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SHADE  作者: 青山 由梨
12/25

EPISODE12





「うおっ―――何だ、どうなった!?」

船の上から様子を伺っていたジンは、視界が水の壁に覆われ、慌てふためく。


そんなジンにも汚染水がかからないようにシェイドエネルギーで保護してやていたイチシだが、リュクシーが攻撃を受ける際に無理して補助したせいで、足元がかなりフラついている。


「おい、お前まで落ちてどうする!!」

異変に気づき、イチシの首根っこをつかんだジンは、しぶきの収まってきた海面に再び目をやった。




「ハアッ、ハアッ、ハアッ―――――!!」

リュクシーは胸元を押さえる―――動悸が激しい。頭がクラクラする―――


「カ―――ライ・・・・・・それ、に・・・《レミ》・・・?」

ハガルとリュクシーの間に、カライとレミが立ちはだかっていた。



《レミ―――お前まで何故邪魔をするのだ?》



リュクシー1人のシェイドでは、到底助からなかった―――それほどのシェイドだったのだ、このハガルという男は。


《ハガル様―――この娘は私の産んだ《リュクシー》ではありません。きっと人違いでございましょう。 ―――我ら闇の信奉者にとって殺生は禁忌。ましてや、あなた様は間違いなど犯すはずのないお方・・・・・・》


ハガルはその静かな瞳でレミを見つめた後、今度はカライに視線を移した。


「ハハ―――」

カライの背中は震えていた。


「ハハハ―――スッゲエぜ・・・・・・化け物だぜ、てめえ!!何なんだ、お前ら!?ここにいる奴ら全部、お前みたいな力出せんのか!?ハハハ―――――ギャハハハハ!!」

震えは快楽の絶頂によるものだったらしく、カライは声を上げて笑い続ける。



《確かにお前は《光》の側の人間のようだ―――》



―――突然、冷たいモノが背筋を走るのが解る。


ハガルの静けさは、人柄から滲み出るようなものではなく―――闇を信仰し続け、今はその身も闇に属す、人間在らざるもの故―――

ハガル自身が、不完全に現世に留まる己の存在を疎んでいるかのように、自らを真の闇へと、静けさへと近づけているのだ。



《リュクシーよ。シェイドを現世に引き止め、お前は何をしようと言うのだ》



ハガルは、リュクシーがカライを利用している事を言っているのだ。


「バーカ、オレがいたいから、ここにいるだけだ。こいつの意志なんて関係ねーぜ」

いい加減、笑うのにも飽きたらしいカライが口を挟んだが、ハガルはリュクシーの目を見据えたままだ。



《リュクシー、お前の答を示せ》



それとも、恐ろしさに声も出ないのか―――ハガルの目がそう言っているように思えて、リュクシーはゆっくりと口を開いた。


「私はメダリアのやり方は気に入らないが、かといってお前たちに改宗する気はない」

―――震えていた声が、次第にしっかりしていくのが解る。


「メダリアはシェイドを道具として、世界復興のエネルギーとしてこの世に残そうとしている。 ―――お前たちは世界を破壊と変貌に導く悪しき力として、葬りさろうとしている。 ―――では、カライは何なんだ?お前たちの意志の行き着く先は何処なんだ?お前たちの《声》を聞いてしまった私の意志はどうすればいい!!」


そうだ―――リュクシーは生きていける。

彼等と違い、新しい事を吸収し、成長する事もできる。過去に縋らずとも生きていける―――


「私には世界やシェイドの存在意義なんて考えられない。―――今、この瞬間・・・私のそばにいる者を理解しようとするのが精一杯だ」


ハガルはこちらを見つめたまま、何も言わない。

まるで、リュクシーの決意の程を見抜こうとでもするかのように。



《シェイドを理解―――それにどれほどの意味があるのか》



「私たちは触れ合う事はできない。でも、意志の交換はできる。欠けているものがあっても、別の方法で補えばいい―――」



《理解した先に何がある―――我らが相容れない存在である事実は変わるまい》



「それでも―――私は探す。探す以外に私の道はないんだ・・・!!」


震えるばかりの自分は捨てたのだ―――シェイドに侵されるばかりの自分では、もう生きていけない。

助けを求めて叫ぶ《声》―――あれを聞いてしまったリュクシーは、何かをしなければならないのだ。



《純粋且つ傲慢な考えだ―――お前は光の者に育てられたのだな》



ハガルの声に、少し感情が現れた気がした。

リュクシーの生き方に、闇とはかけ離れた生き方に対する嫌悪―――


「ゲヒャヒャヒャヒャ!!!」

―――突然、カライが笑い出す。


「ケケケ―――――ケヒャヒャヒャヒャ!!!!!」


カライが天に向かって笑う度に、シティアラの民が張ったシェイドのバリアがビリビリと揺らいでいるのが分かる―――



《・・・・・・》



カライは笑い続ける―――ハガルは何も言わずに、事の成り行きを見守っている―――







パアァァンッ







「!!」

ガクッ―――――


次の瞬間、リュクシーを空中に支えていたバリアが崩壊し、リュクシーの体は落下する。


―――――ガシッ!!


「―――あ〜、おもしれえ。――――笑かしてくれるぜ」

リュクシーの腕をつかむと、ようやくカライは笑うのを止め、ハガルに向き直る。


「何だぁ?お前、芸人志望かよ?」


ハガルとレミ以外にシティアラの民は、笑っただけでバリアを壊してしまったカライを見て、その消え入りそうな妄執だけの存在で、精一杯の動揺を示していた。



《お前はその邪悪な力を持って、この世界を滅ぼそうとでもいうのか》



「オレが何するかって?」


カライは不敵に笑うと、腕をつかまれ不安定な態勢でぶら下がっているリュクシーの腰に腕を回し、引き上げる―――


「っ!!」

そしてリュクシー荒々しく口付けると、ハガルに中指を立ててみせた。


「んなモン、決まってんだろーが!!この女と気持ちイー事して、それを邪魔する奴はブッ殺すのさ!!」

「っ―――この手をどけろ、カライ!!!」


ハガルは無言のまま、調子に乗ってリュクシーの服の中に手を突っ込み、張り倒されているカライの姿を凝視している―――


「どうしてお前は―――状況が分かっているのか!!!」

「前から思ってたけど、お前って見た目より乳ねーよな。ケケケッ」

「本気で殺すぞ!!!」




―――上から見ていたジンとイチシも、あれだけ緊迫していた場が一気に崩れ去るのを、呆れて眺めるしかなかった。




《・・・・・・》



「っ―――いい加減にしろ、カライ!!!」

ハガルの冷たい視線を感じて、何とかカライを引き離し、中断された話を続けようとするが―――


「大体、男が考える事なんて想像つくだろが。―――え?色男」

カライの手が止まり、リュクシーは心底疲れたため息を洩らしたが、いつのまにかカライの腕が優しく自分を包み込んでいる事に気づく。


「そうさ―――これがオレの全てだ。オレは《人間》で健全な男だからな」


世界なんて、力なんて、何もかもが関係ない―――あるのは、ただ目の前にいるリュクシーに対しての感情だけ。リュクシーに触れられるこの体だけ―――


(カライ―――)


―――リュクシーだって知っていた。

カライの中には打算もあれば、憎しみもある―――それは《カライ》という人間個人が存在するためだけの、世界に影響するはずなどない、小さな力。



《シェイドは個々で存在するのではない―――お前も大河の一滴に過ぎないのだ。その一滴が汚染されれば、大河も次第に病んでいく事だろう》



「そうさ、オレは生きてるからな。―――確かにお前は死人だぜ。お前の声を聞いても何も感じねー。 ―――死人に用はねー、とっとと失せな!!!」


カライが叫んだ瞬間、突然腹の下から力が加えられ、リュクシーは高く飛ばされる。




―――――ドンッッッ!!!


「ッ!!」

甲板に叩きつけられ、リュクシーは斜面を転がる―――――ガッッ!!!


何とか縁につかまり、不自然な態勢を立て直した。

―――カライにしてみれば、リュクシーを上に逃がしたつもりだろうが、乱暴もいい所だ。


―――そして、海上で渦巻いているシェイドエネルギーの波動に気づき、リュクシーは慌てて身を起こす。


(―――あいつ!!まさか、また―――!!)

また、シェイドの乱用で消滅してしまうような事をやらかすのでは―――そんな危惧が襲いかかる。



―――ここは海の上なのだ。


何かの媒体が、きっかけがなくては具現化できないカライでは、海に沈めば二度とこの世に姿を現す事はできまい。


「ギャハハハハ―――――!!!!死人に力はいらねーぜ!?ゾンビならゾンビらしく、肥やしにでもなっちまえ!!!!!」


カライの声と共に、空気の振動が伝わる―――この震え。この張り詰めた空気。肌にピリピリと来る感触。

間違いない―――リュクシーは二度も経験した。


――二度もカライの死に逝く様を体感した。


「カライ!!やめろ!!」


リュクシーは再び甲板を駆け上がろうと、顔を上げる―――だが、視界に飛び込んで来たのは、逆に上から滑り降りてきたジンとイチシの姿だった。


「―――離せ!!」

左右から腕をつかまれ、リュクシーはあっという間に船内へと引きずり込まれる。


「バカ野郎、まだそんな事言ってやがるのか!!アレは尋常じゃねぇ!!てめえの命守る事だけ考えろ!!」

「イチシ、外はどうなってんだ!!船が傾いたまま、止まっちまったぞ!!!」


船内では怒鳴り声が交錯し、大穴の空いた船の処理に追われた男たちが駆け回っている。


「ヒムボルト、何だ、この肌にビリビリ来るのは!!?」

「オレが知るわけねーよ、船長!!」

シェイドに鈍感な者までが、カライの放つ強烈な死の残像に反応し始めていた。


カライの声が聞こえる―――リュクシーの腹の底にまで、カライの声が響く。


カライは肉体を失ってからも、どうしてもあの瞬間に行き着いてしまうのか。

やはり、リュクシーなどの手に負える存在ではないのか―――?


「ううっ!!」

「っあっ!!」

複数のうめき声が上がったと思うと、船員たちがバタバタと失神し始める。


「―――・・・!!」

耐性のない者が、これ以上シェイドを浴びれば―――







ドクンッ







リュクシーの心臓は激しく脈動する―――頭の中に駆け巡るのは一つの真実。


(このままでは―――死ぬ)


カライと共に灼け死ぬか、船と共に沈むか―――あるいは。


リュクシーは偽りの熱に苦しむ男たちに目をやった。







オレたちは食う側に生まれた


食われる者はそれを受け入れるしかないんだ







こんな時にゼザの言葉を思い出す―――


「ぐぅ―――っ!!!」

―――ジンのうめき声に、リュクシーはハッと現実に引き戻された。


イチシのシェイドに保護されているジンでさえ、たまりかねて膝を付く。







死ぬ







呆然と辺りを見回したリュクシーは、イチシと目が合った。


(この男は―――なぜ、そんなに落ち着いていられるんだ。―――事態が分かっていないはずはないだろうに・・・)


イチシは慌てる様子もなく、静かにリュクシーを見つめ返している。




「死ぬのが怖いか」




イチシの問いにリュクシーは―――初めて味わうこの危機感が、死への恐怖かと思う。


「お前は怖くないのか」

質問をそっくりそのまま返すと、イチシは小さく笑った。


「今更な」







バチバチバチッッッッッ!!!!!







カライのシェイドと笑い声が絶頂に達した。


「ぐわっ―――っ!!」

船内に電撃の波が走り、どうにか耐えていた者たちも一斉に失神する。



―――――ダッッ!!



リュクシーは駆け出した。

一刻の猶予もないのを思い出し、シェイドを解放すると甲板を突き破り、外へ出る。







カライ!!!







渦巻く電気の中心を見据え―――リュクシーは甲板を飛び越え、薄れかかっている幻覚に向かってダイブした。







「カライ!!!」







カライの首に飛びつくと、消え入りそうだったカライの姿は点滅を繰り返し、生と死の狭間で再び戦い始める。



(ああ―――お前にとっては生と死も、苦しむ事に変わりはないのだな―――)



生きるためには復讐を抱き、死ぬためには命果てた瞬間の苦痛を体感する――― ならば、同じ苦痛を受ける者がいるという救いでも、慰めでもいい―――自分と共に無に還ろう。



「ハガル!!船は助けろ!!私たちはここに留まる!!」


いつのまにか剣を構え、自身のシェイドエネルギーを高めていたハガルに、リュクシーは叫んだ。


「シェイドを利用するも殺すのも、お前たちが光の者である証だ!!どんなに闇の安らぎを目指して生きようと、この世にある限り、光の守護は受けるんだ!! ―――お前もだ、カライ!!だから―――だから、闇へ還ろう。何にも干渉されない世界へ・・・・・・私も付き合ってやる―――」


いくら3度目とはいえ、カライの死の体感をこれほど間近で受けているため、リュクシーの意識は遠のいてきた。


それと反対に、カライの体は次第にはっきりと具現化していく―――



「ギャハハハハ!!!!!バカ言ってんじゃねー!!!お前が死んだら、オレは悪霊じゃねーか!!!誰がこんな腐った所に永住するかよ!!!!!―――だから、こうしてやるのさ!!!」



生への渇望が、死の体感を乗り越えたのか―――――?

カライは自らの意志で、シティアラの民に向かって電撃を放った。


迫る電撃の中、ハガルは静かに構えたまま、動じない―――




《お前は―――・・・のだな》




―――突然、ハガルは剣を収めた。





キンッ―――――





―――――剣が鞘にぶつかったと同時に、全てが消えた。


海に向かって放たれたカライのシェイドも―――無生物や人間以外の生き物にはさして効果はなかったようで、シティアラの民たちと共にかき消えた。


「何だぁ!?ケツまくって逃げ出したのかよ?―――おい、どこ行った、色男!!」







ギギィ―――――







「カライ―――避けろ、船が倒れる!!」


船が元に戻ろうと、その巨体を傾ける―――――







パアァァァンッッッッ!!!!







激しい水しぶきが上がり、リュクシーは汚水を防ごうと思ったが、力が出なかった。


バサッ―――!!


カライがコートを広げ、リュクシーを包み込む。


「うっ!!」

呼吸を塞がれ、一瞬声を上げたが、海水が降り注いでいるのが分かったので、じっとしていた。


「何だ?―――おい、見てみろよ」


しぶきが収まったのを見計らい、リュクシーが顔を出すと―――船は何事もなかったかのように、浮いていた。



「―――――何もなかったんだ」



その事実に気づき、リュクシーは改めてシティアラの民の、シェイド体の力というものを認識した。


「ああ?」

「―――全ては過去の映像だったんだ。シティアラの民の」


捕縛士に捕らえられ、メダリアへと護送される途中―――船は沈んだ。

―――彼等が沈めたのだ。


彼等はシェイドを利用する者も共に葬ろうとした―――ソーク=デュエル。

リュクシーの脳裏にあの男の姿が蘇る。


―――冷徹な男。最強の捕縛士。


そしてシティアラの民は、あの男1人に負けた。―――意志の強さで負けた。


あれほど大勢の人間の意識を超えるほどの、強い意志とは何なのだろう。


「ケッ、さてはオレ様に恐れをなして逃げやがったか?へっ、おととい来やがれ、バーカ」


消えてしまったハガルに悪態をついているカライを見て、リュクシーはぼんやりと思った。


(今回は―――?)


―――カライが勝ったのだろうか。


(いや―――人の想いに、人の価値に、差などないはず・・・・・・肉体は奪えても、心だけは支配されない《生き物》のはずだ―――)


―――シティアラの民は自らの意志で引いたのだ。

それがどんな理由であるにせよ・・・・・・


「カライ―――お前は平気なのか」


《怒り》とい限りなく近い感情で、この男はすぐに死を導いてしまう―――


「あ?―――何、そんなにオレが心配か?」


ニヤリとからかいの笑みを浮かべるこの《生き物》の態度に腹が立ち、リュクシーはカライのすねを思い切り蹴り上げた。


「心配して悪いか」

「おっ?今、何て言った?」


リュクシーの言葉に気取られて、痛みを全く感じていないカライに再び腹が立ち、怒鳴り付けてやろうかと思ったが―――


「―――お前が無事で良かったと言ったんだ」

「おおっ!?いよいよ本気でオレに惚れたな?」


おだてておいた方が楽な事に気がついて、リュクシーは投げやり口調でそう言った。


「もういい、上の戻るぞ」

「もー少し、イチャついてからにしよーぜ」


また調子に乗って擦り寄ってくるカライに、リュクシーは今度は本気で頭の血管が2、3本ブチ切れた気がした。


「いいから、上に行け!!気色の悪い!!」

「おめーのその反応が、ま〜たおもしろいんだよなぁ」


「お前、分かってないのか!!あれだけ人に害のあるシェイドを解放しておいて―――中の人間がどうなったか・・・・・・」

急に興奮したせいか、リュクシーの頭もクラクラして来た。


「どれだけ―――私の心を削り取れば気が済むんだ、カライ・・・・・・」


カライに身を委ねてはいけない―――そう思いながらも、リュクシーはカライの胸に崩れ落ちた。


「―――さあな」


意志一つで、腕の中の者をどうにでも出来る状態に飽きたカライは、リュクシーを担ぎ上げると、天を仰いだ。


リュクシーはカライに心を分け与えているつもりらしいが―――カライの心には相変わらず何も満たされていないし、これから満たされるだろうという希望すらない。


「多分、お前の心が干からびるまでじゃねーか?オレのは穴空きで、全部垂れ流れちまうみたいだからな」


―――カライは薄く笑う。


「精々、利用されてくれ。お前はオレの唯一の栄養源なんだからな」


カライは宙を蹴り、甲板へと移動する―――そしてリュクシーを部屋へ運ぶべく歩き出す。




「―――おい」




イチシはカライを呼び付けたが、向こうはそれに気づいていないのか、無視しているのか、素知らぬ顔で前を通り過ぎて行く。


「カライ」

イチシはカライという名を呼んだ。


「何だ?気安く呼ぶんじゃねーよ」

やはりさっきは聞こえていなかったのか―――今度は反応した。


「気安く呼んだわけじゃない。―――カライ」

「お前がどんなつもりかなんて興味ねー。呼ぶな」


「呼んでなんていない。―――オレは支配してるんだ、《カライ》。お前を」

イチシの言葉に、カライは歩を止め、リュクシーをドサリと下に降ろすと向き直った。


「最近は中途半端な芸人が多くて困るな。くだらねーネタでは笑ってやらないぜ?」



お互いの目に、お互いのシェイドの色が映る―――お互いがリュクシーを欲しているのが分かる・・・・・・



「へえ?―――だからお前はコイツが欲しいのか」

―――沈黙を破ったのはカライだった。


「お前に何が分かる」

心を読まれたと思ったのか、イチシの声が少し怒気を帯びる。


「自分だけが不幸だと思ってる甘ちゃんには、オヤジのケツ100万回舐めさしても足りねーぜ」


カライはケタケタと笑い声を立てると、再びリュクシーを拾い上げ、まるでイチシなど眼中にないといった風に、船室へと歩き始めた。



「・・・・・・」


ガンッッ!!!


―――イチシは積み荷を蹴飛ばしたが、それでこの屈辱感が消えるわけではなかった。


「くそっ―――――」

カライは本当に自分の心を読んだのだろうか―――





自分だけが不幸だと思ってる





自分以外の不幸など、感じる余裕なんてない―――イチシには時間がない。





死ぬのが怖いのか





リュクシーに尋ねた言葉―――返された言葉。


―――イチシには大分前から分かっていた。


自分が簡単に死を受け止められるほど、強くもよく出来た人間でもない事を。


(―――自由になりたくて保護地区を出た。追い出される前に、捨てられる前に―――自分から出たんだ。 ―――外は自由だ。自由は1人だ。オレは―――誰の記憶に留まる事もなく、この世から消えて無くなるのか・・・・・・)


死ぬ事自体ではない―――恐ろしいのは。


孤独の内に、誰1人として支配する事も叶わず、誰に支配される事もなく、最期を迎えるその瞬間が――― 永遠とも思われるその瞬間が・・・・・・イチシを不安に陥れるのだ。



(欲しい)



リュクシーを見た時に感じた。


あの魂の色は自分と同じ―――自由に足掻い切れず、押し潰されてしまう―――居場所を失い、孤独に生きるしかない者の魂・・・・・・・


(―――邪魔だ。死人に生き人は必要ない。死人には墓石で十分だ)


イチシにも力がある―――《自分》の力。―――未来などない、今使うしかない力。


(クレスト―――あんたは言った。―――全ては錯覚で、思い込みだと。思い込む事が力になる、と。 ―――あの女はオレのものだ。オレが手に入れる―――)


―――ジンでは意味がない。他に支配する者を持つ存在では意味がない。


何もかも敵に回し、自分にも裏切られ―――そんな者なのだ、イチシが欲しいのは。


「―――手に入れてやるさ」

このままでは終わらせない―――終わらせてはいけないのだ。


「うう―――おい・・・イチシ―――イチシ、どこだ!!うー、痛え、頭がガンガンしやがる!!くそっ、イチシ!!とっとと来やがれ!!」


あちこちで船員たちが気づき始め、うめき声が交錯する。


「おう、そこの2人、船倉行ってどうなってんのか調べて来い!!」


2日後にはアルガン港へ到着する―――あの町には確か、捕縛士が1人、駐留していたはずだ。

ジンも降りるだろう―――ゴデチヤの保護地区にはヘリオンがいる。




イチシは船内を歩き、頭痛に顔を顰めているジンの姿を見つけた。


「おう、イチシ―――どうなっちまったんだ?頭はガンガン痛えしよ―――」

「ジン、頼みがある」


「頼み?なんだよ」

いつも反発的なイチシが神妙な表情で言うので、ジンは怪訝な顔をする。


「―――オレは船を降りる。あんたにも降りてほしい」





―――――◆―――――◆―――――◆―――――





「船長、オレたちはアルガン港で降りる。―――勝手を言って済まねえが、黙って送り出してくれねえか」


ジンの言葉に船長は辺りを見回したが、《オレたち》という言葉に対して、あるべき顔が1人足りない。


「―――まあ、お前には家族もいる事だしな。降りてえってんなら、止めやしねーさ。だが、もう1匹はどうした?オレに話があるなら、直接来いってんだ」


「イチシの奴―――昔はあんなにひねちゃいなかったんだが・・・・・・最近、ずっとおかしかっただろ?」


「―――まあな。あの無関心野郎が、いくら相手が若い女とはいえ、ちょっかいかけるとは・・・・・・ま、あいつも男だったって事だろうが。―――ったく、問題起こすだけ起こしやがって、降りる時に挨拶にも来ねーってのはどーいうこった」


「―――発病したんだ」

グチグチとこぼしていた船長に、ジンは静かに言った。


「―――・・・」


《発病》―――この言葉が何を表すのか、外界の人間ならば、誰もが知っていた。


カタス病―――不治の病。体が崩れ落ちていく病。


セントクオリスでは、人工的に抗体を植え付ける技術もあるというが、外界の人間にそんな手術をする金などない。

外界の人間の90%が感染しているであろうカタス病は、発病すれば、同じカタス病感染者の隠れ里へ行き、ただただ死を待つしかない。


「―――まだオレたちより若いじゃねえか、あの野郎・・・・・・」


だが、カタスという死神に差別はない―――老若男女全てに平等に現れる。


「今となっちゃあ、あいつはオレの数少ない血縁だからな。最期くらい―――見届けてやりてえんだ」

イチシが自分に心を開いていないのは知っていたが、それでも2人は故郷と縁を同じくする《身内》なのだ。


「まだ症状はひどくねえんだろ?あいつの顔はまだキレイなモンじゃねえか。―――そういや、アルガンには捕縛士が駐留してるらしいじゃねえか。セントクオリスの捕縛士なら、何か方法があるかもしれねえぜ」


「バカ言うな、ユライフ。オレたちのどこに捕縛士を雇う金が―――」


「名前で呼ぶな、ここではオレは船長だ」

思わず、船長の名を口にしてしまったジンに、ジロリと抗議の視線を向ける。


「悪かった、ここでは《船長》だったな―――」

「オレぁ、名前で呼ばれんのは嫌いなんだ。何度も言わすな、バカが」


「お前は変わらねえな―――」

ジンは苦笑した。


「オレは今も昔も、ずっと海の上だからな―――何も変わりゃしねえさ。オレに言わせりゃ、お前のが激動の人生だろうに、よく他人の事まで気にかけていられるな」


ユライフの言っているのが、ジンの故郷に起きたあの大惨事の事だと分かってはいたが、ジンはそれについて何も触れようとはしなかった。


「それでもオレは今日まで25年も生きてこれたんだ。―――何も贅沢は言えねえさ。オレには守るべき者もあるしな」

「今まで放っったらかしのクセしてよく言うな」


「保護地区にいりゃあ、とりあえずは安全だろ。―――船に乗る事は、ヘルの奴も許してくれたしな」

「でも、そろそろ潮時ってことか」


「ああ。短かったが、自分の夢も実現できたし、後は若い連中のために生きてみるさ」


いつだって、自分より年若い者のために生きて来たはずのジンに、もう少し自分のように奔放に生きさせてやりたいと思ったユライフだが、選んだのは本人だ―――何も言うまい。


「じゃあな―――ジン=ヒナセ。お前の事は忘れないぜ」

「ああ―――イチシの奴も後で挨拶に来ると思うから、気長に待ってってやってくれ。どうにもひねてる奴だからな」


2人は固く握手を交わした―――25を過ぎた2人には、きっとこれが最後の対面だろう。

ジン別れを済ませ、船室を出ようとしたが、ユライフが呼び止めた。


「おい、ジン」

「なんだ?」


「あの女はやめとけ。―――関わるとロクな事がねえぞ」

「じゃあ、イチシに説教してやってくれ」


ジン自身はまるで、あの異形を手なずける少女に何の危機感も持っていないようで―――ユライフは呆れるしかなかった。


「お前、やっぱり変わったな。―――図太くなりやがった」


―――ユライフの言葉にジンは笑っただけだった。






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