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紅き箱庭のフィロソフィア  作者: 高柳神羅
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万工房の日常

 黄金色に輝く雲の切れ間から柔らかな日差しが降り注ぐ、穏やかな昼下がり。

 適度に水分を含んだ風が地面を撫で、花壇や畑に茂る緑を揺らしている。

 此処で栽培されている植物の大半は、極環境での生育にも耐えられるように品種改良されたものばかりだ。結果として季節を問わず実りを齎すようになった畑は、十分に熟れた色とりどりの果実で溢れていた。採った直後のものをよく冷えた水に浸して食べれば、さぞかし極上の味がすることだろう。

 そんな平凡な田舎暮らしのひとこまのような生活も、今や旧時代の文化を綴った書物の中でしかお目にかかることができない。食文化が退廃したこの地では、そもそも『食品』自体が稀有な存在なのだ。茄子やトマトを目にしたとして、それがイコール食品であるという考えに及ぶ者は……いるのだろうか。茄子を茄子だと認識することはあっても、それを食べ物として見ることは絶無ではないが皆無に等しいだろう。

 食品に限った話ではない。言うなれば、此処に存在するもの全てがそうだ。畑に植わった植物、その畑を作れるだけの肥えた土地──そしてそういう生活を営むことを求めた人間。全てが、外から見れば過去の遺物ばかりなのだ。

 此処に身を置くことを決めた自分は、幸福なのだろうか。はたまた不幸なのだろうか。

 分からない。全ての物事は、長い目で見なければ結論は導き出せないのだから。

 今はまだ、答を出す時期ではないのだろう。

 簡素に梱包された箱を両手で抱えた姿勢を保ったまま、ニコルは小さく溜め息をついた。

 金茶の巻き毛を肩まで伸ばし、くたびれた白衣を身に纏った少年のような外見の男である。容姿の割に何処か老いを感じさせる佇まいと眉間に刻み込まれた皺が特徴的だ。

 その傍らで、やはり同様に長大な箱を肩に担いで立っていた巨躯の青年が、視線は正面に向けたまま微苦笑を漏らした。

「慣れるもんっスねぇ。最初の頃なんてただおろおろしてただけだったのに」

「……まあ、毎日目の前で見ていれば、多少は」

 びし、と乾いた音がしてニコルの正面に設置されていたカウンターの天板に小さな穴が空いた。

 流れ弾がたまたま当たったのだろう。あーあと青年が肩を落とした。

「だから木や漆喰は脆いからやめようって再三言ってるのに……」

「その気になれば素材なんて関係ないわよ。今や硬鋼だって紙切れ同然の御時勢じゃないの」

 背後のドアが開き、中から漆黒色の機関銃を小脇に抱えた女性が現れた。履いている靴が厚底のスパイク付きのブーツであることを除けば、ごく普通の女物のビジネススーツを身に着けた細身の美女である。おおよそ機関銃には似つかわしくない出で立ちの人物だ。

 彼女はつかつかと入室してくると、今し方穴を空けられたばかりのカウンターの上に運んできた機関銃を置いた。

「そもそも、誰が此処を1番壊してるのよ。あんたじゃないの、ネイティオ」

「おれよりもアルティマさんの方が……あいったぁ!」

 青年ネイティオの反論は半ばで途切れた。彼女アルティマに、尻を思い切り蹴飛ばされたのだ。

 これもほぼ日常茶飯事のやりとりだが、結構威勢が良い音がするせいで、反射的にニコルはびくりと背筋を反らして硬直してしまう。

「本気でやってないんだから情けない声出すんじゃないわよ! ほら、ぼさっとしてないでさっさと出なさい! 屋根までなくなっちゃうじゃない!」

「それはアルティマさんが無分別に……いゃ何でもないっス……」

 相方の険悪な視線に危機感を覚えたらしい。もごもごと言葉の後半を口内で呟きながら、のろのろとカウンターの外に出て行くネイティオ。彼が纏う白金を基調とした法衣は、先程アルティマに蹴られたためだろうか、腰の辺りに靴跡と思わしき汚れを付けて全体的によれている印象があった。見た目の割に威厳を感じ取れないのはそのせいなのだろう。……ネイティオがアルティマの尻に敷かれっぱなしだからではない。はずだ。そう思いたい。

「あー、もしもし。お客さん。ちょっといいっスかねぇ?」

 荷物を担いだままの格好で、へらりと空気が抜けた風船のような微笑みを浮かべるネイティオと、それを横目で憮然と睨むアルティマの2人を、ニコルは複雑な面持ちで見つめた。

 ──自分が知る『常識』などというものは、この世界ではとっくに廃れてなくなった。

 今、目の前にあるこの光景が、この世界にとっての『常識』で。未だにそれを受け入れ切れずに此処にいる自分は、この世界にとっての『異邦人』で。

 いや。

 良かれと思って完成させた技術が、結果としてこの世界を作り上げたのだ。だから全く無関係とは言えない。

 全身を改造し尽くし機械兵器と化した人間と、魔術で肉体を極限まで変異させ怪物と化した人間が、ひとつの命題の結論を求めて争い続ける世界。

 あの日から、たった500年の間に──

 自分は世界をこんな形にするために研究者になったわけではないのに。ただ本当に、人類のためを思って研究を続けていただけなのに。

 何故。どうして。何が。何処で。間違ってしまったのだろうか。

「……仕方ないっスねぇ」

 担いでいた荷物をカウンターに立て掛けて、ネイティオは胸の中央を飾っていた金細工の留め具に指を掛けた。

 カーテンをくつろぐように、法衣が左右に捲られて、


 数多の観葉植物で飾られたお洒落なカフェテラスのような雰囲気を湛えていた空間は、一瞬にして血と臓腑で彩られた戦場へと変貌を遂げた。


 不老長寿。

 人類が長年追い求めてやまなかった命題。現代の技術では実現不可能とまでされたそれを実現させたのは、1人の研究者が世に発表した論文によって確立された技術であった。

 研究者の名はニコル=ルーヴィエ。世界的な遺伝子学の権威として歴史に名を残すことになった男である。

 彼が齎した技術によって、人の寿命は100年から150年へ。そして200年へ。若くして長き時を生きる種として、人類は新たな文明時代を作り、これを生きた。

 それが、過ちであった。

 命題を追求し続けるあまり、人類は誤った方向へと進化の迷走を始めた。

 最先端の科学技術が、人体の改造という発想を生み。

 最先端の魔術技法が、人体の変容という発想を生み。

 それらが後に、究極の機械兵器と究極の魔学生物を生み出すこととなった。

 それでも。争うことさえしなければ、人類の歴史は此処まで愚かしいものにはならなかっただろう。


 人を昇華させるのはいつの時代も人だ。──それと同様に、人を堕落させるのもいつの時代も人なのだ。

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