EPISODE8
「おう、お前か!?足、全部のしちまったって女は!!」
どうしてこの船の船員たちは皆、声が異様にデカいのだろう―――ダミ声に起こされたリュクシーは、そんな事を思い、目覚めて早々ため息をつく。
目の前で仁王立ちしているのは、どうやら船長のようで、見た所年は30過ぎ、中々の高齢者のようだ。
(カタス病蔓延のため、セントクオリス外での人間の寿命は年々縮んできており、30過ぎて発病しないのは中々に運が良いと言える)
「お前には別の仕事を与えてやる、来な!!」
別の仕事―――嫌な予感がしないでもないが、とりあえずはついて行く事にする。
「お前、いくつだ?―――何てぇ名前だ?で、どこに行くつもりなんだ?」
まくし立てる船長に、すれ違う船員たちは次々と大声で挨拶を交わす。
(挨拶運動でもやっているのか、この船は―――)
「返事はどうした、返事は!!」
もはや公害としか思えないこの声に耐えかねて、リュクシーは渋々と答える。
「―――年は15。名はリュクシー。この船はアクミナータ大陸に向かうと聞いたが?」
「アクミナータか―――なら尚更、お前には別の仕事についてもらうぜ」
「さっきから一方的に言っているが、別の仕事とは何だ?」
「ほれ、着いたぜ。―――ここがお前の仕事場だ」
船長の言葉に、リュクシーは顔を上げる。
(眩しい―――)
―――船長に導かれて出たのは、甲板の上だった。
「おう、イチシ!!調子はどうだ?」
「暑いだけだな」
「おいおい、だれてんじゃねぇぞ!!お前がそんなんじゃ、魔物に取り憑かれちまうぞ!!」
―――舳先に座り込んでいたのは、昨日の髭面だった。
(魔物に取り憑かれる?まさか―――私の新しい《仕事》というのは・・・)
「―――ん。そっちにいんのは、昨日の姉ちゃんじゃねーか」
―――すっかり《女》である事がバレていて、髪を切った事も全くの無駄であったかと、またしてもため息が出る。
「おう、お前1人じゃ心もとねえからな!魔除けをもう一匹用意して来たぜ」
バシッ!!!
船長は大声で笑いながら、リュクシーの背中を叩いた。
「一晩で男共を腑抜けにした魔性の女だとよ!お前らに憑いてくれりゃあ、オレたちは万々歳だからな!!しっかり見張っとけ!後はよろしくやってくれ!!」
またしても一方的に笑い倒すと、船長はさっさと船室に引っ込んでしまった。
「さてと―――」
イチシはひょいと甲板に降り立つと、リュクシーの体を上から下までジロジロと見る。
「まあ、安心しな。足よりは楽な仕事だからよ」
「―――これがか?」
―――イチシはこの船の《依りまし》なのだ。
海に沈んだ魔物の、人間たちの、悪しき意志を秘めたシェイドエネルギーから船を守るための―――
「ただ座ってりゃあ、いいんだぜ?」
「自分の命を垂れ流しながらな」
「―――かわいくねえ性格みたいだな。まあ、女だから許す」
何かにつけ反抗的な瞳をするリュクシーにそう言うと、イチシはズボンのポケットから何かを取り出すとこっちに放ってよこした。
パシッ!!
受け取ったそれは、何かの干し肉だった。
「ただ座ってんのも暇だしな」
そして後はよろしくと言わんばかりに軽く手を上げると、そのまま船室に戻ろうとする。
「―――おい」
「ああ、言い忘れた」
リュクシーが呼び止めると、イチシは振り返り、
「昼は暑いが連中が静か。夜は涼しいが、連中がうるさい。―――だから、昼にしとけ」
「・・・・・・」
元々、イチシの仕事の時間は夜で、昨日廊下であったのは、ちょうど見張りに着く所だったのだろう。
イチシは大欠伸をすると、フラフラと歩いて行く。
リュクシーは、頭上で照り付ける太陽と、見晴らしだけはいい海原を交互に見た。
バァサッッ!!
突然、布が降って来る。
「―――おう、これかぶっとけ」
イチシと代わって現れたのはジンで、リュクシーに日除けの布を放って来る。
「直射日光は体に悪いからな」
「・・・・・・」
頭にかかった布を手に取ってはみたものの、リュクシーはジンの顔を見つめたまま、何も言わない。
「下心なんてねぇよ。人の厚意は素直に受けとけ」
よほどリュクシーがうさん臭げな顔をしていたのか、ジンは苦笑する。
別に疑っていたわけではない―――ただ、《厚意》なんて言葉を生まれて初めて聞いたような気がしたから、そんな事を言うのはどんな奴かと、少し気になっただけだった。
まあ、確かに直射日光は体に悪影響を及ぼす―――というわけで、簡単に布を巻きつけ、気休め程度の日除けにする。
そして新しい仕事に向かおうとしたその時―――
「こら!!」
突然、ジンがリュクシーの首根っこをつかみ、一括する。
「人の厚意を受けたら、何か言えと教わらなかったか?」
「・・・・・・」
―――リュクシーにも感情というものもあれば、心を許した相手だっている。
だが今のこの状況で、一番近かった者さえも敵に回したリュクシーに、この見知らぬ男は《礼を言え》というのか。
―――反発を覚えると同時に、何もかもを疑わずにいられなくなっている自分に気づく。
(メダリアを出てから―――ずっとイライラしている)
ジンの言葉に、リュクシーはようやくそれを実感した。
「―――《ありがとう》。一応礼は言っておくが―――私の事は放っておいてくれ」
このままでは精神が持たない―――そう判断したリュクシーは、少し過去から離れる為にも、誰彼構わず牙を剥くのはやめにしようと思った。
―――だが、この男を信用していいという事にはならない。
「何、訳わからねえ事言ってんだ?こんな船の中で、関わるなって方が無理だろうが。 ―――大体、お前、自分が狙われてるって自覚してるか?昇格したからって、相手が雇われから船員に変わっただけだぞ。 ―――ああ、それから一つ忠告しとくが、昨夜みてえに船員をのしちまうのだけはよせよ。雇われ連中、交代の時間には気が付いたから良かったものの、仕事に支障が出てたらお前、船長に海に放り出されてたぜ」
「だったら、仕事仲間にも忠告するんだな。《私に関わるな》、と」
危害を加えようとしなければ、リュクシーだって体力とシェイドの浪費を好むはずもない。
「ところで―――飯は足りてるか?」
「―――栄養価は悪いが、腹だけは膨れる」
捕縛士に支給される食事は、市販されている固形食や錠剤ではなく、ちゃんと有機栽培された高級食材だったから、リュクシーの胃袋は外界の人間並みの大きさだったが、漕ぎ手の男が食べる食事だ、量が違う。
それにしても、突然食べ物の話をするなんて能天気な奴だと思ったリュクシーは、肩をすくめると舳先に座り込んだ。
座っているのが仕事とはいえ、この無駄な時間がリュクシーの気分を滅入らせる。
―――静寂は色んな事を思い出させてしまうから。
「つっまんねー奴だなぁ、マジで」
今度は、突然下の方から声がして、リュクシーはギョッとした。
舳先に座っているリュクシーの前方下には、海しかないのだから。
「助けてーって、オレの名を呼ぶと思ったのによ」
だが、声の主になら―――カライになら可能な事だ。
船の横にぴったりつけて海上を飛んでいるカライの姿は、青い色の中に浮き立っていた。
騒ぎになる事を恐れたリュクシーは、背後にいたはずのジンに目をやったが、リュクシーの反応が冷たいので、なんとなく哀愁の漂う後ろ姿で船内への階段を下って行く所だった。
「お前に頼るくらいなら、こんな船に乗るか」
小さくつぶやき顔を上げると、いつのまにか目の前にカライがいる。
「っ―――バカか、お前は・・・・・・」
誰かに見られたらどうするんだと辺りを見回し、カライを甲板から下に押し下げようとしたが、逆に腕をつかまれ、舳先から引きずり下ろされる。
「なっ―――!!」
リュクシーを腕の中に抱きしめ、海の風を受けているカライ。
海上に浮遊しているという不自然な状態に、リュクシーは身をよじった。
「お前の暇つぶしに付き合う暇はないんだ!!―――さっさと戻せ!!」
「………」
だが、いつもふざけた調子のカライが、今は神妙な顔をして黙り込んでいる。
「どうした―――」
また何か企んでいるわけではないようだが、明らかに様子がおかしい。
「………」
ふと、カライの足元に目をやると、一瞬霞んで見えた気がして、ハッと顔を上げた。
「カライ!!!」
「―――何だ?」
リュクシーが名前を呼ぶと、カライはニヤリと笑う。
「お前―――本気で……」
「何だよ」
―――カライは本気で、リュクシーのそばにいないとダメなのだ。
昨夜はどこにいたのか知らないが、自分の存在を知る者―――今となってはリュクシーただ1人が名を呼ばないと、温もりを与えないと、カライは消えてしまう。
リュクシーを抱きしめ、まるで実験前のモルモットのように哀れな瞳で見つめて来たカライを思い出し、思わず体が熱くなる。
「顔が赤いぜ」
そう言われても、リュクシーはカライから目が離せなくなっていた。
今、初めて気づいたのだ―――
―――これほどまでに解りやすい男がいるだろうか、と。
本音も建前も、愛も憎しみも関係なく、カライにはリュクシーが必要なのだ。
―――生きるために。そして、自分であるために。
(ああ、そうか―――強い繋がりを持つ相手……それはこんなに近くにもあったんだ)
気を引くために、あの手この手で困らせて、どうにかリュクシーを繋ぎ止め――― それだけがカライの生きる道。
―――カライにはそれしかないのだ。
(色んな事に捕らわれて、回り道ばかりする人間よりは、ずっと―――純粋な存在なのかもしれない)
だからといって、カライの言動はリュクシーにとっては迷惑に違いなかったのだが。
「―――お前ら!?何やってやがる!?」
また勘に触る大声が頭上から降って来て、2人は顔を上げた。
「またあの男か―――」
「何だ、そこの野郎は!?羽―――!?何なんだ、お前!!とにかく上がって来い!!」
姿の見えないリュクシーを、海に落ちたと思ったのか、身を乗り出しているジンの姿が見える。
「うっせえ野郎だな。―――焼き殺すか」
「………」
《焼き殺す》という物騒な言葉よりも、人の事をとやかく言えるほどお前は静かなのかと、リュクシーは冷たい視線を投げかける。
「お前は全く―――」
「だから何だよ」
「騒ぎの元だと言いたいんだ」
カライはフッと笑うと、何もない空中を蹴ると上空に飛びあがり、急降下して甲板に降り立った。
「ジン、何だ今のは!!」
「何だ!?」
カライの派手なパフォーマンスのせいで、船員たちがぞろぞろと甲板に集まって来た。
もはやごまかしの効かない状況に、リュクシーはうんざりとしたため息をもらす。
―――当人は相変わらずニヤニヤしているだけだったが。
だが、それでこそカライだと、心の底で思っている自分がいるのを、リュクシーは素直に認めていた。
―――生き媚びるカライはらしくない。
(またシェイドに汚染されているな―――すっかりカライのペースだ)
―――だが、今はそのくらいでいい。
リュクシーはメダリアの捕縛士たちよりも多くの経験を経て、シェイドを磨き、生き抜く道を選んだのだから。
バサッ、バサッ、バサッ―――――
あっと言う間に集結した船員たちは、これ見よがしに翼をはためかせているカライたちを取り囲み、背中に異物を取り付けた男の姿を物色している。
さあ、この状況をどう打破するのか―――
たまにはお前が考えろと言わんばかりに、リュクシーはカライの顔を見上げた。
(少しは自分で尻拭いをさせた方がいいんだ、こいつは)
「―――なるほど。で、お前らはセントクオリスのメダリア研究施設から逃げて来たってのか。あの妙な黒い羽もメダリアで実験体にされたからだと」
緊急収集された船員たちに囲まれ、自分たちの正体について、リュクシーは自分が捕縛士としての養育を受けていた事以外をおおざっぱに説明していた。
何故かこの場にカライの姿はなく、リュクシー1人が大男たちに囲まれ、うんざりとした顔をしている。
「船長、こいつの言ってる事は全部デタラメだぜ!!あのヤロー、オレが見た時は羽なんてなかったんだ!!」
昨夜、カライを誘い出していた顔が、よほどカライに痛い目にあったのか、必死に訴える。
「ありゃあ人間じゃねー!!目も光ってた!!この女もセントクオリスの回し者だ!!」
「こんな船を襲うメリットがどこにある」
リュクシーが睨み返すと、男はさらに逆上してつかみかかって来た。
「こいつは魔物に違いねえ!!海に放り込んでやる!!」
バキッ!!
だが、興奮する男をジンが殴って取り押さえる。
「こいつらの正体が何だって、決めんのは船長だ!!いいから落ち着け!!」
ジンもリュクシーの正体について勘ぐっているようだが、船長の英断にまかせるといった様子で、他の船員を怒鳴り付けた。
―――全員の視線が船長に集まる。
リュクシーは最悪の場合を考え、戦闘態勢を取ろうとしたが―――
「わっはっは!!」
突然、船長が豪快に笑う。
「こんな小娘一匹、何だって構やしねえ!!くだらねえ用でオレを呼びつけやがって!!全員持ち場に戻れ!!」
一瞬、その場にいた全員が状況が分からず呆然とする。
「聞こえねえのか!?三日後にはアルガン港に入るんだ!!遅れたら承知しねえぞ!!」
その怒鳴り声に、船員たちは皆、慌てて散り散りになっていった。
「良かったな、お咎めなしで」
ジンが後ろでため息をついている。
「何だ、ジン!お前も仕事に戻れ!!―――それとイチシの奴、起こして来い!!」
船員を追っ払うと、甲板には船長とリュクシーの2人だけが残り―――無言の2人に、時折、頭上から翼のある影が落ちる。
「どう見ても、ありゃあ《普通》じゃねーな」
船長は顔を上げると、上空を飛び回っては影を落としているカライを見てつぶやく。
あの男は、船員たちに囲まれた途端、後はまかせたとばかりに、まてしても高見の見物を決め込んで、上に逃げてしまったのだ。
「何だよ…」
寝ぼけ眼というか、寝ているというか、ジンに引きずられるようにして現れたイチシに船長は歩み寄ると、アレを見ろとイチシの頭をムリヤリ上に向かせる。
「―――なんだ?」
「起きろ、イチシ!!」
「何だよ―――アレが何だってんだ?寝かせろよ・・・」
「おい、イチシ―――」
「いい、ジン。ベッドに運んでやれ」
首根っこをつかまれたまま、器用に寝てしまったイチシを、もう一度起こそうとジンが手を伸ばしかけたが、依りましのイチシの無関心な態度に、カライに危険はないと判断したのか、船長はしっしと追い払う合図をする。
「―――本当にいいのか?」
船長はカライを物の怪の類かと疑っていたのだろう。
だが、依りましとしてシェイドと関わり、自身も溢れ出すほどの強いシェイドを持つイチシが、カライの正体に気づかないはずがない。
それを何故、あのイチシという男は何も言わなかったのか―――
「お前には仕事もあるしな。だが、ただ飯食らいは置いとくわけにゃいかねえ。オイ、上の奴!!フワフワ飛んでねえで、降りて来い!!」
船長が怒鳴ると、カライはリュクシーの頭上でピタリと止まると、空中でアグラをかく。
「オレに命令すんなっつーの。そうだなぁ―――リュクシーちゃ〜ん」
「また気色の悪い声を―――『降りて来て下さい』なんて言わないからな」
「あっそ、じゃあ降りね」
「オレが来いっつったら、来るんだよ!!」
ブンッッ!!!
船長が何かをカライに向かって放り投げた―――リュクシーはギョッとする。
物体はカライをすり抜けて、放物線を描くと今度は落下してくる。
パシッッ!!!
投げたのは投具のようで、船長は自分の元に戻って来た武器をその手に取る。
「・・・・・・」
船長は有り得ないモノを見てしまった事からの現実逃避からか、首をコキコキと鳴らしながら、転移行動をしている。
「カライ、降りろ!!私のそばに来い!!」
それはカライの望んだ《お願い》ではなく命令口調だったが、存在が薄れて来た事に恐怖を覚えているのか、カライは無言のままリュクシーに従う
「・・・・・・」
見放せば、消えてしまう―――リュクシーにとって、カライは必ずしも必要な人物ではないが、カライにとっては限りなく切実なのだ。
「降りて来てやったぜ?」
リュクシーの視線の意味に気づいたのか、カライはわざと目をそらすと、相変わらずの転移行動を続けている船長に不敵に微笑んでみせる。
「―――ん、ああ・・・」
そして、やっぱり普通じゃないと言った顔で、カライを頭から爪先までジロジロと見回していたが、
「オレぁ、イチシの野郎と違って、人の霊魂みたいなモンは見た事がねえから信じてねえが――― 異形なモンってのは存在すると思ってる。そして、異形かどうかを判断すんのは、いつだって自分自身だ。今はまだ執行猶予だが―――いいか!!オレの船で金輪際、妙なマネはするな!!持ち場を離れたり、空の散歩に出かけたり、乱すようなマネしてみろ!!いつだって海に放り出してやるからな!!!」
「これで脅してるつもりらしいぜ?―――ケケ、笑っちまうねえ、リュクシーちゃん」
だが、シェイド体であるカライには、海に放り出されることを心配する必要もなければ、袋叩きを恐れる事もない。
カライが唯一恐れるのは、リュクシーと引き離される事―――
「カライ―――船長の言う通りにしておけ」
「何でだよ?」
「いいから―――仕事が終わったら、そばにいてやる。だから行け。《人間》なら自分の責務を果たせ。 ―――飛ぶのは鳥だけでいい」
《人》から離れるな―――それはカライが今の状態を保つための絶対条件なのだ。
空ばかり飛んでいては、破壊ばかりを繰り返せば、カライは人を忘れ、魔人と化してしまう。
リュクシーが見つめると、カライはため息をつき肩をすくめた。
「お前が約束守った事あるかよ?」
「―――な・・・?」
突然訳の分からない事を言われて、リュクシーは戸惑った。
カライと約束なんて、一度たりともした覚えはないのだから。
「じゃ、案内してくれよ、オッサン。オレは得にならねー事は覚えない、賢い頭の持ち主だからな」
「バカか、お前は!!下りゃあ、船倉に着くんだよ!!とっとと行け、優男!!」
それでもカライはリュクシーの言う事を聞いて歩き出した―――――自分の足で。
「―――――カライ!!!」
リュクシーは大声であのシェイドエネルギーの名を呼んだ。
「何だよ」
迷惑そうな、でも嬉しそうな顔をして―――カライは振り返る。
「何でもない―――しっかり働いて来い」
―――カライにその言葉がどう聞こえたのかは分からない。
だが、カライは薄く笑うと船内に消えて行った。
(《約束》―――あいつ、何の事を・・・・・・)
―――――あの事だろうか。
《お前を殺す方法くらい、私が探し出してやる》
いや、そうは思えない。
カライは脅えている―――無に還る事を。
「おい、お前」
―――気が付くと、船長が横に立っていた。
「悪い事は言わねえ。―――お前、アルガン港に入ったら、そのまま降りろ。あそこのゴデチヤって国にゃ、保護地区もある。そこまでは―――そうだな、ジンにでも送らせてやらぁ。 ―――お前がどうしてセントクオリスから逃げてぇかなんて、聞きやしねえ。セントクオリスに密入国もその逆も、日常茶飯事だしな。ただ―――《アレ》は普通じゃねえ。翼があるからじゃねえ、もっと体で感じる何かが、《アレ》はおかしい。 ―――後始末はイチシにまかしとけ」
「イチシにカライをまかせる―――?」
―――不可能に決まっている。
いくらシェイドと関わる依りましとはいえ、目的も実体もなく、たださまよっているだけの存在ではないのだ、カライは。
カライには自身の意志もあれば、他に関われるだけの仮の実体を持っているのだから。
「あいつも普通じゃねえからな。―――オレは他人に興味はないし、面倒は嫌いだがよ。 ―――子を産める女は大事にするのが人間って奴だ。お前は保護地区に行って、オレたち人間の子孫を残せ。それが女の価値、幸せってもんだ」
「私だって普通じゃないんだ―――子供など産めない。そんな奇麗事はいらない。 ―――飼い殺されるしかない家畜なら、最初から飼わせやしない。子供なんか産まない」
「お前もセントクオリスに食い物にされたクチらしいな―――」
リュクシーの頑なな心を感じ取ったのか、船長はつぶやいた。
(《食い物》―――か・・・)
自分は食う側の人間のはずだった。
でもリュクシーは放棄した。そして立場は一転した。
「それにしたって、この世の中、女1人で歩き回るのはアホ以外のなんでもねぇぜ。いいか、港に入ったら、自警団でも―――こうなりゃ捕縛士でも文句はねぇ、護衛に雇って保護地区に隠れちまえ!!いいな!!!」
「それは―――私はもう、この船にはいられないという事か」
「アクミナータまで行かなくても、セントクオリスと張り合える国はいくつもある―――贅沢言ってねえで、とっとと落ち着いちまえ!!あんなのに関わってたら、命がいくつあっても足りねえぞ!!」
(セントクオリスを―――メダリアを潰せる国?捕縛士から―――逃れられる場所・・・・・・?)
それを探してリュクシーはさまよっているのに―――ないから探しているのに。
「わかった。―――私たちはアルガン港で降りる。それで文句はないだろう」
「何だ、お前―――まさか、惚れてやがるのか?」
あくまでもカライと離れようとしないリュクシーに、船長は呆れた声を出す。
「―――運命共同体なんだ、私たちは。私たちが目指す場所は、2人でないと見つけられない・・・・・・」
リュクシーが逃げ出せたのは、カライがいたから。
カライがそこに在るのは、リュクシーがいるから。
「惚れていたら何なんだ?どうにかなるというのか・・・・・・?」
―――ゼザは何だ。リュクシーは何だ。―――2人の結末は何だ。
「くだらない事を勘ぐるな。感情など、そこに在るだけで、何の意味もない・・・・・・」
―――今でも愛している。
向き合った時、殺し合うなんてできやしない。
「忠告はしたぞ、オレは」
「―――忠告だったのか、今のは」
リュクシーは力なく笑った。
「―――――カライは《人》だ。少なくとも、私はそう信じている・・・・・・」
リュクシーはまた舳先へと移動すると、海原を見渡した。
せっかく、こうしてメダリアを離れたのだから―――シェイドを利用するのではなく、シェイドに使われるのではなく、シェイドを信じてみよう。
―――それがリュクシーの選んだ結論だった、
(痛みを訴えるだけのシェイドじゃない。―――私たちは解り合える。触れ合える。 ―――メダリアの支配に打ち勝つのは、あの男―――カライだけだ)
そしてふと、恐ろしい考えが頭を過る。
―――――カライのように、死してなお強い意志を持つ者。
(そんな連中が集まれば―――?)
だが、その考えを打ち砕いたのは、脳裏に描かれた複数のカライたちの姿だった。
(あんなのが大勢いたら、騒々しくて適わないな・・・・・・)
リュクシーは苦笑した。
「あんなのは1人で十分だ」