EPISODE1
イヤダ―――ソバニコナイデ
イヤダイヤダイヤダイタイヨ チガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウドウシテドウシテドウシテナノナンデナノイヤナノコナイデ
イヤダ
ソウジャナイ
ヤメテ
イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤヤメテソバニコナイデブタナイデイヤダイタイイタイイタイイタイ
ドウシテナノワルイノハダレナゼナノタスケテクルシイノ―――
イヤ!!
「リュクシー、どうした?」
名を呼ばれ、リュクシーはハッと息をついた。
一瞬、自分がどこで何をしていたか混乱しかけたが、視界に映るものをよくよく確かめれば、自分は今、パートナーのゼザと共に、魔獣が出たと情報のあるドームの下層部に来ていた事を思い出す。
「何か……感じないか、ゼザ」
リュクシーは息を潜め、ドーム下層部に広がる配管線の先を見据える。
「リュクシー、もう帰るぞ。お前の好奇心に付合ってここまで来たが、オレたちはまだ、捕縛士じゃないんだ。魔獣と接触すれば、食い殺されてしまうぞ」
「食い殺される……?」
―――そんなものだろうか。この胸に渦巻く予感は。
(食い殺される…違う…これはそんな恐怖じゃない)
「リュクシー、……、…………」
ゼザがリュクシーに何か言っているが、その声はリュクシーには届かない。
リュクシーの頭の中にはさっきから同じ意識がなだれ込み、思考を停止させてしまう。
イヤ!!
声ではない―――言葉ではない。
リュクシーの心の中で共鳴する、ただの想い―――否定の、拒絶の意志。
「リュクシー?……お前、変だぞ」
異変に気付いたゼザが、リュクシーの肩を揺さぶる。
ヤメテ
「リュクシー!」
バシッ!
視線を漂わせたまま、呼吸も乱れてきたリュクシーに、平手打ちを食らわせたゼザだが、そのおかげでリュクシーは覚醒した。
「リュクシー、早く出るぞ。―――これ以上、ここにいない方がいい」
「お前だけ戻れ」
そう言ってリュクシーはさらに奥に進もうと身を乗り出す。
「……何だって?」
パートナーの信じられない言動にゼザは眉間に皺を寄せると、リュクシーの腕をつかんで引き止めた。
「私は―――この先にあるものに用がある……」
「バカを言え!お前―――魔獣に精神汚染されているな!? 行くぞ、グズグズしていると廃人になる!」
リュクシーの瞳はもう現実を捕えていない――― そう判断したゼザは、力ずくでリュクシーを連れ戻そうと、強攻策に出ようとした。
だが―――既に遅かったのだ。
「ウウウ―――!!」
角を曲がったところに、一つの影が潜んでいた。
姿ははっきり見えないが、低いうなり声を上げているのは分かる。
ゼザは右手でリュクシーを抱え、左手で護身用の麻酔銃を構えた。
リュクシーの方は、瞬きもせず食い入るように魔獣を見つめ、動くこともできずにいた。
「ウウウ・・・!!」
低い―――低いうなり声……だが、それはただの音ではなく、そこには意志があった。
イヤダ
「リュクシー、危ない!!」
ゼザの腕を振り切り、飛び出そうとしたリュクシーに魔獣が襲いかかる。
リュクシーを突き飛ばし、ゼザは麻酔針を放とうとしたが、次の瞬間視界に走ったのは、赤い線だった。
ゼザを捕らえた三本の線・・・左の腿からふくらはぎにかけて刻まれたそれは、ゆっくりと―――赤い色をにじませていく。
「ゼザ!」
ゼザが左足に重傷を負ったの見て、ようやく自分たちの今の状況をはっきり認識したリュクシーは、足元に転がっていた鉄パイプをつかみ、無心で魔獣に向かって行った。
ガツンッ!!!!
しかし、魔獣はその渾身の一撃をひらりとかわすと、配管の上に飛び乗り、再び攻撃態勢をとると、二匹の獲物を引き裂くチャンスを伺い、こちらを見下ろしている。
「リュクシー……」
左足を抱えて倒れ込み、痛みに顔を歪めながらも、ゼザは麻酔銃を差し出した。
リュクシーは素早くそれを受け取ると、頭上にいる魔獣に向けて放ったが、俊敏な魔獣はあっさりとかわし、針は空しく天井に突き刺さっただけだった。
そして、他に生き延びる手段のない二人にできたのは、絶望の中、身を寄せ合う事だけ―――
「グゥルルル……!!」
魔獣の瞳がギョロリと動き、まるで心の深淵までも見通すかのように、リュクシーと視線を交えた。
タスケテ―――
(何だ……?)
ドクンッ―――
心臓が熱く動く。
タスケテ!
「ガァアッ……!!」
魔獣は苦痛に満ちた喘ぎ声を洩らすと、狙いを定めて二人に飛びかかった。
ゴスッッ!!
一瞬、目の前で何が起こっているのか分からなかった。
ドッ!!
魔獣は壁に叩きつけられていた。
「無事か」
右手にいくつもの宝玉のはめ込まれた剣を握り締め、顔に魔獣の返り血を浴びたその男は、ゆっくりと振りかえるとそう言った。
「子供が二人、こんな所でなにをしている」
―――男は一体、どこから現れたのだ?
今、この男が使った力は何なのだ?
その答えは―――この男が捕縛士であるという事実が全てだ。
しかも、この男には明らかに見覚えがある。
「ソーク=デュエル・・・?」
「そっちのガキの怪我を見せてみろ」
特級捕縛士の中でも最強と言われるソーク=デュエルは、リュクシーの腕の中にいるゼザの、赤く染まった左足の横に屈み込む。
そして、一刻の猶予もならないと判断すると、耳元に携帯してあるマイクを口元まで引き延ばす。
「現在地はビレイラ・ドーム、2F.356E.249R。魔獣による負傷者発生。緊急用転送機のロック解除を要請する」
事務的に報告した後、ゼザの足に自分の上着を引き裂いたものを、包帯代わりに縛りつけた。
「お前は歩けるな。・・・ついて来い」
ソークはゼザを背負い、最寄りの転送口を目指して歩き始める。
「………」
リュクシーは壁に打ち付けられ、ピクリとも動かなくなった魔獣の方を見た。
あの意識はもう感じられない―――
(消えてしまった……?じゃあ、あれはやっぱりこの魔獣が……?)
リュクシーは恐る恐る魔獣に近づいていく―――そして、ゆっくりと覗き込んだ。
「……!」
それは魔獣ではなかった。
(―――突然変異だ。獣じゃなく、人間の……)
「どうした。―――早く来い」
ソークの声に、また心臓がドクンと脈打つのを感じた。
リュクシーは魔獣から逃れるように走り出す……初めて知った。
「さあ、乗れ。病院に送ってやる」
リュクシーは体の震えをソークに勘付かれまいと、無言のまま転送機に乗り込んだ。
「メダリアには既に報告が行っている。後日また会う事になるだろう。ここは進入禁止区域だ。それなりの処罰は覚悟しておく事だ。―――これに懲りたら、こんな所で遊ぼうなどと、二度と考えるなよ」
ブシューッ!!
転送機の扉が閉まる―――その向こう側にいる男の顔を、リュクシーはただ見ていた。
こんな仕事を……捕縛士という仕事を平然とやってのけるこの男に、自分たちを助けたり、忠告したり―――人間らしさが残っている不思議に恐怖しながら。
シュンッ!
扉が完全に閉まると、二人は転送機の中をくぐり抜け、最寄りの病院へと運ばれて行く。
―――初めて理解した。
セントクオリスのドームを動かしているエネルギーが何なのか。
そのエネルギーを得るために、捕縛士は何をしているか。
メダリアで捕縛士の訓練を受け続けた後、自分はどうなっているのか。
―――事実ではなく、意味を知ったのだ。……理解した。
リュクシーは恐怖した。ただ震えるしかなかった。
「リュクシー?」
怪我による発熱で苦しんでいるゼザよりも震えていた。
「お前は―――何か感じなかったのか……?」
リュクシーはさっきと同じ問いを繰り返した。
「―――何を」
呼吸の荒いゼザは短く答えた。
突然、リュクシーの瞳が潤む。
「う……」
リュクシーは膝を抱え、声を殺して泣き始めた。
「リュクシー?」
「うっ……うっ…!」
だがゼザは訳が分からず、困惑して見ているしかなかった。
「怪我したのはオレなんだぞ―――もう大丈夫だ。もう、魔獣はいないんだ、リュクシー」
―――そんな事ではなかった。そんな事じゃなかった。
リュクシーは悲しかったのだ。
今、隣にいるパートナーでさえ気付いていない事が。
周りにいる人間の全てが、ここでの生活に何の疑問も抱かない事が。
目の前で、捕縛士に殺された魔獣を見て、とてつもなく悲しかった。
タスケテ―――
頭の中に、魔獣の叫びがこだましていた。