EPISODE10
「お前もバカ律義な女だよな―――仕事なんて放っておけばいいのによ」
「お前と一つ部屋にこもる方が気が滅入る」
夜が明け、リュクシーはまた甲板に出た。
船員たちは2人の姿を目にすると、もはや無視が我が身にとっての安全と判断したのか、リュクシーたちから目を背け、一瞬手が止まった自分の仕事へと戻る。
「・・・・・・」
まあ、カライを見れば当然の反応かという程度で、リュクシーはあまり気に留めはしなかったが――― むしろ、ショックを受けているのはカライのように思った。
もちろん、この男がそれを顔に出すはずもなかったが―――
「おう、起きたのか」
だが、そんな空気をものともせず、リュクシーに話し掛ける男がいた。
「―――たくましいというか、図太いというか、鈍いというか・・・・・・」
「何だぁ?訳分かんねぇ事、言ってんじゃねえよ」
ジンは片手に持つ麻袋をリュクシーに放る。
「今日の分の飯だ」
まるでカライの事など気にしていないといったジンの様子に、リュクシーはこの大男の顔をまじまじと見る。
「連中、そっちの兄ちゃんにびびって、近寄りたがらねえ。用がある時はオレに言え」
ジンはカライを無視する事はしない―――リュクシーの後ろでプカプカと浮遊している異形を視界の隅に捕らえながら、普通に話している。
「なぜ―――」
「あ?」
「なぜ、私に―――親切にする?お前に利益などないはずだ」
この何の関係もない男の行為が、不気味に思えてきたリュクシーは、怪訝な顔でジンの顔を伺った。
「妙な事、勘ぐるなよ。お前みたいな小娘、誰かが守ってやらなけりゃ、売り飛ばされちまうだろうが・・・・・・それだけだ」
「・・・・・・」
正直、こんな変な男はいないと思った。
今の世の中、皆、自己防衛本能を研ぎ澄ませて、災いには近づかないようにするのが当たり前なのに。
リュクシーが習った《外》の世界には、こんな男がいるはずがないのだ。
でも―――確かにこの男からは、いつもリュクシーの本能が嗅ぎ取るような、危険の臭いは感じ取れない。
「おら、仕事場に行けよ。―――あいつも、何か話があるみたいだぞ」
ジンに背中を押され、リュクシーは舳先へ目をやった。
そこにはイチシがいた―――外界の捕縛士。
束縛と自由が両立した場所で、生きている人間。
「―――昨夜の事は謝らないぜ」
開口一番にそう言ったイチシだが、リュクシーには何の感情も湧かなかった。
「それとお前」
そして、イチシもカライを避けるどころか、正面から睨み付けた。
「亡霊に生身の女は必要ない。―――その女はオレがもらう」
「へ〜え?お前、オレにケンカ売ってんのか?そんなに死にてーかよ?」
自分の所有権を、2人が勝手に争っているこの状況に、リュクシーは目眩を覚えた。
「ふざけるな!!私を物扱いして、一体何を―――!!」
「あんたは黙ってろ」
「お前は黙ってな」
抗議を始めたリュクシーを、こういう時ばかりは息の合っている男たちが同時に黙らせる。
2人の迫力に、思わず引いてしまったリュクシーだが―――
「こらこらこら!!お前ら、騒ぎを起こすんじゃねえ!!」
離れた所で様子を見ていたジンが、大声を上げながら仲裁に入る。
「おい、イチシ!!お前、謝るんじゃなかったのか!?」
「うるせーな、ジン。あんたは引っ込んでてくれ」
船に乗ってから観察したところ、ジンには頭が上がらない様子だったイチシだが、この時ばかりは反発してみせる。
「それとも―――あんたもこいつが欲しいってのかよ」
「バッ―――何でそうなる・・・」
「そうだよな、あんたにはエレファがいるからな」
つっかかるイチシに、ジンはムッとした表情をする。
「それこそお前の口出しする事じゃねえ。今回は見逃すが、二度とあいつの名を―――」
「あー、分かったよ。だから、あんたもオレの事に口出しするな」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「あー、そうかい分かったよ!!ったく、かわいげのないガキばかりだぜ!!!」
無言で睨み合っていた2人だが、ジンは心底気分を害したようで、いつもにも増して大声を張り上げると、クルリと背を向け、ズカズカと大股で去って行く。
「―――で?結局、お前は殺して欲しいわけだな?」
「カライ、相手にするな!!」
好戦的な所が手に負えないカライを、リュクシーが一括する。
「だぁってよ〜、こいつがオレ様にからんで来るんだもん」
カライはイチシを煽るように、リュクシーに体を摺り寄せて来る。
「だからお前は、気色の悪い声を出すなと言ってるだろう!」
―――そうは言っても、止めないのがカライである。
だがイチシは自分が生人の強みか、カライの言動に逆上するような事はない。
「あんたも分かってるはずだ―――死人に汚染されれば、自分の人生まで狂っちまうぜ」
(汚染―――《精神汚染》・・・・・・)
イチシの言葉に、かつて魔獣に精神汚染された時の記憶が蘇り、連鎖的にパートナーの――― ゼザの言葉が鮮明に現れる・・・・・・
お前は感じやすい性質だから―――
余計な事まで考え過ぎる性格だからな、お前は
オレたちの未来だけ考えればいい
オレたちは2人で捕縛士になるんだ
(私がカライに汚染される―――?)
お前は直情型だ。―――考えるのはオレにまかせればいい
全く、お前は!!そういうのは向こう見ずのバカというんだ!!
どうしてお前は―――
リュクシー
オレだけはお前の味方でいてやるさ
リュクシー
「違う。…違う。私は―――カライに支配されてなんかいない」
リュクシーを支配しているのはカライではない―――今もこんなに鮮やかに蘇る。
(昨夜は―――確かに、カライに引き込まれていたのかもしれない。だがそれにも勝る割合で、ゼザは私の中にいる―――今も……この先も。決して消えたりしない)
―――カライの入る余地なんてない。ましてイチシでもない。
「私を無視して話すのはやめろ。私は男とどうにかなる気はない。それが生身の男なら尚更だ」
「へっ、聞いたか?こいつは幽霊のが好みなんだとさ」
瞳に宿った頑なな意志を感じ取ったのか、イチシは何も言わずにリュクシーを見つめていたが―――
「幽霊なんて、自分の事しか考えてねぇし、いつかは消えるもんだぜ。あんたには、過去を忘れさせてくれる生身の男が必要なはずだ」
「それがお前だと言うのか?―――バカバカしい。それに、忘れる必要なんてない。私は―――自分の犯した罪と共に生きていくんだ」
過去に決着なんてついていない。
リュクシーは過去にも戻れず、未来にも進めない、ただの半端者なのだから。
「―――交代の時間だろう。邪魔だ、どいてくれ」
リュクシーはもう何も言う気はなかった。
イチシの横を通り過ぎ、また舳先へと座り込む。
「―――あんたは分かってない。亡霊共の恐ろしさを」
イチシがつぶやいたが、リュクシーは振り返りもしなかった。
「今日はナスタチューム海峡を通過する。―――3時間だ。3時間後、あんたはオレに助けを求める事になる。 ―――そして、ようやく解るさ」
イチシはカライへと視線をやると、そのまま歩き出す。
「あんたの隣にいるのは、仲間どころか、生を蝕む悪霊だってな」
「安心しとけ、てめーの人生になんかカケラも興味ねーからよ」
カライが悪態をついたが、イチシはそのまま自室に引っ込んでしまった。
(ナスタチューム海峡……)
イチシの意味深な言葉に、リュクシーはナスタチューム海峡についての記憶を探してみる。
「モッテモテだな、リュクシー。きっと、あのジンって野郎もお前に気があるぜ」
「ナスタチューム海峡―――そうか」
「あのゴツイ船長だって怪しいもんだぜぇ」
「サポナリア号の事件現場か―――」
カライを無視して考えをまとめていたリュクシーだが、それがおもしろくなかったのか、カライはリュクシーに抱き着いてきた。
「―――うっとうしい、離れろ」
「お前、オレの話聞いてるかよ」
「そんな事はどうでもいいんだ」
リュクシーもそろそろカライの扱いも慣れてきたようで、適度に無視も使いこなせるようになってきた。
「3時間後に、あのサポナリア号が沈んだ上を通るらしい。お前も話を聞いた事くらいは――― ないだろうな」
カライがいつ頃から、あのラジェンダ=テーマパークにいたのかは知らないが、それにしても元がビレイラ・ドームの住人では、世情には疎いと考えた方が妥当だろう。
「サポナリアー?そんな女、昔の女にいたかもな―――ケケケッ」
カライは何も知らないから相変わらずの楽観主義だが、リュクシーの表情は暗かった。
「確かに―――一荒れ来るかもしれない」
「ああ?―――で、結局なんなんだよ、そのナントカって奴は」
十秒前の事を忘れているカライとは違って、リュクシーにとってサポナリア事件は忘れ得るものではない。
「―――あのソーク=デュエルから……逃れた種族の終焉の地だ」
「ソーク=デュエル?誰だよ、そいつは」
―――リュクシーはまたしても深いため息をついた。
(カライに説明は無駄だな。―――実際に体感すればいいんだ、この男は)
このご時世に、未だ独自の信仰心を持つシティアラ島の民―――彼等は古からシェイドエネルギーの存在と扱い方を心得ていたと聞く。
そんな彼等をメダリアが放っておくはずがない―――
そしてメダリアは、シティアラの民の捕獲を計画、実行し、その護送中―――事件は起きたのだ。
―――彼等は一族の秘密を守った。
彼等は一人残らず―――そう、女も赤子も、すべてのシティアラの民は、自ら海の藻くずとなったのだ。
全ての想いと共に海へと沈んだ彼等のシェイドは、メダリアに利用される事もなく、海底で静かに眠っているだろう。
(シティアラの民は《変化》を嫌悪し、邪悪と同じに認識していたと聞く。 ―――そんな彼等の想いが渦巻く場所に、《メダリアの人間》が入れば……)
彼等の残像が、メダリアへの―――ひいてはリュクシーへの憎悪となって現れる可能性は低くはない。
(シティアラの民―――彼等のように海に飛び込む事でしか、メダリアから逃れる方法はないのか……?)
それに―――彼等シティアラの民が、シェイドと共に生きて来たというのなら……
カライのように希薄にならずに存在する者もいるかもしれない。
(無理な話か―――仮にそんな者がいたとしても、私に協力する道理はない)
別に方法があるのなら、一族総出で心中する必要もなかったはずだ。
(淡い希望を持つより、復讐の念に捕らわれたシェイドと対峙する準備をしなくては)
リュクシーは大きく息を吸いこむと、精神統一の意味を込め、静かに吐き出した。
「カライ、お前にも働いてもらうぞ」
「またオレに何やらす気だよ、お前」
そう言いながらも、カライは何故かうれしそうだ。
「何か報酬がねーとやる気でね〜なぁ」
せっかく気を静めて、シェイドの集中を図ろうとしているリュクシーの周りを、カライはフワフワと飛んでみせる。
「報酬―――か」
再び深呼吸をしていたリュクシーは、ポツリとつぶやいた。
そして顔を上げ、カライの顔を見つめた―――
「私と過ごす時間―――それでいいだろう?」
カライが驚いているのが分かった―――
いつもいつも、《悪魔》や《異形》をおどけて演じてみせるカライは、本当に限られた一瞬だけ――― 人であった時の顔を覗かせる。
「だから―――お前はお前のままでいい。―――《カライ》でいればいい。私はお前から逃げない。忘れてしまったというのなら、思い出させてやる。―――私は忘れない。―――お前を忘れやしない……」
忘れない
「決して忘れない」
―――――ドクンッ……
その時―――カライは初めて。生まれて初めて―――――
「生まれて初めて―――なに?」
シェライルはカライの腕の中でつぶやいた。
「……」
だが、カライは寂しそうに微笑んだだけで―――その先を続けようとはしない。
「―――何?カライ―――最後まで言って」
カライがいつもいつも口にする女の名前―――リュクシー。
―――シェライルの知り得ないカライを知っている女。
(一体、どんな人なんだろう……)
正直、彼女の話はシェライルにとって、あまり心地良いものではなかった。
(カライが探しているもの―――それはきっと、その人の魂なんだわ)
―――カライを目覚めさせた女。カライに確かなモノを与えた女。カライが求める女。
(私は―――また身代わりなの?)
《カライに捨てられる》―――その恐怖が、シェライルの脳裏に忌まわしい記憶を蘇らせる。
お前は天使なんだよ、シェリー
この不良品め!!
君はただ笑っていればいいんだ、シェリー
返品します
笑うしか能のない、でく人形のくせに
シェリー
お前はシェリーじゃない!!
(いや―――!!!)
「お前はお前だろ」
カライはシェライルを抱く腕に力を込めると、ぶっきらぼうにそう言った。
「お前がリュクシーじゃねーなんて、端から分かってるぜ」
だがシェライルには、あの屠殺場から救い出してくれたカライを愛する事はできても、信じる事はできない。
「その人が見つかったら―――私は捨てられるんでしょう?」
シェライルは震える声でカライに問いかけた。
(カライがいなくなったら、私は―――!!)
「捨てられる?―――んな事言ってっから、マジに捨てられるんだよ、おめーは」
カライはシェライルの顔を乱暴にこちらに向かせる。
「お前が汚染されてどーすんだ。―――オレたちが奴等を汚染してやるのさ」
「カライ―――」
この庇護欲をそそる細身の少女は、すっかりその身をカライに預けてしまっていて―――
「私は―――カライを汚染したい……」
だが、シェライルの囁きも潤んだ瞳も、今のカライには何も感じさせる事はできない。
他の男ならば、見つめるだけで事足りるだろうに・・・
「カライだけでいいの―――」
「じゃあ、やってみろよ」
―――カライはシェライルに口付けた。
「オレをお前で満たしてみろ」
「あっ……!」
そしてシェライルは再び快感に襲われる。
肉を共有される事に嫌悪を感じていた日々―――だがそれも、《シェライル》本人のものを望まれるのならば、喜びに変わる。
(そうよ―――カライは教えてくれたわ。《生きていけ》って。これから生きていけって。 ―――私はもう捨てられない。支配されない。殺されない。私が《私》を守っていくのよ…… それだけの力が、私たちにはある。―――そうよね、カライ)
2人は仮の体を重ね合い、他人の体温を欲しながらも、自分の事を考えていた。
―――自分の存在を確かめるだけの行為……
(変わっちまったぜ、オレも―――それもこれも、お前から生気を吸い取れねーからだろうが……)
―――生きていた時は、生きる事に必死で、生き残る事に精一杯で、立ち止まった時なんてなかった。
肉を失ってからは、自分が薄れていく感覚が恐ろしくて、じっとしていられなかった。
(マジで―――初めてだったんだぜ。自分の心臓が音を立てるのを聞くなんて)
忘れない
リュクシーの言葉、リュクシーの笑顔、リュクシーの温もり―――それが本物かどうかは、カライが決める。
―――自分で決める。
ドクンッ
リュクシーを見つめていた時の胸の高鳴り―――失ってしまったはずの生の鼓動。
本物だったと―――オレは信じてる