EPISODE7
「姉ちゃん、一人かい?」
ヒュッ―――――
背後に人の気配を感じたリュクシーは、まず振り向きざまに、そこにいるであろう人間に蹴りを入れた。
ドカッ!!
いい音がしたと思ったら、怪しげな三人組の内の一人が、地面に倒れ行く様が視界に入る。
「こ、この女―――」
だが、残りの二人が何かを言おうとする前に、リュクシーの次の一撃が襲いかかる。
「ぐえっ!!」
回し蹴りを食らってきれいに吹っ飛んだ二人の体を、今度は大地を蹴って後を追う。
そして一人は腹を踏み砕き、もう一人には強烈な肘打ちを食らわせた。
それっきり、男たちはウンともスンとも言わなくなる。
「―――カライ、降りて来い」
いい加減、息も上がって来たリュクシーは、両脇に立ち並ぶ倉庫の屋根の上で、あぐらをかきながらこっちを見下ろしているカライに言った。
―――――ここは港町ポートフロイス。
ドーム脱出後、これといった捕縛士の妨害もなく、無事に外都市を抜けここまで来たリュクシーたち。
今後の進路は、ここスタニアス大陸を離れるために、海路を行く事を考えていた。
だがポートフロイスは、捕縛士が派遣され、メダリアの監視が行き届いているとはいえ、治安の悪いデスタイト国との国境の町、それをリュクシーが一人で歩いていては、先刻のように、獲物を狙う密猟者の類が後を断たない。
―――リュクシーは《女》だ。
それだけで狙われる価値は十分にある。
もっとも、見た目だけでは正常な女と解るはずもないが、裏の人身売買人に捕まれば、綿密な検査をされ ―――その結果、生殖機能を持ち、しかも健全な肉体でありながら、カタス病の抗体も持つ事が判明したら、リュクシーの値は小国が買えるほどになるに違いない。
とはいえ、この町を女が一人で歩くなど狂気の沙汰ではあるのだが、カライはおもしろがって倉庫の上をわざわざ移動して、リュクシーが絡まれるのを見ているのだった。
「降りて来て下さい、じゃねーのかよ?」
こういう態度に出るのが解っていたから、一人で対処していたリュクシーだが・・・・・・シェイド体であるカライと違って、こっちには体力の限界というものがある。
「十分、解った」
いい加減、自分に憑いて回るこの男の性分に頭が来て、リュクシーは別の方法を考える事にした。
リュクシーは倉庫脇の路地に人気がないのを確かめると、その身を隠す。
「お〜い、何やってんだぁ?リュクシーちゃん」
「気味の悪い声を出すな」
リュクシーは作業しながら、ピシリと言い放つ。
「リュックシーちゃ〜ん?」
「・・・・・・」
押さえ付ければますます反発するカライだが、リュクシーから何の応答もなく、何だかゴソゴソとやっているのに興味を持ったのか、カライがようやく下に降りて来た。
「だから、何やってん―――」
再び姿を現したリュクシーは、すっかり別人と化していた。
長かった黒髪を切り落とし、胸の膨らみも何かで締め付けているのか、すっかり影も形もない。
(今のリュクシーの服装は、メダリアの制服を着崩したものだが、男女兼用なのでそのままでも男装に支障はない)
「―――長い髪がシェイドを操るのに適しているという説は、どうやらでたらめだったようだな」
カライの姿をしっかりと捕らえている自分の目に―――髪を切ることでカライとも決別できれば・・・という淡い希望でも持っていたのか、リュクシーは諦め顔で言った。
「もったいねぇな―――」
カライが何かつぶやいたが、リュクシーには聞き取れなかった。
「何か言ったか?」
「まるでオカマだって言ったのさ」
いくら髪を切り、男のなりをした所で、せいぜい《無性》にしか見えない。
「オカマで十分だ。《女》でさえなければ、寄って来る数も減る」
今の世の中、正常な男女もいれば、先天的、後天的に性を持たない者もいる。
無性など珍しくもない―――どころか、世界人口の半分くらいはいるのかもしれない。
「―――そういえば、お前は《男》なのか?」
散々自分にちょっかいをかけて来たカライに、今更の疑問を口にする。
「バーカ、まともな《男》だったら、ラジェンダなんかでモルモットにされるかよ」
「確かにそうだ」
「ま、オレの場合は精子に異常があるだけで、あっち方面に問題はねーらしいぜ」
カライがまた嫌な笑みを浮かべるが、あっちとやらに興味のないリュクシーにとってはどうでもいい事だった。
「ま、他に異常があった所で、現役から退くバカもいねーだろうけどよ」
「下世話な話はいいんだ。丁度お前が降りて来たことだ、これからの説明をするが―――」
「ホントにお前って、無意味な《説明》が好きな女だよな」
「船に乗り込む」
一々相手にする気もないリュクシーは、無視して先を続ける。
「そりゃー、ここは港だからな」
「実際にやるとなれば、色々と問題があるんだ」
リュクシーは布でうっとうしく垂れ下がる髪を押さえ、歩きながら話そうと目で合図する。
「一応、メダリアは出入国のチェックをしているからな。まともに乗船するのは無理だ」
「って事は密航か?でも、セントクオリスって国は、結構チェックが緩いって評判だぜ?」
「―――それは、メダリアの連中にとって都合がいいからだ。色々な人材や物資が入り乱れれば、それだけ複雑な構造や感情が生まれ、最終的には優秀で使い勝手のあるシェイドに・・・・・・」
―――そこまで言って気づく。
(メダリアが密入国者を放置しているのは、おもしろい《素材》を探すため。また、危険分子をいつでも始末できると力を持っている余裕がそれを可能にしている。《素材》を泳がせ、時が熟した時に狩るのがメダリアのやり方―――)
―――リュクシーは辺りを見回した。
毛色の変わった二人に注がれる視線は絶えない―――だが、この中にリュクシーの知人のものがないとは言い切れない・・・・・・
「墓穴を掘っちまったみてーだな」
カライは相変わらずおもしろがっているだけだ。
「―――メダリアの手の内にいるのなら、抜け出す方法を探すまでだ」
―――そう、状況は何も変わらない。
泳いでいる内に死ねばそれまで、生き延びれば―――生き続けさえすれば、リュクシーにも勝てるチャンスは巡ってくるだろう。
「おい、見ろよ。アレ、ディバル型戦艦フェイラスじゃねーのか???」
カライの興味はもう別のモノに移っていた。
「オレ様はあ〜いう船に乗りたいぜぇ、リュクシーちゃん」
港に居座る潜水艦に、瞳を輝かせるカライ。
「バカを言え。―――私たちが乗るのはあれだ。それと、《ちゃん》と付けるな、気色の悪い」
リュクシーの指した船に視線をやったカライは―――
「本っ当にお前ってマゾだよな」
今のご時世に、帆船に乗ろうというリュクシーに、ケタケタと笑い出す。
「うるさい、大きな声で笑うな」
カライは全くあてにならない―――重々承知していたリュクシーは、どうやってあの船に乗り込むかを模索し始めた。
―――――◆―――――◆―――――◆―――――
「よーし、休憩だ!!次の交代は12時間後だ!!飯食って寝ておけよ!!」
その一声と共に、漕ぎ手たちは一斉に脱力したうめき声をもらす。
「2班、交代だ!!」
リュクシーはバンダナ代わりの布をほどくと、ポタポタと落ちる汗を拭った。
「飯の時間だとよ。どーせ、ロクなもんじゃねーけどよ、ケケッ」
そんなリュクシーのそばに、汗一つかかず、ケロッとしているカライが歩み寄る。
「・・・・・・」
6時間も船を漕ぎ続けていたリュクシーは、カライの相手をする気力もない。
「兄ちゃんたち、こっち来いよ。飯がなくなるぜ」
船員に声をかけられ、一人笑顔のカライを置いて、リュクシーは歩き出す。
乗船して三日目―――リュクシーに向けられる視線は絶えない。
「狙われてるぜぇ、お前。せいぜいケツ掘られねーようにしろよ」
リュクシーの耳元でカライが囁く。
(自分の事は棚に上げて・・・・・・)
《男》と名乗るには細身のリュクシーとカライは、明らかに人目を引いていた。
それでなくても《女》のいない船の中、性のはけ口を求めて皆、獲物を探しているのだ。
(そのための要員でもあるわけか、私とカライは―――)
カライはテーマパークに引き取られただけあって、黙っていれば中々いい顔をしていたし、リュクシーも無性と偽って雇われたわけだが、そこら中に座って食事を取ったり寝転がっている連中は、まるで目当ての二人の体力が切れ、弱った所を襲おうとしている獣のようだ。
(カライの体力が尽きる事はないし、せいぜい気を付けるか)
カライに隙がない分、リュクシーが狙われる。
(まったく、お荷物もいい所だ―――)
配給された食事を受け取った所で、カライは男に誘われている。
リュクシーの反応を確かめようとチラチラとこちらに視線を送って来るが、いつもに増してリュクシーの反応は薄い。
「あんた、名前は?」
突然、自分に向けられたであろう声に、振り向き様に蹴りを入れたい衝動を押さえつつ、リュクシーは無視を決め込んだ。
「―――あんた、女だろ。女の匂いがするぜ」
その場を立ち去ろうとしたリュクシーの前に回り込んで来たのは、不精ヒゲを生やした男だった。
ヒゲのせいで老けて見えるが、年はリュクシーと近いかもしれない。
「やらせろよ」
ビリッッ!!
男に腕をつかまれた瞬間、何かが体を走った。
(これは―――シェイド?この男・・・・・・)
特に目立つ失陥もない人間で、捕縛士に感じ取られるほどのシェイドを持つとは―――この男、もしかして、それと知らずに自身のシェイドを放出しているのかもしれない。
もっとも、自分自身のシェイドエネルギーの乱用は、寿命を縮める事になるが。
当の本人は、女にしては長身のリュクシーの、そのさらに上から、性別を確かめようと胸元を覗き込もうとしている。
バシッ!!
バキッッ!!
同時に二つの衝撃が、男に襲いかかる。
「ってぇな―――ジン、あんたかよ」
リュクシーが股間を蹴り上げたと同時に、ヒゲ男の後頭部をどついた男がいた。
「わかってんなら、とっとと働け、イチシ」
「いいじゃねーかよ、オレは《男》なんだから、女探すくらい・・・・・・」
「お前にはヘルがいるだろが!そんな変なのに構ってねえで、自分の仕事をしやがれ!!」
ジンと呼ばれた男は、デカい声を張り上げると、イチシという名らしいヒゲ男の背中を突き飛ばす。
「それと、お前も―――」
そしてリュクシーに向き直ると、イチシよりさらに上から見下ろし、
「紛らわしい真似してねえで、とっとと引っ込め!!」
ありったけの声でリュクシーを怒鳴りつけた。
「・・・・・・」
カライとはまた違った種類のうっとうしい奴が現れたと、心の底でため息をつきつつ、リュクシーは黙々と食事を続ける。
「聞こえてんのか!?とっとと、あの連れと一緒に部屋に戻れってんだ!!」
ジンは食堂の片隅で男と戯れていたカライに視線をやったが―――そこにいたはずのカライの姿はない。
どうやら、さっき声をかけられていた男とどこかに消えたようだ。
「連れなどいない」
親切にもそれだけ教えてやると、リュクシーは睡眠を取るために共同部屋へ向かう。
「じゃあ、お前一人か―――」
突然、ジンの声のトーンが落ちた。
だが、リュクシーは既に歩き出しており、振り向きもしない。
「ち―――しょうがねえな・・・・・・」
ジンはしばらく何かを考えているようだったが、
「じゃあ、お前―――」
意を決して何か言おうとした時には、リュクシーは遥か先だった。
「おい、お前!!」
―――また大声を張り上げてこっちに駆けて来るジンに、リュクシーはうんざりしたが、歩は緩めず、共同部屋の前にたどり着く。
そして戸に手をかけようとしたその時―――
「お前、今日はオレの部屋で寝ろ!!」
ジンの突然の申し出に、リュクシーは眉間にシワを寄せ、今日何度目かのため息をもらした。
「お前もその手の輩か」
「バッ、バカ言ってんじゃねえ!!誰がお前みてえな小娘に・・・うおっと!!」
リュクシーの事を《小娘》と呼んだ後、ジンは慌てて口をつぐんだ。
だが、周囲の男共の視線は、既にリュクシーに集まっていた。
「と、とにかくだな―――いいから来い!!」
リュクシーの襟首をつかもうとしたジンだが、いい加減この声を耳障りに思っていたリュクシーは、この大男を投げ飛ばした。
ダンッッッ!!!
「っつつ―――――」
「気安く触るな」
バンッッ!!!!
リュクシーは戸を荒々しく開けると、力一杯、叩き付けた。
「あのガキ!!人が気ぃ遣ってやりゃあ―――知らねえぞ、オレは!!」
外で叫んでいるジンに、リュクシーは頭を抱えた。
(どうして、ああいうのが寄って来るんだ、まったく―――)
そしてふと顔を上げると、男たちの視線に気づく。
(今夜決行、というわけか)
一人元気なカライもいない事だし、リュクシーを襲うには吉日というわけだ。
「順番だぜ、お前ら―――」
「とりあえず、お前、足押えてろ」
雑な打ち合わせをしているようだが、リュクシーには関係ない。
「・・・・・・」
リュクシーは軽く準備運動をする。
(限りあるシェイドを、こんな事で無駄使いさせるか、こいつらは―――)
リュクシーはまたしても深いため息をついた。
(だが、他人のシェイドで生きていくよりマシだ。あの―――《声》を無視して生きていくよりは)
今のように、目の前にいるのが生身の人間なら―――意志を持つカライなら。
リュクシーにも変えられるかもしれない。
だが、物言わぬシェイドでは―――生の残像だけでは。
―――ゼザはあの中で生きていくのだろうか。
(あの想いの中で―――)
メダリアを離れてから、考えるのはゼザの事ばかり―――思い出すのはゼザの顔ばかり。
(もうやめよう。―――やめるんだ。メダリアと共に捨てた。―――逃げて来たのだから。 ―――裏切ったのだから)
―――敵を前に、リュクシーは構えた。
襲って来る連中は、気を紛らわせるという意味では、役に立つ存在だった。
何もする事がない時が来るのが恐ろしかった。
誰でもいい―――ゼザ以外の者で、自分を満たしたかった。
(そんな者―――現れるんだろうか、ゼザ以外に)
リュクシーは自分に襲い掛かろうとする男たちを視界に捕らえた。
―――早く、そんな日がくればいい。
そんな事を思いながら、リュクシーはシェイドを解放した。
「知らねえとは言っても……やっぱり放っておいたら寝覚めが悪いんだよな。 ―――我ながら、損な性格だぜ」
ジンは通路に座り込んだまま考えていたが、決心して立ち上がった。
ジンを投げ飛ばした事といい、腕に多少の自信があるから、あそこまで強気でいられるのだろうが、30人を越える男たちに囲まれて、女の細腕で何ができるというのだ。
(あれで女を隠してるつもりなら、笑うしかねえな―――いや、笑い事じゃねえか)
あの黒髪の少女は、ポートプロイスで見かける女たちとは、明らかに質が違う。
セントクオリスを始めとする幾多の国々には、正常な男女を保護するための《保護地区》というものが存在する。そういう所にいる連中を、国は一歩も外に出そうとしないのが普通だし、保護に値しない《外》の人間たちは、猜疑心に溢れ瞳は濁っているものだ。
(ありゃあ、世間知らずの嬢ちゃんだな。でなきゃ、女がこんな船に乗ろうなんて思うはずがねえ―――)
いくら護身術を身につけようとも、人一人の力には限界があるのだから。
だが、それにも例外はあったが―――
(あの嬢ちゃんが捕縛士だってんなら、話は別だが)
ジンが自分で自分の考えに小さく笑った後、共同部屋の中にざわめきが起こる。
(!!―――ほれ見ろ、だからオレの言う事を聞いておけば……!)
「!!!」
リュクシーを救い出そうと、扉に手をかけたその瞬間―――ジンに風が襲いかかる。
(何だ!?今の衝撃は―――中で何が起こってやがるんだ!?)
バンッッッ!
扉を開けたジンが見たものは―――床に転がる男たちの中で、一人佇むリュクシーの後ろ姿。
「な!?なんだ、こいつら!?」
―――男達は皆、失神していた。
「大声を出すな、頭に響く」
肉体労働と、シェイドを解放した事で疲労が溜まっていたリュクシーは、壁際に移動するとドサリと座り込む。
そして眠りやすい態勢を取ると、すぐに寝息を立て始めた。
「………」
その様子をあっけに取られて見ていたジンだが、他にする事もないのに気づき、自室に戻る事にした。
(まさかな―――)
もう一度だけ振り向いて、眠り込んでいるリュクシーに目をやった。
「まさかな―――」
頭の中で、この少女の正体についての予感がグルグルと回り始める―――だが、あまりに違う。
ジンの記憶にある《捕縛士》の姿とは。
「なあ、ジンってば」
「うおっ!!びっくりするじゃねーか、いきなり声かけんじゃねえ!!」
突然、名を呼ばれ、相手が同じ船員である事を確認すると、怒鳴り付ける。
「さっきから呼んでんだけど」
「あ、ああ、そうか―――で、何なんだ?」
配給係のタンブラーは、首を傾げながらジンに尋ねる。
「足は全部で93人のはずだよなぁ―――」
「―――何だ、何かおかしいのか?」
「1班の後だけ、1食余るんだよな―――足りないんじゃなく、余るっておかしくないか?」
「余る?そりゃあ、数があってねえんだろ。もう一度数えとけ」
「でもよぉ―――今回はそう思って、ちゃんと数えて、人数分きっちり渡したんだ」
タンブラーは納得が行かない様子で、辺りを見回した。
「まだ何かあんのか」
「毎回毎回、変なトコで見つかるんだ、これが」
「あ?」
キョロキョロと何かを探していたタンブラーは、廊下に積み上がった木箱の裏に手を突っ込むと、パンを拾い上げた。
そのパンはまだ新しく、明らかについさっき支給されたものだ。
「どこのどいつだ、食べ物を粗末にする奴は!!」
「だから―――変だろ?港出て、もう三日だぜ?飯抜きで6時間も漕げると思うか?廊下に落ちてた時もあったんだ、そんな事する意味なんてないだろ?」
「・・・・・・」
確かにおかしいとしか言いようがない。
労働を終え、食事も取らず、配給された食糧をそこら中に捨てて行く―――
「そんなバカがこの世にいんのか?」
ジンとタンブラーは互いに顔を見合わせるしかなかった。