EPISODE11
「まだかよ―――パーティーの時間は」
カライが退屈そうに行ったが、リュクシーからの返事はない。
「―――小僧がまた出て来たぜ。ジンとかいう野郎もうろつき始めたぜ」
甲板に再び姿を現したイチシたちを見て、カライは既に3時間が経過している事を知る。
「何が始まるのか知らねーが、早くしろよ。退屈で死にそうだぜ」
カライはうんざりとした顔で、海原に目をやった。
「・・・・・・」
だが、リュクシーは何も答えない―――リュクシーは今、瞑想状態にあった。
《私》は―――――何なのだ?
シェイドと向き合うには、自己集中を高める必要がある。
シェイドに意識を乗っ取られないために―――
(メダリアを離れ、肩書きを捨て、力を失い―――)
だが今のリュクシーには、シェイドを前にしても平静でいられるほどの、確固とした《自分》という存在がつかめなかった。
(何も―――ないんだ。私には何も・・・・・・)
目を閉じて我が身を闇に投じれば、その事実だけがポッカリと浮かび上がる。
リュクシー
(それとも―――カライのように)
リュクシーはその漆黒の瞳をゆっくりと露にし、現われ始めたシェイドの幻聴に対し、身を構えた。
(《名》に込められたその者の価値は、本人よりも周りの者が知っているのかもな―――)
リュクシー
リュクシーを呼ぶ声がだんだんと強く―――心臓を鷲掴みにするような暗い力の響きが濃くなっていく。
「―――名を呼んでも、私はお前たちに支配されない」
リュクシーは舳先に立ちあがると、海上に朧げな残像を映し出しているシェイドエネルギーたちにつぶやいた。
リュクシー・・・・・・
船が現場に向かって進むにつれて、シェイドエネルギーは人型をしており、何か民族衣装のようなものを身につけているのが伺える。
そして―――《彼等》の容姿。
それに気づいた瞬間、リュクシーはギクリと身を竦めた。
シティアラの民―――黒髪に褐色の肌。露出した肌に描かれた数々の神紋。
(あれはまるで―――!!)
「何だ、コイツら?」
カライは自分と同じ存在たちの群れに驚きを隠せない様子で、思わず声を洩らした。
リュクシー
船はシェイド体たちの生息地へと突き進んで行く―――それと同時に強まるシティアラ民の意識。
彼等の繰り返す《言葉》・・・・・・
ある者は天を仰ぎ、ある者は赤子をあやし、ある者は幻覚と戦いながら、それでも全員が共通するキーワード――― 《リュクシー》という言葉を繰り返している。
(獲物に付け入ろうとして、私の名を呼んでいるんじゃない―――彼等はずっとここで・・・・・・《リュクシー》を待っていた?)
―――同名の別人だろうか。だが、そんな考えは端から通用しない。
シティアラの民たちが求めているのは、紛れもなくここにいるリュクシーだった。
(私は外界で売られ、メダリアに連れて来られた。私は―――シティアラ島の出身だったのか・・・・・・)
リュクシーの右胸の下には、外界にいた時に付けられたらしい刺青がある。
それはシティアラ島民の神紋だったのだと、この場になって始めて理解した。
リュクシー
目の前に確かに在る死者たちの声に、リュクシーは動揺を隠せない。
(だが―――なぜ、《私》を呼んでいるんだ)
リュクシーがその疑問を彼等に正すべきか否か悩んだその時だった。
ズ―――――ンッッッ!!!!
「くっ―――――!!」
船に衝撃が襲い掛かり、リュクシーは舳先から振り落とされそうになる。
ガッッ!!!
「何やってんだ、お前は!!」
リュクシーの腕をつかんだのは、カライではなくジンだった。
「―――おい、何やってやがる、依りまし!!!船がつかまっちまっただろうが!!!とっととどうにかしろい!!」
船長の怒鳴り声が耳に、海上のシティアラ民の方を唖然としたまま、ただ見ているカライの姿が目に入る。
あのカライでさえ、別のシェイド体との邂逅は予想もしなかった事らしく、食い入るようにシティアラの民を見つめている。
ガシッ!!
リュクシーは左腕で縁につかまると、反動をつけて船にその身を投げ込んだ。
船に上がると、イチシがこっちを見ているのが分かる
「ここらの海は落ちたら、即死しちまうぞ!!ここいらの汚染はひどいんだ!!」
「イチシ!!何やってやがる、早く何とかしろ!!船が壊れちまうぞ!!」
ジンと船長の怒鳴り声が混じり合い、イチシはようやく重い腰を上げた。
ズッ―――――ンッッッ!!!!
その時、第二撃が襲いかかる。
だが、今回はジンがリュクシーをしっかりと抱きとめていて、放り出される危険はなかった。
ギギィ――――――――
船がグラリと傾く。
「船長、船倉に穴が空いたかもしれねえ!!」
「なにぃ!!!足上げて、閉めろ!!畜生、冗談じゃねえぞ!!イチシ、何やってやがる!!早くどうにかしやがれ!!!!」
―――――バッ・・・・・・!!
船は前方が大きく上がってしまった状態で、一止まる。
そこにイチシが飛び出した。
(イチシの体―――あれはシェイドエネルギーか!?)
イチシの体をシェイドエネルギーが包んでいるのが分かる。
(だが、あんな使い方では―――)
リュクシーも危険な状態の場合は、自身のシェイドエネルギーを使わざるを得ない時があるが、シェイドエネルギーとは強力なもの―――一時解放しただけでも、目的物に多大な影響を与える。
また、シェイドエネルギーとはその者の精神的なエネルギーでもある。
―――使い方を誤れば、寿命を縮める事にもなるだろう。
イチシの使い方―――あんなに長時間、しかも肉眼でとらえられるほどのエネルギーを放出すれば――― 間違いなくイチシは早死にする。
ビリビリビリッ―――――!!!
イチシのシェイドを肌で感じ、ヤバイ状況であると察知したリュクシーだが、
「みんな隠れろ!!イチシがやるぞ!!!」
既にジンがリュクシーを抱えたまま、船室に向かって甲板の床に体を滑らせていた。
「っ―――カライ!!お前も食らうぞ!!!」
カライを残したままなのに気づき、リュクシーは叫んだ。
「カライ!!―――カライ!!!」
だが、カライはピクリとも動かない。
「―――カライ!!!―――カライ!!!!!」
「こら、暴れるな!!」
「離せ、カライが―――!!」
「バカ野郎、マジでヤバいんだ!!」
だが、腕力ではジンの方が強く、暴れるリュクシーを押さえつけ、もう間に合わないと思ったのか、甲板の上の荷物の陰に飛び込んだ。
ザザンッッ―――――!!!
(来るっっ―――!!!!)
リュクシーは衝撃に合わせ、シェイドのバリアを張る。
「ぐあっ!!!」
「っっ―――!!」
だが、それでも2人は吹き飛ばされ、甲板の最後尾まで転がっていく。
(何てシェイドだ―――!!)
攻撃を受けた瞬間、いくつかの映像がリュクシーの脳裏に現れた。
一瞬の事で、それを判別する事は叶わなかったが―――
カシャ―――――ン――――
常人では聞き取れないはずのその音が、リュクシーを現実に引き戻す。
「カライ!!!」
まさか海に落ちたのでは―――だが、さっきの音は玉となったシェイドがどこかに落下して立てた音だ、まだ海には消えていないはず―――
リュクシーはシェイドを浴びて朦朧としているジンの腕を払いのけ、急斜面になっている甲板を駆け上がる。
カライのシェイドが甲板の縁を弾んでいくのが見えた。
(このままじゃ―――間に合わない)
リュクシーはシェイドを解放した。
ドッ―――!!!!
瞬間的に肉体の機能を高め、リュクシーは一気にカライとの距離を縮める。
(届く―――)
その手の中にカライをつかもうとしたその時―――視界に何者かの足が入った。
「―――何を!!」
イチシの足に軽く押され、カライは海へとその身を投げ出した。
イチシにしてみれば、リュクシーとカライを引き離そうとしての行動なのだろうが――― 今のリュクシーには逆効果だった。
「カライ!!」
リュクシーはカライを追って跳躍した。
あの時のように、具現化したカライが死から救出してくれるという確信があったわけではない――― ただ、体が勝手に動いてしまっただけなのだ。
(しまった―――!!)
眼下に迫る海面を見て、ようやく自分がとんでもない事をしでかした事に気づいたリュクシーだが、こうなればカライをつかむ以外に生き残る道はない。
だが、これだけ呼んでも応答がないという事は―――イチシの生の映像を焼き付けられ、一時的に自分を失っているのか―――それなら。
ドンッッ―――――!!!
再びシェイドを解放し、見えない壁を蹴ると、リュクシーはカライをつかむ。
「カライ、私だ、目を覚ませ―――!!!」
そしてリュクシーもイチシに習い、自分のシェイドを一気に解放する。
ザバァ―――――ンッッ―――!!!
「!!」
リュクシーが海に落ちたのを見て、イチシは舌打ちした。
「おい、イチシ―――今のは何の音だ!!」
意識を取り戻したジンが、甲板をどうにかよじ登り、イチシに向かって怒鳴ったが――― イチシは視線を落とし、首を横に振った。
「何―――まさか!?バカ野郎、何やってやがった!!」
リュクシーが海に落ちたという事実に怒りを覚えたのか、ジンはものすごい勢いで甲板を駆け上がる。
「お前、後でぶん殴ってやるからな!!女死なせるなんて何考えてんだ!!最低だぞ、この野郎――― な、何だ、ありゃあ!?」
イチシを罵倒していたジンだが、縁から身を乗り出してその光景を見た瞬間、声が裏返る。
―――海が割れ、その中心にリュクシーがいた。
不思議な光が少女の体を包んでいるのが分かる―――
「生きてる!!おい、生きてるぞ、あいつ!!」
「見りゃ分かるぜ―――」
イチシは憎まれ口を叩いたが、さすがにそれ以上は言葉が出なかった。
リュクシーの体を守っているのは、彼女自身のシェイドではない―――ナスタチューム海峡の亡霊たちが、彼女を担ぎ上げているのだ。
通過する人間たちに精神汚染を与え、海に引きずりこむだけの悪霊ではなかったか―――
船を止めてまで、死から救ってまで、彼等がリュクシーを繋ぎとめようとする理由は何なのか。
「何だ、ありゃあ―――ばあさん、か・・・?」
ぼんやりとしか形を留めていないシティアラの民の中、1人だけジンにも見えるほどはっきりと具現化している中年女性がリュクシーに近づいていく―――
(あれが―――親玉、か・・・?)
リュクシー
―――名を呼ばれ、手の中にカライの存在を確かめながら、リュクシーは虚空に立ちあがった。
目の前にいるのは民族衣装に身を包んだ女性―――
(当たり前か―――)
この異様な状態の中で、リュクシーは別の事を考えていた。
(そんなはずない―――)
リュクシーが海に落ちた時、自分を優しく包み込んだシェイドエネルギー・・・・・・
(でも―――あの感じは)
―――リュクシーは船を見上げた。
そこに見えるのはジンとイチシの2人―――リュクシーの望む者の姿があるはずはない。
(私を助けたのは、ここにいるシティアラの民なんだ―――)
―――リュクシーは自分にそう信じ込ませた。
リュクシー
「あなたは―――意志と考える力を持っているのか?」
リュクシー・・・・・・?
「あなたは誰だ?―――何故、私の名を呼ぶ?伝えたい事があるなら言えばいい」
リュクシーはそのシェイド体を見つめたが―――彼女に名を呼ばれても、精神汚染されるような危機感は感じられない。
《本当に―――リュクシーなのね・・・・・・?》
女性は初めてその口を動かし、意味のある言葉をしゃべった。
《あなたの御印を見せてちょうだい―――あなたにはグノーシス様の神紋が刻まれていたはず・・・》
リュクシーは上着を捲り上げると、右胸の下にある刺青を見せた。
おお―――――グノーシス様・・・・・・
神を露にした途端、リュクシーを支えているシェイド体からも感嘆の意志が漏れた。
彼等はリュクシーから遠ざかったが、それでもリュクシーの身体は海面に着く事なく、彼等の力で支えられている。
《生きて―――いたのね・・・・・・ああ、グノーシス様、感謝いたします・・・・・・》
女性はというと、シティアラ民特有の祈りのポーズを取ると、瞳を潤ませてこちらを見ていた。
「あなたは―――」
《私はあなたの―――》
どこかで見た事のあるその女性の顔に、リュクシーの頭の中では既に答えは出ていた。
《レミ―――下がっていなさい》
彼女が名乗ろうとした瞬間、別の声が現れ、レミは身を引かざるを得なくなった。
つづいて現れたのは20歳ほどに見える男―――
《リュクシーよ、私を覚えているか?―――無理もない、お前がさらわれたのは随分と昔の事になる。あの時の幼子がこれほど立派に育つまでの時間だ》
呆然としているリュクシー相手に、男は一人で語り始めた。
―――彼の額にも神紋が見える。
リュクシーの神紋が女神を象ったものならば、男の額にあるのは戦う男神のようにも思えた。
《私はハガル―――お前がシティアラの《グノーシス》に守護を受ける者、私は《レムノス》を継ぐ者だ》
「それが―――私を呼ぶ理由か」
リュクシーに宿る(とシティアラ民は信じているようだ)神は、かなり上位の神なのだろう。
ハガルの瞳は深く、そして静かだ―――これが《闇》を信仰する者の瞳なのか。
《我らは静かに暮らしていた―――あの男がグノーシスをさらうまでは》
「・・・・・・」
―――リュクシーは異変を感じ始めていた。
リュクシーを海から守っていると思われたシェイドエネルギーは、ピッタリと密閉された空間を作り上げ、自分を閉じ込めているように思えて来たのだ。
《全てはグノーシスがシティアラから離れた事―――それが災いの始まりだった》
「っっっ!」
ハガルがリュクシーの瞳の奥を見据えた瞬間、リュクシーの脳裏にいくつかの映像が刻まれた。
異常気象、伝染病の蔓延、部外者たちによる暴挙―――これらの災いは全て、守護者不在による混乱が原因 ―――
グノーシスがいない今、我らの力はこの世に災いをもたらす
何という恐ろしいこと―――シェイドを利用して生きるだと?
驕り高ぶった光の者たちめ
光に侵されるくらいなら、我らは真の闇に還ろう
だが―――レムノスとグノーシスがそろわない限り
我らに真の安息はない
《―――そういう事だ》
ハガルがそう宣告した瞬間、リュクシーは体の自由を奪われ、硬直状態になる。
《リュクシー―――お前も我らシティアラの民の1人として、ここで共に眠ろう》
ハガルの手に、シェイドエネルギーが集まるのが見える―――リュクシーを殺す気なのだ。
だが、体は動かない。
(これが―――シティアラの民のシェイド・・・・・・私はこんな所で死ぬのか。この見知らぬ者たちの同類とされて―――)
ジワ――――――――
右手に握り締めていたモノが、熱を帯びて来る―――
《これで我らの力が悪用されることもあるまい―――来い、リュクシー!!我らが神の元へ!!》
―――ハガルがその強大なシェイドを放った。
(私は―――こんな所で死ねない!!)
生まれが何者であろうと、リュクシーには今まで築いてきた《自分》を簡単に滅ぼされるわけにはいかない―――
リュクシーはシェイドを解放した。
2つの―――いや、複数のシェイドのぶつかり合いで、激しい水しぶきが辺りを包んだ。