EPISODE25
「ヘリオンちゃん、ちょっといい?」
さんざんマスコミに引っ張りまわされて、疲れ切って座り込んでいたヘリオンに声がかかる。
「―――何ですか?」
見た事のない若い女性だった―――何があるかもしれないから、TV塔から出てはいけないと教えられていたヘリオンは、初対面の相手に少々身構える。
「あのね、あなたに面会したいって人が来てるのよ。得体が知れないから断ってたんだけど、彼―――あなたの《父親》だって言って暴れてるのよ」
「―――え!?」
予想もしない彼女の言葉に、ヘリオンはすぐには理解できなかった。
「ヘリオンちゃん、外で生まれた中途移住者だから、《父親》がいるのよね?彼、自分の事ジンって名乗ってるんだけど―――どう?心当たりある?」
「ジンが来てるの!?―――本当に!?」
何て事だろう―――誰にも頼れず途方に暮れていた今、ずっとずっと待ち望んでいた人物が帰って来てくれるなんて。
「本物なのね?じゃあ、すぐ案内するわ、付いて来て」
ヘリオンははやる気持ちを押さえきれずに、女性の後ろを小走りについて行く。
(ジンに会える―――ジンに会える!!)
イチシも一緒だろうか―――感情の薄れたこの街で、心から信頼する2人。
早く会いたい―――ヘリオンはジンの元へと案内してくれるという女性に、この時点では何の疑いも持っていなかった。
女性は近道なのか、人通りの少ない非常階段を足早に降りて行く。
「ここよ」
だが、案内されたのが正面玄関でなく、非常階段から通ずる小さな職員専用口なのを見ると、ヘリオンはギクリとして立ち止まる。
「あんた―――誰!?」
疑心を口にしたと同時に、物陰から清掃服姿の男が現れた―――やはり、ジンではない。
「大丈夫よ、ヘリオンちゃん。あなたはエジヌスに移住するだけだから」
「ど、どういう事―――!?」
しまった―――誰かに言付けてから来るべきだったと後悔したが、もう遅い。
ヘリオンは今、テレビ塔1階の非常階段の踊り場にいる―――だが、フロアとを繋ぐ扉は防火扉にもなっていて、ヘリオンが助けを求めて大声を上げても、効果は薄そうだ。
「あなたたちの場合、無作為に選ばれた子たちじゃないのよ。リストを見て、あなたを気に入ったお金持ちがいるの。 ―――だから、他の子じゃ代わりは務まらないのね」
「そんなの冗談じゃないよ!!ボクには関係ない!!」
無作為に選ばれていた方がどれだけマシか―――自分を付け狙う、どこの誰かも分からない奴がいるなんて、気味が悪い以外の何物でもない。
「大丈夫。クライアントはお得意様で、身元もはっきりしているし―――地位もある人だから、そんなに酷い事にはならないわ」
自分で言うのも何だが、ヘリオンのような子供を欲しがる奴など、変態以外の何を想像できようか。
「だからヘリオンちゃん、逃げられないの。行くしかないのよ」
女の自分勝手な理屈にヘリオンは憤りを覚えたが、今は何とかして逃げるのが先決だった。
(でも、ひどいよ―――ひどいよ!!)
自分が売り飛ばされようとしている事より、ジンを餌にされた事が悔しかった。
一番触れられたくない部分を土足で踏み荒らされ、ヘリオンは悔しさのあまり不本意ながら涙が出て来た。
「さ、行きましょう。時間がないのよ」
「ほら、来るんだ!!」
「嫌だ、離して!!連れて行かれるくらいなら、ボク死んでやる!!!」
ヘリオンは抵抗したが、男にガッチリと押さえ付けられ身動きができない。
薬を染み込ませた布で呼吸を塞がれ、ヘリオンは体から力が抜けてしまう。
―――ピピッ!
ふいに女の胸ポケットに入っていたカードから、受信音が漏れる。
「あら。アルカが見つかったって」
「全く、この忙しいのに何やってんだ、あいつは。まさか、女ん所にしけ込んでたわけじゃねーだろな」
「女の所には違いないみたいよ―――この子……」
自分のカードに記された情報を目にして、女は考え込むような仕草を見せる。
「なんだ?」
「アルカが最後に異性登録した相手―――こないだ、私が担当した子だわ。シティアラ人だったから覚えてる」
「それで?偶然じゃねーのか、キリ」
―――移住者管理局の職員キリは、この少女の素の姿をもう一度思い起こす。
「彼女が青髪だったとしても?」
「何?―――セントクオリスの犬が、ゴデチヤに忍び込んで来てるってのか?」
セントクオリスが人間兵器開発の為、子供たちを養育しているのを文明国の住人ならば誰もが知っている。
そして、彼らの髪が何故か青みを帯びている事も―――
「今この子たちを回収しても、外へ運び出すのは時間を置いた方がいいかもしれないわね。セントクオリスが、探りを入れてるみたいだし……」
「しかしよぉ、エジヌスの総統から催促の通信が―――」
「とりあえず行きましょう。これ以上の長いはまずいわ」
獲物は無事に確保した―――キリは、清掃員が使うカートにヘリオンを隠させると、何食わぬ顔で職員専用口を開けた。
「あ、お前は!」
―――ところが、キリの姿を見て声をかけて来た人物がいた。
「ダット、先に行って―――父親だわ」
「なんだ、口からでまかせじゃなかったのか。じゃ、先に行ってるぜ」
小声でやり取りすると、ダットにヘリオンを先に運ばせる。
(―――え?ジンは……来てるの?本当に?)
朦朧とする意識の中、ヘリオンは必死に体を起こして外の様子を確かめようとしたが、あっさり気づかれて、上にかけられていた毛布を直されてしまう。
「ヘリオンに会えたのか!どうだった!?」
―――ジンは、ヘリオンに取り次いでやると接近してきた女を見つけ、走りよった。
「玄関ロビーで待っててって言ったのに―――どうしてここに?」
「追い出されたんだよ。お前が遅いんで、うろうろしてたら……」
ジンはキリの周りを見回したが、ヘリオンの姿はない。
「で、どうだったんだ!?」
「それが―――厳戒態勢で、やっぱり中に入れてもらえなかったの。彼女、最上階に隔離されているみたい」
だんだんと遠ざかる声―――あれは確かにジンだ。ジンの声だ。
(ここだよ―――ボク、ここにいるよ!気づいて!!―――助けて!!)
ヘリオンは、この時点で可能な限りの声を振り絞ってみたが、かすれた声が少し漏れただけだった。
「シッ、黙ってろ」
ダットがまた、毛布を上から押しかぶせて来る。
「………」
―――ふと、ジンは清掃員の後姿が目に止まる。
男はカートの中を覗き込むような姿勢で、早歩きで去って行く―――
「とにかく、別の方法を考えた方がいいと思うわ。他社の新聞社に行ってみるとか……」
「お前―――どうしてこんな裏口から出て来たんだ?玄関ロビーで待ってろって言ったのに―――さっき、あの男と何か話してたな?」
キリはギクリとしたが―――TV塔に侵入するため、2人とも武器を携帯していない。
ダットが車にたどり着くまで、父親をここに引き留めなくては。
「まさか、お前みたいな娘がとは思うが―――おい!ちょっと待て、そこの!!」
「ダット!―――行って!!」
ジンが声を張り上げた瞬間、キリが飛びついて来た。
「こら、離せ!!!」
相手が女だったので、少し手加減して放り投げると、ジンは走り出した。
「くそっ、まさかヘル―――待て、この野郎!!」
ジンのような大男が、わめきながら清掃員の男を追う姿はかなり目立っていたが、人々は何かの撮影かと勘違いしているのか、わずかばかりの好奇の目で見るだけだった。
男はカートから毛布に包まれた《何か》を担ぎ上げると、カートをジン目がけて突き飛ばす。
「待ちやがれ!!!」
だがジンには全く効かず、体当たりで弾き飛ばしただけだった。
「ヘル―――ヘル!!お前なんだな!!今、助けるぞ!!!」
だが、ダットが車にたどり着いたのが先だった―――運転役の男がドアを開けた中に毛布を投げ込むと、渡された麻酔銃を持ってジンに振り返る。
「逃がさねえっ……!!」
―――――ブツッッ!!!―――――ドンッッ!!
至近距離から放たれた麻酔針が、ジンの右の二の腕に突き刺さる―――しかし、ダットに体当たりしたジンの体は止まらず、そのまま2人は激突して道路に転がった。
「キャアッ、何!?」
「何なの!?」
さすがに通行人も異常事態に気づいたらしく、悲鳴が上がる。
「大丈夫か!おい、早く乗れ!!」
「ち、ちくしょう……いてて……」
運転手が怒鳴りつけると、ダットは痛む体を何とか起こし、車に乗り込もうとしたが――― 何かに足を引っ張られる。
「待てってんだ、この野郎―――!!」
だが、ジンだって必死だった―――ヘリオンを目の前にして、麻酔銃ごときで気を失うわけにはいかない。
「な、何だと!?くそっ、コイツは魔獣並か!?」
麻酔銃を受けて倒れないジンに、ダットはギョッとする―――ガツッッ!!
そこに顎に不意打ちを受け、ダットは伸びてしまった。
「ちっ―――ダット、悪いな」
運転役の男が、仲間を諦めて車を出そうと乗り込んだが、執念のジンが既に後部座席のドアを押さえていた。
毛布を抱え込むと、確かに中身は人間のようだった―――しっかりと抱きかかえると、ジンはそのまま路上にひっくり返った。
誘拐が完全に失敗と分かると、運転手はドアも閉めずに走り去って行った―――
―――――ゴソ。
「―――くっ……ハアッ、ハアッ……」
ジンは毛布の中から顔を出したヘリオンを見つめる―――ようやく見つけた。
ようやく―――この腕の中に取り戻した……
「ジン―――会いたかったよ。ボク、待ってたよ……!!」
ヘリオンはジンの首にしがみついた。
「おう―――待たせて悪かった……怖い思いさせて悪かった。もう―――大丈夫だ」
だが気が緩んだ途端、強烈な眠気が襲いかかり、ジンはヘリオンを抱きしめ返す事はできなかった。
―――――◆―――――◆―――――◆―――――
―――――イチシ。
あの少年の名を、姿を、声を、シェイドを思い出す。
自分を見つめる瞳を思い出す―――だが、リュクシーの中のイチシは、すぐに目をそらしてしまう。
(どうしろと―――言うんだ)
イチシ―――――イチシ。
あの少年を救おうと思えば、リュクシーは捨てなくてはならないモノがある。
イチシを選んでも、進める道はわずかだ。でも―――
「でも、何だ?」
頭の中から出て行こうとしない、もう一人の男の声に、リュクシーは顔を上げた。
(カライ―――)
「博愛心ってか?臭ぇな―――偽善者の臭いがプンプンするぜ」
「………」
「やめとけよ。そんなんであのガキに手を貸した所で、拒絶されるのがオチだぜ」
「………」
無言のリュクシーに、カライはやけに早口でしゃべる。
「カライ、お前どこに行ってた」
シャワールームに目をやり、イチシがまだ出てきそうにないのを確かめると、リュクシーは尋ねた。
「オメーに関係ねーさ」
カライはもう―――大丈夫だろうか。
「お前は―――人の意識の中を移動しているんだろう。最初は私が《カライ》を具現化した。その《カライ》を第三者が目撃する。そして、その者にも《カライ》が刷り込まれる」
「何だ?―――何のつもりだ?」
「こうして《カライ》は広まっていく―――人間の存在する地域になら、移動できる。人の姿を保てる」
「何のつもりかって聞いてんだ!!」
苛立つカライの姿に、リュクシーは自分の胸に問い返す。
「さあな―――私にも分からない……」
「ウソつけ。オメーはオレを捨てる気なのさ」
「………」
「だがな、勘違いするなよ。オレ様はオメーの所持品じゃねえ。お前がオレの餌なのさ。お前が誰を選ぼうが、オレから離れるなんて無理なんだ。つまり、そういう事さ」
大口とは裏腹に、リュクシーはカライが焦っているように見えた。
「仮に私が死んだら―――それでも、お前は私の亡骸のそばにいる気か?1人のシェイドに頼っていては危険な事くらい、分かっているだろう」
「オメーはあの青ガキを裏切った傷を埋めたいだけさ」
真面目に答えようとしないカライに、リュクシーはこれ以上の話は諦める事にした。
カチャ―――――
体についた煤を洗い落としたイチシが、シャワールームから出て来た。
カライの方に少し目をやったが、リュクシーの方は見ようともせずに寝室に向かう。
(ゼザの代わり―――?)
その背中を見送り、カライの言葉を胸に問う。
(違う―――誰もゼザの代わりになんてなれない。イチシはイチシだ)
多少ひねくれてはいるが、自分の気持ちを表現する術は知っている。
どんなに訴えても相手にしてくれなかったゼザとは違う。
(私は―――いつか、青の呪縛を断ち切らなければならない)
窓辺に映った己の姿―――青を黒く塗りつぶした髪。
リュクシーの心も、別のモノで塗り変える事ができるだろうか。
青は消え、いずれは元の色を取り戻せるだろうか―――
船上でのイチシの言葉通り、カライではダメだ。
既にこの世に存在しないカライでは、リュクシーの心は前に進めない。
カライの望みは、《留まる》事なのだから―――
リュクシーの心はもう、大方決まったようだった。
カライには分かる―――このままでは、リュクシーはイチシを選ぶかもしれない。
(カタスのガキを選んで何になるってんだ?)
潜伏期間(世界の40%はこの状態と思われる)というのならともかく、イチシは既に発症している。
長くて1年という賞味期限付きの男を選んで、どうなるというのだ?
セントクオリスには、いくつかのカタス病に対抗する手段があるようだが―――今更リュクシーが元の鞘に納まる事は不可能だろう。
(つまり、あのガキは死ぬしかねーって事だ)
「―――クッ、ケケケケケッ!!」
突然笑い出したカライに、リュクシーは少しギョッとしたが、放っておく事にした。
(あのガキが《死にかけ》だったら、オレはもう《死んでる》)
つまり、生死は問題ではなかった。寿命もだ。
(大体、何でオレはムカッ腹が立ってんだ?)
確かにリュクシーの言う通り、カライはもう一人でも存在できるだろう。
彼女について回っても、カライの復讐は果たせそうにない。
(オレは―――何でこんなに腹が立つ?)
カライを無視し、再びテレビの情報番組を見漁るリュクシーを見て、考える。
(ああ、そうか―――オレは)
生前に味わった事のない感情を今実感し、カライは失笑した。
―――これは自分に芽生えるはずがないと思っていた感情に違いない。
だったら―――方法は一つだ。カライも心を決めた。
「イチシ―――イチシ!!」
テレビ画面を見ていたリュクシーは、声を張り上げた。
―――少しの間が合ってから、寝室の扉がガチャリと開く。
「何だ?」
風呂上りのイチシが、上半身裸のままで出てきたので、リュクシーは思わず顔をそらしてしまう。
「まだ着替えてないのか」
「服がジンサイズしかないんでな」
着れそうな服を探すだけで疲れる、といった風に肩をすくめる。
「風邪を引くぞ―――それに」
「何だ?」
「これを見ろ」
リュクシーは、視線をテレビ画面に戻した。
一日中繰り返して放送されている軍事基地爆発、そして拉致された少女ヘリオンの映像。
―――だが、少しだけ1時間前と違う部分がある。
「ヘリオンの顔にモザイクがかかっている。ついさっきからだ」
「つまり―――」
「何か、状況が変化した。これから流れる新映像は、ヘリオンと別人の可能性が高い。ジンも巻き込まれたか。 ―――しかし、政府の根回しが早いな。行こう、ここも長くは持たない―――」
「!!」
―――その時、2人は同時に何かの気配を感じた。
(囲まれている―――殺気はないが、数は12、3という所か)
「イチシ、目をつむれ」
シェイドを高め、イチシに告げる―――味方まで攻撃してしまうのを防ぐ為だ。
五感の一つを閉じれば、シェイドのダメージは減らせる。
「やるぞ」
リュクシーは部屋を取り囲んでいるだろう敵に向かって、シェイドを放つ。
ザンッ―――――!!! ドタッ、ドタンッ!!!
2人ほど仕留めたようだが、残りは気絶するには至らなかったようだ。
(衝撃のシェイドに耐えたとなると―――相手は訓練された軍人か)
―――――ドカンッッ!!!
リュクシーの攻撃が合図となり、残った敵たちがドアを蹴破り突入して来る。
直接対決を前に、リュクシーたちは身構えた。
バチバチバチッッッ!!!
しかし、突然の電撃が部屋に充満すると、視界の隅に捉えた武装兵たちは、声もなく倒れる。
「っ―――!!!」
しかし、イチシも同時に膝をついた。
とっさに自身のシェイドで防御した2人だったが、カライのシェイドを浴び慣れないイチシには強烈だったようだ。
「イチシ!!―――大丈夫か?」
慌てて駆け寄ったが、イチシはリュクシーではなく、カライの方を睨みつけていた。
「―――ああ……」
「おおっと、ワリィな」
しかし、カライはおどけて肩を竦めてみせただけだった。
(こいつ―――)
リュクシーも気づいた。カライは今、イチシも攻撃対象にしていた。
これは宣戦布告なのだ―――イチシを選べば、殺してやるという……
だが、リュクシーの心を知らないイチシにとっては、突然の殺意。
とうとう本性を現したかとばかりに、イチシも臨戦態勢に入る。
「―――行くぞ。グズグズしてると増援が来る」
そんな緊迫した状況の中、どうにか割って入ると、リュクシーは場を治めようとした。
(イチシには無理だ―――勝ち目はない)
それに、カライはリュクシーに選択を迫っているのだ。
―――どちらかを選ぶ事は、もう一人の死を意味するのだと。
だが―――リュクシーには、カライを完全消滅させる方法など、分かりはしない。
自らの死の瞬間までも虚構に変えてしまったこの存在を、誰が支配する事ができよう。
(同じ《死》を体感した者なら、あるいは―――)
つまり死なない限り、リュクシーはカライと同格にはなれないのだ。
「イチシ、何でもいいから服を着ろ。すぐにTV塔に向かう」
未だカライと睨み合ったままのイチシを、寝室に押し戻す。
「………」
イチシは舌打ちしながら、着替えに向かった。
そして、残った2人は無言で見つめ合う―――――
「一つだけ答えろ」
―――リュクシーが先に口を開いた。
「お前は残りたいのか?―――消えたいのか?」
リュクシーのこちらを真っ直ぐに見据える瞳―――カライは唐突に、マディラ=キャナリーの言葉を思い出す。
見せる相手、間違えてんじゃないよ
元からプライドなんて、持ち合わせちゃいなかった―――あったのは、醜いまでの生への執着。
そして今のカライは、リュクシーが存在する《意味》だった。
カライが小さく笑ったかと思うと、一瞬でかき消える。
(―――――!?)
次に瞬きした後、リュクシーはカライの腕の中にいた。
「お前はオレのモンだ」
そして、リュクシーから酸素に至る全てを奪わんとするかのように、荒々しく口付けた。
―――――ドンッ!!
カライを突き飛ばし、その腕から逃れたリュクシーは、必死に呼吸を繰り返した。
(つまり―――私から離れるつもりはないという事だな)
そして、これからリュクシーが心許すかもしれない存在を、カライは認めない。
―――誰も、認めない。
「―――ふざけるなよ」
自分に対する独占欲をエスカレートさせるカライに、リュクシーは心底頭に来た。
「私はお前の存在を認めると言った。決して否定しない、と。なのに―――どうしてお前はそうなんだ!!」
―――ボカッ!!
リュクシーは拳を堅く握り締めると、カライの頬を殴りつけた。
「どうしてお前は私を遮る!!お前のためだけに、私は存在するんじゃない!!どうして私から、お前以外の全てを取り上げようとする!!―――何様のつもりだ!!」
バシッ!!バシッ!!バシッ!!
リュクシーの怒りは収まらず、何度も何度もカライを殴りつけた。
「お前はそんな人間だったのか?―――気に入らなければ全て殺すのか!それじゃただの殺人鬼だ!! ―――違うだろう!?過去の記憶を忘れるな!!今のお前は、簡単に化け物になれるんだぞ!!」
―――パシッ!!!
「オレが―――どんな人間だったかって?」
続けて殴ろうとする手を取り、リュクシーの必死の訴えすらも嘲笑する。
「気づいた時から、泥すすって生きてたぜ。それでも生き延びる為に女子供さらって。挙句、セントクオリス人につかまってこのザマだ。 ―――オレがどんな人間だったか?」
いつもの姿とはかけ離れた、驚くほど冷たく無感情な声―――リュクシーはかつて見たカライの幼少期の夢を思い出した。
「人間じゃなかったのさ―――ドブネズミと同じだぜ」
「……!!」
「オレは元から、こーゆう奴さ。邪魔なモノは消してやる」
グイッ―――――そのまま抱き寄せ、言葉を失ったままのリュクシーに、カライは囁いた。
「オレは本気だぜ」
こんな事は十分解っていた―――解っていたのだ。
頭のどこかでは、シェイドの精神汚染の行き着く先は、理解していたはずだった。
だが―――どこかに道はあるのではないかと。
《カライ》と共存する術があるはずだと―――願っていた。
だが―――最初から無理だったのか?それとも、途中から変わってしまったのか。
変わったのは、カライか、リュクシーか―――
「―――分かった」
リュクシーは認めざるを得なかった―――カライにこれ以上汚染される事は、生死に関わる事態へと発展するだろう。
そしてリュクシー亡き後、カライのシェイドは永遠と彷徨いながら、生人を食らい続けるだろう。
リュクシーへの執着こそが、カライを異形へと変貌させてしまうだろう。
―――バタンッ!!
着替えて戻ったイチシを見て、リュクシーはカライの腕を振り解いた。
そして―――一呼吸の後、意を決して告げた。
「行くぞ、イチシ。―――私たち2人で」
「―――――?」
「2人だ。ここには、私とお前の2人しかいない」
ピシッ――――――――
リュクシーが宣言した瞬間、《カライ》がいるはずの空間が、少し違和を感じさせた。
「ああ―――分かった」
イチシも理解したようだ―――ここには2人しかいない。
これが唯一のカライと決別する方法―――
《マジかよ。―――そんな事で、オレが消えるとでも……》
―――――まだだ。まだ2人は《カライ》を意識している。
こんな声は聞こえない。あの空間には何もない。
《お前にオレを消せるもんか―――オレはお前を助けてやった!!オレのシェイドをあれだけ浴びたお前が、オレを消せるワケがねー!!》
「行くぞ、リュクシー」
苦痛に顔を歪めるリュクシーを、イチシは促した。
《お前は言ったじゃねーか―――オレを……決して忘れないって!!》
ドクンッ―――――
《オレを殺すのか!―――結局、ゼザと同じ道を行くのか!!》
答えろ、リュクシー!!
オレを見ろ!!
オレを殺すのか!! コロスノカ!!
オレの声を聞け、リュクシー!!!!
オレハ オマエガ―――――
《やっぱり私には捨てられない》・・・・・・・・SHADE-Kへ。
《こんな声は聞こえない》・・・・・・・・・・・SHADE-Iへ。
初めての分岐地点です。
選んだ方のルートへ進んで下さい。
…となる予定なのですが、執筆中のためSHADE-Iルートしか選択できません(汗)
カライルートを選びたかった人、申し訳ありません…できるだけ早めのUPを目指します!