EPISODE13
「しっ、静かに―――ミラ、テクノを黙らせろ」
泣いてぐずっているテクノの口に布を押し込めると、ミラは自分の懐の中に赤子を包み込んだ。
後は祈るだけだ―――見つからないように。奴らがこのまま通り過ぎるように。
カツ―――ン―――――カツ―――ン―――――
奴らの足音―――自分たちはいつもいつも、この音に脅え、苦しめられてきた。
そして、これからもずっと―――
(―――嫌だ。こんな所、逃げ出してやる。大人になれば逃げ出せる)
カツ―――ン―――――カツ―――ン―――――
足音が遠ざかっていく―――今回も生き延びた。
「しばらくは警戒した方がいいな―――」
「でも、ルーカス、今は蓄えがないわ。そんなに長い時間は持たないわよ」
「―――分かった。オレは食料を調達してくる。それまでは―――そうだな・・・」
ルーカスが周りにいる子供たちを見回すのを、自分はぼんやりと見ていた。
「―――《カライ》、お前だ」
視線が合った瞬間、ルーカスはそう言った。
「―――?」
―――《カライ》。
それが自分の名だと認識するのに、少々の時間がかかった。
「そう、それとハンク。―――オレが外に出てる間、皆を頼む。―――しっかりと見張るんだ。いいか―――あいつらに見つかったら最後、どこに売られるか分からない。オレがいない内はお前たちが皆を守るんだ」
「うん、分かった、ルーカス」
《ハンク》の声に、《カライ》はその少年に目をやった。
そう、《ハンク》だ―――自分はこの少年を知っている。
「・・・・・・」
「―――カライ?しっかりしてくれよ―――お前たちも、もう8歳になるんだ。もしもの時のために、今度はお前たちが強くならなくちゃいけないんだ」
ルーカスの言葉に、反発を覚える自分がいた。
(もしもの―――時・・・・・・)
ルーカスの前はマイク、マイクの前はダルシェ、ダルシェの前は―――どんな名前だっただろう・・・・・・顔は朧げに記憶に残っているのに。
―――皆、いなくなった。
(あいつらはきっと、奴等の仲間になったんだ。そしてオレたちを売ったんだ。 ―――狩ろうとしたんだ。だから、いつまでも逃げなくちゃならない・・・・・・)
ドームの下の配管線の間を逃げ惑って、隠れ続けて、生き続けて―――それでもあいつらはやって来る。
―――見つけ出す。
「う―――ううう!!!」
突然、自分の中の不安が暴れ出す。
その衝動を押さえ切れずに、《カライ》はルーカスに飛び掛かると、その腕に噛み付いた。
「―――カライ!?何してるの!!」
「カライ!!」
「皆、カライを離して!!」
《カライ》はルーカスの腕から離れようとはしなかった―――
―――ルーカスを行かせたくなかった。
行ったら、帰って来なくなると思った。
「カライ、やめて!!ルーカス、腕から血が・・・・・・!!」
「カライ―――分かった、カライ。だから、もういい―――いいから、離せ・・・」
ルーカスがなだめながら《カライ》の背を摩ると、体から力が抜けて行くのが分かった。
「う―――うぅ・・・」
自分と対して年の違わぬ少年が、心を静めてくれるのが分かった。
「皆―――今日1日、我慢できるか?食料は明日探しに行くから・・・・・・」
「うん!!あたし、我慢する!!」
「僕も平気だよ!」
カライだけではなかったのだ―――ルーカスがいなくなる事を恐れていたのは。
子供たちは笑顔で頷くと、ルーカスの周りにまとわりつく。
「ルーカス―――」
そんな中、ミラだけが不安そうにルーカスの顔を伺う。
「心配するな、ミラ。何も起こりはしないよ。ちゃんと明日を迎えて、皆で一日を始める。大丈夫さ―――」
「でも―――」
ミラは心配そうに、ルーカスの腕の中にいるカライを見つめた―――
昔から―――《カライ》がこうして何かを訴える時には、決まって良くない事が起きたのだ・・・・・・
―――ゆっくり目を開けると、暗闇だった。
「・・・・・・」
だんだんと目が闇に慣れて来た頃―――ふと、自分が寝ているベッドの上に、自分の胸元に―――1つの宝玉のようなものが転がっているのに気づく。
(―――シェイドだ)
無意識に思う。
「・・・・・・」
だが、それ以上は考えられない―――何を考えればいいのかも分からない。
(シェイドって何だ)
思考の糸口を、さっき頭に浮かんだ言葉から頼ってみる―――そして手で、その宝玉に触れた。
ビリッ―――――
指先に静電気のような刺激を受けると、また一つの言葉を連想する事ができる。
(―――カライ)
―――もう一度、その言葉を想う。
(カライ)
「―――何だよ」
突然、声が聞こえ、目の前に男の顔があるのに気づく。
「カライ」
「だから何だよ」
暗闇の中、男の顔ははっきりと見える―――そう、この男だ、《カライ》は。
では―――自分は?
「そんな顔しちゃって、オレに抱いてほしいのかよ?リュクシー」
「・・・・・・」
「だったら早く言えよな」
カライはニヤリと笑うと、自分に馬乗りになり、衣服に手をかける―――
「・・・・・・リュクシー?」
カライが口にした名を、自分も口に出してみる。
(リュクシー・・・・・・)
そしてふと、カライの動きに目をやった―――カライは楽しそうに、自分の着ている服を脱がそうとしている。
ドンッ!!!
「リュクシーは私だ!!!!!」
カライを突き飛ばすと、リュクシーはありったけの声で叫んだ。
そして、衣服の乱れを直すと、ベッドの上に立ちあがる。
「何、今更な宣言してんだ?―――とうとう頭がイカレたか?―――ケケッ、オレと同じだな」
突き飛ばされ、床に転がったカライは、素早く身を起こすとケタケタと笑っている。
「今のは―――」
リュクシーは頭を抱えて、どうにか平静を保とうと大きく息を吸い込み、そして吐き出す。
(―――夢?)
ただの夢ではない―――カライの夢。―――《カライ》になった夢。
(私は―――カライに汚染されていたのか・・・・・・)
本人に汚染したという自覚がない為か、カライに名を呼んでもらったおかげで、リュクシーはどうにか自分を取り戻した。
「お前―――いや・・・何でもない」
カライに対し、何か言おうとしたリュクシーだが―――やめた。
―――本人に自覚がないならば、言わない方が身のためだった。
「んん〜?ノーマルプレイがお気に召さないなら、お前の趣味で構わないぜ?」
「いいから黙れ!!―――悪かったな、寝ぼけただけだ!!―――私は寝直す!!」
呑気というか、いつも通りというか、カライのこの調子に、先刻の夢の中で感じた不吉な予感に激しく鼓動する心臓を気づかれまいと、大声で怒鳴り付けた後、リュクシーはまたベッドに横になると毛布を顔半分にまで引き上げた。
「オメーなぁ、それって男を煽ってるだけだぜぇ?ヤメテと言われりゃ、余計に燃えるのが男だろうが。ケケケッ」
ガシャンッッ!!!!
リュクシーは枕元にあったランプをカライ目がけて投げつけたが、避けたのか素通りしたのか、ランプは壁に当たって砕けた。
「うるさい!!私にそんな気はない!!同意がなければ無駄な事は分かっているだろう!!」
「お?命の恩人のオレ様に対してその態度かよ?」
カライは不満げに言うと、毛布にくるまっているリュクシーを腕に抱えると、耳元で囁いた。
「オレはお前の同意なんてなくても構わないんだぜ?」
カライの獲物を見るような瞳が、夢の中の少年と重なる―――
不器用な少年―――彼は、欲しいものを繋ぎ止める方法を知らない・・・
「―――私はルーカスじゃない」
リュクシーは毛布を自分から剥いで身を起こし、カライと正面から向き合った。
「噛み付かなくても、私はお前の前から消えやしない。逃げやしない。お前の敵になったりしない。お前の意志は聞こえるし、認める。 ―――だから、私の声も聞け。私の望みも―――理解しろ」
「―――お前の望み?」
カライの声が低くなる―――
「―――男なんていらない。私の男は《ゼザ》だけだ」
隠し事は無用だ―――リュクシーの心に巣食う者の名を、カライは初めから知っているはずだから。
「―――オレは超えたぜ」
カライの瞳はいつになく真剣だった。
「―――お前も超える時が来るさ」
「!!」
カライに抱きすくめられ、呼吸を塞がれる―――
バキッ!!!
リュクシーが殴りつけると、カライはニヤリと笑った。
―――その頬には、赤みが刺すこともない。
「その時はお前がいなくても来る。―――余計なお節介は御免だ」
「―――今のは代金だぜ」
カライはフワリと飛ぶと、リュクシーの右側へと回り込み、ベッドに仰向けに寝転がる。
「何だと?」
「―――安いもんだろ。オレの心を覗いた割には」
その言葉に、リュクシーはカライの夢を思い出す―――
リュクシーがメダリアで最上の暮らしをしていた時、カライを初めとする多くの子供たちが飢えに苦しみ、人買いの恐怖に脅えて生きていたのだ―――
(狩られる者の味わう恐怖―――カライはずっと・・・その中で生きていたんだ)
カライのこの笑みの中に、どれほどの感情が入っているのだろう―――この体に、どれほどの苦痛を秘めているのだろう。
「まあ、いつかヤる時のために、お楽しみはとっとくぜ。ヤるって言ったら、ヤッてやるからな。ケケッ」
「他に考える事があるだろう、お前は」
反対を向いて寝入ったカライの背中に、リュクシーは呆れたようにつぶやいた。
「バーカ、男はこれで普通なんだぜ?」
リュクシーは―――自分が恵まれていた事を痛感した。
―――リュクシーは選べた。カライは選べなかった。
リュクシーはまだ生きている。―――生き続ける事ができる・・・・・・
気が付くと、カライの背に手を伸ばしていた―――かつてルーカスが撫でていたその背は大きく、彼の苦痛の象徴である黒い羽を埋め込んで―――
リュクシーはカライの背を摩った。
ルーカスがそうした時の温もりを、危険の中に感じた安らぎを、こうすれば作れるかもしれないと思いながら―――
「何だ、そりゃあ?」
「―――これで我慢しろということだ」
「バカじゃねーのか。オレは毛の生えそろってねー、ガキじゃねーぜ」
「手がかかるのは同じだろう」
「オメーのがガキのくせにムカつくぜ」
―――だが、カライはそれ以上は何も言わなかった。