EPISODE14
「ここがゴデチヤのアルガン港か―――」
セントクオリスと陸続きにある国だ、対して変わった印象はない―――まあ、決定的に違う事といえば、天井がない事くらいだろうか。
「船は孤立して危険だと分かったし―――今後は陸路を検討しなくてはならないな」
「どーせ行き先なんか決まっちゃいねークセに、検討すんのか?」
カライはまたケタケタと笑っている。
新しい国に入るので、リュクシーがどうにか言う事をきかせてコートを着させ、羽を隠させたが――― いい加減、且つ自分勝手なカライの事だ、どんな反動で翼が飛び出すか分かったものではない。
「まっ、いいんじゃねー?海の上は退屈だったからな」
「退屈だと?」
カライの言葉に、リュクシーはまた頭痛がした。
(退屈どころか―――)
あれだけの数の生きるシェイド体との遭遇、自分の出生、そして―――リュクシーは辺りを見回した。
もしかしたら、と―――信じたい気持ちと、信じたくない気持ちが激しく入り乱れる中、あの時にリュクシーを包み込んだシェイドエネルギーを思い出す。
間違えるはずがない―――間違えるはずがないが・・・・・・
「何探してんだ?」
カライの声に、リュクシーは視線を落とした。
「町並みを眺めていただけだ―――さあ、行くぞ。色々仕入れたいものもある」
カライに弱みは見せたくない―――この男は何をやり始めるか分かったものではないから。
そう思い、リュクシーは前だけを見る事にした。
「オレ様が盗ってきてやろーか?」
「余計な問題は起こさなくていい!!お前自身がトラブルの塊なんだからな」
本気でやりかねないカライに、リュクシーはきつい口調でクギを刺す。
「だって金なんかねーだろ?お前」
リュクシーは旅の途中に殺した獣の皮で出来た袋に視線をやり、
「お前はドーム育ちだから知らないだろうが、盗みや身売りをせずとも、少量の金なら稼ぐ手段はある」
ただし、それは魔獣を殺せるほどの強さを持つ者に限られたが―――
「そんなガラクタが金になんのかよ?」
―――もしかすると、カライの方が世間知らずなのでは・・・・・・と、リュクシーはこのふてぶてしい面の男を盗み見た。
リュクシーは色々と外界の研究もしたし、実践もしてきた。
メダリアにはありとあらゆるシュミレーション施設がある。
セントクオリスの技術の中心とも言えるメダリアだが、外界の者が持つ無機質なイメージとは逆に、外界と何ら変わる環境ではないのだ―――
つまり、ドームという区切られた環境の中にありながら、外界を復元しているということなのだ。
それも、汚染も荒廃もない理想郷が―――偽りの、《食う側》の人間の為だけの理想郷が、あそこにはあった。
リュクシーはメダリアの中で狩りもしたし、日食も見た。
外界に出てからの《本物》とは全く感じ取るものが違ってはいたが、多少なりとも知識がある事で、リュクシーは随分と助けられて来た。
「物を捨てるのはセントクオリスの人間だけだ。魔獣の中には変わった種類のものもいるからな。毛皮や牙でも引き取ってくれる所はある」
「おっ、人が同じ方向に流れて行きやがる―――何かおもしれー事でもあんのか?行ってみようぜ」
―――ガシッ!!!
人の話を聞いていないのにはすっかり慣れたが、先刻あれほど言ったにも関わらず、飛んで行こうとしたカライの服の裾を、リュクシーはガッチリとつかむ。
「お前には足が付いてるだろう」
「羽も付いてるぜぇ?」
「・・・・・・」
リュクシーはできれば穏便に事を済ませたいと思い、無言で怒りを伝えようとしてみたが――― どうにもため息だけは出てきた。
「わかった、わかった、歩いていこーぜ」
だが今回は随分とあっさり引き下がった―――と思えば、
「何だ、これは」
「ん」
カライは腕でも組めというのか、リュクシーの前に左腕を向ける。
「いいじゃねーか、オレといた方がからまれねーだろ」
「男同士が腕なんか組むか」
「じゃあ、オレが大声で宣言してやるぜぇ?お前は女、だから何の問題もねーってな。ケケケッ!!」
もう既に十分な大声で、人目を引いている事にカライは気づいていないのか、わざとそうしているのか―――
「もういい―――勝手にしろ」
どうせ結局は付いて来るのだから、とリュクシーは一人で歩き出す―――
「おい、リュー。店はそっちじゃねえぞ」
突然、頭を鷲掴みにされ、リュクシーは無理やり方向転換させられる。
海上で散々聞いたその声の主を、リュクシーはじろりと睨み上げた。
「なに、不細工面してんだ」
よほど不機嫌顔だったのか、ジンはリュクシーの顔を見ると開口一番そう言った。
「―――三つ言っておく」
リュクシーはジンの手を払いのけると、その後ろにイチシも立っているのを視界に捕らえながら口を開く。
「私はもう船を下りた。お前たちとはもう何の関わりもない。私の名はリュクシーだ」
「言いにくいんだよ、お前の名前は」
「名は―――」
捕縛士が名を騙ることは非常に危険な行為だ―――人の心とは移ろいやすいもの、名を騙るうちに本当の自分の名を忘れてしまう可能性がある・・・・・・それは魔獣の精神汚染にも通ずる禁忌の一つだと、リュクシーは教え込まれた。
「―――とにかく勝手に人の名を変えるな」
だが、その全てをジンに説明する必要もないと判断したリュクシーは、結論だけを伝えた。
「いいじゃねえか、お前だって分かれば」
「だから―――もう私の事は放っておいてくれ」
全く悪気のないジンの顔に、リュクシーはカライとは別の意味でため息を洩らした。
「お前、アクミナータ大陸に渡りたいんだろ?あそこに行くとすりゃあ、クラーキア、ランドクレス、デュランタライム―――って北上してって、ルドベキアからまた船に乗るしかねえ」
ジンが言ったものと、リュクシーが頭の中で描いていたのは全く同じ進路だった。
「オレたちもランドクレスに向かうつもりなんだ―――一緒に行かねえか?」
間も置かず、遠慮もせずに、おそらく自分に話し掛けた目的であろう一言を切り出したジンに、リュクシーはただただ呆れた眼差しを向ける。
「大所帯で移動する気はない」
「別にオレたちもただ一緒に行こうってんじゃねえ。―――大人数の方が、問題が起きた時、何かと便利だろ?旅だって楽になる」
「あいにくと、お荷物はカライだけで十分だ」
「お前を助けてやろうってんじゃねえ。―――逆だ。オレたちを手伝ってほしい」
一体何が言いたいのかと、リュクシーはジンの顔を伺う。
「実は―――これからゴデチヤの保護地区に、一人迎えに行こうと思ってる。だが、そいつを連れてランドクレスまでとなると、色々と面倒も出て来る―――そこで、お前なら女とはいえ多少は腕に自信もあるみてえだし―――」
お前も何か言えと、ジンはイチシに合図する。
「―――報酬は出す」
イチシはリュクシーの瞳を捕らえながら、簡潔に言う。
「―――何か裏があるだろう」
「う―――裏だあ?そんなモン、あるわけねえだろうが!」
リュクシーの疑惑の眼差しに、ジンは明らかに動揺を見せた。
「ランドクレスに行きたいなら、あの船で行けばいいだろう。わざわざ陸路を使う理由がどこにある」
「ふ―――船?ああ、それはだな・・・・・・」
リュクシーをどうにか納得させなくては―――と慌てたジンは、背後に停泊している帆船に目をやった―――
ズ―――ズズ―――――ン
突然、帆船が傾き、水しぶきが上がる。
「なっ―――なんだ、ありゃあ!!」
リュクシーもただ唖然と船が沈没する様を見ているしかなかった。
「―――『何もなかった』んじゃなかったねーか?」
カライが見をよじってケタケタと笑っている。
「ド派手に沈んじまったな、ケケケッ!」
「ど―――どーなってんだ、いきなり!!!」
ジンは船着き場に向かって走り出す。
「おい、また元の場所に戻んのかよ?」
カライのうんざりした声と共に、イチシの舌打ちも聞こえた。
突然の珍事に、港にいた者たちは皆、事の次第を確かめようと沈没現場へと足を運ぶ。
人込みをかき分け突き進むジンの後ろを、リュクシーもピタリとついて後を追う。
図体がデカい分、後ろに道が出来るのだ―――
「おい、無事か!?―――おい、手を貸せ、引き上げるんだ!!」
汚染された海水に落ちてもがいている男たちを見て、ジンは叫んだ。
「ジ―――ガバガボッ、ゲェッ、助け・・・・・・!!」
「タンブラー!!今引き上げてやる!!」
ジンが無理を承知で仲間たちを引き上げようとするのを見て、リュクシーは軽くため息をつく。
「どいていろ」
ジンを後ろに引き下げ、リュクシーはシェイドを解放する。
ザバッ!!!
海に落ちていた数十人の船員たちの体が、リュクシーの気合と同時に上空へと上がった。
ドサッ!!!
そして港に打ち上げられた男たちは、全身の焼けるような痛みにのたうちまわっている。
「おい、医者だ!!誰か、医者を呼べ!!!」
「医者じゃどうしようもねえ―――そうだ、あの女・・・・・・マディラだ!!マディラを呼んで来い!!」
《マディラ》―――その名に聞き覚えのあったリュクシーは、ハッと顔を上げた。
「マディラ―――」
マディラ―――捕縛士のマディラ=キャナリーの事だろうか。
セントクオリスの捕縛士が、同盟国とはいえ、この好戦的なゴデチヤに駐留しているというのか?
(―――――・・・・・・殺気!)
ジンを突き飛ばすと、リュクシーも人込みの方へと飛びのいた。
ドウッ!!!
覚えのある衝撃波が頭上から降り注いだ。
余波を受けたやじ馬たちが、声もなく倒れていく―――
(この―――敵意のある感情には覚えがある・・・・・・あいつらがゴデチヤに来ているのか!)
リュクシーは体勢を立て直すと、己の敵の姿を探して辺りを見回した―――
「びっくりしたわよ―――ねえ、ジラルド」
だが、敵は姿を隠すどころかシェイドエネルギーをその身にまとい、立ち並ぶ倉庫の上から飛び降りた。
「やはり―――お前たちか・・・・・・」
現れたのは青い髪をした2人―――リュクシーと同じ、メダリアの制服に身を包んだ2人。
「まさかとは思ったけど、お前の言った通りだったな、ホーリー」
「騒ぎを見に来て、変わったものを見つけたわね―――でも、あたしがこの女を見間違うはずないじゃない?」
ジラルドとホーリー、メダリア時代の同期の2人は今、シェイド製の武器を手にし、万能であるメダリアが造るはずのない失敗策を闇に葬ろうとしていた。
(2対1―――しかも相手はシェイドを持っている・・・・・・)
カライの姿は見当たらない―――
(このままでは―――狩られる)
「随分と汚らしくなったわね、リュクシー。―――いい気味だわ」
ホーリーはこの状況を心の底から楽しんでいるようだった。
「でも―――シュラウド様でも見誤る事もあるのね。あの方のお気に入りはまるでドブネズミのように地面を這い回り―――あたしはこうして捕縛士として働いている」
ホーリーのシェイドが高揚するのが解る―――リュクシーに対する妬みと憎しみを募らせて、一気にシェイドを放つ気なのだ。
「ほ―――捕縛士だぁ・・・!?」
横で聞いていたジンが、驚きの表情でリュクシーを見ているが、今はそんな事に構っていられない。
「相変わらず何も見えていない奴だ―――シュラウドの真意など、そんな単純なものではないだろうに」
《お気に入り》―――シュラウドにとっては、ただの興味深い実験対象だったに過ぎない。
そんな事に嫉妬を感じ、自分を目の敵にするホーリーを、リュクシーは昔から軽視していた。
「フン、盲目なのはそっちじゃないの?可哀相よねぇ、ゼザも―――パートナーがコレじゃ、相手も大変だわ。アハハ、そうだ知ってる?・・・・・・わけないか。あいつ、激戦区に飛ばされたらしいわよ。パートナーのいない捕縛士なんて、使い捨ての駒だものね」
ホーリーの言葉に、リュクシーの心臓がドクンと音を立てる。
(ゼザは―――メダリアにはいない?)
ゼザの行方など、秘密主義のメダリアの事だ、全てを管理しているシュラウドでもなければ知るはずもない ―――だが、この2人にも解る事がある。
―――ゼザはメダリアから消えているのだ・・・・・・
「あんたの可哀相な人生は、このあたしの手で幕を閉じてあげるわ」
ホーリーの手に握られた剣にシェイドエネルギーが集まる―――だが、リュクシーにはそんな事よりも、ゼザの事の方が衝撃だったのだ。
(―――やはり・・・・・・あの時のシェイドは―――!!!)
「おい、リュー!!危ねえ!!」
ジンの声にハッと我に返ると、もう目の前に来ているホーリーのシェイドに対して、とっさに防御の姿勢を取った。
ザザンッッ―――――!!!
「ぐっ!!」
シェイド製の武器により増幅されているとはいえ、ホーリーの放つ力は自分と同じメダリアの訓練によって得た偽りの痛み、カライの強烈なシェイドを浴びたリュクシーにとっては、耐えきれないものではなかった。
「相変わらず―――生意気ね!!でも、いつまで立っていられるかしら?」
「おい、ホーリー」
いきり立つホーリーを、ジラルドが制する。
「いいのか、殺しちゃっても?マディラ様に何か言われるかも―――」
「バッカじゃない!?言われた事しかできなくて、捕縛士が務まると思ってんの!?栄誉は自らの手でつかみとるのよ!!―――あたしはこの女を殺す!!そして認めてもらうのよ、シュラウド様に!!!」
久しぶりにこの2人の行動パターン―――先走りするホーリーをジラルドが止めるが、結局ホーリーに押し切られてしまう―――を目にしたリュクシーは、一瞬懐かしさのようなものを感じたが、2人が言い合っている隙に右手にシェイドを集中し、迎え討つ準備をする。
この2人の弱点は、パートナー同士の意志の伝達に、そして行動を決定するまでに時間がかかるという事だ―――
ビュッ―――――
そしてシェイドを解放して一気に距離を縮めると、ホーリーの頭に手刀を振り下ろす。
ガキンッッ!!!
素手と剣ではあったが、シェイドの力ではリュクシーが打ち勝ち、ホーリーの剣は真っ二つに折れた。
「っ!!!ホントに生意気ね!!!!」
どうにか頭への直撃は避けたホーリーだったが、攻められてしまう要因が自分にあるとは考えず、ますますリュクシーに対して怒りを爆発させる。
「お前の弱点を教えてやる」
リュクシーは既に第2撃を繰り出していた。
シェイドをまとった右足がホーリーを捕らえる―――――ガッッ!!!
だが、そこはやはりパートナー、ジラルドの剣が追撃を阻み、リュクシーは反撃を避けて後退する。
「あたしの弱点?―――何よ、言ってみなさいよ」
剣を折られて、ホーリーは塚の部分からシェイドを取り出すと手の中に握り締め、リュクシーと同じように自身の肉体を武器へと変える。
「―――これでもまだ、生意気な口がきけるならね」
2人の操るシェイドが、リュクシーの肌をビリビリと刺してくる―――
これでも幾分大人になったのか、戦闘訓練の時よりはこの2人も進歩したらしい。
訓練時と違い、今回は勝てる気がしない―――それは共に危機に対応してくれるゼザの存在を失ったせいなのか、それとも―――リュクシーは何かを待っている自分に気が付いていた。
「解ってるの、リュクシー?―――あんた、これから死ぬのよ」
「しゃべり過ぎだ」
リュクシーは小さくつぶやいた。
「―――何ですって?」
「だから勝機を逃す」
「だから何をブツブツ言って―――頭に来る女ね、あんたって・・・・・・っ!?」
メダリアの捕縛士たちが、空を徘徊する翼のある影に気づいた一瞬の隙をついて、リュクシーは飛び出した。
「何なの、こいつ!!シェイドの塊―――」
「ホーリー!!」
迫るリュクシーに気づいたジラルドが、ホーリーをかばって間に入ろうとしたが―――
「オレ抜きで随分と楽しそうじゃねーか、リュクシー!!」
カライは叫びと共に一筋の電撃となり、ジラルドに急降下した。
「ジラルド!!」
―――リュクシーはひるまなかった。
周囲を巻き込む電撃の嵐は、死を予感するものではなくなっていた。
死の体感に絶叫する人間の声は聞こえていたが、リュクシーはその中に飛び込んでも《生きる》確信があった。
(『超えた』とは―――こういう事か)
カライが言っていた「オレは超えた」というのは、死の体感よりも生への執着が上回った――― つまり、電撃を自分の意志で操れるようになったという事だったのだ。
「う―――――あああああ!!!!!」
「ジラルド!!」
リュクシーは何か声を発する事もなく、ホーリーの懐に飛び込むと、彼女の腹に強烈な一撃を放った。
「っっ!!!」
ドンッ!!
「あああああ!!!!!」
ホーリーが数メートル先の建物の壁に激突し、動かなくなったのを見てとると、リュクシーは嵐の中で高笑いし続けているカライへと向き直る。
カライを中心に渦巻く電撃に捕らわれてしまったジラルドは、死の体感に絶叫し続ける―――
「カライ」
「―――何だよ」
リュクシーが呼びかけると、カライはピタリと笑うのを止め、首をこちらに向けた。
途端、電撃は消え、ジラルドはその場に崩れ落ちる。
リュクシーは静かに歩き出す―――そして横たわるジラルドの元へ行くと、脈を取り始めた。
(失神しているだけだ。シェイドに弱い人間なら、精神障害が残るかもしれないが・・・)
「―――本当に超えたな」
その言葉を誉め言葉と取ったのだろうか、カライはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「オレ様は無敵だろ?」
カライは《死》から遠のいていく―――その体は既に生きてはいないのに。
リュクシーには、《死》超えることが、《無敵》と同等であるとは思えなかったが――― カライの得意げな顔を見ると、否定する気は失せた。
そして視線を落とした先に、シェイドの余波を受け、失神している者たちが目についた―――
中には、捕縛士たちが受けた実験の苦痛を体感しているのか、うなされている者もいる。
(苦痛を―――訴える声・・・・・・)
それはメダリアにいた時、苦しくて苦しくてたまらなかった声そのものだった。
小さかったその声は、リュクシーの中で波紋を広げ、彼女の頭の中を支配しようとする。
声が膨れ上がる中―――ホーリーが口にした一つの真実。
「―――いるんだろう?」
苦痛の声の中、意識の中―――リュクシーはつぶやいた。
「―――どこかで見ているんだろう!?―――私を見張っているんだろう!!」
自分の中を駆け巡る衝動を、リュクシーはもう押さえる事ができなかった。
声が大きくなるにつれ、リュクシーの体を取り巻くシェイドも増幅していく。
「―――出て来い、ゼザ!!それとも・・・・・・!!!」
リュクシーには、ゼザがここにいたとしても絶対に姿を見せない事は解っていた。
あれは作業に伴う雑音―――騒音なんだ
「私の声も《雑音》なのか―――!!」
リュクシーは力の限りに叫んだ。
「お前の心に《雑音》はないのか!!」
聞こえているはずだ―――だが、ゼザの心が動く事はないだろう。
今のリュクシーには、過去を否定する事しかできない―――
リュクシーは激しく動悸する心臓をギュッと押え込むと、平常心を取り戻そうと大きく呼吸をした。
(ゼザに私を受け入れさせるには、逃げ回るんじゃなく―――しっかりした《私》が必要なんだ)
過去を否定する事ではなく、リュクシー自身を認めさせるしかない。
幸い、リュクシーの抹殺命令は出ていないのだろう―――シュラウドのやりそうな事だ。
泳がせて監視して、自分の都合のいい時にあっさりといとも簡単に《命》を摘み取ってしまう。
「気は済んだかよ」
カライの声に、リュクシーは顔を上げた。
「―――ああ」
―――もう二度とゼザの名を呼ぶ事はしない。
ゼザの方からリュクシーの前に現れるまで―――リュクシーの声を聞こうとするまで・・・
「おい、リュー」
ジンの声に、この場で気を失っていない人物がもう2人いた事に気づいた。
いつのまにか追いついていたイチシが、ジンの事を保護していたのだろう。
あれだけのシェイドを浴びて、ジンはピンピンしている。
「お前、捕縛士って―――どういうこった?」
汚水で灼けた体に苦しんでいる仲間たちに声をかけながら、ジンはこちらの顔を伺い尋ねる。
「見ての通りだ―――説明はいらないはずだ」
リュクシーは辺りを見回した。
「しっかりしろよ、お前ら―――もうすぐ医者が来るからよ。・・・・・・オレは鈍いんだ。解るように、ちゃんとお前の口で言え」
この状況を見ても全く態度を変えないジンの言葉とイチシの寡黙な視線に、リュクシーは戸惑いを覚えた。
「―――私は捕縛士として養育を受けた。だが、耐え切れなくなって逃げ出した。そして今は奴等に追われる身だ。―――共に旅を出来ない理由が分かっただろう」
「―――こいつもか?」
ジンはリュクシーの横でニヤニヤ笑っているカライを見て言う。
「カライは―――違う・・・」
カライの説明など、リュクシーにできるはずもない。
この男の正体は、リュクシー自身も半信半疑であるうえ、1人の人間ごときに解明できる薄っぺらなものではないだろうから。
「何だ、これはぁ!!!」
突然、女の声が辺りに響いた。
「海に落ちたバカ共がいるってーから来てみれば、何があったってのよ!!全く、余計な仕事作りやがって・・・・・・ん?」
この物騒な町中で、短いスカート姿の上に白衣をひっかけたその女は、地べたに転がっている人間たちの中、平然と立っているリュクシーたちの姿を見つけると、顔を顰め大股で歩み寄って来る。
「逃げんなよ、お前ら!!あたしが行くまで一歩も動くんじゃないよ!!」
「オイ、今度は変な女が出て来たぜ?」
カライはおもしろがるように言ったが、リュクシーの思考はめまぐるしく動いていた。
(あれは―――確かに《マディラ=キャナリー》だ)
リュクシーが面識のある特級捕縛士はソーク=デュエルだけだったが、あのシュラウドに認められただけの連中だ、まだ未熟といえども捕縛士の教育を受けていたリュクシーが何かを感じ取っても不思議ではない。
(《逃亡者》を―――彼女がどうするか)
彼等がシュラウドとどの程度繋がっているのか予想もつかない。
「カライ―――あれはメダリアの捕縛士だ。お前は黙っていろ。シェイド体とバレれば、また照明器具に逆戻りかもしれないぞ」
「あの色っぽい姉ちゃんが捕縛士だってぇ?」
「いいから黙っていろ」
イチシとジンが余計な事を言うのではと思い、2人の顔を見たが―――止めた。
2人はリュクシーについて何も知らない。
それに、マディラには嘘をついても無駄だろう―――
リュクシーはまっすぐと顔を上げ、マディラを見た。