EPISODE24
見渡す限りは炎の海―――もはや生存者がいるとは思えない。
(引き返すか―――これ以上は危険だ)
自分が炎に巻かれては話にならない―――リュクシーは出口を目指して振り返った。
その時、視界にゆらりと人影が現れる―――――
「―――イチシ?イチシか!?」
まるで夢遊病患者のように焦点の定まらない瞳で、フラフラと炎の中を歩いている。
「どうした!!こっちを見ろ、イチシ!!」
リュクシーが呼びかけても、全く応答がない―――熱さを感じていないのか、イチシはあえて炎の中を進んで行く。
(あれは恐らくシェイドの精神汚染―――近くに何かいる!!)
己のシェイドを認識するイチシが汚染された相手―――魔獣にしろシェイド体にしろ、かなりのシェイドの持ち主と見て間違いない。
(どこだ―――!?)
辺りを見回したリュクシーは、既視感に襲われる―――
クルシイ―――イキガデキナイ!!
(これは―――!!)
覚えのあるシェイド―――激しい呼吸困難に見舞われ、リュクシーは胸を押さえ付ける。
(取り込まれるな!―――ここから逃げるんだ!!)
このシェイドがあの時の―――《マディラ=キャナリー》のものだとしたら、リュクシーに勝ち目はない。
炎のシェイドに汚染され、実在の炎に灼かれるのがオチだ。
「ハハハハハハハハハ!!!」
高笑いしながら、イチシが突然立ち止まった。
「―――イチシ!?」
「ハハハハハ!!!ミンナ、シネ!!!!モエテシマエ!!!」
狂ったように笑い続けるイチシ―――いや、イチシではない。
イチシは《何か》のシェイドの残像に取り憑かれているのだ。
ゴオオォォッッ!!!
(どうすれば―――このままでは……!!)
辺りを包む炎は勢いを増し、リュクシーは自分に襲いかかる絶望のシェイドを振り払おうと頭を横に振った。
リュクシーは両手を炎にかざし―――意識を集中させ、シェイドを一点に集める。
「イチシ!!」
名を呼ぶと、衝撃波をイチシ目がけて放つ。
ビュッッ!!!
風が巻き起こり、イチシの元へと1本の道が出来る―――リュクシーはその一瞬をついて、イチシの元へと駆け寄った。
ガシッ―――!!
だがその体を捕らえた瞬間、イチシは意識を失ってその場に倒れ込んだ。
「くっ―――!」
イチシを抱えると、逃げ道を求めて辺りを見回す―――窓しかない。
「行くぞ、イチシ―――死ぬなよ!!」
「―――マ……ディ」
イチシが微かにつぶやいたが、リュクシーには聞こえていなかった。
君は―――僕と似ているね
違う
違う
違う
オレは化け物じゃない
わかってるはずだ
違う 違う 違う 違う 違う 違う
まずは乗り越えてもらうよ―――恐怖と痛みから
違う!!
誰も―――君の事なんて愛さないよ
イチシ―――――
イチシ
イチシ?
「イチシ?気がついたのか?」
―――――ガシッ……!!
「………」
ベッドに横になっているイチシが叫んだので、上から様子を見ようとしたとたん、ものすごい形相で腕を鷲掴みにされる。
―――まだ完全に覚醒していないようだ。
「イチシ―――分かるか?お前の名だ」
「お……」
うまく言葉も出て来ない―――今は混乱の表情しかない。
「イチシ―――イチシ。イチシ……お前の名だ」
何度も繰り返して呼ぶ―――こちらの世界へ引き戻さなくては。
「イチシ―――私の目を見ろ。私の声を聞け。―――イチシ、イチシはお前だ」
「あ―――あ……」
ようやく2人の視線が交わる―――煤だらけの顔の下は脅えた瞳だった。
「分かるな―――イチシ。私だ、リュクシーだ」
「ガッ―――ゲホッ!!ッ、ゲホッ!!!」
吐き気をもよおしたのか、イチシは激しく咳き込む。
「……」
イチシが血の塊を吐き出すのを見て―――リュクシーは背中をさすってやった。
「ハアッ、ハアッ、ハアッ―――――ッ!!」
突然、イチシはこちらに向き直ると、リュクシーをベッドに押し倒し、その上に馬乗りになった。
「ハアッ、ハアッ―――――オ……レは」
やっとの事で言葉を吐き出す―――もう心配ない、イチシは帰って来た。
「―――オレは……何か言ったか?」
「いいや」
リュクシーは否定した。
「本当に―――本当か?」
リュクシーは何も答えない―――同じ言葉は二度は言わない。それが答えだった。
イチシはリュクシーを解放すると、ベットへと倒れこみ、両手で顔を覆う―――
「アレは―――何だ?」
自分に襲いかかった化け物の存在を思い出し、イチシは吐き捨てるように言う。
「アレは―――オレに何を……!!」
「今は忘れろ。取り憑かれてはダメだ」
リュクシーは身を起こすと、諭すように言った。
「傷を手当てしないとな。ここで待ってろ。―――いいな」
イチシは何ヶ所かに火傷を負っていた。
イチシを残し、リュクシーは部屋を出た―――
「生きてたのか?あのガキ」
とっくの昔に脱出は諦め、テレビを見てくつろいでいるアルカがぼそりと尋ねる。
「お前、何かヤバい事してるみたいだな。オレよりずっと」
「黙っていてくれないか」
リュクシーが一睨みすると。アルカは肩を竦めて再びテレビへと視線を移した。
テレビの内容は、テオ地区で起きた謎の大爆発について―――アルカは、画面とリュクシーの煤のついた顔を交互に見たが、言われた通り黙っていた。
ピンポーン ピンポーン ピンポーン
突然、インターホンが鳴る。
(まさか―――もう軍が勘付いたわけでは……)
リュクシーは無視を決め込んだ。
ドンドンドン!! ドンドン!! ドン!!
次は、ドアを激しく叩く音がする―――
「……」
何となく、このドアの叩き方に思い当たるフシのあったリュクシーは、ゆっくりと玄関へと向かう。
覗き穴から見えたのは―――リュクシーは鍵を開けた。
「おう、戻ってたのか、リュー!色々と捜し回ったんだぞ!!」
ジンはまさか走って来たのか、肩で息を切らしながらそこに立っていた。
「さっきは―――どうしたんだ、その顔は」
「玄関で大声で話すな―――中に入れ」
リュクシーの黒く汚れた顔を見て、ジンは謝るタイミングを逃してしまう。
バタンッ!ガチャ。
「で―――」
「イチシを見つけた」
「イチシを?無事、中に入れたんだな」
ジンの問いに、リュクシーは少しの間、次の言葉に悩んだ。
「無事―――だといいがな」
「何だ?何があった?」
「シェイドに汚染された。後遺症は―――まだ分からない」
「そりゃ―――お前らの使う、あの妙な力の事か?」
ジンの言葉に―――リュクシーはあの時垣間見た炎の映像を思い出す。
「あんなモノの比じゃない―――精神を破壊しかねない《死の残像》だ」
リュクシーやイチシの使う力―――アレが同等にくくれる力なものか。
リュクシーたちは生きている。生人にあれだけのシェイドが操れるものか。
(それでは―――マディラは……特級捕縛士とは―――!!)
アレは、マディラと対面した時に体感したシェイドそのものだ。
そして―――カライが操るシェイドこそ、同等のものだ。
(ソーク=デュエルも―――?)
特級捕縛士とは、まさか―――まさか……疑心と確信がリュクシーの中で渦巻いていた。
だが―――そうだとすれば、全てに納得がいく。
シュラウドがリュクシーを抹殺しない理由―――捕縛士を育てている理由。
彼は―――最強の《シェイド体》を作り出すため、子供のうちから様々な体験をさせ、その身にシェイドの存在をすり込み―――いずれは、各個に相応しい究極の《死》を与える気なのではないか。
シュラウドが創りたいのは、単なるシェイドエネルギーではない―――死してなお、シュラウドの為に働く兵士なのだ。
「お前も無事か?」
黙り込んでしまったリュクシーの顔を覗き込むと、心配そうにジンは言う。
「あ―――さっきはオレが悪かった。八つ当たりだった。すまん」
「……」
一瞬、何の事かと考えた―――そして思い至り、そんな些細な事、と小さく笑った。
「もういい―――何とも思っていない」
本当に、そんな小さな事を気にしている余裕などなかった。
「それよりイチシを病院に―――いや、無理だったな。医者を連れて来る」
イチシは不法進入したのだった―――それに、血を吐いたのを思い出す。
「どっか怪我でもしたのか?」
「火傷を少し。命に別状はないはずだ」
イチシは必死に隠しているようだが―――彼が病魔に侵されているのには気づいていた。
だから―――あんなに焦っているのだ。
命の源とも言えるシェイドを、あれだけ惜しげもなく使っているのだ……
「イチシのそばにいてやってくれ。私は医者を連れて来る」
「あ、ああ」
死期の近いイチシ―――だからシュラウドたちに見込まれてしまったのか?
彼も―――特級捕縛士として、シュラウドの駒になるべく……?
(何も知らない内が幸せだったのかもしれない)
未来ある捕縛士―――世の不条理を断ち切る存在。
それがまさか―――この世にあるまじき存在であったとは、予想もできなかった。
―――――◆―――――◆―――――◆―――――
「………」
ようやく落ち着いたのか、部屋から出て来たイチシは、居間にいる4人の姿にしばしの間、固まっている。
「おう、大丈夫か、イチシ」
ジンとリュクシー、それにゴデチヤ人の若い男と、さきほど自分の火傷の手当てをした青年医師――― おおよそ結びつかない組み合わせに、イチシは突然くるりと後ろを向くと、声を殺して笑い始めた。
「な、何だ、イチシ!何がおかしい!!」
「本当に、後先考えない性格だよな、あんたらは」
背中を向けたまま、イチシは答える。
保護地区に不法侵入したイチシの手当てをさせたのだ―――医師をこのまま解放するわけにもいかず、結果、捕虜が1人増えてしまったのだが……
「怪我を負ったのはお前だろう、私のせいにしてもらっては困る」
リュクシーはムッとした表情で言った。
―――誰がリスクを侵してまで、捕虜を増やしたりするものか。
カードで管理された人間が行方不明になれば、捜索願が出されるに違いないのだから。
「時間はあまりない。ヘリオンを助け出し、早急に脱出しよう」
「居場所はつかんでいるんだろうな」
「それがよ―――」
ジンが暗い表情で切り出すので、今度はリュクシーが呆れた顔をした。
「ジン―――お前、テレビを見ていないのか?」
「テレビ?それどころじゃねえだろうが!!こうしてる間にも、ヘルが―――!!」
「アルカ、ニュースに変えろ」
また説明する前に興奮されては面倒と、リュクシーはアルカに命令する。
「へいへい、ご主人様」
もはや諦め顔で潔く命令に従うアルカ―――切り替えられたテレビ画面からは、テオ地区の大爆発の続報が報じられていた。
《人権保護団体による抗議デモが起こり、ウロス地区の交通は現在マヒしています。それでは中継の……さ〜ん!》
《はい、……です。今回の国家間で秘密裏に行われる予定だったと思われる少女たちの人身売買ついて、 ―――――ており、………人権保護団体としては、当事者に対し厳重な処罰を求めると共に、……、………をする方針です》
《はい、ありがとうございました。ここで、保護された少女たちの肉声をお聞き下さい》
「―――――ヘル!?ヘリオンか!?」
ジンはテレビ画面に張り付くと、食い入るように見つめている。
「ちなみに、2時間前からこの《少女》の映像は流れていたぞ」
素顔も公開され(その方が安全と判断したのだろう)、国の犯罪を告発しているその少女は、ジンの持つ写真で見た幼子の面影を残している。
「そうか―――無事だったか……」
とりあえずの無事に安堵し、いとおしそうな瞳で娘の姿を見るジンに対し、リュクシーは脱出はそう簡単ではない事を思い出す。
「問題はどうやって連れ出すか、だ」
ヘリオンは今、マスコミに保護されているらしい―――厳戒態勢の中、どうやって連れ出すか。
「とりあえず、ジン―――面会に行け。父親と伝言すれば、ヘリオンが気づくだろう。再会を果たしたら、状況を知らせろ。まずはそれからだ」
「おう!!」
はやる気持ちを隠せないらしく、ジンはいつもにまして威勢の良い返事だ。
「お前のカードを貸せ。他人に追跡されないようロックをかけておく。 ―――それと、この部屋は捨てる。お前の住居に移るからな」
捕虜の捜索から、リュクシーの身元がバレるのは時間の問題だろう。
リュクシーはジンからカードを受け取ると、眉間にシワを寄せた。
こんな短期間で、どうしてこんなにカードが痛むのか―――謎だ。
「こいつらはどうするんだ?」
―――捕虜は2人に目をやり、イチシは問う。
「ひっ!命だけは!!何もしゃべりませんから、命だけはぁぁぁぁ!!」
それまで大人しくしていた医師が、突然悲鳴に近い声を上げる。
「………」
「バ、バカ言ってんじゃねえよ!!なあ、リュ……お前、まさか!?」
無言のリュクシーに、ジンも疑いの眼差しを向ける。
ガスッッ!!
「〜〜〜〜〜〜〜!!」
「お前もバカか」
少し頭に来たリュクシーは、ジンの脛を蹴飛ばした。
メダリアの捕縛士教育では、殺人は禁忌とされていた―――よって、捕虜を殺すなんて選択肢はリュクシーの中にはなかった。
「そんな事するわけない、安心しろ。―――ただ、アルカ」
「えっ、オレ!?何も知らないって、オレ、マジで!!」
「……」
「頼むよ、マジでーっ!!口滑らしたら、ヤバいんだって!!」
「……」
「ううう……」
無言で威圧しているだけなのだが、アルカは追い詰められた表情でうめき声をもらす。
「じゃあ、続きは隣の部屋で聞こう」
「ううう〜!」
人身売買の裏組織に関わりあるアルカだ、保護地区から外への搬入口については詳しいはずだ。
もっとも―――あの大爆発のせいで、外壁付近の警備は厳しくなっているだろうから、別のルートで脱出を考えなくてはならないかもしれないが。
「なあ、イチシ。あれもシェイドってヤツか?」
アルカがリュクシーに屈したのを見て、ジンは尋ねた。
「違うだろ、男が弱いだけさ」
「いや、どっちかってーと、リューが強いんじゃねえか?」
「―――ジン」
「わっ、何だ!?」
声をかけたら妙に驚くので、リュクシーは怪訝な顔をする―――「聞こえてねーよ」とイチシが耳打ちすると、ジンはホッと胸を撫で下ろした。
「これで大丈夫なはずだ。使い方は合流してからヘリオンに聞け。お前はもう触らなくていい」
カードをジンに放ると、その内カードを握り潰すのではないかと判断したリュクシーは、忠告を与えておく。
「分かった、触らねえ」
ジンも相性の悪さを自覚しているらしく、神妙な顔で頷いた。
「じゃあ、行って来い。無事の再会を祈っている」
「おう―――お前らも気を付けろよ!」
ジンを送り出すと―――リュクシーはため息を吐く。
アルカの相手をする事に対してではない―――イチシだ。
イチシから―――聞き出さなくては。
考えるだけでも憂鬱な―――分かち合いたくない事ではあるが。
リュクシーも……知らなくてはならないのか?
あの灼けつく炎に隠された、死人の叫びを―――誰かの今際の想いを。
―――――◆―――――◆―――――◆―――――
「言いたい事があるなら言えよ」
―――ジンの住居に到着した2人は、無言のままジンからの連絡を待っていた。
炎のシェイドの正体を聞きださなくてはと思ってはいたが、リュクシーはどうしても切り出せずにいた。
そんな気持ちを読み取ったのか、イチシが先に口を開いた。
「あんたに―――聞く覚悟があるんならな」
先程、取り乱した姿を見られたのが気まずいらしく、イチシは視線を交えようとはしなかった。
(―――……)
リュクシーが切り出せないでいたのは―――精神汚染された相手の存在を口にする事で、イチシに後遺症があるわれるのを危惧して ―――の事ではなかった。
あの炎の正体を求める事は―――イチシとシェイドを共有する事は。
それはきっと、重すぎるイチシの命を―――受け入れる事に繋がるのではないかと、それが不安だったのだ。
「それとも―――あいつが好きか?」
「え?」
突然、変な事を言われ、思わず間抜けな声をもらしてしまう。
「―――ジンは、あんたにはなびかないぜ」
「なっ……!!」
リュクシーは言葉に詰まる―――何と言い返せば良いのか、とっさに分からなかった。
他人から見ても分かりやすい自分に対する自己嫌悪が先に来たが―――何故、イチシにそんな事を言われなくてはならないのかと、腹も立ってくる。
「ジンにはヘリオンがいる」
「私は―――あの男に何も望んでいない」
確かに、憧れはあるのかもしれない。
ジンは―――《誰か》に心底優しくなれる男だから。
ジンの肉親なら良かった―――そうしたら、リュクシーもゼザを問答無用で信じる事ができただろう。
人を信じる事に、これほど臆病にならなくて済んだだろう……
「何も―――望んでいない」
あの絆が欲しいと―――ヘリオンに成り代わりたいなんて、願っていない。
ジンにはヘリオンがいる―――そんな事、イチシに言われずとも最初から分かっている。
分かっているから……リュクシーはヘリオン捜しに協力しているのだ。
「フッ―――あんたって分かりやすいよな。全部顔に書いてある」
何でもお見通しと言わんばかりのイチシの態度に、リュクシーは腹が煮えるのを感じた。
「お前に関係ないだろう!!―――ああ、そうだ!関係ない!!お前にとやかく言われる筋合いもない!!」
「怒るってのは図星だろ」
「っ―――お前は……いつもそうだ」
まだ知り合って一月にも経たないイチシ―――だが、彼がいつもリュクシーを見ていたのは知っていた。
―――そして、自分の事は何も言わない。
リュクシーがジンに言えぬように、イチシにも言えぬ理由があるのは分かる。
それは分かり過ぎるほど分かるが―――リュクシーには、イチシを受け止めるだけの包容力なんてなかった。
「お前こそ、言いたい事があるなら言えばいい―――私の都合なんかに構ってる余裕などないはずだ」
あれだけのシェイドに汚染されて―――1人で抱え込んでしまっては、精神汚染から抜け出せなくなるかもしれない。
他人と共有して中和する事でしか、精神汚染を弱める手立てはないのだ。
「じゃあ、言うぜ?言っていいんだな」
わざとらしく確かめるイチシを、リュクシーは睨み付けてやった。
だが―――そんな自分を見つめ返すイチシの瞳は真剣そのものだった。
(―――……)
リュクシーも気を取り直し、イチシに真っ直ぐに向き直る。
確かに―――生半可な覚悟では、あの炎のシェイドを乗り越える事は難しい。
(私があのシェイドと出会う事が偶然でも必然でも。―――これがシュラウドの仕掛けた罠だったとしても。あの男は私をこのまま行かせはしないだろう―――)
―――だが、いつまで待ってもイチシは黙して語ろうとしない。
「バカにするなよ」
長い沈黙の後、一言だけもらすと、リュクシーから目をそらす―――
「言えるわけないだろう―――あんたに死ぬ覚悟があるなら別だが」
「じゃあ、お前は1人で死ぬつもりか。あのシェイドに取り込まれて、カライの二の舞になるぞ」
「あんたがオレを選ばない限り、話しても無駄だと言ってるんだ!!」
イチシは、あのシェイドがどれほどのものか、知っているから―――分かっているからこそ、話せないのだ。
絆を持たぬ2人では立ち向かった所で、返り討ちにされるのが目に見えている。
(私が―――イチシを選ばない限り……)
それはゼザを捨てるという事だ。カライも、ジンも、全てを消して、イチシを選ぶという事だ。
「オレは―――あんたがいいけどな、リュクシー」
うつむいてしまったリュクシーに、イチシは言った。
キミナンカ―――
「オレを選べ」
悲しそうな瞳で、イチシはリュクシーを見つめる。
ダレモアイサナイ
「オレの―――全てをやる」
ギゼンシャドモヲ ヤキコロセ
イチシと誰かの想いが入り混じり、リュクシーの心に響く―――これが、イチシが必死に押し留めている想い。
《誰か》のシェイドは限りなく危険なモノであるのが感じられた―――全てを呪う意識。
この世の全てを破壊したいという欲望―――そして。
それからリュクシーを守ろうとする、イチシの想い―――
「だから、オレを選べ。―――あいつに捕まる前なら、そう言えたけどな」
「……」
諦めたかのように言ったイチシ―――彼はもう、1人で覚悟を決めたのだ。
「ヘリオンたちと保護地区を脱出したら―――オレは消えるさ」
「……」
リュクシーには、イチシを引き留める資格なんてなかった。
今何を言った所で、イチシの決意を覆す事などできないだろう。
「ジンには言うな」
「イチシ―――」
立ち上がり、逃げるように部屋を出ようとしたイチシに、それでもリュクシーはその名を呼んでしまった。
ただ、悲しかった―――
あんなに重く暗いシェイドに汚染されかかっている心が―――そこから救い出してくれるのを、リュクシーであると信じているイチシが。
リュクシーが救い出せなければ、イチシの魂はあの黒い意識に飲み込まれてしまうだろう。
イチシがリュクシーを求めている以上、彼を救えるのは自分だけなのだ。
(だけど、私は―――)
イチシが敵のシェイドの強大さを実感している以上、同情でなぐさめの言葉をかけても、意味のない事だと分かっていた。
「………」
リュクシーはそれ以上、何か言葉を発する事もないまま、イチシの背中を見送った。
「イチシ―――」
1人になった後、リュクシーは彼の名を呼んだ。
混沌とする自分の中での彼の存在を、確かめるかのように―――