EPISODE16
自分を、メダリアから突き動かした想い―――
リュクシーはゴデチヤの外地区の通りを、人の波に流されながらゆっくりと歩いていた。
(本当に―――何だったのか。何のためにゼザを裏切ってまで―――)
マディラの言葉に、リュクシーは心の内を手探りでさまよっていた。
魔獣を倒すため、犯罪を無くすため、絶滅を防ぐため、食糧を確保するため、他国を侵略するため、秩序をもたらすため、人々を助けるため―――
捕縛士にな理由は山ほどあったが、リュクシーにはそのどれもが、自分にできるとは思えなかった。
(全ての理由は―――この世界のほんの一部でしか成り立たない・・・・・・)
特定の魔獣だけを殺し、特定の犯罪だけを滅し、特定の生物だけを保護し、内では大量の食糧を腐らせ、強い国が他国を侵し、秩序という名目の陰には苦痛に喘ぐ声が溢れ返り、リュクシーは目の前で助けを求める人々すら救えない―――
リュクシーは、何故メダリアを出たのであったか。
単にあの苦痛の声たちから、逃れたかっただけなのか―――?
―――だが、今なら解る。
あの声は、リュクシーの声でもあったのだ。
(―――私は逃れた。そして、これから―――私は何を成せばよいのだろう)
ふと視線を感じ、顔を上げると―――リュクシーの瞳に1人の少女が映った。
売春宿の2階の窓辺に腰掛ける少女―――その窓には、逃げ出さないようにと、鉄格子が嵌められている。
リュクシーの足は止まった。
まだ幼さの残るその顔は、彼女がリュクシーよりもずっと若い事を示していた。
あなたが
少女の瞳が、リュクシーにその想いを伝えてくる―――
「・・・・・・」
少女の口が、微かに動いた。
うらやましい
彼女の願がシェイドの波動となり、リュクシーの胸に突き刺さる―――
「おい、リュー!!待てって」
いい加減、聞き飽きた声に、リュクシーはハッと現実に引き戻された。
「お前、どこ行く気だ。―――ここは裏通りだろうが」
ジンに言われて、自分がいつのまにか売春宿などのいかがわしい店が立ち並ぶ裏通りに迷い込んでいた事に気づく。
考え事をしていて、カライの姿がないのにも気づかなかったようだ。
「ボケッとしてんじゃねえ。売り飛ばされちまうぞ」
リュクシーの二の腕をつかみ、無理やり表通りに引き戻そうとする―――
―――――ビッッ!!!
突然、ジンの右頬に一筋の赤い線が走る―――
リュクシーがその敵を視界に捕らえ、危険を認識したと同時に、ジンはベルトに手をかけ、一瞬で何かを構えた。
ドゥンッッ!!!
爆音が辺りに鳴り響き、リュクシーに麻酔銃を向けていた男の1人が後ろにすっ飛ばされる――― 真っ赤な血しぶきと共に。
―――ドサッ!!!
男の体が地に着いた瞬間、ジン以外は誰も動けずにいた―――グイッ!!!
「走れ」
リュクシーはほとんど引きずられる状態で、裏通りを後にする―――
(この男―――《ジン》が殺した?ライフルで、何の躊躇もなく・・・一撃で)
己の身を守るため、そして生き延びるため、第三者を殺す絵など日常茶飯事であると思いつつも、リュクシーは激しく動揺していた。
どうやら―――リュクシーはこのお人好しそうに見える男を、ただそれだけの理由で錯覚していたようだ・・・・・・まるで、虫も殺さぬ聖人かのように。
(ジンも―――《外》の人間なのだ。秩序に求める事はしない・・・己の身は自分で守る。そういう生き方をしてきた人間なのだ・・・・・・)
こんなにもショックを受けている自分自身に、リュクシーは必死でその理由を探していた。
(ジンが―――人を殺したから何だというんだ?相手は殺意を持っていた。私を捕らえるために、邪魔な男を始末しようと殺意を持っていたんだ―――)
何がリュクシーの心を惑わせているのだ―――自分の二の腕をすっぽりと包んでしまうジンの手の大きさに、リュクシーの心臓は激しく鼓動していた。
船上でも、この男はリュクシーをかばった―――つい先刻、人を撃ち殺したこの男は。
「ここまで来りゃ、もう大丈夫だろ・・・・・・」
市場の片隅に出たのを確認すると、ジンは大きくため息をもらす。
「―――っこのバカ野郎が!!あんな場所、お前みたいなおん―――とにかく、お前みたいのがうろついたら、どうなるかくらい分からねえのか!!オレが見つけたから良かったものの!!自分の腕に自信があるのかは知らねえが、揉め事ってのは周りの人間にもとばっちりが来るんだぞ!!ぼえっと歩いてるバカがあるか!!!」
「―――何故、私を助けた」
振り向くなり、大声でまくし立てたジンに、リュクシーは尋ねた。
「ああ!?」
「―――何故、人を殺してまで、私を助けた!!!」
何故なのだ―――命を天秤にかけ、ジンがリュクシーを選ぶ理由とは何なのだ。
リュクシーに価値などないのだ。
ゼザが抹殺しようとした人間なのだ―――
なのに―――何故、ジンはリュクシーを助けるのか・・・
カライやイチシのように下心など感じないジンの真意は、リュクシーには全く理解不能だった。
「大きなお世話と言われようと、オレの体が勝手に動いちまうから仕方ねえ」
泣きそうな顔で訴えるリュクシーから目を背け、ジンはポツリと言った。
「オレにぁ―――お前くらいの娘がいるからよ」
ジンの言葉に、リュクシーの中で何かが一致したのが分かった。
だが、それが何なのか、リュクシーには解らなかった。
「―――私に親はいない」
リュクシーの脳裏に、シュラウドや教官たち、それに海で出逢ったシティアラ人の女性の姿が次々と巡り出す―――
「お前は、私の親なんかじゃない・・・・・・」
リュクシーは顔を伏せ、拳を固く握り締めた。
「おい、リュー・・・・・・」
「私の名は《リュクシー》だ!!お前がどう思おうが、呼ぼうが、私は何も変わらない!!!」
「わ、わかったよ・・・・・・まあ、その―――悪かった。お前がそこまで名前にこだわってるなら、《リュー》ってのは止める」
リュクシーの剣幕に少し押され気味になりながら、
「だがな―――今日はお前、ボーッとし過ぎだぞ。捕縛士だか何だか知らねえが、今のお前ならオレでも―――」
「お前でも何だと言うんだ」
リュクシーが睨むと、ジンはその姿に先刻までの隙がない事に気づく。
「まあ―――元気になったみてえだから、何も言わねえよ」
納得のいかない顔をしていたが、リュクシーが本気で怒っている事に勘付いたのか、ジンはブツブツとつぶやいてみせる。
「それにしても、イチシの奴はどこに―――あいつ、オレより前にいたじゃねえか・・・」
自分より先を進んでいたはずなのに、裏通りに入り込んだリュクシーを見つけた時には、イチシの姿はなかった。
「まさか、あいつも何かあったんじゃねえだろうな・・・」
「―――言わないのか?」
突然、リュクシーが言うので、ジンは怪訝な顔をする。
「何の話だ?」
「―――『礼を言え』と言わないのか?」
「・・・・・・」
船にいた時は、お節介を焼いては、その度にイロイロとリュクシーに礼儀をしつけていたジンだったのに―――
「オレは―――自分がした事が、誉められる事じゃねえのは分かってる」
ジンはベルトに挿したライフルに軽く触れる―――
上着で隠されていたそれは、ジンには不釣り合いに見えたが―――武器を使いこなさなければ、誰しもが生きてはゆけないのだ。
「―――ありがとう」
リュクシーは静かに言った。
「―――それでも・・・・・・私は救われた」
ゼザが消そうとする《命》を、ジンは救った―――拾い上げてくれた。
「なっ―――何だぁ?急に大人しくなりやがって・・・・・・」
突然素直になったリュクシーの様子に、調子の狂ったジンは落ち着かないようだ。
(解った気がするんだ―――ゼザ。私の・・・・・・すべき事。私の望みを果たす道が)
与えられたものをみずから捨て、唯一の絆さえも引き裂いたリュクシーの目指すもの―――
「私は―――声を消す」
「何か言ったか?」
ジンの問いかけに、リュクシーは小さく微笑んだ。
(私はずっと―――あの《声》を消したかった)
周りの者の声、自分の声―――だが、それを消すにはリュクシーには力がなかった。
メダリアに保護され、ゼザと多くのものを共有し、約束された輝かしい未来を携えた、あの頃のリュクシーでは―――
(私は声から逃げたかったんじゃない―――消したかったんだ)
外へ飛び出し、声から解放された気分になっていた―――だが、どんな街にもシェイドの叫びが響き渡り、それに脅えてリュクシーの心は押し潰されていく。
それでも、リュクシーは《死》だけは拒絶してきた―――《無》に降伏したくはなかった。
(この世界で狂い咲くシェイドを静めるために、捕縛士が必要な事は間違いない。《捕縛士》―――シェイドを制する者。幼い日々、私は確かにその存在に憧れ、強くなろうとしていた・・・)
―――だが、それが崩れ去ったあの日。
助けを乞う、救いを求める者には、死という結末した用意されていない―――
ソーク=デュエルがあの魔獣を斬り殺した時、リュクシーは自分の結末もまた、ソークに疑心を持ち始めた自分の想いもまた、ねじ伏せられてしまう事を嗅ぎ取ってしまった。
(あれは《捕縛士》なんかじゃない―――ソーク=デュエルはシュラウドの兵士。シュラウドの目的のための駒なんだ・・・・・・)
―――シュラウドの目的など分かりはしない。
だが、リュクシーは声を《殺す》のではなく、《消す》道を選びたかった。
(解ったんだ、ゼザ―――私は《捕縛士》になる。本物の捕縛士になって、お前の声も呼び覚ましてやる。聞こえないなんて、言わせない―――何も感じないなんて、言わせない)
ゼザは規律のために、自分の信ずる道のために、リュクシーを抹殺しようとした―――だが、何を無視しても、リュクシーの《声》を消してくれた男もいる・・・・・・
「はは―――ははは」
リュクシーはジンの顔を見て、声を立てて笑い出した。
「オレの顔がそんなにおもしれえのか?」
こんな人間がいるなんて、考えた事もなかった。
放っておけない―――それだけの理由で、こんなバカげたことをする奴が外にはいたのだ。
「ははは―――お前はメダリアの人間たちより大物だ」
「何だ?」
ジンを見て解った―――これでいい。
目の前にいる、救いたいと思う相手を、ただ助ければいい。
きっと、全てはそこから始まる―――
「―――私は生きる。生き続けて、強くなってやる。―――それがメダリアへの報復だ」
「・・・何だ?あいつと似たような事言いやがって・・・?」
1人で何か大きな決心をしているリュクシーに、ジンは首を傾げた。
「―――お、あれイチシじゃねえか?」
露店に並ぶ人々の中、ジンは目敏くイチシの姿を見つけると、向こうも気づいたのか、こちらへと向かって来る。
「あいつとは誰だ?」
「あ?ああ―――あの捕縛士の女だ。さっき会っただろ」
「―――マディラが?何を言ったんだ」
「お前たちは生きろ。生きてこそ、強く―――とか何とか言ってたな。お前によろしく言ってたぞ」
やはり―――マディラ=キャナリーは、シュラウドやソーク=デュエルとは違う気がした。
何もかも疑うしかできない今のリュクシーを、マディラのシェイドは引き付けた。
(あの人は―――あの人で《捕縛士》なんだろう・・・・・・)
マディラはマディラのやり方で、滞ったシェイドの流れを再び動かそうとしている。
(私もあの人のように―――自分のやり方で、シェイドを・・・・・・カライのような者を救えるのだろうか・・・)
ふと、カライの姿がないのに気づき、リュクシーは辺りを見回した。
「カライ?」
「なんだよ?―――オレがそばにいないのが寂しいのか?ケケケッ」
呼びかけると、カライは倉庫の屋根の上にいた。
「・・・・・・」
どうにもリュクシーは腑に落ちなかった―――
あれだけの騒ぎを起こしたのに、あのカライが一度も口を挟まなかったのはどういうわけだ?
もしや―――リュクシーから離れていた・・・・・・?
「イチシ、お前どこ行ってやがった?!」
「別にいいだろ」
ジンはジンで、合流したイチシを怒鳴りつけるが、先を続けようとしたその時、イチシが市場で仕入れたらしい皮の手袋を嵌めているのに気づき、言葉を飲み込んだ。
すぐに分かったのだ―――カタス病の進行具合を隠すためのものだと。
「とにかく!!1人でうろちょろすんな!!こいつといい、お前といい―――余計な面倒、起こすんじゃねーぞ!!」
「面倒でもあったのか」
「っ―――それはもういい・・・・・・」
イチシはリュクシーの視線が自分の手元にあると気づいたのか、話題がその事に触れないように、ジンに問いかける。
「で?―――交渉は済んだのか?」
「お前な!!元はといえば、お前が―――!!」
動じないイチシにキレかけたジンだが―――2人の無言の視線に圧力を感じたのか、またしても言葉を飲み込んだ。
「あ―――でぇ、さっきの話だがな・・・・・・」
「―――ああ。同行の話だな」
リュクシーは2人の男の顔を見比べた。
「いいだろう、協力する」
―――リュクシーはあっさりと承諾した。
「ああ?」
態度が一変したリュクシーに、ジンは大口を開けて間抜けな声をもらした。
「何だ、不都合でもあるのか」
「いや、ねえけどよ―――どういう心境の変化だ?」
「さあな」
シェイドの波を静めるのは容易いことではない―――だがそれでも、目の前にある1つ1つを解決しようと、リュクシーは決めた。
「たぶん―――お前に毒されたんだろう」
「オレが何だって?」
「いや、こっちの話だ」
含み笑いをするリュクシーを見て、ジンは戸惑いを隠せないようだ。
「話がまとまったら、宿を探そうぜ。―――野宿はごめんだからな」
そんな中、イチシだけは相変わらず淡々とした口調だった。
道を選び取り、進み始めたリュクシーを―――カライはその頭上から見下ろしていた。
―――リュクシーの生き方を邪魔するつもりはない・・・・・・いや、興味もないのかもしれない。
(まあ、利用はさせてもらうけどな―――利用できるうちは)
随分とジンを高く買いかぶっているようだが―――あの男と進むというのであれば、カライも別の道を探す事を考えた方が良さそうだ。
(あいつの寄生虫みてーなモンだからな、今のオレ様は。―――まあ、もう少しは様子を見るか。後は―――新しい女も見つけた事だし、な)
カライ自身、リュクシーと離れた時の事を考え、色々と試してはいるのだ―――
「カライ、お前はどうするんだ」
どうせまた面倒を起こすのだろうが、リュクシーは一応尋ねてみる。
それでなくてもイチシやジンは、リュクシーからこの得体の知れない化け物を引き離そうとしているようだ ―――もっとも、それに物怖じするカライではないが。
「オレがいなくちゃ始まらねーだろが、ケケケッ」
一瞬、何か別の事を考えているようにも見えたが、リュクシーの声に気づくと、お得意のあの笑みを浮かべる。
「じゃあ、降りて来い。お前の分のベッドもいるだろう」
マディラと別れてから―――どうにもカライの言動が怪しい。
もしかしたら―――リュクシーから離れ、1人徘徊していたのでは?
そんな考えが頭にこびりついて離れない・・・・・・
だが、カライが何をしようと、リュクシーはこの男の言動に干渉することも、ましてや束縛することもできないのだ。
カライがメダリアへの報復を捨て切れないというのなら―――2人が袂を別つのも遠い未来ではないかもしれない。
「あぁ?お前のベッドはオレのモンだろ」
また悪ふざけを始めたカライに、リュクシーは深々とため息をもらす。
「勝手にしろ。―――それなら私は床で寝る」
「オメーに言われねーでも好き勝手やるぜぇ?―――ま、ここいらは野郎臭くて気が滅入るし、とっとと行こーぜ」
―――カライは翼をバサリと震わせると、ストンと着地する。
「お、お前も来んのか―――そうか、そーだよな・・・」
ジンは同じ地に立つカライを見て、不安そうな声を出す。
「何だぁ、うれしそーだなぁ、オッサン」
「誰がオッサンだ!!オレぁ、まだ25だぞ!!」
「十分なオヤジじゃね〜か」
「ったく、お前は―――いいか!!その調子でヘルの奴にちょっかいかけたら承知しねえからな!!」
怒り出すジンの言葉と、リュクシーは先刻までに得た情報と照らし合わせた。
「―――そうか。保護地区から連れ出すというのは、お前の娘なのだな」
「あ、ああ―――オレらはゴデチヤ人じゃねえけどよ。まあ、色々とあって、どういうわけかこの国に収容される事になっちまってな。保護地区なんてどこも同じかと思ってたら、それがそうでもねえ―――」
「長くなりそうだな。続きは宿で聞こう」