだから一声掛けてあげよう。
親切心から、ニコルはドアを開いて室内を覗き込んだ。
そして、固まる。
部屋なんてない。殺風景な装いの下り階段があるだけの、何とも無機質な空間がそこにはあったのだ。
この下に、彼女がいるのだろうか。
ニコルは、明かりも何もない長い階段を、壁に手を付けて転ばないように気を付けながら下りていく。
小さな少女が毎日此処を通っているとは到底思えないような段数の階段を何とか下り切ると、数多の植物の群れがニコルを出迎えた。
畑に植わっている植物とは異なる、名前も分からない樹木が並んでいる光景は、例えるならば森林のようだ。
一応は道が存在しているようで、大人が両手を広げた程度の空間が奥の方にまでずっと続いている。
足下には絨毯のように草が、頭上には木漏れ日を落とす樹木の枝葉が茂っている。
瑞々しい空気で満たされた中を、ニコルはゆっくりと進んでいく。
やがて道の果てに、白い鳥籠のような大きな建造物が建っているのが見えてきた。
建造物の中は数多の薔薇の花を咲かせた苗木で満たされていた。真っ白で大振りの花が何とも美しい。
中央には揺り籠らしき木の入れ物があり、見覚えのある顔が眠りに就いていた。
「……エルピス……?」
「そこで何をしている」
「!」
針で刺したかのような鋭い声に、ニコルはびくっと上体を震わせた。
振り向くと、そこには──いつからいたのだろう、険しい表情をしたアノンの姿があった。
「何で入ってきた」
ゆっくりと車椅子を動かしながら、アノンはニコルを睨み据えた。
移動しつつも、視線の先はこれっぽっちも動かない。
完全に敵視同然の眼差しで、ニコルのことを見ていた。
「あの……夕飯だから、呼んであげようと……そうしたらドアが開いていたので……」
「…………」
しばしの沈黙。
やがて、アノンがニコルから視線を外して大きな溜め息をついた。
「……俺の落ち度か」
髪をくしゃりと掻いて、彼は再度ニコルを見た。
「……見られたものは仕方がない。説明してやる。此処は──ピュクシスの箱庭だ」




