EPISODE4
「―――降りろ、カライ!捕縛士に狙い撃ちされるぞ!」
メダリア・ドームからは離れたものの、セントクオリスの上空を飛び続けるカライは、巨大都市中に配置されている捕縛士の目につかないはずがなかった。
リュクシーの忠告などまるで聞こえていない様子で上空を旋回していたカライだが、突然、一点を目指して急降下を始める。
(ここは―――ビレイラ・ドーム?あの魔獣を見つけた―――)
ビレイラ・ドームはセントクオリスが造った初期型ドームで、今のメダリアの科学技術から見れば、<屋根の付いた巨大なゴミ溜>のような場所――― そして<ゴミ>と呼ばれるのは、セントクオリスの負の部分を背負わされた魔獣やカタス病感染者に他ならない。
(カライはあそこに向かっている―――何故だ?)
カライは大きな白い建物の前に降り立ち、リュクシーを無造作に放り出すと、目の前にそびえたつ建築物を見上げた。
「何だよ、こりゃあ―――」
いつもどこか緊迫感のないカライが、突然低く唸るようにつぶやいたので、リュクシーもその建物を見上げた。
「―――エクワド教の支部だ。つい一ヶ月ほど前に完成したばかりの」
ビレイラ・ドームの敷地を買い取って、エクワド教が支部を建てたという報道を目にした覚えがある。
建設に伴い、敷地内に不法滞在していた浮浪者たちを強制退去させたらしいが―――
(この男がこの地に来たのが、自分の意志であるならば―――このカライは……)
もう何が起こっても驚くまいというほどの、脅威の存在であるカライは、さらに信じがたい人間であるという事になる。
「ここは―――お前の縁の地なのか?お前は―――人工生命体ではなく、ここで暮らしていた……」
「どこやった―――」
カライが再び唸った―――体が震えている。
その声から、それが怒りによるものだという事は明らかだった。
「あいつらをどかやった!!」
カライが吠えた瞬間、彼の体から激しいシェイドエネルギーが放出され、リュクシーは弾き飛ばされた。
シェイドの衝撃をまともに食らい、リュクシーは頭がクラクラしたが何とか起き上がると、カライがエネルギーを体中から溢れさせながら、エクワド教の施設を破壊して回っていた。
あいつらをどこやった
それは、カライに思い出があるという事―――この地で生きて来た記憶があるという事。
―――カライが人としての生を、メダリアに踏みにじられたという事……
「カライ―――」
怒りを、悲しみを、爆発させる事でしか表現できないカライの姿に、リュクシーは言葉を失った。
だが―――死んでしまった肉体は戻らない。失った者も、どこにもいないのだ。
「―――カライ!もういい、戻って来い!!もう―――十分だろう……」
騒ぎを聞き付け、何事かと駆けて来るエクワド信者たちの姿が見える。
彼等が捕縛士に通報するのは時間の問題だ。
「カライ、行くんだ!!」
リュクシーは地に降り立った時を見計らって、反発し合うカライの腕をつかみ、路地へと逃げ込む。
だが、リュクシーには不慣れな土地、追手を巻くつもりが、同じ場所を何度も通っている気がする。
「こっちだ―――」
それまでは、おとなしく引かれるままに付いて来ていたカライだが、反対にリュクシーの手を引き、先導し始める。
―――やはり、ここはカライのよく知った場所らしかった。的確に追手を巻いていく。
そしてリュクシーは―――その手から伝わる温もりに、脅威を感じていた。
メダリアは、そこらにいる普通の人間を実験体にしていたのだ。
カライは試験管の中で息づいたのではなく、人間の腹から産まれたのだ。
(何故、温かい―――?)
何故、この男の背中は泣いているのだ―――?
何故、空をも飛ぶ力を持つシェイド体が、リュクシーの手を引き、自らの足で走っているのだ?
「―――何、泣いてんだ、お前」
歩速を緩めたカライは、ポツリとつぶやく。追手からは逃げ切ったようだ。
その言葉に、リュクシーは初めて頬を伝うものに気付いた。
「泣きたいのはオレの方だろうが―――畜生……泣き方も忘れちまったかよ」
―――心があった。カライには、人としての心が。
カライは突然振り返ると、リュクシーを抱き寄せ、そのまま崩れ落ちた。
「ギュッてヤツ、やってくれよ―――」
カライはリュクシーの胸に顔を埋め、苦しそうに唸った。
―――リュクシーは戸惑いながらも、カライを抱く腕に少し力を入れた。
「畜生―――この胸の鼓動は本物なのに、このオレの方が幻だってのか?―――畜生!!」
「!!」
叫ぶと同時に、カライはリュクシーを無理矢理押し倒す。
ドサッ―――――
「何を―――!」
「決まってんだろ、リュクシー」
「っ!!離せ!!」
首筋にいきなり口付けたカライに、リュクシーは激しく抵抗した。
だがそんなリュクシーに、カライは沈痛な面持ちで言い捨てた。
「確かめてーんだよ―――オレが生きてるのかどうか」
―――今度のカライは本気だった。
リュクシーが自身のシェイドで抵抗しても、あっさりかき消されてしまうほどの強いシェイドを、カライは身にまとっていた。
「―――やめろ!!」
リュクシーの脳裏にゼザの顔が過る―――
「やめろ、カライ!!―――離せ!!」
ゼザの顔、ゼザの声―――ゼザがリュクシーの中を支配していく。
離せ!!
バチバチッ!!
―――二人の間にシェイドの火花が散り、お互いは反発し合って吹っ飛んだ。
カライはそのまま路地に大の字になったまま、宙を見上げているが、リュクシーは素早く身を起こすと、乱れた衣服を直す。
「今度したら、どうなるか覚えていろ―――」
呼吸を整えてからカライに忠告すると、この危険極まりない男はパッと飛び起き、おどけた口調で言った。
「―――お前が、オレをどうにかしてくれるってのかよ?」
言われて、相手が既に死人であり、リュクシーがこの男の存在自体に影響を与える事など、不可能であることを思い出す。
「お前を殺す方法くらい、あの世の果てまで行って、必ず探し出してやる」
「―――バカな女」
カライは服についたホコリを払う仕草をし―――そんな動作は無用だと気付き、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「それって、オレを挑発してんのかよ?―――してんだよなぁ?」
「―――そんなに死にたいなら、手っ取り早くシュラウドの元へでも行け」
シェイド体としての自分を無に返したいのなら、シェイド研究の第一人者に頼んだ方が確実だ。
「あんな窮屈で騒々しいのは二度とゴメンだぜ。―――どうせなら、もっと静かな場所がいい」
また寂しげな表情をして、リュクシーの心を惑わせるのだ、このカライは。
「まあ、いい―――とっとと行こうぜ」
リュクシーはもちろんこのままセントクオリスから逃れるつもりだったが――― カライが自分も共に行くものと思っている事に気付き、ギョッとする。
「―――お前も来る気か!?」
「トーゼンだろ」
「何故!!後は勝手に好きな所へ行けばいい!!こんな目立つ同伴者なんてお断りだ!!」
―――カライはシェイドエネルギーの塊だ。
シェイドを生業とする捕縛士に気付かれぬ方がおかしいというものだ。
「だって、オレの名を呼べるのは、もうお前しかいねーんだからよ」
「貴様、最初に現れた時は勝手に具現化しただろう!?」
当たり前のように言ってのけるカライの姿に、リュクシーは目眩がした。
「それがそうもいかないみてーだぜ」
カライは肩を竦めてみせただけだった。
「ふざけるな!!お前と違って、こっちの体は一度死んだらそれきりなんだからな!!」
「ふざけてなんかねーよ。お前だって、オレ様がいた方が心強いんじゃねーの?相手はシェイドを操る捕縛士だぜぇ?」
「お前を信用していい保証はない!!」
「信用する必要なんかねーさ。お前がどう思おうと、オレは勝手に付いてくからよ」
リュクシーの意志など関係ないと言いきったカライを、リュクシーは呆れ果てて見上げるしかなかった。
確かに、この男は一端言い出したら必ず実行するだろう―――
時間はない―――追撃はもう始まっている。
リュクシーはため息を付くと、今後進むべきルートについて考え始めた。